シノンの過去
「まあいい……あんたは、シノンの記憶を探しているんだね?」
「えっ……」
ロウは驚きのあまり、思わず声を上げてしまう。
シノンはマガネスの一言により、全身に緊張を走らせた。
「私は別に万能な婆ではないけどね、それなりに占術も心得ている。シノンが良いのであれば、占ってやろうか?」
シノンの方を見ながら、マガネスはそう提案した。
シノンは自分で判断を下すことはせず、隣に座るロウを見上げる。
エジルもルミナもなんのことであるかわからず、ただ二人の様子を見守った。
「……なるほど。魔女、という通り名は、やはり伊達ではないのですね。シノン、お前が決めなさい」
「俺は……過去のことを知りたいわけじゃ、ない」
「わかっているよ。……ただ、お前のいるべき場所は、こことは限らない。過去を知り、お前の本当の両親や、友人、大切な人の存在も知るべきだと俺は思う。エジルやマガネスさんもこう言ってくれてる、もちろん無理にとは言わないが……貰えるものは貰っておくといい」
「……」
しばし黙り込んだシノンだったが、ロウの言葉に納得したのか、渋々首を縦に振った。
「わかった。では、早速見てみようかね」
「すぐにできるのですか?」
「ああ。シノン、私に目を見せてくれるかい?」
マガネスは鏡と水晶を取り出し、シノンにそう言った。しかし、シノンは咄嗟にロウの服をぎゅうっと握る。
エジルやルミナと過ごしている間、マガネスの家に入ってからも、シノンはずっと外套のフードを顔が見えないほど深く被ったままで、他人に自分の顔を見られることに極度のストレスを覚えるようだった。
それもそのはずで、自分がフードを取ると、他人は決まって驚く。それからは人それぞれで、汚いものを見るような視線を向ける者、欲望に目が眩む者、珍奇な視線を向ける者、そういった視線を嫌い、シノンは他人の前でフードを外すことを極度に嫌がる。
シノンは幼いうちからこれらを経験しすぎたため、ロウの前以外では決してフードを取りたがらなくなってしまったのだ。
「……ねえ、シノン」
そんなシノンの様子を見たルミナが、自身もずっと被りっぱなしだったフードを外し声をかける。もはや本能に近い何かで、自分と同じ境遇を感じ取ったのか、それは本人にしかわからないだろう。
声をかけられたシノンは、そっとルミナへ視線を向けると、驚き思わず声を上げてしまう。
「え……」
シノンが驚いた理由は、ルミナの髪色と目の色だった。
シルクのようにサラサラの髪は美しい白銀色で、まるで水晶玉のような瞳の色は空色に近い青色。これは保有できる魔力量が非常に高いことを示しており、同時に白銀色の髪は、シノンと同じ戦闘民族の末裔である証。
この世には数少ない血筋となってしまった戦闘民族の末裔・レイヴァは、その高い戦闘能力を狙った奴隷商人、種族特有の美しい容姿を観賞用、または性的対象として捕らえようとする富裕層に目をつけられる存在。
それ故、普段は髪の色を隠して生活せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
「わ、私も、フード取るから……い、一緒に、お互いの顔、知りたいなって……思って……あっでもシノンが嫌なら無理にはいいよ!」
ルミナの手も少し震えているように見えた。
地域によっては、レイヴァを化け物扱いし、宗教上の理由で卑しい存在として差別する者もいる。
シノンはロウと共に世界を渡り歩く存在であるが、考え方というのは人によって違うものだ。もし、嫌われでもしてしまったら、と考えてしまうのは仕方ないだろう。
それでも、シノンと仲良くなりたかったルミナは、相手の顔も知らないまま果たして友達と呼ぶことはできるのか、と、そう感じてもいたのだ。
そんなルミナの姿を見たシノンは、無意識のまま自分のフードも外していた。
緊張で目を閉じていたルミナが、返事が来ないシノンの様子をちらりと窺った時、彼女の目も見開かれた。
同時に、エジルの目も、驚き一色となった。
当然だろう。ただでさえ珍しい白銀の髪のレイヴァが、まさかルミナ以外にも近くにいるとは思っていなかったのだから。
