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 どれくらい眠っていたのだろうか。長い長い夢を見ていた気がして、蝋梅は瞼をこじ開ける。しかし、体のどこもかしこも重くて、起きることを拒否している。唯一、からからに渇いた喉だけが、水を求めていた。

 僅かに頭を上げると、殴られたような鈍痛が更に酷くなって蝋梅を襲う。思わず呻き声を上げると、その背を支えられた。慣れた香りを纏ったその腕に、蝋梅は身を委ねる。

 まだ傾いだ光が窓から差し込んでいた。何とか夜まで熟睡は免れたらしい。

「殿下」

 かさかさの声で、何とかそう紡ぐ。淡い天色の瞳が、気遣わしげに覗き込んでいた。布団の上に、本が投げ出されている。どうやら目覚めるまで、待っていてくれたらしかった。

 望は水をとってくるからと手を離すと、茶杯にぬるい白湯を入れて戻ってきた。蝋梅はそれを少しずつ流しこんでゆく。ひと息つくと、何だか変な汗をかいていて、気持ち悪いのに気がついた。

「運んでくださって、ありがとうございます。菊花さまに祓っていただいたんですか?」

 あまりの重さに、蝋梅は再び横になる。

「いや。あいつのことでいっぱいなら、頼んでくるぞ。塵ひとつ残さないようにな」

「そのようなことはありません。どちらかと言えば殿下のことを、出会った時のことを思い出していました。……随分と、成長されましたね」

 もう、十年近く前のことだ。まだあどけなさのあった少年は、精悍な青年へと変わっている。それでもあの時の少年は、まだ約束を守ってくれているのだ。蝋梅は微笑んだ。

 思考回路の動作は重いが、彼のおかげで乗っ取られはしなかったらしい。

 その功労者は、照れたように視線をずらす。

「一体いつの頃と比べてるんだ。お前だって、その、あのさ、……綺麗になった」

 だんだんと声が小さくなってゆく。確かに、と蝋梅は心の中で頷いた。小屋にいた時は、服もぼろぼろだったし、髪も今のようにとかしたりしない。星の導きがあったとはいえ、よく連れてきてもらえたものだと思う。

「それは勿論。ちゃんと湯浴みしてますし、衣もいただいてますから」

 相応しい身なりをしなくては、と襟を正すも、望は「そういうのじゃないんだ」とかぶりをふった。

 その時、慌ただしい足音が廊下を抜けていった。菊花に見つかれば大目玉ものだ。見てこよう、と望が立ち上がる。が、それよりも前にかの鬼教官の声が響いた。

「報告? 概要は先程上げたであろう!」

「しかし、女官の間で不安が広がっておりまして。陛下が詳細な説明をするようにと」

 陛下から使者が来たのか、と望が耳うちする。顔を見合わせると、そっと二人で扉の側まで行って耳をそばだてた。

「捕物の準備がある。それにもう夕刻だ。報告は明日うかがうと伝えよ」

「今日の決行は凶と出たのであれば、今夜は星守補佐も動くまいとのお考えでして……」

「ふん、おおかた妃に泣きつかれたのだろう。放っておけばその妃殿下が籠絡されるやもしれぬのに。人手も貸さぬくせに、みみっちいことを。こちらはせめて明日の準備は万全にしたいのだ」

 菊花は吐き捨てた。

「星守補佐、お口が過ぎます」

 脇で水仙の諌める声が聞こえる。蝋梅は望の袖をひいた。

「足止めに行こうとか、思ってらっしゃらないでしょうね」

「まさか」

 返事を返すも、目は合わない。

「それなら私も参ります」

「いいからお前は寝てろ。だいたい、行こうとしてるのはそっちだろ」

「今まで寝ていたので大丈夫です」

「行くとしても詰所だ」

「嘘ですね」

「……ちゃんと霊符も持っていく」

「足りません。耐性のある私ですらこれです。霊符だけで何とかなるとは思えません。それにあなたは、立場ある方です」

 蝋梅は畳みかける。望は大きく息を吐いた。

「最初被害にあった兵がな、結婚を間近にしていたんだ。事情がよくわからない時だったからな。あの状況を見られて、破談になったらしい。……相当落ち込んでいた。あれは人を狂わせる。野放しにはできないだろう」

 小さく、蝋梅は頷く。苦悩の表情を浮かべる望を、優しい眼差しで見つめた。

「殿下はお優しいのですね。……でも、私も同じような思いがあるのです」

 ぼんやりと朝日の下で立ち尽くす水仙が、脳裏に浮かぶ。

「わかった。しっかり休んで行こう。ただし前衛は俺だ。それは譲らないぞ。お前は手負いなんだからな」

 彼もそれは譲らない。今度は蝋梅が渋々頷いた。

「それは私にも相談してもらえるのだろうな」

 扉の向こうで、恐ろしい声がする。どうやら聞こえていたらしい。すぱんと気持ちよく扉が開け放たれた。

「吉凶は、俺ならどうですか」

 望は怯まない。蝋梅を後手に、立ち上がった。

 菊花の眉間にはくっきり皺が寄り、眉はぴくぴくと持ち上がっている。それでもゆっくりと瞬きすると、星冠を煌めかせた。たっぷりと間を置いて、結果を口にする。

「――吉、と出た」

 望は蝋梅の手を取り、支えるようにして立ち上がらせた。

「なら、やはり俺が行きましょう。俺にはこの吉星がついていますから」


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