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ダブル  作者: 百鬼
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第一章 交わらざる線

 玄関の扉が軽快に開いた。それと同時に、ノブに取り付けてある、家族で旅行に行った時に買ったベルが、リンリンと気味の良い金属音を立てた。足を小刻みに動かしてスニーカーを脱ぎ、天宮斗和は、少々乱暴な足取りで廊下を通ってリビングに向かった。

「ただいま」

リビングのドアを開けるなり、キッチンで夕飯の準備にかかっている彼の母親、民子に斗和はそう声をかけた。

「あら、おかえり」

民子は振り返って息子を一瞥してから返事をした。冷蔵庫に向かい、食材を取り出す。

 天宮家では、家族四人それぞれ個室があったが、家屋の構造上、リビングは通らなくても玄関からそれぞれの自室に直通できるようになっている。だが、一家の決まりとして、学校や仕事から帰ったら必ずまず先にリビングに行って顔を出すようになっていた。これは、家族の一体感を失わないようにという、天宮家の主人である鋼兵の判断であり、元来夫の言うことには間違いがないと半ば盲信にも近い信頼を寄せていた民子は、その申し出を、大して深い考えもなくあっさりと受け入れた。夫婦の子供達が高校に進学した、今年の春の取り決めである。

 この取り決めについて、子供達は少々面倒がったが、この年頃に示す特有の難しい気性を持っていなかった子供達は、親の言うことに素直に従っていた。言語学者で頭の良い鋼兵は、子育てについてわりと積極的で、かといって子供に過干渉はしなかった。基本的に子供達の自主性に任せるが、時折さりげなく、父親としてというより人生の先輩としてアドバイスを送る。自分は父親なんだぞ、と偉ぶったことは一度も無かった。もちろん手を上げたこともない。

 そんな鋼兵の子供に対する接し方が功を奏してか、はたまた元々子供達の性格が素直だったのか、そこは突き詰めるとわからないが、子供達は反抗期もなく、いわゆる良い子に育っていた。

「潤也は部活?」

ブナシメジの入った袋を開きながら、民子はそう言った。

「うん」

斗和はそう答え、ダイニングテーブルを通り過ぎて冷蔵庫まで行くと、ドアを開き、冷えた麦茶をコップに注いだ。そして飲む前に、

「あいつ、ほんとサッカーの虫だよ。恋してるって言ってもいいね」

と呟いた。

「本当にそうね」

取り出したブナシメジを一本ずつにちぎりながら民子は言った。ブナシメジは鍋の中に入れられていく。

「昔は、小学生の頃は、毎日一緒に帰ってきてたのにね」

斗和の方は見ず料理に注意を向けながら、民子はどこか嬉しそうにそう言った。彼女の隣で、斗和は麦茶を一気に飲んでいる。

「今となっては昔の話さ」

飲み干してふうっと息をついた直後、斗和はそう言った。

「でも、仲が悪いわけじゃないぜ」

言ってから、斗和は空になったコップを流しに置いた。

「そうね。二人とも、まるで同じ男の子みたいに仲がいいもんね。今もそうだし、昔から」

民子はふふふっと笑った。

「それ、皮肉かい?」

民子の横顔に顔を近づけて、斗和は少しおどけてそう言った。

「違うわよ。本当にそう思ってるの」

愛しい息子に顔を向けたくなったがそうはせず、まな板の上でほうれん草を切りながら、民子はそう言った。

「二人ともとっても仲がいい。それだけで、親孝行よ。母さん、頑張ったかいがあったってもんよ」

「へえー」

「なによ、へえーって」

「いや、母さんは母さんなんだなあ、って」

民子は、再びふふふっと笑った。

「これから勉強?」

「うん。テストが近いから」

肩から提げているカバンを持ち直すと、

「まあ、そうじゃなくても勉強するんだけどね。俺にはこれしか取り柄がないから」

と、斗和は言った。

「あんまり無理しちゃだめよ」

「うん。ありがとう」

斗和はその場を離れ、ダイニングテーブルを横切ると、リビングを出た。階段を上がり、自室のドアを開けると、勉強机にカバンを置き、ベッドに横になった。それから枕の近くにあるリモコンを取り、再生ボタンを押した。一昔前の有名な歌が部屋に流れ出した。軽やかなピアノのイントロが心地いいな、と、斗和は、何とは無しにそう思った。

