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ダブル  作者: 百鬼
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第八章 家族繚乱

 夜になった。昼間ほどではないが、夏の夜は暑く、天宮家のリビングにはクーラーが入れられていた。涼しい気流が部屋の中に流れている。

 リビングには四人の人間がいる。家長である鋼兵と、その妻の民子、そして、双子の子供たち、斗和と潤也。四人は、ダイニングテーブルを囲んで椅子に座っている。誰もしゃべらない。重苦しい沈黙が降り立っていて、壁掛け時計の、チクタクと時を刻む音だけが、この部屋に存在する唯一の音だった。民子はなんとなく落ち着かない雰囲気で、横目で何度か鋼兵の様子をちらちら見ている。どうしてこんなことをしなきゃいけないの、という感じはなく、何も知らないうぶな子が突然置かれた状況に戸惑いを隠せない、といった様子だった。鋼兵は、そんな民子の様子を知っているのか知っていないのか、はたまた無視しているのか、定かでないが、とにかく腕組みをして、じっと目をつむっている。声にならない声に耳を澄ましているようにも見える。そして、斗和と潤也はというと、心なしか居心地悪そうにたまに座りなおしたり頭をかいたりしながら、鋼兵の機嫌をうかがっていたが、二人互いに目を合わすことは全く無かった。そうするよう事前に示し合わせたわけではなく、なんとなく自然に二人は互いが互いを意識しないようにしていた。ただ、二人はこの間も、頭の中で、途切れることなく声の応酬を行っていたのだが、当然ながらその声は二人の外部に漏れ聞こえることはなく、依然、二人の秘密は二人の秘密のままだった。

 時が経っていく。静かに、ゆっくりと。壁掛け時計の秒針の動く音が異様に大きな存在感を放っている。

 鋼兵が、目を見開いた。それを見た民子が、わずかに身を震わせる。斗和と潤也も父を注視した。

 鋼兵は、首を左右に動かし、傍らにいる妻と二人の息子を眺めた。それから正面を向いて、ふうっ、と一息つくと、「斗和、潤也」と、独り言のように言った。

 斗和と潤也は答えなかった。構わず、鋼兵は話し続けた。

「お前たちはとても仲がいい。互いに睦み合っている。父さんは嬉しいよ。母さんだってそうだ」

鋼兵は民子の方を向いた。鋼兵と目が合った民子は、慌ててこくりと頷いた。

 鋼兵は再び正面を向き、少し上に顔を上げながら、言葉をつないだ。

「しかし、それはそれとして、だ。父さんにはわからんことがある。今晩こうして家族会議を開いたのもそのためだ。実は、母さんともそれについて話し合った。話し合ったが、母さんには父さんの思いが通じないらしい。父さんの、お前たちに対する思いが、だ」

黙って夫の言うことを聞いていた民子の顔に、狼狽の色が浮かんだ。「あなた、それって……」と、彼女は物申そうとしたが、鋼兵は「まあ黙って聞いてくれ」と言って民子の言葉を制した。民子は、少し不満そうに口をつぐんだ。

「父さんはお前たちを愛している。母さんもお前たちを愛している。愛しているがゆえに、かもしれないのだが、父さんにはわからんことがある」

鋼兵は話すのを止めた。天を仰いでいる。壁掛け時計の出す音がうるさく感じられるほどに、沈黙が重苦しい。

 突然、鋼兵は並んで座っている斗和と潤也の方を向いた。そして、真剣な顔で、こう言った。

「何かはわかるな?」

 父に見据えられて、双子は、斗和と潤也はたじろいだ。たじろいで、俯き加減になった。出すべき言葉を探している、そんな感じだ。

「わからないのはあなたよ」

父と子たち、親子の問答に、割って入ったのがこの言葉だった。民子だった。

「どうしてそんな、この子たちを困らせるようなことを言うの? 家族会議だ、なんて、何をもって改まって。鋼兵、見てよ、この子たち、困ってるじゃない。実の父親に問い詰められて、困ってるじゃない。二人は仲良しで、いい子たちじゃない、そんな、実の子を疑うなんて、どうかしてるわ」

