第十章 暁を望む日々 二日目
斗和と潤也、稀有な運命を背負った不思議な双子の兄弟。瓜二つの外見、声紋に加え、互いの思考が声という形をとって手に取るように解り、肉声であらずとも会話ができてしまう。それがゆえ、二人は存在に必要不可欠な心理的アイデンティティーに疑問を抱くようになり、どちらかが死ななければならないという「宿命」を強く意識するようになってしまった。
ある程度の距離のうちに、少なくとも家の中にいる間は、二人は通信することができる。そうしようと思えば簡単にすることができる。ただ、例外があった。
夢の中ではできないのだ。
夢の中では、二人は、完全に「一人」だった。通信はもちろん、互いの夢の内容を見ることも聞くこともできない。二人が相手に隠しておくことができる数少ない「秘密」だった。
ここはどこだろうか。閉じられた空間がおぼろげに現れたかと思うと、次第に確かな輪郭を持つようになり、見ている者に、何となくの予想をつかせるに十分なほどになった。
おそらく、と、見ている者は思った。真っ白の壁、灯された照明。おそらくここは、実験室だ。
思考はぼんやりとしていて、確信があるわけではなかった。しかし、なぜそう思うのかはっきり説明できないにもかかわらず解ってしまう、独特の世界観が場を支配しており、そんな世界観が、見ている者にここが実験室であることを告げているかに思われているのだ。
部屋の中には二人の人間がいる。斗和と潤也だった。二人は、実験用らしい全身真っ白の服を着て、向かい合って座っていた。笑い合い、ざっくばらんに話し込んでいる。会話の内容は、見ている者にはわからない。ただ、二人は、自分たちの「宿命」などまるでなかったかのように意識しておらず、その様子は文字通り仲がいい兄弟に思われた。表情からも雰囲気からも、互いの互いに対する憎しみなど、微塵も感じられなかった。
見ている者は思った。この仲の良さが、本来あるべき姿なんだな、と。
だが、その感慨はやがて恐怖に変わった。あることを発見したからである。
向かい合って座っている二人、斗和と潤也、それぞれの右手には、包丁が握られていたのだ。
軽く握っているのではなかった。しっかりと、握り締められていた。確かな殺意をもって。
なんでもなく談笑している二人。笑い合っている二人。
手には、包丁。
見ている者は思った。思ったというより、痛感した。宿命からは、逃れられないんだ……。
全身にすごい量の汗をかいて、起き上がった。頭はぼうっとしていたが、最前見た光景は、はっきりと覚えていた。笑い合う二人、真っ白の服、手にしっかりと握り締められた包丁。
不吉、極まりない。
「なんて夢なんだ……」
彼は、一人、呟いた。
「それはうがった見方じゃないかな」
煙草をくゆらせながら、相坂はそう自身の見解を示した。向かいに並んで座る二人の高校生、斗和と潤也に対してである。ウェイトレスがアイスレモンティーを三人に持って来る。
「そうですかね」
斗和が、注文の品をテーブルに置く店員の手の動きを横目で見ながら言った。
「その夢が、君たちのお父さん、つまり天宮さんが、君たちがそうなることを意図していることを示唆していると、こう考えるわけだよね、斗和くんは。私は君たちのお父さんの友人でもないし古くから知っているわけでもないから中々断言はできないかもしれないが、そんなことを考える人には見えないなあ」
相坂は、短くなった煙草を灰皿に押し付けて火を消した。そしてレモンティーを一口飲むと、
「いくらなんでもそれはないよ」
と、怪訝な表情を浮かべる双子の兄にそう言った。
「じゃあ、この夢は一体何だと思いますか」
不安でいてもたってもいられない、といった様子で、潤也は少し興奮気味に相坂に尋ねた。
相坂は腕組みしてあごを心持ち後ろに引き、うーん、と唸った。目を閉じて思索に耽っている。
「やっぱり、そうなんじゃないですか? 父さんは、やっぱり、俺たち二人のどちらかが……」
「いや、斗和、いくらなんでもそれは……」
「この状況にしてこの夢、絶対何かあるよ」
「それはさっき家で話した通り……」
