ソラとの会話
読みたい本も全部読めて、昼食をとった後。
「はぁ。暇だ。」
さすがに暇になった。
テラは俺が本を一冊読み終えたあたりから居なくなった。
話し相手もいないので、つまらない。
俺はもう歩くのは大丈夫なくらい回復していた。
そのため、散歩にでも行こうと思っても、周りがそうはさせない。
俺がトイレに行こうと部屋から出ただけで
「どちらへ行かれるのですか?」
と召使が来るので他の仕事をしつつ、常時監視はしているらしい。
「散歩にでも行こうかと...」
と言おうものなら
「主。もう忘れたのですか?」
と、さらに人数が増えて俺のことを取り囲む始末だ。
おかげで仕事は出来ないし、気分転換に出かけることも出来ない。
ここまでくると折角の休日が台無しだ。
「窓から抜け出すか...。」
そろりとベッドから窓の方へ動いていると
「ナイトー?」
突然名前を呼ばれてドキッとした。
大慌てでベッドに戻ろうとした時、脛をベッドの縁にぶつけた。
「いっ!!!」
あまりの痛さにうずくまる。
少し経って入ってきたクラが、俺がベッドの上に居ないことに気づく。
「あれ、ナイト?」
俺はズルズルとベッドの上に這い上がった。
「えっと、大丈夫?」
苦悶の表情でベッドの上に姿を現した俺を見て声をかける。
「あ、あぁ。大丈夫だ。」
俺はうつぶせの状態でそう答えた。
さすがに脛を強打したなんて言ったら、何を言われるかわかったもんじゃない。
ズボンを少し捲ると大きな青痣ができていた。
俺は平然を装い、ベッドに座ってクラの方を向く。
「それで。今度はなんだ。」
本当に大丈夫?と何度も聞くクラに、適当に頷く。
「まあいいけどさ...。」
ちらりと窓を見たクラは、小さく溜息をついた。
薄々勘付いてはいるようだが、何も言わない。
そのまま目をキョロキョロと動かすと、何かを思い出したかのように、あっと呟いた。
「そうそう。コレを言いに来たんだよ。」
クラは手を(と言ってもカラスなので翼だが)ポンッと叩いた。
「おまたせしました!」
「何をだ。」
クラがにこにこしながら翼をはためかせる。
比べて、何が何だかさっぱりわからない俺は、少々不機嫌だ。
「まぁ見てなって。入って。」
そう言って部屋の中に入ってきたのは、
「...ソラ?」
数日前の状態とは全く違う、別人の女がそこにはいた。
俺は訝しげに聞いた。
「...えっと、はい...?」
ドアの前で両手を広げて、こちらを見てくるソラ。
どうやら正解らしい。
「えっと...。」
どういう状況なのかさっぱりわからず、二人で助けを求めてクラを見る。
クラはニヤニヤとしながら
「感想は?」
俺はクラとソラを何度も交互に見る。
ドアの外には満足気な召使達がいた。
「あ、まあ、いいんじゃないか?」
「えぇー。もっとなんかあるでしょ?」
クラに言われて、俺はもう一度ソラを見る。
薄汚れてぼさぼさだった髪は、明かりが反射するくらい綺麗な金髪になった。
軽くウェーブがかかっているため、ふわふわしている。
耳の横には髪が編み込まれていた。
肌は透き通るように白く、緊張しているのか、頰は若干ピンク色だ。
召使につけてもらったのであろう、ピンクの口紅がよく似合う。
「こちらの服はですね...」
召使の一人が服について説明してくれた。
流行り物らしい。
確かによく町で見かける。
このワンピースの形はノースリーブ型の青色で、別にトップスを着ている。
ワンピースの丈は膝より上で、二段重ねになっている。
腹の部分はコルセットようなデザインだ。
中に着ている白いトップスの袖は半袖で小さいボールのような形をしている。(パフと言うらしい。)
気になる点としては、襟ぐりが深くて胸が見えそうなところと、スカートの丈が短いところだ。
デザイン自体は、昔、西の方の国で流行っていたものと似ている。
靴は、若い娘が履いているような踵の高いものでは無く、低い革靴だった。
ソラのことだから、高い踵のモノでも履いて転びそうになったに違いない。
足を見ると、クラが言っていた通り、傷は前に見た時よりも良くなっていた。
治りが俺同様、早いらしい。
もう一度、ソラの顔を見ると、目が合った。
なんだかいけないものを見ているような気分になり、すぐに逸らした。
その様子をクラがニヤニヤと見ていた。
「それで、どう?」
召使達が期待した目でこちらを見ながら、一歩だけ部屋の中に入った。
俺は軽く咳払いをした。
「...見違えた、と思う。」
クラは意地の悪い笑みを浮かべた。
「えぇ~?よくわかんなーい。」
「だから、その、可愛くなったな、と...。」
「おぉー。」
召使達が軽く歓声をあげて、拍手をしようとしてやめた。
なんだこの拷問は。
クラは相変わらずニヤニヤと笑っていて、ソラは少しだけ俯いていた。
あまりに反応が無いので、なにか悪いことでも言ったか、と不安になっていると、
「よかったね。褒められて。」
クラにそう言われてコクコクと頷いていることから、ソラはただ照れていただけなのがわかった。
ソラを見ていると、何か違和感があった。
「ん?」
目の色が青い?