民子は強い調子でまくしたてた。いつにない民子の気勢に、鋼兵も、二人の子供たちも、驚いている。

「わからないのはあなたよ。あなたの言ってることの、意味がわからない、一体何がわからないっていうの? 全部あなたの妄想じゃない、そんな妄想が、現実なわけないわ。斗和と潤也は、とても仲がいい、普通の男の子たちよ。この二人のどこに問題があるっていうの、問題があるのはあなたの方よ。こんな家族会議、ばかげてるわ、する意味なんかない。あなた、父親だからって偉そうに……」

「意味はあるんだよ、母さん」

自分の放つ思いの数々に没頭し出していた民子は、突然飛んできた意想外の言葉によって、その溢れる感情が外に出るのを止め、声のした方を向いた。声の主は、潤也だった。「意味があるんだ」

 鋼兵、民子、斗和の三人とも、潤也を見た。鋼兵と民子は、潤也の突如の宣言に、少し驚いた表情をしている。しかし、斗和は、斗和だけは、敵を見る目つきで、裏切るのか、とでも言わんばかりの顔で、潤也を見ていた。

「父さん、母さん、俺たちは……」

「お前そんなこと言って」

「もういいじゃねえか、アニキ」

「言ったって何も変わらないんだぞ」

「そういう問題じゃねえよ」

「問題? 問題にしてるのはお前だろうが」

「アニキ、やっぱりおかしいって」

「おかしいのはお前だろ」

「待て! 待て待て!」

鋼兵は二人の言い争いを声と手で制した。父に言われ、斗和と潤也は熱くなりかけていた頭を冷やすべく、一息ついた。

 民子は、ぽかんとしている。

「それがお前たち二人の本当の関係なんだな?」

斗和と潤也が落ち着きを取り戻したのを見てとってから、鋼兵はそう言った。

 少し間があって、斗和が口を開いた。

「違うんだよ、父さん、これは……」

「もう、いいって!!」

潤也がそう叫んだ。弟の心の底からの叫びに、斗和は驚いて、潤也の方を見た。潤也の目は、やや赤くなっていた。民子は、この状況についていけず、一人目を白黒させていた。

「父さん、母さん、俺たちは、俺と斗和はね、敵同士なんだ」

「潤也、てめえ!」

「斗和!」

鋼兵は、立ち上がって声を荒げた斗和を鋭い声で一喝した。斗和はびくっと身を震わせてから、座り、黙り込んだ。

「どういうことなんだい?」

鋼兵は、優しく、潤也にたずねた。潤也は、震える声で、話し始めた。

「声が、声がね、聞こえるんだ。斗和の声がね。頭の中に、聞こえるんだ。俺の声も、斗和の頭の中に、聞こえるんだ。ずっと、ずっとそうなんだ。今も聞こえるんだ。いつの間にか、俺たち、俺と斗和は、敵同士になっちゃったんだ。俺は斗和の死を望み、斗和は俺の死を望む、芯からそうなんだ。俺はそれになんの疑問も抱いていなかった、斗和だってそうだと思う。でもね、父さん、母さん、もう、無理なんだ。どう考えたっておかしいな、って、ある日ふと気付いたんだ、兄弟で、それも双子で、こんなにも憎しみ合うなんておかしいって。でも、斗和は全く取り合ってくれなくて、俺のこと敵だって、俺も斗和のこと敵だって、それでもう、俺……俺は……」

そこまで言うと、潤也は黙りこくり、静かに泣き出した。

 鋼兵は、愛しい我が子の告白に、真剣に聞き入っていた。そして、潤也が黙って泣き出したのを見て、ここまで息子が追い詰められていたことに今の今まで気付けなかった自分を恥じ、激しく後悔した。斗和は、両手で頭を抱え、顔に苦悶の表情を浮かべていた。必死で何かを考えている風であった。民子は、一人で小さく「え? え?」と言葉を発している。

