テレビを捨てよ町へ出よう ~或いはサバイバルな妄想の話~
サバイバル【英:survival】遭難、災害などの生命の危機から、何とかして生き残ること。
Wikipediaより。
日常生活に支障でるくらいに金銭的余裕がなければ、もうサバイバルなんじゃね?と思うんです。
ゾンビやら、奇妙なクリーチャーやら登場しなくても、サバイバル的な要素満載じゃねーですか?と、思うのです。
金銭的に危機って、個人的な見解ですが、経済的遭難だと思うのです。
手許に金がないって、あくまで個人的な意見ですが、過去の自分からの災害やと思うのです。
「くそ、今日の使える金額はあと五百円をきった!」
「だだだだ、大丈夫。あと二分でタイムセールがあの一ブロック先のスーパーで始まるから」
「まてよ、今から走っていっても開始に間に合わないだろ、それなら、ここで…待ってB店の方が…」
「馬鹿言うな、この状況をみろ。卵はA店で既に購入、もやしを除く野菜類は、B店で購入済みだ。のこすは肉類だが、広告チラシによると明日のC店の方が、今日のD店より安い」
「そんな訳ない!だいじょうぶだ!俺たちならやれる」
「その慢心さが、先週の赤字を生んだのよ!わかってる?」「あれは事故だったんだ!おれは悪くない」
「今日は肉なし青椒肉絲でのりきるしかない!」
「それに早くしないと卵が熱でやられる!」
「それで明日につながるなら、仕方ない…でも、おれは諦めないからな!」
などの台詞を宣えば…。
なんというか、…地味ですね。すげぇ、地味。
はっきりと言うならば、絵面が地味そう。
場面:街角。もしくは商店街。
状況:数人の男女。経済的理由で痩せている。ただ生き抜こうと眼はギラついている。手にはスーパーの袋や、エコバックを持つ。使い古したリュックサックには、よれよれになった広告のチラシがみっしり詰まっている。
展開:言い争いをし、幾つかの食材を諦めざるえなくなる。時間との闘いに悪戦苦闘し、一つの結論を出しその場を立ち去る。
まぁ、先日の買い物最中に浮かんだ脳内での独り会話ですし、こんなモンでしょう。
え?
なにが楽しいのかって?
楽しいとかの問題じゃないんです、思いつくです。
思いついちゃうんです。
タイムセールで店内が混雑してる時なんか、やべぇです。
もう、とまらないっす。
ベア・グリルス氏が自作イカダで川下りしたり海にくり出した等の台詞並に「操縦が利かない。このままだと目的(の食材)の場所にたどり着けません」などと脳内再生されてます。
「見てください、自然のオットセイです。アザラシもいますね。群ですね。餌を求めて回遊しているようです」
と、真顔で妄想します。
えぇ、一切表情は変えません。
変えたら負けです。
その妄想の半面で「肉のコーナが人垣で商品が見れん!」とキレていたりします。
大体、そういう場合は諦めてお魚さんのコーナーに逃げますけど。
妄想って、ちょー無害な遊びですよね。
心的あるいは思考とよばれる内面を描写する装置とかあったら別ですけども。
でも、まぁ、こんな妄想につき合って、遊んでくれる友人はいないですしな。
仕方ないですな。
話変わりますけど、海外のサバイバル系動画やら、海外ドラマ、もしくはドキュメンタリー風な番組を見て、それっぽい台詞を仕入れるのですけど、字幕で終始見ているせいか、感情と微妙にニュアンスみたいなものがズレているところが気になったりします。まぁ、気のせいでしょう。
敢えて言おう、英語はわからん。
日本語でおKって奴です。
ニホンゴで観たいわー。
日本でもあんな感じの番組やらんかなー、と思っていた時期もありました。
でも、日本のテレビでは、もはや絶対無理な企画ですね、サバイバル系の番組って。
藤岡弘、さんの“水曜スペシャル”、川口浩探検隊的なやつは今は昔ですしね。
個人的にはあぁいう感じの演出は、好きなので残念です。
“サバイバル術を見せるTVショー”って割り切った企画も難しいのでしょうね。
しかし何故でしょうね。
「やらせ」って演出方法は、日本じゃ「悪」な社会通念なんでしょうか。
日本人は民族意識的に清廉潔白を好むからでしょうか?
テレビで放送されるべきは「真実」でなければならないからでしょうか?
勿論、報道は真実をねじ曲げることなく伝えるべきでしょうし、テレビから流れている情報は国民にとって有益であるべきでしょう。
規制、理念、差別忌避、そんなものは大前提です。
誰かを傷つけない、でも誰も得しない。
そんな時代なのでしょうな、戯言ですけど。
質問:テレビ観ますか?
答え:学生時分に授業で「“隠し撮り”は、“やらせ”よりもインモラルである」という言葉を聞いたことがあります。
そういえば日本のバラエティ番組って隠し撮り多くないか?と思ったときから、テレビを信じるのをやめました。
今は、テレビを観ません。