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前夜

作者: パルプ

   『前夜』





 明日の今頃には、私はまるで別人の姿となっていることでしょう。おそらくは、包帯が纏い付いている格好だとは思いますが、その中身には、以前の代物より幾分ましになろうとしている顔が在るはずです。そのように、私は期待しています。


 お医者様は、失敗はそうあることでないと言いますけれど、私はやはり少しの不安というものを感じずにはいられません。もしもの場合が怖いのです。


 ただ、その不安さえも、広がる期待を前にしてはあっさりと雲散霧消、退散してしまいます。私は、半狂乱にも近い容態なのです。この先の未来への鮮やかな期待、これまでの過去—触れようものならその接地面からじわじわと病の痕が広がっていきそうな思い出たちです、の間で煩悶とし続けているのです。それと同時に私の中では形を成さない疑問が立ち上がろうとしていました。その実態は上手に掴めないのですが、確かにそこに在るのです。じっと、こちらを見つめているようなのです。


 そんな要因が絡み合って、私はどうにも落ち着きません。この夜は眠りにつくことはできないような気もしてまいりました。お医者様は私に、手術の前日はよく睡眠をとるように言いつけましたが、どうも先生は患者の気持ちというものを十分にわかっていらっしゃらないように感じます。このような時に、快い眠りになどつけるはずがありません。


 私は漂う心で筆をとることにしてみました。私の中で息を殺しているすべての感情、記憶を見つけ出し、それぞれに番号をつけて、規則正しく並び替えてみようと思い立ったのです。そうすれば、私を見つめる「何か」の正体も、尻尾くらいは掴めるやもしれません。そんな心当てを抱いているのです。私は、誰に送ることもない、そして今後一切誰も見ることはないであろう、手記をしたためます。


 時刻は夜の十一時を少し廻ろうとしています。




 私は、当時には珍しい二階建ての長屋住居に生まれました。長屋には四住居が押し合うように入っており、私達家族はその一番端の位置に一階と二階の住まいを有していました。家族は父と母だけで兄弟姉妹はおらず、両親にとって私が初めての子でありました。とは言っても特別に甘やかされて育った記憶もありません。母については、片時も目を離さないように—ある意味では過保護に私を育ててくれましたが、礼儀についてはしつこく口を出しました。幼少時代はそのような性格の母と、二人の時間を多く過ごしました。おかげで私には、庶民らしい、主張を控えるという心根が、今になってもしっかりと身についています。


 父のほうはある程度に名を売った絵描きであり、自身のアトリエにいる場合がほとんどでした。休暇を作ったとしても、何か「芸術的なひらめき」とやらを求めて、地方へ旅行に行ってしまいます。そのようなわけで私は父親との間に、暖かな家族らしい親交を持たないまま、すくすくと育っていきました。


 生活は裕福なものではありませんでしたが、涙が滲むような困窮の味を知ることもありませんでした。父の絵は流行からは少しあぶれた位置にいるようでしたが、全くもって売れないという事はなく、その稼ぎのおかげで生活が継続できていました。父はわりあい自由な生活を送っていたようですが、母はそんな亭主の生活態度に一切の口出しをしませんでした。今思うと、したくともできなかっただけなのかもしれません。家族の生活は父の手や画才に依存していたわけですから。母はただ黙って、部屋の片隅で縫い物や仕立て直しをして父の帰りを待っていました。元来の物静かな性格も手伝い、自分から強く意見を発することもありませんでした。


 難しいことのわからない子供であった私は、歳を重ねるにつれ、ふらふらと外へ出かけていくようになりました。遊び相手を求めていたのです。母と二人でのままごとにも飽きを感じていた頃です。近所には公園がありました。何処にでもあるような、さしたる特徴のない公園です。三方を木々にとり囲まれており、その中に遊具が並んでいるかたちでした。そこには、多くの子供がいました。それぞれが思い思いの楽しみを追いかけています。大人の姿もちらほら見えますが、どうも子供たちの親ではないらしく、つまらなそうに新聞をながめながらベンチに腰掛けています。


 兄弟のいなかった私は、同年代の子供たちにどのように近づいていけばいいのか、わかりませんでした。私はただ公園の少年少女たちと駆けっこやごっこ遊びなどをしたかっただけだったのですが、どうも声をかけるという第一歩が踏み出せませんでした。子供らしい無邪気さを振りかざすことができず、ただ拒絶される可能性を恐れていたのでした。そういうわけで私はただ一人、公園の端でぼんやりと座り込んで、去る時間を見送っておりました。遊びをたのしむ子供たちの喚声を耳にしながら、花壇に密生している花々の数を律儀に—まるでそれが私に与えられた職務であるかのように、逐一数え上げていました。春は山吹草、夏は紫陽花が眩しいくらいに花を咲かせていました。ひとつひとつの花々を指先で撫でていれば、自然と心は満足してくれました。ひとりで過ごす時間にも慣れっこでしたので、日が暮れるまでを長く感じたこともありませんでした。


 それでもいつからでしょう。気がつけば、私は自然と子供たちの集団に参加できるようになっていました。その契機となった出来事はおそらく、小学校への入学であったと思われます。


 学校へ進んでから、私は少しずつ子供社会に触れていきました。その実態やら形やらを理解するようになりました。初めは恐ろしくさえ感じていた同年代の人間たちは、とるに足らないようなことで笑い、怒り、泣きました。いえ、決して見下げているわけではありません。私もまた、紛れもなくその子達の一員でありましたから。


 私は、頭の良い子供ではありませんでした。しかし、何かお高く止まるような性分があり、周りの友人たちがするように感情を発散させるのを、恥ずかしい行為のように思っていました。ですから、何か事件が起こってもじっと身を固くして、時間が過ぎていくのを待ちます。それが日常でした。そのような性格であったからこそ、父親と会えない日々が続いても耐えてこられたのでしょう。学校の先生は私によく「○○ちゃんは大人だね」と言いました。当時は褒められているものだとばかり思っていましたが、その中には微かな憐憫も含まれていたのではないかと、今になって思い当たります。


 私は一人の子供として何処にでも発見できるるような平凡な生活を送っておりました。


 そんな日常のなか、ついに現実との邂逅を成してしまいました。


 私は初めて、自分の顔、というものを自覚したのです。この世の誰にでも、人生を辿っていくうちにその瞬間は必ず訪れるものだと思われます。そしておそらく皆様は、それがいつの日の出来事であったか、どこで起こったことなのか、すっかり忘れてしまっていることでしょう。それが、自然です。はっきりと記憶している方が奇妙というものです。しかし、私は明確に覚えています。記憶の壁に張り付いたまま離れないのです。それほどまでに、自らの顔の知覚は、私へ大きな揺さぶりを与えました。


