4.拉致事件
週に2度の王妃教育は、マナー、歴史、経済、語学等と多岐に渡って勉強する。だからどうしても勉強時間は長くなり、冬になると、終わるのはもう日が落ちて暗くなりかける時間だった。
その日は、薄暗い上に雪も降ってきた。
「ミレーニア様、寒くはございませんか?」
馬車の向かい側に座るユーステアが、私に毛布を巻き付けながら心配そうに、顔を覗き込んでくる。
「大丈夫。」
初めの頃こそ、変な独り言を呟いていたが、今は言わなくなった。あの悪役令嬢と言う言葉が、ずっと気になっているが、聞けずにいる。
ふと窓から外を見ると、日頃見慣れた景色と違う事に気が付いた。
「ユーステア、景色が。」
「お気づきですか?大丈夫。私が必ずお守りしますから。」
「馬車を止める?」
「止めれるのですか?!」
「うん。」
「……では、お願いします。」
「わかった。」
私は前世で様々な動物と意識を通わせる事ができた。それは今世になっても変わらない。この私専用の馬車を曳く馬達とは、特に親しくしている。
(ルー、ロア、止まって!)
(どうしたの?ミニー。)
(いつもと道が違う。)
(寄り道じゃないのか?)
(そんな話は聞いてない。)
(そうなのか?では、止まろう。)
馬達が急に止まるので、馬車がガタンと大きく揺れた。
ユーステアは、その隙にそっと馬車から出ていく。
私は気配察知の魔法を使って、周りの気配を調べた。
少し先に十数人の気配がある。
「おい、なんで止まるんだ。動けよ!」
御者の声が聞こえるが、いつものトーマスの声じゃない。すぐにくぐもった声と倒れる音。
ユーステアが御者を倒したのだろう。馬車の走る向きが変わった。
「ミレーニア様、飛ばしますので、しっかり掴まっていて下さい。」
(ルー、ロア、全速力で頼むよ。)
(任せろ。)
馬車は、矢のように走り始めた。前方にいた気配が馬車の音が遠ざかるのを察知したのか、馬車が来なくて焦ったのか、こちらに向かってくる。
複数の騎馬の音が近づいてくる。全速力で走っているが、騎馬と馬車では分が悪い。
ユーステアは、馬車から馬を外すと、私を抱き上げて、馬に跨った。
「寒いですが、我慢して下さい。」
「うん。」
馬車から出たら、周りの護衛もいなかった。確か2人ついていたはずなのに。彼らはいつの間に消えたのか。
顔に当たる雪が痛い。背後から馬が近づいてくる音がする。
こんな子どもを襲ってどうすると言うんだろう。金か?その割にはゴロツキっぽくない。人質?なんの為だ?
「追いつかれます。私が足止めします。一人で馬に乗れますね。」
「一緒に戦う。」
「逃げて下さい。最後までお守りできず、すみません。」
ユーステアは、私の手に手網を握らせ、ヒラリと馬から飛び降り、馬の臀を叩いた。
馬が勢いよく駆け出す、所だが、残念。ルーは、私の言う事をよく聞く馬なので、私が止まれと言えば、止まるのだ。
「あ、あれ?」
「さあ、倒すよ、ユーステア。」
私は、枝を一本拾うと、先頭の男に向けて投げつけた。
子どもが投げた枝と侮っちゃいけない。風魔法に乗せて飛ばした枝だ。狙い通り、男の左目に刺さり、男は馬から転げ落ちた。
素早く男に駆け寄り腰から剣を奪うと、二人目の男に向かって剣に纏わせた炎を飛ばす。
「惚けてるな、来るぞ。ターニャ!」
「は、はい!」
反応の遅れたユーステアが、三人目と四人目に切りつけ、五人目はルーが横から立ち上がった前足で攻撃した。
全員を倒し終わる頃には、さすがに汗をかいた。このまま雪の中にいては、熱を出すかもしれない。
「ユーステア、寒い。帰ろう。」
「はい。」
生き残った男達を馬に括りつけ、馬車の後ろに繋いだ。
とにかく早く屋敷に戻りたい。
御者台に座ろうとするユーステアを馬車の中に引っ張りこみ、走らせるのはルーとロアに任せた。
御者無しで走る馬車は不気味だろうが、こんな夜だ。出歩く人も少ないだろう。
「寒いから隣に座って。」
「ミレーニア様、いえ、ルイジェリア様。」
「ミレーニアだよ。馬鹿。」
顔を見れば、涙でグジュグジュになっている。仕方がないから、グリグリと頭を撫でてやった。
「どうして私を置いて死んじゃったんですよぉ。」
「悪い、酔って足を滑らせたんだ。」
おんおん声をあげて泣くので、こちらの言うことなんか聞いてないな。
「ごめんごめん。悪かった。泣くなよ。また一緒だろ?」
ひっくひっくと啜り上げながら、落ち着いてきたターニャにそう言えば、また泣き出してしまった。
パンパンに泣き腫らした顔では帰れないので、仕方がないからヒールで顔を直し、屋敷につく手前で、ユーステアには御者台に移動してもらった。
屋敷前には余りに帰りが遅いのを心配して、皆が寒い中外に出て捜索してくれていた。
「父様、母様、兄様!」
馬車から飛び出して飛びつく私を、兄様がギュッと抱きしめる。心配と寒さで、綺麗な兄様の顔が真っ青になっていた。
「ミレーニア、無事で良かった。あぁ早く体を温めなくては。」
その後は、使用人達に手早く浴槽に入れられて温まり、蜂蜜入のホットミルクを飲む頃には、ほっとした。