中編
時系列が回想から現在に戻ります。
一連のことを話したところ、クララは「なるほど」と軽く頷きました。
「そのような事があったのですね……」
普段は平然と毒を吐くクララですが、今日は何となく同情的です。それだけ、今の私は疲れた顔をしているのでしょう。
「ええ。誤解を解こうときちんと話そうにも、朝は起きたら既にいませんし、帰った時を狙っても旦那様は直ぐに部屋に隠ってしまいます」
話している内に、気分が沈んでいきます。
あれ以降、旦那様は何かと理由をつけて、私との会話を拒んでいます。
信じてくれない旦那様に対する怒りと、それ以上の悲しみ。胸の中はぐちゃぐちゃで、もう、どうすればいいのか分かりません。
「しかし、貴女なら、諦めず部屋に乗り込むくらいはするでしょう」
「…………こっそり見ていたのですか、クララ」
「そんな気がしただけです。……まさか、本当にしたのですか?」
「しましたよ! しましたが追い出されましたッ!」
貶されている気もしますが、クララの言った通り、何度か旦那様の部屋に伺いました。……すべて仕事があると門前払いをされましたが。
「やはり、旦那様は私が浮気をしているとお思いなのでしょうか……」
「端から見ていると、貴女がマリオン様の事を大好きなのは一目瞭然なのですがね」
そう言いつつ肩を竦めるクララ。友人に信じてもらえている事を嬉しく思いますが、そんなにわかりやすいでしょうか。
首を傾げていると、呆れたような目を向けられました。
「私と会う度にマリオン様の話ばかりなのに、分からない訳がないでしょう」
「だ、だって……聞いてくれるのはクララくらいなので、つい」
ぼそぼそと言い訳しますが、何だかこれだと私にクララ以外の友人がいない感じがしますね。いえ、否定はしませんけども!
「つい、で延々とマリオン様との思い出話をされる私の事、考えた事がありますか?」
「それについては、申し訳ないと思っています。というか、私だって、もっと多くの方に旦那様がとても素敵な方だとお伝えしたいです! 私の理想の肉体美をお持ちだというのもあるのですが、それだけではなく、気遣ってくれる優しさ、たまに冗談を言うお茶目さ、時々見せる凛々しい表情、他にも……」
「もういいですよ。わかりましたから」
クララは熱くなる私に冷静にストップをかけた後、疲労を覚えたかのように、指で眉間を押します。
「それで、結局、浮気はしていないんですね?」
「していませんよッ!」
聞き捨てなりません。信じてもらえていると思っていたのに、まさか、一番の友人にも疑われているとは。
怒りを表現する為に、机をばんっと叩いて立ち上がってみました。……少しだけ手が痛いです。
「結婚したのは私なのですから、旦那様の筋肉は勿論、手も足も目も! 髪一筋だって私のものです! ……その筈です!」
段々混乱してきました。いくら友人の前だからと言って、独占欲を曝け出して良いのか迷いましたので、最後に断定を避ける為の言葉を付け足してみます。……何の意味もありませんが。
でも、旦那様に対する気持ちは本物だと自負しています。
最初は旦那様の体つきばかりが気になっていましたが、もう違います。私は、中身を含めた旦那様の全てを愛していると、胸を張って言えるのです。
――そんな風に思える方を裏切るなんて、あり得ません。他の誰にも渡したくないのですから。
「そう思う程夢中になっているのに、浮気なんてするわけがありません!」
「――と言っておりますよ、マリオン様」
クララの言葉は、私に向けられたものではありませんでした。
嘆息する友人の目は、私の後ろ……部屋の入口辺りに固定されています。
「え?」
まさかと思って振り返ったらそのまさかでした。
優しげな面立ち。短く刈られたダークブラウンの髪。青灰色の双眸が、真っ直ぐ私を見ていました。
見間違う訳がありません。本物です、本物の旦那様です。……それにしても、いつ見ても素晴らしい体つきです。
でも、どうして屋敷にいるのでしょう。時間的に、仕事中の筈ですが。
「フランシスカ……」
入口で佇む旦那様に名前を呼ばれました。旦那様の顔が少しばかり赤い気がします。
こんな旦那様は見た事がありません。喋る時には、いつも淀みなく言葉を紡ぐ方なのですが、今は言葉を探しているような雰囲気です。
……もしかして。
「今の話、聞いていらっしゃいました?」
「……ああ」
ここ暫く、いつにも増して冷たい態度だったので、反応してくれたのは嬉しいですが、できればそんな返事は聞きたくありませんでした。
「…………全部?」
こくり、と頷く旦那様。途端、部屋の空気が気まずくなります。
クララに話した事を思い返し、血の気が引いていきます。
どっ、どうしましょう!? 絶対に引かれてしまいました。私には分かります、だって、私も自分を気持ち悪いと思っていますので!