 私の家には、母が身嗜みを整える際に使う全身鏡がありました。結婚の祝いに両親—私から見れば祖父と祖母にあたる方達です、からいただいたものだそうで、頭の先から足先までをしっかりと映してくれる大きさがあります。鏡はいつも母の寝室にあるので、そこに立ち入ることのなかった私は、鏡を目にすることがなかったどころか、その存在すら知りませんでした。しかし、ある日、私は失くしてしまった大切な本を探して、涙目になりながら、とても探し物があるとは思えない母の部屋に入っていきました。そこで私は、見たのです。


 鏡に映る自分の姿に、まじまじと見入ってしまいました。鏡の中の私は、こちらを睨めつけるような視線を送ったのち、不安そうにひとみを震わせていました。私は、すぐに目を逸らしたい気持ちに駆られました。しかし、どうしてもできません。目を逸らせば、すべてがその通りになってしまうような気がしたのです。認めることになってしまうと、ただそれを恐れたのです。鏡に映っているのだから、それが私の容貌そのままであるということは明白であるのに、私は抗おうとしていました。鏡像と睨み合いながら、それが本当に私の姿なのかどうか、問い続けているような状態でした。受け止めたくない、という気持ちが脇目も振らずに走行し続け、その考えを追い、虐げるように、鏡を通した自分の姿が残酷なまでに視界を埋め尽くしてしまいます。視覚から入ってくる情報を確かなものだと、確認させようとしてきます。


 私は、知りました。私は、醜かったのです。


 その醜さのいちいちを克明に描写することは躊躇われます。いくつもの欠陥を認めることができました。その中でもとりわけ、平たく潰されたような大ぶりな鼻の、その右側、そこに大きな黒子が二つ並んでいるのですが、これが私を一番に悩ませました。黒子はぷくぷくと、熟れた果実のようにいびつに膨らんでいます。その周りには小さいできものが点々と広がっていました。私は、泣きたくなりました。ただ、泣いてしまいたくなりました。美しさの一点もない自分の容姿に、足元の床板が一斉に瓦解していくような思いでした。


 その日の夜、テレビジョンで放映されていた「鉄腕アトム」をぼんやりとした気持ちで眺めていました。その回ではアトムの顔が敵の攻撃によって傷つけられてしまったのです。話の大筋は忘れてしましたが、それだけははっきりと覚えています。話の途中、博士は痛んだアトムの身体を修理し、綺麗な姿に変えてみせます。私には修理された後のアトムの身体や顔が、以前の状態より、いくつも輝いているように見えました。


 鏡を見てしまった後も、これまでと変わらずに学校へ通いました。しかし、以前とは何かが違っているように感じました。何処かでこそりと笑われているような、そんな錯覚がひっきりなしに私を取り囲んでいたのです。そして、その圧迫感がじわじわと、私に自分の立場というものを自覚させました。学級発表の演劇においては、大きな役をもらうことなどできません。お姫様や物語の核となる役は、器量の良い子がもらいます。恋愛話には私の話題は一度も出てきませんでした。


 よくある不幸話のようですが、私は八歳を迎える頃には、自分の容姿について深く思い詰めるようなことはなくなっていました。というのも、私は持ち前の俯瞰的性格を発揮し、あまりにも自然に集団における自分の立ち位置を了解できていたのです。私はこういう役回りだから、ということを何の不満も悲観も抱かずに受け入れていたのです。自分の醜さをそっと心に共存させ、それを当たり前のことと捉えていました。高望みや夢想はしないようにしていたのです。期待がなければ、裏切りも何も生じません。このような工合いで、私は苦しくありませんでした。


 私は、うまくやっていました。大きな傷をつくることもなく、日々を送っていました。しかし、ある日の出来事が私に、今までそっと受け入れてきた自身の醜さを直接的に、残酷なまでの鮮明さをもって、突きつけてきたのです。


 その日は、放課になると学級の数人でごっこ遊びをすることになりました。当時は様々なテーマのもと、各々に与えられた役柄になりきる遊びが流行していたのです。今回はそれぞれが動物になりきりました。役柄を振り分ける際、皆がライオンやウサギなどの動物を選択する中、私にはカエルが与えられました。私は、すんなりとそれを受け入れました。それくらいで、心は痛みません。そんなものはとうに乗り越えていました。カエルという配役、その裏に潜む悪意に気づくことさえなくなっていたのです。


 カズヨさんには豚の役が与えられていました。カズヨさん、というのは私と同じ学級の友人です。皮膚病を患っており、彼女の顔には私が持つものよりもさらに悪質なできものが、汚れた暗雲のように一面広がっていました。カズヨさんは私とは違い、役を与えられた際、いたく悲しげな気持ちを隠すこともなく表出させていました。


 やがて遊びが始まると、私を含めた子供たちはそれぞれ四方八方に飛んでいきます。この遊びに約束事や決まり事はないのです。役柄に沿った行動を自由に展開していればよかったのでした。私はカエルのイメージに逸れないように、ぴょんぴょんと両足で跳ねながら移動しました。これが意外と楽しくもありました。私はぴょんぴょんと跳ね続け、校庭の端にまでたどり着きました。そこから折り返そうと、くるり後ろを振り返ると、近くにカズヨさんが立っていました。冷たいような薄い笑顔を浮かべています。私は驚きました。その後で、声を出すことに少しの戸惑いを抱きながら—なんせ私に与えられていた役はカエルでしたので喋れるはずがないからです、そっとカズヨさんに言いました。


 「どうしたの? カズヨさん」


 彼女は表情を崩さないままで言いました。


 「それ、楽しい?」


 私はコクリと頷きます。楽しいかどうかなどは考えたことがない、というのが本音でした。しかし、私にとって「本音」とは「言わないこと」だったのです。


 カズヨさんは何かを考えている様子でした。今度は表情をあっさりと失くし、じっと地面へ視線を注いでいます。


 私は訊きました。


 「カズヨさんは遊びたくないの?」


 カズヨさんは俯いたまま、応えました。


 「……ううん。遊びたいよ。でも私はウサギさんがよかったの。豚なんて誰がやりたいと思う? 誰もやりたくなんてない。ウサギさんや、鳥さんとかの方が良いに決まってる」


 私は途端に、なんと言っていいのかわからなくなってしまいました。どこかで拍子抜けしていたのかもしれません。カズヨさんが抱えているのは、私がとっくに踏み越えたような悩みであったからです。しかし、だからと言って私の思うところをそのまま告げてしまうわけにもいきません。ともかく、カズヨさんがどういった種類の言葉を欲しているのか、その察しをつけなくてはいけませんでした。