「さて、と」

歌が終わりにさしかかると斗和はそう呟き、リモコンで音楽再生機の電源を切った。そして起き上がると、服を着替え、勉強机に向かった。椅子を引き、腰掛ける。

 カバンのジッパーを開き、中から数学の教科書を取り出した。

 パラパラとページをめくる。方程式や関数、証明などの説明が載っている。中々に分厚い。

 引き出しからシャープペンシルと消しゴムを取り出し、例題を解こうとした時、斗和はなんとなく思案げな面持ちになり、壁際に設置してある本棚を見た。心持ち視線を上げている。

 本棚には、漫画本や小説、雑誌が種類ごとに律儀に収納されていたが、彼が見ていたのはそれらの収まっている本ではなかった。

 写真を見ていたのだ。写真は、本棚の上に、写真立てに飾られて置かれていた。

 写真には日付がふられていた。ちょうど、斗和が小学校を卒業した日である。この写真は、斗和が小学校を卒業した、その場所、すなわち卒業式の日に学校で撮影されたものだった。

 制服姿のあどけない斗和と、弟である潤也の二人が写っていた。どちらも満面の笑みで、肩を組み合ってピースサインをとっている。他に人物はおらず、仲が良い様子の二人の傍らには、卒業式と書かれた看板が立っていた。

 手にシャープペンシルを軽く握りながら、斗和は兄弟の記念写真をじっと見つめた。ただじっと、無表情で眺めていた。

 ふんっ、と鼻息を出すと、斗和は写真から目を逸らし、数学の勉強を開始した。一瞬、醜い感情が斗和の心を支配しかけたがそれもすぐに消えた。

 あいつはまだ帰って来ていない、と、斗和は確信していた。


 時間は止まることを知らない。勉強が一段落すると、斗和は振り向いて、ベッドのそばにある時計を見た。そろそろ夕食だった。

 父さんも帰って来ているかも知れないな、と、斗和は思った。

 教科書を閉じ、シャープペンシルと消しゴムを引き出しの中に直そうとして、斗和は動きを止めた。夕食後に続きをしようかどうか迷ったからだった。

 ちょっとの間静止していたが、すぐに、とりあえずこのままにしておくかと考え、持っていたシャープペンシルを机に置いて、部屋を出て階段を降り、リビングに向かった。

 リビングが近づくにつれ、斗和の頭の中にこんな声が聞こえてきた。まだ勉強してりゃいいじゃねえか。

 腹が減ったんだよ、と、斗和は声には出さずそう思考した。思考、というより、脳内でそう声を出した。

 けっ、と言う声がした。現実の声ではない。斗和の頭の中だけに聞こえる声が。この声が斗和にだけしか聞こえていないという保証はどこにもないのだが、斗和には、自分にしか聞こえていないという、証拠のない強い確信があった。なぜなら、生まれた時、いや、物心のついた時から、彼には聞こえていたからだった。

 宿命なんだ。斗和はそう思った。

 ああそうだよ。音になっていない声が、すぐさま斗和の頭に響いた。

 リビングのドアを開くと、夕食がすでにダイニングテーブルの上に並べてあった。

「父さん、おかえり」

まだスーツ姿のままでテーブルに頬杖をついている鋼兵に、斗和はそう言った。鋼兵は右手を上げて彼に応えた。鋼兵の前の席には、ジャージ姿の潤也が、俯いて座っていた。携帯電話を見ている。