「な、な、な……」
「連れてきたのは私です」
頭が真っ白になる私を他所に、説明してくれたのはクララです。付き合ってられないとばかりに一人椅子に座り、優雅にお茶を続けています。
「元々、ニコラス様に言われていたのです。最近、マリオン様の様子が可笑しいから、理由を探ってくれと」
ニコラス様は、クララの夫にして、旦那様の友人でもあるお方です。
「どう探ろうか考えていたところ、貴女から会いたいという手紙が来ました。私は、これぞ渡りに船と、貴女と会うのを了承したのです」
ところが、とクララが続けます。
「ここに来る直前、マリオン様が私の屋敷を訪れました。ニコラス様から聞いていた通り様子が可笑しかったので、事情を聞いてみたら、フランシスカが浮気をしているかもと言い出したのです」
でも、とクララが私に目線をくれます。
「私は、貴女がこういう方だと知っておりましたので、手っ取り早く仲直りして頂く為に、マリオン様に私達の会話を聞いて頂いたのです」
私は未だに衝撃から立ち直れません。クララの言葉が耳を素通りしていきます。
「ところでマリオン様。浮気だ何だと荒んでおりましたが、杞憂だったでしょう」
「……ッああ、本当に恥ずかしい限りだ。愛する妻を疑った上、濡れ衣だったとは」
友人の策略だったという事は分かりました。しかし、私が必死で隠していた事を暴露されるなんて……。
「クララ、他に方法はなかったのですか……?」
「手っ取り早くと言ったでしょう。文句はマリオン様に言って下さいな。仕事に影響して、ニコラス様も困ってらしたのです」
だからと言って、友人たる私の秘密を、分かってて最愛の旦那様にばらしてしまうとは。……いえ、分かっているのです。本当は感謝すべきなのです。私の為ではないとは言え、仲直りの機会を与えてくれたのですから。
でも、これくらいは許されると思うのです。
「酷いですクララッ、折角隠してたのに、嫌われてしまったではないですか!」
「……それはありえませんよ。後はお二人でじっくり話し合ってみてはいかがですか」
呆れたように言ってのけて、クララは淑女の礼をしました。どうやら、退室するようです。
「それでは、ごきげんよう。良い報告を待っていますわ。……ああ、そこの貴方、主人の代わりに見送って下さる?」
「畏まりました」
クララの言葉に執事が頷き、二人が部屋を出ていきます。
「お二人の仲直りに協力して下さり、感謝申し上げます」
「いえ、元々じれったいと思っておりましたの。……お互いに思っておりますのに、どうして伝わってないのか、不思議でしたわ」
そんなやり取りが聞こえてきました。いえ、聞こえるように言ったのでしょうけど。
部屋に残った私と旦那様で、顔を見合わせます。
そして数秒後。どういう状況かを理解した脳が、考えることを拒否しました。すっと意識が遠くなります。
「フラン!?」
切羽詰まった声が私の名前を呼ぶのを最後に、私の意識は途絶えました。