 私は、薄い表情の裏で必死に頭を動かしました。乾いた時間が経過していきました。二人の間に新しい言葉は生まれないままです。やがて、カズヨさんがふっと顔を上げました。目にはうっすらと、涙が浮かんでいるようでした。私はそれを見て、凍りついたように動けなくなりました。


 カズヨさんは腰に手をあて、吐き捨てるような口調で言いました。


 「……まあ仕方ないわよね。私たちは可愛くないんだもの。カエルや豚がお似合いってことなのよね」


 その言葉は、諦めの感情で暗く彩られていました。自嘲的な科白でした。言い換えればカズヨさんの独りよがりな感情の吐露でしかなかったわけです。しかし、その一言が私に再び、自身の外見の劣りを強く認識させました。なぜかはよくわかりません。ただ、彼女から直接の表現で、私の醜さを指さされたように感じたのです。自身よりも劣ると考えていた人間に、哀れみを向けられたからでしょうか。私は、心臓が痛みを伴って粛粛と縮んでいくような、苦しい感覚に襲われました。今まで当たり前に受け入れていたものが、当たり前ではないのかもしれない、と悟りました。そこからは、嫌な想像ばかりが溢れていきました。


 もし、もう少し綺麗な顔だったら。もし、みんなが私と同じような顔だったのなら。もし、お姫様の役が与えられるのなら……。


 そんな想像が、まるで溶岩が山頂からなだれ出るように、身体の外へ這い出てきます。


 私はまたしても、自分の醜さに嘆き、悲しむことになりました。




 小学校の卒業を控えたある日、父親がしばらく家に留まっていた時期があります。旅行へ出かけようと思っていた福岡の炭鉱が閉山してしまったそうでした。ならば見るものはないと、父は家に籠もって眠るか、聖書をパラパラと読むかの生活を送っておりました。ある晩、食事を終えた後の父は、酒に赤らんだ顔をこちらへ向け、言いました。


 「お前は、不愉快な顔をしているな」


 笑いまじりに放たれたこの言葉を、私はきっと、終生忘れることができないでしょう。父はおそらく冗談のつもりで言ったのでありましょう。当時の私もそれを了解して、下手な愛想笑いを作って、応えてみせました。しかし、心根にはそっと深い傷が刻まれることになりました。この出来事を綴っている今でも、心に一閃の痛みが蘇るようです。




 歳を重ねるごとに私の顔の様子はどんどんと悪化の一途を辿っていきました。定期的に母親の鏡へ状態の悪化を確認しにいきました。カズヨさんの一件があってからは、自分の姿に知らん振りを決め込むことはできなくなってしまいました。そして、私は鏡像と向かい合うたびに、ああ、と嘆きの声を漏らすのでした。小さいできものは少しずつ顔中に拡がっていきました。そのせいで、二つの黒子の醜さはさらに強調されてしまいます。悔しくなって、一度は鏡を割ってしまいそうな気持ちに駆られました。私はその衝動がやってくるたびに、必死で自分を抑えます。掌には爪の食い込んだ痕が残りました。日々は、そのようなことの繰り返しでした。


 やがて、ひとしきりの学業課程を修了した私は大学へ進むこともせず、地元の染物店にて働くことになりました。仕事はとても楽しいものでした。店の女将さんは世話焼きで、二十五になっても結婚のできない私に同情してくださり、着物や食材をよく融通してくれました。働く場所としてはこれ以上ないほどに居心地の良い場所でありました。私はそこと家の間をひたすらに往復し、まずまずの生活を送ることができていました。多くを望まないのならば、このまま仕事の中にささやかな幸せを見つけ出し、ゆったりと生きていけそうな気さえしていました。できるだけ目を上げぬまま、ただ眼前に流れてきた衣服に色をつける仕事に従事し続けました。家に帰れば、いくつか日本作家さんの書物を読み、夜早くに眠りへつきました。




 仕事に精を出す日々の中で—思い返せばとんだ笑い草のような話ですが、私にもロマンスとでもいえる出来事が起こりました。


 去年の話でありますから、二十八歳のことです。当時、私はもうすっかり、自分の顔についてのあらゆる希望的見方を失くしていました。一人でトボトボと、今にも切れてしまいそうな糸の上を歩くような侘しい生活を続けていこうと決心していたのです。私は、仕事へ出かけていく以外には、じっと家に篭り続けました。外出をするのは決まって夜の深い時間帯でした。月明かりしかささないような薄暗がりの中でしたが、私は用心をこらし、薄い三角巾で鼻から下を覆うようにして、家を出ました。さらにその上から、フードのついたマントを身につけ、額の部分も隠してしまいます。外の空気に触れているのは目元だけとなります。誰かに会う用事などは当然ありませんが、知らない人—例えばそこらの通行人であっても、この顔を見られることは気分が良いものではありません。もしも見られてしまったのなら……。想像するだけでも身震いするような気持ちです。


 それでも、慎ましい生活の中では、定期的に気分を晴らしてやる必要がありました。危険は承知していますが、私は澄んだ空気を吸いたくなると、万全の準備を整えて、辺りを散歩しにいきました。ある日も、薄く戸を開け周囲に人影がいないのを確認してから、夜気のなかにそっと足を踏み入れました。その日は秋の暮れでした。静寂の中に、時折思い出したかのように、冷たい一陣の風が私の足元を滑っていきました。それがなんだか心地良かったことを漠然と憶えております。


 住居が立ち並ぶ通りから街の側へ進んでいくと、だんだんと酔客の姿が見えてきました。不安な足取りをされている一人の男性は、ちらとこちらを一瞥し、「よお、ねえちゃん」などと声をかけてくださいます。普段の生活では絶対にあり得ないことです。今は夜で、私は顔の半分以上を隠しています。ですから男性は、私を普通一般の女性だとみなし、声をかけるのです。私はそんなことがあるたびに、目元しか出ていない状況でも伝わるような大袈裟の笑顔を拵えて見せました。そうすると酔客達は、何か次ぐ言葉を必死に探し始め、でも結局は見つからずに気落ちした様子でよぼよぼの行進を再開していくのです。それはまるで、綺麗な女性にするかのような態度であります。これら一連のやりとりは、まるで男達をあしらってみせる遊女のような気分を味合わせてくれる、楽しいものでした。それが私の、唯一の心の発散でした。社会から自然と肯定されているように感じられたのでした。このように書くと悪趣味なようですが、男の人と挨拶を交わすなどということは、世間の女性の全てがやっていることです。それを私は夜半にしか、それも自分を隠した状態でしかできなかったというだけなのです。これくらいの遊びを求めたとしても、ばちは当たらないでしょう。