「潤也もおかえり」

「ただいまー」

少々気のない返事だった。

 この後まだ勉強するのかい、という声が、斗和の頭の中だけで聞こえてくる。すぐさま彼は、ほっとけ、と返した。

「はー、終わった終わった」

民子が鋼兵の隣に座った。斗和もその向かいに座る。

「潤也、ちゃんと勉強してるのか?」

家族全員そろったということで携帯電話をポケットにしまった潤也に対して、彼の兄である斗和はそう言った。

「実は、あんまり」

「テスト近いけどな」

「そうなんだよ。困る。ノート見せてよ」

「いいよ」

「ありがと。斗和が勉強できるから助かるよ」

斗和は弟の言葉に嬉しそうな顔を見せた。頭の中では、ただのがり勉だけどな、という声がしていた。

「まあな」

頭の中で、運動馬鹿が何言ってんだよ、と返す。

「俺にもその頭をわけて欲しいよ。俺、運動神経がいいことぐらいしか、いいとこないから」

潤也は気弱に言うと苦笑した。聞いた斗和の頭の中には、ほぼ同時に、お前と違ってな、という空気を震わせない声がしていた。

「俺は勉強、潤也はスポーツ。釣り合い取れてんじゃん」

本当に違うよなお前の単細胞さには呆れる、と、斗和は頭の中だけでそう言った。

「頼りにしてるぜ、兄貴」

潤也は左の握りこぶしを斗和の前に差し出した。

 こんな声が聞こえてきた。(どこまで行ってもな、馬鹿アニキ)

「ああ、任せとけ」

斗和は快く潤也に応えた。右の握りこぶしを差し出された潤也の左手にこつっとぶつけた。

 この最中、斗和は脳内でこう答えた。(俺達が双子ってこと忘れたのかい、あほ弟)

「ふふふ。本当に仲がいいわね。母さんうれしいわ。ねえ、お父さん」

二人の様子を感慨深げに眺めていた民子は、にっこりと笑ってそう言った。

「そうだな。本当に、お前達は孝行息子達だよ」

鋼兵も、愉快に言った。

 両親の実に満足げな口調の前に、斗和と潤也は同時にはにかんだ。しかし、

(お前のおかげだよ、がり勉)

という脳内声が、斗和には聞こえていた。すかさず、

(違うお前のおかげだよ、ノータリン)

と返す。

 傍目には、二人はとても仲が良く、問題があったためしもなかった。二人は、生まれてこの方、ケンカをしたことがない。言い合うことすらもなかった。斗和と潤也は、仲の良さにかけては一級品だった。そのため、両親からの信頼はこの上なく厚い。

 彼らの両親、特に母親である民子は、二人の間に終末を感じさせるほどの軋轢が存在するということを、全く夢にも思っていなかった。彼女にとっては、二人は自分の腹を痛めて生んだかけがえのない息子達であり、二人の間に差などなかった。母親が持つといわれる母性、これは一人の女性を自らの子供に対して盲目的にさせる一種の麻薬のようなもので、この麻薬は女を母に変えると同時に、自分の分身を得たという形容しがたい満足感と高揚感とを心に与える。そしてその感情を失いたくないという無意識の意志、言うならば母性という麻薬の副作用が作用し、母親は、子供を心の底では疑うことができなくなる。特に目の前の子供達が良い子、母親的に良い子ならばなおのことだ。この点、斗和と潤也は申し分なく母を母たらしめるのに十分な子供達だった。要するに、母が母として願う絵に描いたような良い子達、なのである。民子にとって、互いにうり二つの息子達は、まさにそのような子供達だった。

 一方父親である鋼兵は、やはり父性が、息子達の誕生後に芽生えていた。彼は斗和と潤也を民子同様心の底から愛していた。ただ、父親と母親の決定的な違いとして、親としての愛の対象、すなわち自分の子供に対する視点の違いがある。母親は包み込むように子供を眺めるが、父親は切り取るように子供を視る。わかりやすく言うと、「なぜ」の観念の有無だ。目の前で繰り広げられる子供達のやりとりについて、「なぜ」という疑問詞が浮かぶのかどうかだ。

 この点鋼兵は、言語学者であることも作用しているのだろうか、昔から物事の些細な事象にも敏感に反応して探究する性格だった。だからこそ学者になったのだ。

 その鋼兵は、最近、意識にのぼるかのぼらないかのレベルで、どこかおかしい、と察し始めていた。おかしいというのは、子供達についてである。少し前までは、そんなことは露ほども思っていなかった。斗和と潤也は、彼にとっても民子にとっても、ただひたすらに可愛い息子達だった。