「お前の考えなんて当てになるもんか」
「でも、斗和の考えは突飛過ぎるよ」
「まあまあ」
議論し出した二人を年長者らしく落ち着いた声音で相坂は制した。「ここでケンカしたら元の木阿弥だよ」
相坂に止められ、斗和と潤也は口をつぐんだ。と同時に、相坂の次の言葉を待った。
「これはきっと、不安だよ」
腕組みを解いて手をテーブルの上で組み合わせると、相坂はそう断定した。
「不安……ですか」
斗和は言った。「不安」という言葉を強調しているかのように聞こえるが、斗和は自覚してそうしているわけではなかった。
「そう、不安だ。普通に考えてそうだよ。君たちは今、君たち特有の大きな困難に直面しているから、この単純な考えに案外思い当たらないのかもしれないが、これは、不安だ。どちらかが死ななければならない、自分たちは敵同士だという意識が君たちの心にあって、それが、夢という形で表に出てきたのだろう。当然そこには、自分たちが実験動物として扱われるんじゃないかという、不安もある。それらが複合的な関係性を持って、夢に出てきたんだ。斗和くんが言うように、君たちのお父さんが君たちがそうなるという結末を知っている、意図していることを暗示している、ということではないと思うよ」
「まあ確かに、言われて見れば不安ですね」
潤也は声を落としてそう言った。
「君たちは今、自分たちの問題が大き過ぎて、普通ならこう考える、というその普通が、できなくなっているのかもしれない。もちろん、君たちの話した夢の内容が、いかにも暗示的であるということも、斗和くんがそう考える原因ではあると思うけどね」
そこまで言うと、相坂は、手のそばにある煙草の箱を取り上げ、そこから一本取り出すと、口元に持っていき、ライターで火を点けた。小さく爆ぜる音がした。
「それなら……」
少し俯き加減になって相坂の話をじっと聞いていた斗和が、戸惑いがちに声を出した。
「それなら?」
煙草の煙を肺から出すと、相坂は斗和に先を促した。
「それなら、俺たちは、どうすればいいんですか? この、物心つくかつかないかの内に始まった俺たちの関係は、どうすれば、世間で言ういわゆる兄弟のようになることができるんですか? わからないんです。全然わからない。もう、気付いた時にはこうだったんです、それを今さら……。決着はつけなければならないとは思うんです、それは潤也だって同じです。それがいきなり、三日だなんて……。今日も入れて、後二日しかない……」
斗和は、苦しそうに、搾り出すように、そう言った。隣で聞いていた潤也は驚いた。知的で頭の回転が速く、いつも冷静で物事にあまり動じない双子の兄が今、大きく動揺している。こんな斗和を見るのは初めてだった。
潤也は予感めいたものが自分の心内に降りてくるのを感じた。決着が近いのかもしれない。
「どうすればいいか、か」
そう呟くと、相坂は、視線をテーブルに落とした。指には煙草が挟まれ、その先から煙が一筋、立ち上っている。潤也は、何とはなしに、上方に向かう煙の先を目で追っていた。煙は、頼りなげにふわふわしながら、周囲の空間に溶け込んでいっている。
「それは、君たち二人が出す答えなんじゃないかな」
視線を正面に、自分を見つめる斗和の目を真っ直ぐ捉えて、相坂はそう告げた。それから、
「これは君たち二人の、人間同士の問題だ。私は君たちじゃない、当然ながらね。だから、私には君たちがどうすればいいのか、その答えを出す立場にはない。もちろん、口だけなら簡単に言うことができる。いっそのこと殺し合え、とか、考え直して仲良くしろ、とかね。でも、そう口で言ったところで、君たちにそれができるのかと言うと、それはできないだろう? どこまで行っても、他人は他人なんだ。他人である私が、君たちの他にはない特殊な関係の、その終わらせ方を指図することはできない。そんなことをするのは無責任でもあるしね。私は学生時代、劣等生だった。劣等生ながら、そして人生の中で頭を打ちながらも学んだことは、自分の言葉には責任を持つ、ということさ。責任を持たないことは、私には言えない。答えは、君たち二人で見つけ出すべきだ」