しかも、ただでさえ珍しい青色の瞳も、ルミナのものより深く、濃く、鮮やかな青色であるのは、ルミナよりも遥かに保有できる魔力が多い証だ。
「驚いた……ずっとフードを被っていたのは、ただの人嫌いだと思っていたんだが」
驚いたという顔のまま、エジルがそう呟く。しかし、嫌な顔も、珍奇な視線もなかった。むしろ、自分の娘もそういった反応を嫌って、ずっとフードを被っていたことを知っているからだ。
一方でロウは既に分かっていたかのように、特に反応を見せなかった。ルミナのことに関しても何となく察しが付いていたようで、むしろシノンがこんなにもあっさり、自分のバリアとも言えるフードを外したことを意外に思っていたようだった。
「ルミナと初めましてだな。シノン、これで友達になれるな?」
「……」
嬉しそうに微笑みかけるロウに対して、シノンは視線を落とす反応だけを返した。目を逸らすという行為は否定のようにも捉えられるが、シノンがただ視線を落とすという場合は、少し照れ臭く、上手く言葉にできていないだけである。
ルミナが自分と似た容姿をしていたことで、先程よりずっと緊張が和らいでいるようだった。
「……わ、び、びっくり、した。シノンも、私と同じ種族の血を持ってるの?」
驚きを隠せず、思わずそう呟くルミナ。シノンは未だ口を開かないが、ルミナは嬉しそうに笑みを浮かべて何度も手を叩いている。
自分と同じ髪の色を持つ人間など、これまで一人も見た事がなかったのだろう。
同じ境遇で、同じ種族の血を持ち、同年代の友人。
ルミナにとって、こんなにも仲良くなりたいと思える人はこれまでおらず、本気でシノンと友人になりたいと、そう思うようになっていた。
「シノン、シノン。同じだね、私、ずっとこの髪の色が嫌だったけど、シノンと同じって思ったら、すっごく嬉しい! これからも仲良くしたい! いいかな?」
シノンの手を握り、嬉しそうに話すルミナ。そんな彼女の様子を見て思わず表情筋が緩むシノン。
口には出さなかったものの、全く嫌な気はしないといった表情で、無言のまま頷いた。
「わあ〜! やった! これからよろしくね、シノン!」
これまでにないほどはしゃぐルミナを、エジルもロウも嬉しそうに見守っていた。
ロウはシノンの頭をくしゃくしゃになるほど撫で回し、エジルは嬉しそうなルミナを見て思わず笑ってしまった。
「じゃ、そろそろ始めていいかい?」
四人のやり取りが終わるのをじっと待っていたマガネスが、口を開いた。
彼女には全てお見通しだったようで、特に驚いたりもせずにこにこしながらシノンの方を見ている。
「おばあちゃん、おばあちゃんはいつでも何でもお見通しなのに、シノンの、記憶? は、わざわざ占いをしないと見れないの?」
「見れないんじゃないよ。見ないようにしてるのさ。誰だって、見られたくない過去の一つや二つあるからね。それを私に勝手に覗かれていたら、誰だって嫌な気分になるだろう?」
「あ、そっか。なるほど。やっぱりおばあちゃんってすごいんだね!」
先程までの緊張などまるでなかったかのように、ルミナは話していた。
シノンと友達になれたことがよほど嬉しかったのだろう。
「では始めるよ。シノン、私に目を見せてくれるかい?」
優しい口調で、マガネスはシノンへと問いかけた。シノンが緊張で心を閉ざさないよう、ゆっくりと。
静かに頷いたシノンは、そっとマガネスの目を見る。彼女の鮮やかな赤色の瞳は、保有できる魔力量自体は平均の数値であることの証。それでも、魔女という二つ名を世界に轟かせた預言者マガネスの魔術の腕は、世界でもトップクラスであったと言われている。
正確な予言も残す彼女に占ってもらう、それは一世一代のチャンスなのだ。
数秒とせず、マガネスは鏡に映し出された水晶玉の映像を覗き込む。しかし……
「……? なんだい、これは?」
「お師匠様? どうした?」
「……」
困惑したマガネスの声に、質問を投げかけたエジル。そしてマガネスはそんなエジルの問いに答えることはなく、深く考え込むような仕草をとる。
「……シノン、あんた、夢は見るかい?」
「……まあ」
「夢?」
マガネスの問いにシノンが頷き、ルミナが首を傾げながら聞き返す。
