13
蝋梅は、窓辺によくわからない器を置くと、そこに蝋梅の枝を挿す。
香りはだいぶ抜けてしまっているし、花びらもしおれてしまっている。が、それを手に馬車で旅した記憶はまだみずみずしく残っている。
甘いものが好きで、剣と碁が得意な彼。そして。
頭が重い。身体も重い。何とか我慢してきたが、もう限界だ。蝋梅は寝台に倒れ込む。
小屋で伏せていたのは、回収した呪いが身体を蝕んでいたから。村人たちから吸い上げるのをやめても、それはすぐに消えるものではない。
(うまく誤魔化せたよね。誰も気づかなかったもの)
――厄災の子。早く捧げてしまえ。
――怖いわ、いつ目覚めるか
――村を見捨てたのか。お前が全部厄災を引き受けないと、みんな幸せになれないんだ。
ひとりで背負え。
ぜんぶ、ひとりで。
呪いが村人の声に姿に、形を変えて蝋梅に襲い掛かる。
(くるしい)
こんなに広い部屋、初めてだ。それが余計に虚しさを加速させる。蝋梅は袖をぎゅっと握った。
(でも、これは私が引き受けるべき呪い。誰にも背負わせられない)
以前と同じように、小さく丸まる。布団に何とか潜り込んでもなお寒い。
(殿下は、)
手を引かれた瞬間、わかった。この人は呪に侵されていると。少しずつ、落ち葉が積もるように積み重ねられている。つい、すべてを引き受けた。
(これは、悪意のある、呪うことを目的とした呪だ。たちが悪い)
寒い。まだ掛けるものが足りない。でももう、動く気力もない。
(どうして、あんなものを?)
押し潰そうとしてくる声を、思考で防ごうとする。
(誰が、何のために?)
――化け物め。
――寄るな、災厄の子。
思考が、呪いの叫び声に歪む。
(ああ、早く、楽に)
「蝋梅」
「蝋梅」
声がする。それが自分の名を呼んでいるのだということに、体を揺すぶられてようやく自覚した。
「蝋梅」
(わたしのなまえ)
部屋に気配があるのに気づきもしなかった。うっすら目を開けると、視界に菊花と望が映り込む。
「馬車でも魘されてたんです。やっぱり変だ」
菊花は寝台の脇にしゃがみ込むと、蝋梅に触れる。ちかちかと星冠が輝きを増した。
「呪や澱みが体に充満している。しかし、お前のものではないな」
そこまでわかるものなのかと感心しつつも、蝋梅は口を噤んだ。もうあの村を守らねばならない理由はない。それでも、あの呪いが具現化してくる声を増やしたくはなかった。
「答えなければ、村のものたちを問い詰めるだけだ。星守には王に匹敵する権限がある。吐かせることくらい造作もないぞ」
そこまで言われて、蝋梅は観念した。
「災厄や穢れを引き受けるように言われていたのです。それが少しずつ溜まって……でも、それ以上のことはできません。だから、少しずつ時間に任せて分解されていくのを待つだけなのです」
「……そんなことが」
望の表情が、だんだんと険しくなっていくのがわかった。手を握ろうとして、菊花に遮られる。
「星の加護で、邪を照らし祓うことができる。彼女の場合、祓いきれるほど力が強くないから、肩代わりするまでにとどまったのだろう」
言って、菊花は望を少し下がらせると、決まりごとのように足を踏み鳴らした。
星冠を構成する輪が、蝋梅と菊花を包み込むように拡大する。まるで天球儀の中に入り込んだように、星が散らばった。散った星々は、星屑を溢す。それが蝋梅に慈雨のように降り注ぐと、あれほどまでに重かった身体が、だんだんと軽くなっていった。耳を塞ぎたくなるような声はかき消え、悪寒もなくなっていく。
すっかりそれらがなくなると、光は引いていった。菊花の方に顔をゆっくりと向けると、菊花は腕を組んで仁王立ちしていた。
「明日から、邪を祓う方法を叩き込んでやる。今日はしっかり休みなさい」
それだけ告げると、ぴしゃりと扉を閉めた。後には、望と蝋梅だけが残る。
「触れてもいいか?」
問いかけに、蝋梅は小さく頷く。望は、くしゃくしゃになった布団を掛けなおすと、寝台の脇に腰掛け、手を握った。蝋梅の問うような眼差しに、望は返す。
「小さい頃、悪い夢を見た時に母上がしてくれたんだ。怖くないよって。眠れるまで」
「お優しい方ですね」
その言葉に、望は少し泣きそうな顔をしてみせた。しかしそれも一瞬で。
「怖いことがあった時って、心も弱ってるから。だから一緒にいるんだ。二人なら半分ですむだろ」
「殿下」
蝋梅は望の手を僅かに残る力で握り返す。
「殿下も、何か恐れているものがありますか」
あんなふうに、積み重なった呪いなら、何かしら悪い影響があったはず。あの、村人たちの声のように。
「――いや」
望はかぶりを振った。そうだろうな、と蝋梅は視線を落とす望の表情を見つめる。そうですか、と気のない答えを返して。
(私が殿下でも、同じように答えるもの)
繋がった望の手は、温かい。こんなふうに優しくて温かなものは初めてだ。そこを熱源としてじわりじわりと伝播してゆく。
蝋梅の瞼は、次第に重くなっていった。その夜はもう、魘されることはなかった。