と、言った。これまで幾多の失敗を繰り返して来たのであろう、大人の凄みを感じさせる言質だった。
「そうですか……。そうですよね」
斗和は、半ば諦めにも似た気持ちになって、こぼすように言った。なんだか悔しそうにも見える顔つきになって、彼は俯いた。
「わかりました。今日は、ありがとうございました。俺たちから誘っておいて、ここのお代まで出してもらって、本当にありがとうございます」
斗和は立ち上がって、向かいに座っている相坂に一礼すると、店の出口の方に向かって歩き出した。
「斗和くん」
相坂は歩き出していた斗和に向かって声をかけた。立ち止まり、振り返る斗和。
「早まっちゃいけないよ」
二人の人生の先輩は、そう言った。
斗和はちょっとだけ微笑んで、行ってしまった。
「じゃ、じゃあ、俺も行きます」
慌てて潤也はそう言うと、相坂にぺこりと頭を下げた。
「潤也くん」
まだ潤也が頭を下げている最中に、相坂は潤也の名を呼んだ。潤也は相坂に顔を向けた。
「一つだけ聞かせてくれ。その夢のことだ。一体どっちが見た夢なんだい?」
相坂はそう尋ねた。
潤也は、
「秘密です」
と答えた。満面の笑顔で。
その日の夜、天宮家のリビングは、静かだった。四人で食卓を囲んでいるが、誰一人として言葉を発さず、声も出さない。黙々と食事をとっている。
ただ、斗和と潤也、二人の頭の中は別だった。二人は食事の最中も、頻繁に脳内で会話していた。言うまでもない、彼らの「決着」についてである。
すでに二人の秘密を知っている鋼兵と民子には、当然双子の会話内容がわかるわけではないが、特に民子の方が、今も必死に頭の中で話し合っているのだろうか、と気をもんで、そわそわしていた。鋼兵も、全く動揺していないと言うと嘘になる。彼もまた、息子たちを心配しているのは民子と変わらなかった。
四人は、ただゆっくりと箸を進めている。かちゃかちゃ、と、箸と食器が軽くぶつかる音が響く。第三者が端から見ているとこの光景は単なるとある家族の何でもない食事の風景でしかないが、当事者の四人にとっては重苦しく、居心地の悪い夕げとなっていた。
突然、突然だった。突然、潤也は右手を止め、箸を叩きつけるようにテーブルに置いた。がちゃん、という不協和音が起こった。鋼兵と民子、斗和の三人は、驚いて潤也の方を見た。潤也は、決然とした目でテーブルを眺めている。
少し間があって、「……遠くだよ」と、潤也は呟いた。それから隣にいる斗和の方を向いて、
「斗和、遠くに行こう」
と叫ぶように言った。
「遠く?」
斗和が問い返す。
「このままじゃらちがあかないよ。どこか、どこか遠くへ行こう」
「そうだな、それもありかも知れない。もうすぐ夏休みだし」
「違うよ、今だよ」
「今?」
「そうだよ、今だ。今から行くんだ。二人で、二人だけで」
「今からってのはなあ……」
「忘れたのか、斗和。後一日しかないんだよ。後一日でなんとかしなけりゃならないんだ。もう、うかうかしてられないんだよ」
「まあ、確かにそうだな」
「決まりだね?」
「……うん」
「よし、善は急げだ」
「でもさ、どこに行くんだ?」
「え?」
「目的地がないと……」
「そ、それは……」
「行き場所ならある」
上座から声が飛んできた。鋼兵である。
突如の割り込みと言葉の内容の意外性にびっくりして、斗和と潤也は二人同時に鋼兵の方を見た。
「全ては」
鋼兵はそう言うと、下を向いた。そして前を向きなおして、空間に向かって放つようにこう言った。
「全てはあそこから始まったのかも知れない」
彼は少し首を曲げて双子に顔を向け、「斗和、潤也」と彼らの名を呼び、
「行くといい」
と、言った。
斗和と潤也は初め、父がどこのことを言っているのかわからなかったが、真剣な父の眼差しを見て、あっ、と言うと、父に向かって力強く頷き、支度のために食事も中途のまま、リビングを出て行った。
「鋼兵」
民子は不安げに、夫の名を呼んだ。
「ここは二人に任せよう」
言った後、鋼兵は腕組みをした。握り拳だった。
民子は少し俯いた。思案気な表情がその顔には浮かんでいる。