 私はふらふらと、何かを見せびらかすように通りに出ました。ちらほらと屋台の灯りが散らばっています。不思議なもので、秋の夜に灯る明かりは薄く霞んで見えます。この夜もそうでした。それがなんだか幻想的な雰囲気を演出しているのでした。私はその光景に不思議な酔いを感じながら、しばらく町中を歩きました。やがて、さてそろそろ帰ろうか、と思った矢先でした。後ろから声をかけられたのです。


 「もし……」


 振り返ると、わずかに酒気を帯びているらしい青年が立っておりました。外国の人が着るような細身のスーツに、肩を包み込むような紺色の外套を羽織っています。その着こなしが、やけに様になっておりました。真夜中の心細い明かりの中でしたが、その青年の姿は美しく輝るようでした。見たところ、同い年くらいでしょうか。青年はしっかりと撫で付けられた前髪を手直ししながら、言いました。


 「この辺りに、詳しい方でしょうか。もしそうでしたら、少々道を教えていただきたい。友人達と酒を呑んでいたのはいいのだが、少しお厠へ外している間に違う店へ移ってしまったようだ。私はもう観念して、宿に帰ろうと思うのですが、御婦人、西山荘という宿屋の場所をご存知ですか?」


 私は、情けなくしどろもどろとしてしまいました。青年の顔に見惚れて、彼の話が断片的にしか入ってこなかったのです。正直に申し上げます。私はこの一瞬で、彼にすっかり心を奪われてしまいました。全身の神経が彼に惹きつけられるようでした。運命、というギザな言葉を用いてもいいような、一瞬にして全てを変える出会いでした。


私は自分の顔が上気するのを感じながら、問い返しました。


 「……失礼、何を、お探しですか?」


 「宿、です」


 「……何というお宿とおっしゃいましたか? すみません……」


 「西山荘というところです。ここから大して離れてはいないと思うですが……」


 その宿には馴染みがありました。小学校へ通っている間は、毎日そこの前を通っていたのです。私は身振り手振りを使って、青年へ道を口伝えしました。しかし、青年はどうも道順を了解していない様子でした。私の説明が要領を得なかったのです。男性と私的な会話をするなど幾分久しぶりのことでしたから、緊張して上手く言葉が繋がってくれませんでした。


 私は、思い切って言いました。


 「……もし、よろしかったら、その宿の近くまでご案内します」


 ちらと目をあげて、青年の顔を伺いました。彼はすぐに顔を綻ばせました。思わずかき抱きたくなるような、屈託のない笑顔でした。


 「ええ、ぜひお願いいたします」


 彼はそのあとで深々と頭を下げました。なんだか、かえってこちらが申し訳ないような気持ちになり、私も頭を下げました。彼はその様子を見て、クスリと笑いました。そして、言いました。


 「私は、井原というものです。金にもならないような絵を描いて生活しています。今日の飲み会というものも、美術仲間との開催だったのです。仲間達はついはめを外してしまいましてね。あまり酒に強くない私は取り残されてしまった次第です」


 「……こちらへはどのような用件でいらっしゃったのですか? 何も無い土地ですのに」


 「少し面倒な集まりがありまして。こういったことはあまり言うべきでないのかもしれませんが、私の師匠が出席なさるので、どうしても顔を出さないといけないのです」彼は、言った後にすぐに付け足した。「もちろん、この土地自体には非常に好感を抱いております。月が澄んでいて、いい」


 「月が澄んでいる……ですか」


 私はその一節がいたく心に刺さるようでした。彼の選ぶ言葉や、そこから覗く気遣いには、今まで出会ってきた人たちにはない尊さを感じました。


 井原さんは、私の容貌については何も言いませんでした。顔の半分以上を隠した女など気味が悪くて仕様がないと自分でも思いますが、彼は普通の女性に接するように私と話をしてくださいました。見た目ではなく、その内側を視ているようなのです。私は自分の心を綺麗なものだと思ってはいませんが、人並みではあると思っています。同じことを井原さんも思ってくれたのかもしれません。彼は陽気でした。それでいて繊細な観察眼を持っていました。芸術家という類の人間は総じて親しみにくいものだと思っておりました。それは父の態度から学びとったことでもあります。しかし、井原さんは違いました。少年のような親しみやすさと、達人の如き、物の見方を有しているようすだったのです。そして、どこかしこに超然的な雰囲気を醸し出している方でした。


 出会ったその夜、彼を宿まで案内し終えると、別れ際に彼は、私の手を握り、「また会えますか」と問いました。私はすぐに頷きました。五月蝿い思考は介入してきませんでした。そして、二日後に同じ場所で、と、言葉がぽろぽろ零れるように出ていきました。無意識からでてきた言葉です。でも、それが私の心からの願いでありました。意識がはっきりとしている状態ではとても言えない、途方もない願いです。私はその時、既にどこか夢見心地だったのです。


井原さんはまた、あの優しい笑顔を顔中に広げました。


 「ええ、それではまた明後日」


 私は気恥ずかしさから、一礼した後に逃げるようにその場を離れました。井原さんは大きく手を振って見送ってくださいました。私は胸が痛くなりました。井原さんのことをあさましくも裏切っている気持が、ここでやっと立ち上がってきたのです。いっそのこと私の顔を包んでいる衣類を残らず剥ぎ取って、すべてを曝け出してやろうかという気持ちさえ立ち上がっていました。でも、私には決してそのようなことはできないのです。またしても、怖いのです。恐れているのです。そんな自分が情けなく、私は外面だけでなく心までもが救いようのない女だと思いました。井原さんの姿が見えなくなってからは声を押し殺して泣きました。しかし少しして、泣くのもおこがましいと思い当たり、それからはきっと涙を拭いて、凛とした態度を心がけ、家へ戻りました。出迎えてくれた母は一目見て、今夜の外出に何か事件があったことを悟ったようでした。しかし、何も言いませんでした。それをとてもありがたく感じました。私は、誰かと話をできるような気分ではなかったのです。


 私の中に残る井原さんの影は、時間を経るごとに大きくなっていきました。じわじわと、私の心の水槽を満たしていくのです。目も当てられないほどの醜い顔をしていながら、このような感情を抱くなど、実に滑稽なことです。しかし、私は井原さんを恋い慕うほかにありませんでした。恋い慕う、という行為は希望の現れです。相手もこちらを慕ってくれているかもしれない、という希望なくして恋はありません。


 私はその時、久かたぶりに人生の光というものを感じていたのでしょう。仕事の間も晴れやかな気持ちでいられました。空想の中だけに存在していた生活が、目前に迫っているかのようでした。


