春の約束 -出会った彼女はまっすぐ僕の目を見てくる―
「春の約束」の小此木拓翔目線の話です。
ヒラリ
白い花びらが風に散らされて落ちてくる。
その様を見ながら、期待に鼓動が早くなってくるのを自覚して、僕は苦笑を浮かべた。
気が逸って仕方がないけど、彼女と会えるのは入学式後、いや、それよりも後の放課後になってからだろうか。
彼女に会ったらここに連れてこよう。
その前に入学式で生徒会長としてあいさつに立ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。
そんなことを考えながらしばらく花びらの行方を目で追っていた僕は、誰かが中庭に入って来ようとしているのを見て、咄嗟に木の後ろに隠れた。
中庭に入ってきた人は僕がいるのに気がつかなかったようで、ゆっくりと桜の木に近づいてきた。
そっと窺うように覗き見れば、見知った姿がそこにあった。
いや。知っている姿より、大人びている。それもそうか。一年ぶりに会うのだから。
「きれい」
「この学校の自慢の一つだよ」
彼女が呟くように言ったことに、気がつけば答えていた。
先程考えていた段取りが無しになったのを感じながら、彼女に見えるように姿を見せる。
目を真ん丸に見開いた彼女は口元に手を持って行った。
手で隠れる前に「うそ」と唇が動くのが見えて、自然と僕の口元に笑みが浮かぶ。
「入学おめでとう」
「あ、りがとう、ございます」
お祝いの言葉を言えば、茫然としながら返事が返ってきた。けど、すぐに彼女の顔が朱に染まった。
かわいいなーと思いながら、彼女の目の前で立ち止まる。
覚えているより顔の位置が遠い。
でも、真っ直ぐ僕の目を見つめてくるのは変わっていないと、再度笑みが浮かんだ。
「久しぶり」
「あっ、はい。お久しぶりです」
緊張しながらも律義に返事を返してくれる彼女。僕が先輩だからと言い方に気をつけているのも、可愛い。
「嫌だなー。もっと砕けた言い方をしてくれていいのに」
「いえ、先輩にそんな言葉づかいできませんから」
考えた通りの返事に僕の中で悪戯心がもたげた。寂しそうに見えるような顔をすれば、動揺して視線が定まらなくなった。
あまり揶揄うのもかわいそうだから、表情を引き締めると言った。
「約束、覚えてる?」
「はい、もちろんです!」
強い言葉が帰ってきて、心の中でほくそ笑んだ。
そんなことはおくびにも出さずに彼女へと手を差し出した。
彼女は戸惑いながらも、僕の手のひらの上にそっと手を乗せてくれた。
「僕の名前は小此木拓翔。君の名前は」
「私は山郷由宇」
彼女の目をジッと見つめる。彼女は僕から目を逸らさない。
「一年間、君のことが忘れられなかった。これから君のことを知っていきたいと思う」
「私もあなたのことを考えない日はなかったの。これから……よろしくお願いします」
期待通りの返事に笑みが浮かぶ。
「うん、よろしく」
風が吹いて、桜の花びらを落としてきた。彼女の髪に一枚くっついた。それを取ってあげれば、僕の髪にもついていると言って取ってくれた。
ああ。あの日と同じだ。
◇
僕と彼女は一年前に出会った。
あの日は、高校の入学式だった。
新入生代表の挨拶をしたことで、クラスメイトになったやつらに話しかけられて、イラついた。
中学の時は良かった。無表情の僕に話しかけてくるやつは、ほとんどいなかったから。
そんな僕に親から高校生活において一つ条件をつけられた。高校からは外面を良くすること、と。
春休みの間に愛想がいい笑いを身に着けて臨んだ入学式だったが、たった一日で嫌になってしまった。
気分転換をしようと、誰にも何も言わずに近所の神社へと向かった。
そこには桜の木がある。種類は知らないが、ソメイヨシノではないだろう。この木は実がなる木だから。
神社に行くと先客がいた。僕と同じ年くらいの女の子だった。顔を合わせたらめんどくさいことになりそうだと、物陰に身をひそめて様子を窺うことにした。
彼女は奇妙な行動をしていた。桜の木を見上げていたと思ったら、手を突き出したり、伸ばしたり曲げたりと忙しく動いている。