「私も、こんなのは見たことがない……だが、数少ない文献に残っている特徴からしておそらく……これは幻夢龍だろうね」
「幻夢龍?」
それに聞き返したのはエジルだった。
聞き覚えはあるが、幻・伝説とされ、その存在すら御伽噺であるとされる龍の名前だ。
幻と夢を司る太古の龍で、最も長い時を生きていたとされる原初の龍。
幻夢龍を祀る民族もいるという噂があるものの、存在自体危うい龍など御伽噺として伝えられており、名前すら知る者も少ない。
「幻夢龍とは、このインフュアという世界に初めて現れた太古の龍……古龍と呼ばれる存在だよ。夢と幻覚を操り、龍族を生み出し、神に近い存在と崇められたとされているんだよ。……シノン、あんた何者だい?」
「……」
記憶のないシノンには答えようのない質問である。
マガネスもそれはわかっている。しかし、思ってもみない占術の結果に、長い時を生きている彼女でさえ、動揺を隠せないのだ。
何故存在すら危うい幻夢龍が、占術の結果として現れたのか、何故シノンと関連しているのか、この結果の示す意味……その全てを、ここにいる誰もが理解出来ていなかった。
「夢とは神秘的な存在さ。シノン、これからは、夢の内容を軽んじないようにしな。きっと、あんたにとっては大事なものを見せてくれるはずさ。私から言えるのはこれくらいだね」
何も見えなくなってしまった水晶と鏡をじっと見つめながら、マガネスは少しだけ悔しそうな顔をしていた。
この中の誰よりも長く生きている、誰よりも豊富な経験と知識を持っているという自信のあったマガネスは、間違いなくロウやシノンの力になれると信じていた。
しかしその結果、幻夢龍という謎に満ちた存在とシノンが何かしら関係があるかもしれないという事実を見つけられたのみで、シノンの過去に関する情報は何一つ得られなかった。
「……亡くした記憶を取り戻す大きな手がかりくらいなら、見つけられると高を括っていたよ。私もまだまだってことかね……すまないね」
「いや、マガネスさんが謝ることではないですよ。幻夢龍、なんて初めて聞きましたし、それとシノンに何かしらの関係があることがわかったんです。有難いことです。マガネスさんに占ってもらわなきゃ、それすらも分からなかったですよ」
悔しそうな、申し訳なさそうなマガネスに対して、ロウは即座にそう返した。
実際、シノンと幻夢龍にどのような関連があるのかはわからないものの、シノンと幻夢龍を結びつける何かを探せば良いのだから、何も分からないまま闇雲に探すよりずっと楽だろう。
シノンの過去を取り戻すための大きな一歩を踏み出せたことで、ロウはマガネスに大きな感謝の念を抱いていた。
「私も、幻夢龍についてもっと調べてみよう。なにか進展があったら報せるから、またいつでもここに来るといい」
「ありがとうございます」
ロウは頭を下げ感謝の意を示した後、マガネスが用意してくれたお茶を啜る。緑茶特有の渋みがありながらも、甘みが口いっぱいに広がり、非常に飲みやすいものだった。
「美味しいですね、これ」
「ライザが育てているんだよ。ああ、ライザってのは、これの兄弟子だよ。裏に畑があってね、そこで採れた新鮮なものさ。いくつか土産に包んでやろうか?」
「良いのですか? では遠慮なく」
ロウとマガネスがそんな会話をしている間、それまで我慢して黙っていたルミナはシノンへと質問を投げかける。
「……シノン、シノンって、記憶がないの? 本当のお父さんもお母さんも……覚えて、ないの?」
恐る恐る、といった様子で、言葉を慎重に選びながら問うルミナ。しかしそんなルミナの気遣いなど不要だとでも言うようにあっけらかんとした態度で、シノンは答えた。
「まあ。確かに、六歳以前の記憶はない」
「六歳!? そんな小さい頃から……寂しくはないの?」
「別に。俺の父はロウだけだから」
チクリ、と胸を痛めるルミナ。自分と同じくらいの、厳密に言えば一歳下の十二歳、そんな歳で自分の過去を全て忘れてしまっただなんて、ルミナには全く想像もできなかった。
何か力になりたいが、自分に出来ることがわからず、苦虫を噛み潰したような顔をしたままルミナは俯いていた。