 しかし、それと同時に、希望を失うことが怖くもありました。井原さんが私の顔のことを知り、離れていくとすれば……。切なさに身が裂かれそうな思いでした。私の恋は散り、恋い慕うことさえかなわなくなります。それは私にとっては、生の終わりと同義であります。光は消え、今までに味わったことがないほどの暗闇を這いずることになるのでしょう。私はこのように、恋愛の希望と喪失の恐怖の多大なる力どもに逃げ場を失くされ、少し浮ついた気持ちになれば次の瞬間には恐れをなし、それでも家の中に差し込む日光に艶やかな未来を見つめてみたりするのでした。


 約束の日、私は母にも気がつかれぬように、音を殺して家を出ました。顔にはいつもよりも固く結んだ三角巾を携えていました。フードも目深にかぶりました。またも、美しい秋の夜でした。


 時間を決めていなかったのですが、私たちはすぐにお互いの姿を見つけることができました。


 「やあ」


 近づいてくる井原さんは最初に会った日よりも酔っているようでした。


 「またここらで呑んでいたんです。あなたを待って……」


 「お酒が……、好きなのですか?」


 なんと言っていいのかわからず、私からはもう的外れな言葉しか出てきません。それなのに井原さんは、私の箸にも棒にもかからないような質問を真剣に考えてくださっているようでした。やがて、恥ずかしそうに頭を掻きながら、


 「いえ、あまり好きではないのですが……、どうもあなたとの約束に気が張ってしまって、落ち着かなかったのです」


 などと言いました。私はまたしても言葉に窮してしまいました。気も動転してしまい、そのあとにどのような会話を続けたか、あまり覚えていません。


それでも、その夜は井の頭の池の周りを歩いたことを覚えています。朽ちても残る活動写真の一コマのように、目に映った景色も、井原さんの言葉もそっくりそのまま私のまぶたに焼き付いているようです。今にも眼前で、新鮮さを保ち続ける記憶です。どうしても、忘れることができません。


 私たちはポツリ、ポツリと水滴の落ちるように言葉を交わしながら、並んで歩きました。月の煌めきが池の中で呼吸をしていました。波紋が音もなく広がり、井原さんはその情景にちらと目をやり、何か感じいったようにしきりにううんと唸ります。私はそんな姿を大切に見守っておりました。やがて池の半周を歩き終えた頃合いに、私はついに訊いてしまいました。すべてを壊しかねないような問いです。それでも言わずには、本当の会話を交わすことができないような気がしていたのです。その葛藤にどうしようもなくなったのです。私は訊きました。


 「あなたは……、私を怪しく思われないのですか? このような変な風貌をして……、顔を隠しているのです。どんな顔をしているのかもわかりません。さぞ醜いかもしれません。美しいものは、普通隠されませんから。……あなたは私について何も知らないのです。生まれも性格も何もかも。それなのに……、なぜあなたは私に優しく話しかけてくださるのですか? また会おうなどと考えてくださったのですか?」


 言い切った後でハッとしました。私はなんと失礼なことを言ってしまったのか、と赤面する思いでした。井原さんはすぐに愛想を尽かし私の元から離れていってしまうかもしれません。腹を立てているかもしれません。しかし、彼は何も気にしていないような様子で、じっと私の目を覗き込みました。そして、静かに言いました。厚みのある、湿った声でした。


 「……私は、あなたの声に惹かれたのです。あなたの声は、言葉は、私の中にすっと何の抵抗もなく入ってくるのです。それはきっと……、あなたの透き通った心から出てくる声だからだと思います。心からの、澄んだ声です。そこには優しさや、どれだけの言葉を費やしても表現できないほどの美しさがあるようです。私には、そう感じられます。ですから、あなたにまた逢いたくなったのです。あなたの声を聞かせてもらいたくなったのです。……夜中のお誘いは失礼かもしれない、とは思いました。私は、冷静さを欠いていました。それで、いてもたってもいられなかったのです。月並みな表現ですが……、私はすっかりあなたに心を引かれてしまっていました。……初めてあなたを街で見かけ、声をかけた時からです」


 井原さんは言い切ると、恥ずかしそうに顔を伏せてしまいました。


 彼の言葉には、温度がありました。触れれば安心するような、あたたかさです。彼は、私が思いもしなかった価値を、私の中に見つけてくださっているようでした。私は自分の中に、井原さんが言うようなたいそうな美点があるとは思いもしませんでしたが、彼に言われては、悪い気も起きませんでした。


 彼は、続けました。


 「だから……、こうしてまたあなたに会うことができて、今日は本当に幸福な気持ちです。あなたが容姿について何か気になさることがあるのならば、その衣は取らないでも構わない。ただ……、こうして一緒にいたいのです」


 秋の風が、ばさばさと着物を揺らしました。私は反射的に顔周りの衣類に手をかけ、少し迷ってから、この衣類を取り去ろうかと考えました。しかし結局、それはできませんでした。衣を必死で押さえる自分がこれほど情けなく思われたことはありませんでした。


 私はゆっくりと井原さんの目を見返しました。そして、ただ一言だけ、言いました。その一言ならば、嘘にならない気がしたのです。 


 「また、会いたいと、思っています」


 井原さんは私の言葉を受け、すっと優しく、私の手を取りました。


 「ぜひ、お願いします。私はもう少し、こちらへ滞在するつもりですので」


 その後、私と井原さんは夜と朝の空気が混じり合う時間まで、公園の周りを歩いたり、野原に腰掛けたりしながら、お話をしました。互いのことをほとんど知り合っていなかった私たちは、少しずつですが、確かに目の前の相手の正体を鮮明に認識していき、私はその度に愛しさを募らせていきました。井原さんのひとつひとつが明らかになっていくごとに、私は彼から離れられなくなっていました。


 そこから一ヶ月、私たちは毎日夜半に逢瀬を重ねました。二人で言葉を交わし合うだけでしたが、大きな幸福にすっぽりと包みこまれたかのような、尊い時間でありました。私は、途方もない仕合わせを感じていました。日中は井原さんに会うことを待ち焦がれ、やがて夜になり会えたとしても、別れた後にはすぐに明日の夜を待ち遠しく思うのでした。私は夢の中で子供の姿を見てしまうくらいに浮かれていました。接吻もできていないのですが、井原さんと一緒になることを心から望んでおりました。それだけで、もうそれ以上は何も望んではいけないような眩しさを目にすることができます。私は、満たされていました。一瞬間、自分の醜さを忘れることさえもありました。嘘のような話です。私は現実を見ることができなくなっていたのかもしれません。