踊りを踊っているには滑らかさはないし、体操にしては一貫性のない動き。
もっとよく見ていると、どうやら落ちてくる花びらを掴もうとしているようだった。
馬鹿なことをしているなと思いながら見ていたが、彼女がこちらを向くように花びらを追いかけて、表情が見えてハッとした。
泣きそうな顔で真剣に花びらを掴もうとしていたから。
興味を惹かれて、ゆっくりと彼女へと近づいてみた。彼女は花びらに夢中で僕に気づかない。
彼女まであと一メートルというところで、石に躓いた彼女がバランスを崩した。
「危ない!」
叫ぶと共に一気に距離を詰めて彼女が転ぶ前に抱きとめた。彼女は驚きに目を丸くして僕のことを見てきた。が、ハッとした顔をしてから体勢を直して立ち上がり「ありがとうございます」と、少し恥ずかしそうにお礼を言ってきた。
「いや」と短く答え、「もしかして花びらを掴もうとしていたの」と聞けば、言い当てられたことに頬が赤く染まった。コクリと頷いて視線を落とした彼女のことが、なぜか気になった。
他に何を言ったものかと思案していると、彼女が小さな声で話しだした。
今日は中学の始業式だったそうで、家に戻ったところで母親と言い合いになったらしい。
自分が悪かったと分かっているけど、素直になれなくて家を飛び出してしまった、と。
母親に謝る勇気が欲しくて、掴むのが難しい桜の花びらを掴もうとしていた。
ということらしい。
それだけ話すと、彼女は僕から離れて、また花びらを掴もうと手を伸ばしだした。
僕は……何をするでもなしに、彼女が花びらを掴もうとするのを、ただ見ていた。
しばらく……たぶん彼女と会って一時間くらいかな。太陽は地平線に沈もうとしていた。
花びらを掴まえることが出来なかった彼女から、落胆の気配が漂ってきていた。ようやく諦めたのか、彼女は顔を上げて桜の木を見つめてから、一つ息を吐きだすと歩き出した。
僕とすれ違うという時に強く風が吹いて、花びらが降り注いできた。
「あっ」
彼女が伸ばした手が僕の髪に触れるのと、僕の伸ばした手が彼女の髪に触れるのは、同じだった。
「掴めたね」
「いえ、掴めたのではなくて、髪についたのを取ったんです」
「そう? 髪につくのと手が花びらを掴むのは同時だった気がするけど」
僕がそういうと、彼女の目が丸くなった。
「そうね。そういうことにしておくわ」
ニヤッという感じに笑った彼女の顔が、脳に記憶されるのを感じた。それが何かと理解する前に僕の口から言葉が滑り出た。
「ねえ、今日会えたのも何かの縁じゃない?」
そう言うと訝しそうな顔をされた。
「もしなのだけど、一年後、会わないかな」
「それって……再会の約束?」
「そうだよ」
彼女は少し思案したあと聞いてきた。
「どうしてなの。私たち、さっき会ったばかりよね。一緒に居たというほど、仲良くしてないし」
「そうだね。でもこのまま別れるには、ちょっとおしい気がしてね。だからね、条件を付けるのはどうかな」
「条件?」
「そうさ。一年間、お互いのことを忘れていなくて再会してもいいと思うくらいに気になった場合に、会うってことにしない」
しばらく考えていた彼女は頷いた。
「会うのはこの場所で?」
そう言われて僕は考えた。
「ここじゃなくていいのなら、僕が入った高校で会わないかい。そこの高校にもこの木に負けない桜の木があるらしいんだ」
「見てないの?」
「残念ながら今年はもう花は散ってしまったようでね」
そう言うと、彼女は笑って「残念でしたね」と言った。
「じゃあ、その高校で会うことに。高校名を教えてくれる?」
僕が答えた高校名に彼女の頬がひくっと引きつった。
彼女と神社の入口で別れることにした。方向が違ったからだ。
彼女のことを見たことがないと思ったら、彼女が歩いて行く方向は違う中学の方向だった。
しばらく後ろ姿を見送っていたけど、後ろを振り向くことなく歩く彼女を追いかけるように歩き出す。
なぜこんなことをしているのかと思いながら、一定の距離をあけて見失わないように、ついていく。
十五分ぐらい歩いただろうか。家の前に三十代半ばくらいの女性と小学生高学年くらいの男の子が立っている所へと、彼女は近づいていった。