「斗和」

ダイニングテーブルに両肘をついて頭を抱えている斗和に向かって、鋼兵は呼びかけた。

「今の潤也の話は本当なのか?」

鋼兵はそう言った。彼自身、疑っているからではなかった。確認が必要だと思ったからだった。

 しばらく、斗和は黙っていた。そして、頭を抱えた姿勢のまま、「本当だよ」と、言った。

「父さんと母さんは、さ」

斗和は両肘を伸ばして手をダイニングテーブルにつけると、上を見ながらそう言った。それから、父母の方を向いて、

「俺たちをモルモットにするの?」

と問いかけた。

 その問いかけを聞いて、鋼兵は目を大きく見開いた。民子に至っては、モルモットという言葉の意味がわからず、それに自分のイメージと全く違う斗和と潤也の様子に、もはや右も左も判らなくなっており、口をぱくぱく開けたり閉じたりするだけで言葉が出てこなかった。

「人間ってさ、父さん」

民子には話が通じないと見て、斗和は父である鋼兵にだけ話しかけ出した。

「父さん。人間は、お金を稼がなきゃ生きていけない。食べていけない。でもそれだけじゃない。人間には欲があるんだ。その欲を満たすために、人間はお金を稼ぐ。お金はみんなが欲しがるものだ。誰かがお金を手に入れるということは、誰かがお金を手に入れられないということだ。これってさ、なんか、殺し合いに似てない?」

鋼兵は黙っている。黙って息子の言葉に聞き入って、息子の次の言葉を待っている。民子は、優しいはずの息子の口から「殺し合い」という言葉が出てきて、自分の空耳ではないか、と思っていた。

「どこまで行ってもさ、人間は愚かなんだ。愚かであるということに気付いていない、正に、真の愚か、だ。俺は色々考えるんだよ、父さん。やっぱり俺たちがこんな関係だからってのもあるかもしれないけど、それははっきりとはわからない。とにかく、俺は考えるんだよ。神はどうして人間を創ったのか、とかね」

鋼兵は黙っている。

「もし神がいるとして、だよ。神はどうして俺たちに、俺と潤也にこんな、テレパシーのような能力を授けたんだと思う? 俺にはわからないよ。もうさ、宿命なんだと思う。俺と潤也は、こうなるようになってたんだよ、初めから。どこまでいっても二人一緒なら、いっそ、どちらかが死ねばいい。こんな関係、要らない。一心同体じゃないのに、まるで一心同体のような、ダブルのような、関係。潤也を見ているとさ、無性に腹が立つんだ。自分じゃないのに自分と同じ顔をしている、自分と同じ出で立ちをしている、しかも、その思考が四六時中俺の頭の中に流れ込んでくる。嫌なんだ。理由なんてない、とにかく、嫌なんだ。こいつの存在を消してしまいたいんだ。俺の頭の中からも、家族の歴史の中からも。それが出来ないなら、俺が死んでも構わない。それくらい、嫌なんだ」

ここまで言って、斗和は口をつぐみ、俯いてしまった。

 斗和の心の内を聞いた鋼兵は、痛み入った。潤也だけではない、性質は違えど、追い詰められているのは斗和も同じだった。鋼兵は、斗和と潤也、二人の激しい心の葛藤を聞き、目を閉じ、思いを巡らした。過去を思い出していた。あの、新婚初夜、民子の突然の、全く予期せぬ、不吉な、予言めいた言葉。あれは、このことだったのではないか。今のこの状況のことだったのではないか。

 いがみ合う我が子二人。その軋轢は深く、修復のしようがないように鋼兵には思えた。

 鋼兵は考えた。親として、父として、どうすべきか。モルモットなど、もっての外だ。愛しい我が子を金や欲に目が眩んで売るほど自分はそんな動物のような馬鹿者ではない。この二人を、愛しい我が子二人を救うには、どうすればいいのか。