 そのような生活の中のある日。仕事場にて作業に取り掛かっていると、一着の着物が目につきました。薄茶の生地で、両の肩の部分には薄くこの葉の柄が写されています。私はそれを何処かで見たことがあるような気がいたしました。そして、すぐに思い当たりました。その着物は井原さんがよく身につけているものだったのです。私はそれに気がつくとハッと焦るような気持ちがして、女将さんに頼んで注文の台帳を見せてもらいました。そこには今日の日付でイハラノブユキという名を見つけることができました。間違いなく、彼の着物です。彼はここへやって来たのでしょうか。何時のことでしょう。私は全く気がつきませんでした。


 そんな風な気楽な考えのあとで、私はおそるべき可能性を認めることになりました。


 私の持ち場は受付の場所からでも十分に目に入ってしまいます。そして、私は日頃、仕事の場においては顔を隠さずに就業しています。いわば、私の醜い容姿は衆人環視に晒されている状態なのです。そして、彼はこの店に立ち寄ったと考えられます。その際に、私の本当の顔を見てしまったかもしれません。それに気がついた途端、私は血の気が引くような気がいたしました。出来の悪い頭がはじき出した推測に、無理がないように思われたのです。仕事はまったく手がつかなくなりました。普段はしないような大きな失敗を二つもしてしまいました。


 その日の夜は、彼に会いにいくことができませんでした。何より、怖かったのです。私は眠りにもつけずに考えこみました。そして、なんとかして、いくつか私を安心させてくれるような見解を導き出しました。一つは、彼は私が染物店で働いていることを察したかもしれませんが、本当の顔までは知っていないはずだ、ということです。そして仕事場には私の他に幾人もの従業員方がいらっしゃいます。その中から的確に私を見抜くなどできるはずがありません。二つに、仮に私の顔を見てしまったとしても、それを夜に逢瀬を重ねている女の顔と結びつけることはないでしょう。その結び付けはあまりにも不自然に感じられます。誰かが私の正体を教えたのならば別ではありますが……。


 私は不安とそれを励ます心の間で、いてもたってもいられなくなり、朝が近い時間でしたが、早足で家を出ました。顔には衣類を巻きつけています。人通りは夜よりか多く、すれ違うすべての人が私へ冷やかすような、時に怯えるような目線を送りました。私はそれにも構わず、井原さんとの約束場所にしている、池の辺りへ向かいました。


 彼はいませんでした。当たり前です。普段会う時間よりも五時間も六時間も遅いのですから。私は気を落とし、しばしそこに佇んだあと、家に戻りました。


 次の夜、私はいつものように夜半に家を出ました。昼間に雨が降っていたために、地面はじっとりとぬかるんでいました。それでも私の気持ちははやり、自然と歩調も上がっていきます。


 彼は、まだ到着していませんでした。いつもは決まって私があとから到着するのですが、この日だけは違うようでした。私は、優しい光を放つ月を見やり、彼を待ちました。風はすっかり冷たくなっていましたので、身を縮め、手ごろな岩の上に腰かけ、両手を擦り合わせました。季節はもう、冬に入ろうとしていました。


 その夜、彼が姿を見せることはありませんでした。


 私はそれから毎夜、待ち合わせの場所へ出ていきました。そして何時間も待ちました。指が霜焼けにやられてしまっても、待ち続けました。寒さはひどいものでしたが、そこまで気にならなかったような気もします。私は、彼が数日間姿を見せなくなったのにも構わず、心だけはふつふつと温めたまま、待ちびとの到着を願いました。それでも、彼はいつまで経っても現れないのです。私は次第に哀しくなってきました。やはりあの日描いた私の悪い推測は的を射ていたのかもしれない、と思うようになりました。ぞっと怖くなりました。


 翌日、寝不足のまぶたをこすりながら仕事にあたっていました。そこでふと思い当たり、女将さんに注文台帳を見せてもらいました。井原さんは、前日に着物を受け取っておられました。


 こんなにあっさりと、私の恋はなくなりました。今までの一喜一憂が、途端にばかばかしくなってきました。それなのに、出始めた涙は止まろうとしませんでした。私は休憩をとらせていただき、建物の陰で崩れるように泣きました。汚れを洗い流すように泣きました。涙に濡れた顔をあげ、作業場の裏手にある休憩室に入りました。そこには小さな鏡が置いてあります。私はその前に立ちました。そして憎き鏡像と、向かい合いました。私は自分の頬に手をやり、そのあと、鏡像の頬にも手を当てました。そんなふうな確認を、いつまでもしていました。


 その日、仕事が終わり家に戻ると、いの一番に母の鏡の前に立ちました。顔には、醜い二つの黒子が変わらずにひっついています。私は部屋隅の戸棚から裁縫用の針を取り出しました。厚手の布用に少し太くつくられている針です。私は、それを二つの黒子に次々と刺していきました。痛みは不思議とありませんでした。私は何度も、針の先を突き刺しました。やがて傷口がじゅくじゅくと濡れ始め、やっと痛みが感ぜられました。黄色味を帯びた血が、滲むようにひたと出てきます。それでも私は黒子を潰し続けました。そうして、井原さんのことを思いました。彼が私の姿を見たかどうかなど、そんなことはどうでもいいのでした。確かなことは、もう終わったということです。いや、そもそもが始まってすらいなかったのかもしれません。私がてんてこまいを演じたひとり舞台だったのかもしれません。そう、思うことにしました。そう思いこむことが一番、自分の哀れさを実感しないで済む気がしたのです。顔を濡らしている血に、不思議と涙が重なりました。何か言葉を吐き出したかった気がしたのですが、口からは嗚咽のような音の振動しか出ないのでした。


 やがて、慌ただしく襖を開ける音が聞こえ、雪崩れ込むような形で母が部屋に入ってきました。母は私の手から針を取り上げ、何が起こったかわからない、というふうに私へ質問を重ねました。ひどく取り乱した様子でした。そのうち、答えが返ってこないと察した母は黙って私の肩をさすり、顔の傷の手当てをしてくださりました。その後で、私を部屋の布団に寝かせてくれました。私はその間もずっと涙を流していました。みすぼらしさの限りです。しかし、この日以降は一切の涙が出なくなりました。この日の涙が、私からあらゆる執着を引き剥がしてしまったのです。きっと、泣くという行為が、あらゆるものから決別するために必要な儀礼のようなものであったのかもしれません。


 翌日、母は私を皮膚科医へ連れて行ってくださいました。仕事は休みました。とても仕事に行けるような状態ではなかったのです。傷痕には膿みができてしまい、至る所にできものや腫れが見られました。崩れた黒子のあたりには刺すような激しい痛みが一定の間隔でやってきます。私は顔を包帯で覆い、母の介抱のもと病院へ向かいました。