「由宇!」
「お姉ちゃん!」
どうやら彼女の母親と弟のようだ。彼女へと駆け寄る二人はほっとした顔をしていた。
彼女たちが家の中に入ってから、何気ない風を装って家の前を通り過ぎる。家の位置と苗字を覚え、行き過ぎてから立ち止まり手を挙げた。
待つことなくスーと車が僕の横に止まったので乗り込んだ。車を運転している男に僕は言った。
「先ほどの家について調べろ」
「調べるのはどこまでにしますか」
「彼女を中心に。親子関係や兄弟仲については欲しいが、弟の友人関係等は、今はいい」
「承知しました」
翌日学校から帰ると彼女に関する報告書が届いていた。
彼女の家は親が再婚同士の連れ子同士。親子仲も兄弟仲も悪くない。再婚当初は義母に遠慮があったけど、今はないようだ。義弟(小学五年生)も懐いていて、宿題のわからないところを教えてあげている。
学校の成績は悪くはないけど、僕の高校に入るには不安が残る成績だ。
彼女の性格はおとなしめだけど、ノリは良いようで友達が多かった。
恋人、想い人無し。
半日で調べたにしては、学校での様子や友人たちとの様子まで、詳しく書かれていた。
それを読んで僕は思案した。
翌日に追加で届いた報告内容に口元が緩むのが止められない。
彼女は本気で僕との約束を果たすと決めたようだ。
それなら、知られずに手助けをするまでだ。
まず、彼女の成績を底上げするために、手を回すことにした。
彼女は塾に行っているけど、そことは合わないようだった。
志望校へ必ず合格させるという触れ込みで、家庭教師を彼女のもとに送り込んだ。もちろん女性を。
学校でも休み時間に友達と過ごすのを止めて、参考書に向かい合っていると聞いたから、塾で顔見知りだった彼女のクラスの学級委員長に、彼女の疑問の解消を手伝ってやってくれとお願いした。
あとは、彼女の両親の仕事場の環境がよくなるように、経営コンサルタント会社から指導をさせて。
問題ないと思うけど、一応義弟の学校にもいじめなんてくだらない事が起きないようにしておこう。
僕のほうも彼女が高校で過ごしやすくなるように、準備をしないと。
まずはクラスの掌握からはじめよう。それから生徒会に入って……。いや、副会長やただの役員をやっている場合じゃないな。いっそ最初から生徒会長になってしまおうか。
ふふっ。なんか、楽しいな。
今まで心惹かれるものなんてなかったから。こんなにも彼女のことが気になるなんて驚きだったけど、僕のために努力をしてくれる彼女に報いはあるべきだよね。
そして定期的に彼女の様子の報告を受けながら、僕のほうも着々と環境を整えていく。
◇
さて、感動の再会を果たした僕らだけど、そうゆっくり再会を楽しんでいられなかった。またあとで会うことを約束して、いったん別れることにした。
入学式では生徒会長としてあいさつに立った僕の姿を見て、由宇はまたも目を丸くして僕のことを見ていた。
諸々の話が終わり帰り支度をしている由宇の教室へと顔を出す。由宇はまたしても目を真ん丸に見開いて僕のことを見てきた。
周りに注目されながら僕と話すことに、居心地の悪さを感じたようだけど、最初が肝心だからスルーさせてもらう。
由宇のことを見ている男共を笑っていない目で見れば、察した者たちは目を逸らしていった。
短い会話で後日話をすることを約束して由宇と別れる。
次は明日の朝だな。由宇が学校に着く……いや、その前の登校途中に会えるように、タイミングを合わせることにしよう。
かわいい、可愛い由宇。
楽しい高校生活を送ろうね。
僕らの邪魔をしようとする奴は、近づけないから安心してよ。
だからそう、そこの僕と同じクラスになっただけの女。
昨年も一緒のクラスだったけど、鬱陶しいだけで心が動くことはなかった。
なのに、僕の関心を買っていると思い込んでいる女だ。
身の程知らずなことをしようなんて考えるなよ。
無駄なことをしたくないけど、僕は由宇のことが大事だからな。
その意味を考えて……考えられない馬鹿なら、排除するしかないか。
僕は穏やかな笑みを口元に張り付けながら、誰が排除するべき対象者か仕分けに入ったのだった。