「三日以内……」

逡巡の末に、鋼兵は、言葉を発した。

「三日以内に、決着をつけるんだ」

父の提案を聞き、斗和と潤也は同時に鋼兵を見た。二人の瞳に映る父の姿は、決然としていた。

「そんな、三日って……」

あまりにも短いように思える父の期限付けに対して戸惑いを隠すことなく、潤也はそう言った。

 斗和は黙っている。何かを考えている。

「いいか、斗和、潤也。確かに三日は短すぎるように思うかもしれない。お前たちが生きてきて、今父さんが聞いたようにもうずっといがみ合ってきた時間に比べると、遥かに短い時間なのは間違いない。でもね、一日にして国がひっくり返ることだってある。いわゆる革命ってやつだ。お前たち二人は、革命を起こさなくちゃならないんだ。二人の関係にね。今までの考え方や生き方を、互いの互いに対する思いを、真逆にしなければならない。正しく革命だ。革命って言葉は、何も国がひっくり返る時にだけ使われる言葉じゃない。人間が、人間個人が、劇的に変化する時にだって使える言葉なんだ。兄弟の関係についても、また然りなんだよ」

双子は、父の言葉にじっと聞き入っている。潤也は、少年らしく、まだあどけない表情で、自分の心に聞こえてくる言葉を苗に変えて心に植えつけるように聞いていた。斗和は、弟のそれとは対照的に、よく勉強する子供特有の、一種、少し老成した大人のような子供の表情でもって、父の言葉を脳内で反芻しているようだった。

「斗和、さっき、神のことを言ったね。こう考えればいい。これは神の与えた試練だ。神が、お前たち二人に、お前たちの兄弟愛を試す試練を与えたんだ。もっと言えば、お前たち二人に、試練を超えた時に、揺るぎない兄弟愛が手に入るように、神がお前たちの関係を用意したんだ。そう考えればどうだい? 少しは気が楽だろう?」

斗和は黙って、父の問いかけに幾分戸惑いながらも、頷いた。潤也は、目に涙を浮かべて、優しく話す父の顔を見つめていた。

「いいかい、必ず、三日で決着をつけるんだ。その決着がどんなものでも構わない。納得する。それがたとえ……」

鋼兵は不意に言葉を切り、心持ち俯いた。それから意を決したかのように敢然と前を向いて愛する我が子二人に向き合ってから、

「たとえどちらかが死ぬことになっても」

と、喉の奥から搾り出すようにそう言った。

 子供たちは悟った。苦しげに言う父の、心の苦しみを。自分の子供たちが、殺し合うことになるかもしれない、その事実に真正面から向き合い、理解しようとしてくれている父の心を。父の愛を。

 斗和と潤也は、この時この家族会議において初めて互いに向き合い、目を合わせた。それから、鋼兵の方に顔を向け、わかった、と、頷いた。

 じっと三人のやりとりを見ていた民子は、ここに来てようやく、事の重大さ、子供たちが置かれている苦境を自分なりに理解するに至って、体を小刻みに震わせていた。まさか、自分の子供が、そんな辛い目にあっていたなんて。そんなことを考えていたなんて。

 そして彼女は、どこか寂しい気持ちも感じていた。父親である鋼兵に、子供たちは心を開いた。母親である私ではない。母親である私は、今、子供たちの心を初めて理解することができた。しかしそれは、父親に対する子供たちの心の開放、それを傍から聞いて、のことだ。母親である私に対する告白があったからではない。

 知らず知らずの内に、民子は、右手を握って口元に持って来ていた。

 家族会議は終わり、斗和と潤也は部屋に戻った。リビングには、今、トン、トン、トン、と階段を昇る二人の足音が壁越しに聞こえてきている。

 やがて、聞こえなくなった。リビングは静かだった。壁掛け時計の音だけが響いていた。

「民子」

鋼兵は妻に声をかけた。民子は、まだ右手を口元にやったまま、ただ黙って、小刻みに震えている。

「民子」

鋼兵は、もう一度声をかけた。

「……大丈夫、かしら」

民子は震えながら、か細い声で、まるでうわごとのようにそう言った。

 鋼兵は身を乗り出し、一枚だけ枝に残り頼りなく風にさらされている枯れかけた木の葉のように震える民子の、両手を取り、力強くこう言った。

「信じよう、あの二人を」

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