 皮膚科にはたくさんの患者さんがいました。薬品の匂いが充満する待合室では、ほとんどの椅子が埋まっていました。それでも私と母は、端の方に二つ並んで空いている椅子をみつけ、そこに腰掛けました。私はチラリと周りを眺めました。患者のそれぞれが、顔や身体のどこかに異状を発している様子です。炭鉱労働者とみられる男の人は首から目の下の辺りまでを赤黒い発疹に覆われていました。まだ五歳にもならない様子のおかっぱ頭の男の子は両足がひどく乾燥したような状態で、そこに痒みが伴っているようでした。私は彼らをそっと眺め、不思議な連帯感から安心するような気持ちがいたしました。皮膚に問題を抱える者同士での、勝手な共感を感じていたのです。


 と、向かいの席の老人が広げる新聞が、ふと目に入りました。その紙面には大きな文字で、公害による皮膚異状について綴られておりました。細かい文字までは読み取れませんでしたが、だいたいの内容は伝わってきます。そうか、と思い当たりました。ここにいる私たちは皆公害の影響によって、皮膚病なんていうものにわずらわされているのではないか。こんなに苦しい思いをさせられているのではないか、と。そんな発想が浮かんだのです。


 そう考えると、俄然この空間にいる人々が強い絆で結ばれた同志であるかのように思われてきました。政府の推し進める工業化によって不利益を被った人々同士での連帯を感じました。私たちは手を取り合い、近代の波による悪影響と闘っていきます。心からの訴えを届けようと、声を挙げ続けます。私たちを支持する人々は絶えず出没していくでしょう。皮膚病患者以外にも、私たちの声に同情を寄せてくれる方々がいるかもしれません。私たちは反逆の旗を振りかざし、大きな闘いを挑みます。全てが新しく、鮮烈な事態を運んできます。取るにたらない幸せを享受するための変化が訪れ始めます。


 しかし、すぐに悪い想像が浮かんできました。というのも、その集団の中で一番酷い病状なのは、間違いもなく、この私なのです。私ほど状態が悪く、しかもその症状が顔にあらわてしまっている人は他にいません。それに気がついた途端、同じ敵の打倒に心を燃やしていた同志たちがクスクスと笑いながら離れていく姿が、その映像が、頭に浮かびました。一二の三のきっかけで、私から一斉に背を向けてしまいます。私はというと、そのことに気がつけず、なおも集団の先頭に立ち、右へ左へ必死に駆け続けています。汗を振りまき、革命に心を尽くしています。そして、やっとのことで、気がつくのです。工業化に対して大手を振り、抵抗の意思を示しているのは私だけだった、と。それを理解し、立ち尽くすのでした。皆が私を取り残して、去っていってしまったのです。


 受付の女性が私を呼ぶ声で、現実へ帰りました。私はすくと立ち上がりました。母には待合室で待っていてもらい、一人で診察を受けました。初老の医師は私の顔を見てもさして驚きも表出せずに、淡々と診察を続けていきました。ガーゼを当てたり、薄いゴム製の手袋で触診を行ったりしたのちに、私の皮膚の状態についてスラスラと述べていきました。


 私はそれを全て聞き終えたあとで、そっと訊きました。


 「この顔は……、治るのでしょうか」


 お医者様は難題を突きつけられたかのようにぐっと顔を渋らせました。そのあとで要領を得ない言葉を並べました。


 「治る、といいますか、完治というのはそもそもあまりあることではないのです。できものがなくなったとしても、痕がくっきりと残ってしまい、そこから再発なんてこともありますからね。しかし、今の状態からよくなるということは十分にありますよ。逆に言えば悪くなることも、往々にしてあるわけです。十分に気をつけて生活しなくてはなりませんよ。少しのばい菌が入っただけでもあっという間にできものは拡がってしまいますから。しばらくは安静にしていてください。今日、注射で薬を体内に入れてみますが、これで好転するかもしれません。経過を見て、注射での治療を続けるかどうか見極めないといけません。大丈夫、きっと快方へ向かいますよ」


 私は、はあ、とか、うん、とか言いながらそれを聞いていました。お医者様の言葉から希望を感じ取ることはできませんでした。私は黙ってお注射の治療を受け、母と一緒に病院を出ました。


 数日経ち、傷痕は一切良くなろうとしませんでした。それどころか、かえって悪化しているようでした。母は、私に仕事を辞めさせました。その判断を下してくれたことには、とても助かりました。復帰が難しいことはわかっていましたが、自分ではどうしてもその決心ができないでいたのです。母の気遣いにより、私は肩にかかる重荷の一つから解放されるような心持ちでした。


 しかし、顔についての鬱屈は消えてくれません。私はその後も数回、皮膚科へ通いました。その度に待合室では例の妄想をたくましくさせ、その度に哀しくさせられ、改善の兆しが見えない治療を受けて帰ります。阿呆の送るような日常です。それ以下かもしれません。私はやがて、皮膚科へ通うことをやめてしまいました。私は、家に引き籠るようになりました。


 私はただ生きている—生命を続けているだけの状態でした。食事を摂り、母に代わってほとんどの家事をこなし、夜早くに床につくだけでした。ある日、母が書籍の裁断の仕事を持ってきてくださり、それは家の中でもできる仕事でしたので、私は必死になって取り組みました。来る日も来る日も、家に運ばれてくる書籍の山を崩していきます。私はこういった単純作業の繰り返しが性分に合っているのだと自覚しました。仕事は着実に進んで行きました。


 ある日、いつもの通りに仕事を進めておりました。その途中で、ある記事を見つけました。その記事では「整形手術」というものを中心に、二人の学者様がおこなった討論が活字にされて掲載されていました。最初、私は「整形手術」がどういったことがらを指す言葉なのか、それすらわからないでいましたが、裁断ごとにその記事を目にするうち、その全容がだんだんとつかめてきました。広告の隣のページには「整形手術」について、専門家の方の解説文が掲載されていました。「整形手術」は、西洋から運ばれてきた技術らしく、その専門家は危険性や宗教学的観点からの意見を批判的な態勢を崩さぬまま展開していました。私は裁断の手を止め、じっくりとそれら一連の記事を読み込みました。身体の中でふつふつと、生気ともいえる熱が立ち上がってくるのを感じました。


 私は、外へ仕事に出るようになりました。裁断の仕事も雇い先様に頼んで、請け負う冊数を増やしていただきました。外へ出ることで向けられる人々の奇異の目は気になりませんでした。そのようなことはまったく私の目には入らなかったのです。私はお金を貯めなければなりませんでした。毎日くたくたになるまで働きつめました。