 だが、鋼兵は、最近、ごくごくうっすらと、こう思い始めていた。

 仲が良過ぎる。

 二人がケンカしているのを見たことがない。幼い頃、おもちゃやお菓子を取り合っているところも、テレビのリモコンを取り合っているところも。

 そう、まるで、お互いに示し合わせているかのように、二人は争わない。

 鋼兵にも兄弟がいるが、双子ではない。民子も同じである。

 だから、鋼兵は、疑問がふと思いついた時、反射的に「双子だから」と自分に言い聞かせた。

 しかし、どうも、心からの納得がいかない。

 上手くいき過ぎているのだ。

 双子とはいえ、本来違う人間同士である。それが、斗和と潤也の場合、まるで同じ人間のように見える瞬間があるのだ。分身のように。ダブルのように。

「じゃあ、食べようか」

今も心に浮かんだ「なぜ」を必死に意識しないように努めながら、鋼兵はそう言った。

「そうね」

「いただきまーす」

「いただきまーす」

天宮家は今日も平和だった。


 食事が終わり少し談笑すると、潤也はリビングを出て部屋に向かった。やや遅れて斗和も自室に向かい、双子の弟の部屋から壁一つ隔てた部屋に入った。

 部活の練習で体力的に疲れていた潤也は、部屋に入るなりベッドに突っ伏した。疲れたな、と、心の中で彼はそう思った。

(えらく疲れてるじゃねえか)

潤也の頭の中に声がこだまする。現実の声ではない。脳内にだけ聞こえる声だ。声の主はわかっている。

(珍しいな。運動だけが取り柄のくせに)

頭の中に声がする。潤也はごろんと仰向けになると、

(そっちこそ、運動しなさ過ぎて足腰立たないんじゃねえの、え? 勉強大好きとっちゃん坊や)

と、頭の中で声を出した。すると、

(あいにく、俺は忙しいんだ。てめえみてえなウスノロの相手してるひまねえんだよ)

という声が頭の中に返ってきた。

(そっちが話しかけてきたんだろ。がちゃがちゃうるせえぞ)

と、潤也はそう返した。

(テスト勉強するんだろ? さっきノートがどうとか言ってたな。ほら、取りに来いよ。いい笑顔で貸してやるからよ)

(承諾したのてめえだろ。てめえが持ってこい)

(やっぱノータリンはノータリンな。言い出しっぺは誰だっけ?)

(細けえことぬかすんじゃねえよ)

(やっぱ運動馬鹿は運動馬鹿な)

(うるせえよ)

(うるせえのはてめえだよ。さっさとくたばりやがれ)

(勉強のし過ぎで頭破裂すれば?)

(走り過ぎで足ちぎれれば?)

ちっ、という舌打ちが、潤也の部屋に鳴り渡った。

(なんでてめえみてえのが俺の双子なんだよ)

(それはお互い様だし言いっこ無しだぜ)

(さっさと死ね)

(お前が死ね)

潤也は起き上がると、部屋着に着替えた。それからベッドに腰かけた。

(お前が死ぬのが宿命なんだよ、潤也)

大きく伸びをすると、潤也はあくびを一つした。それから、

(お前が死ぬのが宿命なんだよ、斗和)

と頭の中で言った。

 幼い頃から、物心のついた頃から、二人はお互いの声を頭の中だけで応酬していた。これは二人だけの秘密だった。幼いながらも、二人は本能的な直感によって、この能力は、おそらくだが他にはない特殊なもので、生まれつき二人だけに備わったものだということに勘づいていた。もっとも、世界は広いのだから、探せば他にもいるかも知れないが、希少であることはまず間違いない。

 互いの脳内のみという閉鎖された空間の中でだけのやりとりは、いつしか二人に互いに対する愛よりも、憎悪を増長させていった。これには双子という特殊条件も作用していた。自分と殆ど寸分違わぬ人間がいるということは、アイデンティティーにも関わるし、自分の存在意義の根本を自身に問わざるを得なくなる。

 二人は考えた。どうしてこんな能力が自分たちに与えられているのか、ということを。答えは出なかった。

 その苛立ちが蓄積していき、やがて二人は、「宿命」という本当に存在するのかどうかもあやふやな観念にすがるようになった。

 これは宿命なんだ、と、二人は強く信じるようになった。どちらが生きどちらが死ぬのか。言い換えると、どちらかが死ななければこれは終わらない、と、彼らは思うようになった。そして、彼らは互いの互いに対する愛を忘れた。

 潤也は何事も無かったかのように立ち上がると、机の引き出しの中から携帯音楽機器を取り出し、イヤホンを両耳に入れ、再生した。お気に入りのロックバンドの歌が聴こえてくる。

 自分の複雑な心境を斗和に悟られまいと強く心を持ちながら、潤也は目を閉じ、軽快だがどこか悲しげなブルースに身を委ねた。


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