 私は整形手術を受けようと心に決めていたのでした。この決心は誰にも吐露できませんでした。母にも黙ったまま、計画を押し進めました。急に外へ出るようになった私を不審がってはいましたが、私が「社会復帰よ。いつまでもここにいるわけにもいかないでしょう」と言うと、まだ納得できていないような様子ではありましたが、渋々と私の言い分を受け入れて引き下がっていきました。


いったい何が作用して、私に、整形手術を受けるという決断をさせたかはわかりません。今になってもわかっていません。しかし、ここで変化を受けにいかなければいけない、というような出処のわからない使命感のようなものが心のうちを占めていました。それは私の意思とは別の次元での欲望のように感じられました。私は今でも、この手術について、どこか他人事のような感覚を捨てられないでいます。


 さて、数ヶ月の間仕事漬けの生活を送ったおかげで、私のもとには充分な資金が貯まっていました。私はそれらの貯金を自室の戸棚の奥の方へまとめて保管しておりました。ある日、いつものように週の稼ぎをそこにしまい込んでいると、おもむろに父が戸を開けました。その週は珍しく家に留まっていたのです。父は私の手元にじっと目線を奪われた後で、不思議そうな目を向けて言いました。


 「……その金は、なんだ?」


 その言葉に、私はなんだかいけないことをしている場面を目撃されたかのような、そんな気持ちになってしまいました。しかし、思えば何もひた隠すようなものはありません。咎められることもありません。私は、開き直った気持ちで父の方を向き、堂々と応えました。


「働いて、得たお金です。お父さまも聞いてはいらっしゃるでしょう。……家では雑誌や書籍の裁断を、外では洗濯屋の手伝いをしています。このお金は、それらの仕事で手に入れたものです」


 父は眉根にシワを寄せ、私の発言の一切を疑うようでした。そして、ゆっくりと言葉を吐きました。


 「……で、そんなに金を貯めてどうするつもりなんだ? 家を出るのか?」


 私はその問いを受け、なぜかはわかりませんが、貯めたお金の用途をスラスラと述べてしまいました。一切のごまかしも致しませんでした。


 父は私の告白に面食らったようでした。動揺を隠しもしませんでした。やがて、哀しいような、憐むような眼差しをこちらに向け、言いました。


 「……自分の顔を変えようっていうのか」


 私は静かにうなずきました。父はおろおろと、畳の上に視線を彷徨わせ、やがて、一言だけ残して襖の奥へ消えていきました。


 「情けないよ」


 その言葉だけが嫌な存在感を残しました。畳の上にいつまでも坐しているようでした。私は淡々とお金を仕舞い込み、ふうと一息つくだけで、その時は特になんの心傷も感じませんでした。しかし、今になって父の言葉が、私を試すようにちらつくのです。


情けない。情けないとは、いったい。私は自分の行わんとする行為が「情けない」のか否かを確かめたい衝動に駆られました。そのためには自分以外の誰かへ意見を仰がなければいけません。しかし、私にはそんな問いを投げかけることのできる友人などは、一人としていないのです。私は一人きりで考えました。答えは出ません。出ないまま、この夜を迎えてしまいました。




 明日、私は目顔の整形手術を受けます。前例は豊富でないようで、安全性も完全には保証されていません。失敗の恐れも—お医者様はあまり口にしませんが、十二分に考えられるようです。


 それでも私は手術を受けにいきます。「情けない」顔を歪めながら、変わろうともがきます。そうする他ないのです。


 私は、今から自分が何をしようとしているのか、何に臨もうとしているのかすら、本当はわかっていないのではないかと思わずにいられません。悲しくなるほどに、わからないことばかりです。でも、変わろうとしていることだけが明瞭に判ります。それは現状の自分からの脱却、とでも言えるものでしょうか。なんとかして、「今」から脱け出そうと足掻き続けているのです。


 ふと、思い当たりました。私は、変わろうとしています。でも、それは私だけの願いではないように思えます。私以外の人たちも皆、いつもいつも変わろうとしています。女は日頃の化粧を欠かさず、新しい、美しい着物を求めます。男たちは金を蓄え、上等な女をひっ捕まえるために日々を励みます。仕事では何より職務的な昇進を好みます。それらのひとしきりの行為は皆、現世界から脱し、新しい自分への変化を待望するが故に起こしているもののようです。私の過去にあるような、人々からの目に見えた拒絶を受けていない方でさえ、変わろうとするのです。


 それを、この社会にいる全員がやってのけているのです。


「私たちはなぜ、変わろうとするのでしょうか?」、「そしてその果てに、いったいどこへ向かおうとしているのでしょうか?」。


 このまま変わらずとも、生きていくことはできます。そうです。一般的な生活を続けていくことはできるのです。実際私にしたって、手術の費用を蓄えるために外に仕事に出ることもできました。あのままお金を貯め続けていれば、さして苦しみもなく、寿命をまっとうするまで生命を維持できたことでしょう。どれだけ醜い容姿を有しているとは言っても、生きることを不可能にしてしまうはずがないのです。どんなに欠点があっても、人間は生きていけるのです。


 私を見つめているものの正体は、この問いです。いや、もはや私だけが抱える問いではありません。


 人々はなぜ変わろうとするのか。私はそこに、生活に対する欲だとか、金に対する執着だとか、そんななような言葉では片付けられないような秘密が隠されているような気がするのです。人間の送る日々の生活のなかに、その真相が意図せず隠匿されているのです。そんな気づきがどうしようもなく、ゆらりと立ち上がります。掴むことはできませんが、確かにそこにあるのです。


 もし、私が明日の手術によって美しく成ることができたのならば……。新しい発見が生まれるでしょうか。納得のいく答えを得ることができるでしょうか。生まれ変わった先にあるきらびやかな真新しい生活の渦中にいれば、今までには得られなかった見解が手に入るでしょうか。


 私はそれを確かめなくてはいけません。確かめずにはいられないのです。それでも心のどこかで、手術を受けたところで何も変わらないだろうという囁き声が聞こえたりもします。しかし、私はそのような声には耳を塞ぐことに決めました。というのも、他に選択できる路は残っていないのですから。


 もう、夜更けです。時計を見ると、四時を半時間過ぎていました。結局、睡眠はとれないままでした。


 早めに身支度を整えておきましょう。朝一番の列車に乗らなくてはいけません。そして、その道中にでも気がつくことがあれば、また追記しようかと思います。ここまでは一心に筆を滑らせてしまいました。恥ずかしい文章も散見されていることと思います。手術が終わった後に、書き直しをいたします。


 その頃には、私の見る世界が変わっていますよう。


 件の問いの答えが見つかっていますよう。


 それでは、身支度を整えてまいります。窓からは冷たい陽光が差してきました。今日は快い天候になりそうです。





『前夜』

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