「なぁ。ソラの目って赤じゃなかったか?」
「あ、それね。
さすがに赤だと目立つからさ。
目の色を変えられるモノを買ってもらったって聞いた。」
「何だそれ?」
「カラーコンタクトって言うらしいよ。」
「からあこんたくと?」
国の外から入ってきたものとファッションに関しては疎い俺がもう一度繰り返した。
「"こんたくと"ってなんだ?」
「最近向こうの国で作られた、目に入れるメガネみたいなモノだって。」
「メガネを入れて、痛くないのか?」
ソラの方を見ると、小さく頷いた。
確かにメガネを使わないで生活できるのは便利そうだ。
今後国全体に広まっていくだろう。
「じゃあ"からあこんたくと"っていうのはなんだ?」
「さっき言ったコンタクトに色がついてるやつ。
目の色が変えられるんだって。」
そんなモノがこの国にも入ってきているなんて、知らなかった。
「ってことはあれか。その"こんたくと"ってやつに絵の具でも塗ったのか?」
「いや、僕が作ったわけじゃないから知らないよ。」
だんだんクラは俺の質問に答えるのが面倒になってきたらしい。
俺は質問するのをやめた。
「...。」
「...。」
いつの間にか、召使達は居なくなっていて、部屋には俺とクラとソラの3人だけだった。
空気が重い。
クラはそっぽを向いていて、何か話すつもりも無いらしい。
俺からも特に話すことは無い。
ソラだけが困惑した様子でキョロキョロと部屋を見渡していた。
暫く経った後、俺はベッドに潜り込んだ。
「俺は寝る。」
ずるずると布団を引っ張り、頭から被った。
「そう。じゃあ僕も戻るよ。」
素っ気なくそう返したクラは、部屋を出て行った。
足音が聞こえなくなった頃、俺は溜息をついた。
そういえばクラ達が来る前まで暇だったのだ。
クラ達が居なくなってしまえば、また暇になってしまうのは当然だ。
どうでもいい話でもして引き留めればよかったと後悔した。
暑くなって布団をガバッと退かして起き上がると、まだソラがいた。
「うわっ。」
てっきりクラと一緒に出て行ったのかと思っていたので、驚いて声を出してしまった。
気を悪くしてしまっただろうか、と様子を伺っていると、ソラはキョトンとした顔でこちらを見た後、少しだけ笑った。
「えっと、呼び方。
ナイトさん、でいいか?」
ソラが突然喋り出した。
いや、喋り出したというのも失礼か。
先程とは打って変わり、硬い表情で聞くソラに、ぎこちなく頷いた。
ソラの声は柔らかくて透き通っているが、思っていたよりも少しだけ低い声だった。
「ところで、なんだ。
何か用か。」
愛想のない言い方だったと後悔した。
しかしソラは、あまり気にしていない様子で、近くにある椅子に座った。
椅子に座った後も、ソラは俺の質問に答えず、ただじっと俺を見ていた。
何か話題は無いか、と頭を働かせていると、唐突にソラが言った。
「ナイトさん、は我の敵か味方かどちらなんだ?」
俺はこの間クラに聞かれたことを思い出す。
ソラの傷はだいぶ癒えた。
もうこの屋敷を出て過ごしても大丈夫なくらい。
ソラは扱いとしては客人だ。
もし俺がソラを敵だと言ったら、この屋敷の主人である俺の指示に従わなければならない。
実は今日読んでいた本は、ソラについての情報を得るために、昨日の夜テラに探してもらい、今日の朝持ってきてもらったものだった。
テラが屋敷に居なかったのもこのためだ。
しかし、どの本を読んでも有益な情報は得られなかった。
やっとわかったのは、ソラが住んでいた村はこの国の奥地にあるということだけだった。
行き方さえもわかっていない。
つまり、ソラが俺達にとって安全な存在かどうか確証が得られていないわけだ。
俺はソラの姿をもう一度見る。
綺麗に整えられた髪を見た。
無意識に、なんとなく手を伸ばして、ソラに掴まれた。
若干警戒の色が混じった目をしていた。
俺は何をしているんだ、と手を引っ込めようとしたが、ソラが手を離さない。
眉をひそめて、ソラを見た。
警戒はしていないが、感情が読み取れない表情でこちらをじっと見てくる。
俺は溜息をついた。
「ソラはどちらがいい。」
まさかそう返されるとは思っていなかったのだろう。
掴んでいた手が緩んだ。
俺はやっと手を引っ込めた。
屋敷の者達の安全を考えると敵だと言う方が得策だ。
だが、ソラの様子を見て、召使達の様子を見て、ソラを追い出すべきかどうか判断がしにくくなった。
なんとなく、ソラの希望が知りたくなった。
最悪、敵だった場合、俺が倒せばどうにかならないこともないだろう。
うんうんと唸りながら考えるソラに俺はもう一度聞いた。
「何で悩んでいるんだ?」
ソラはこちらを見て、口を開いた後、また閉じた。
そのまま少し俯いて、ぼそぼそと喋り出した。
「我はナイトさんに味方になって欲しい。だが、ナイトさんに迷惑がかかるかもしれない。それは嫌だ。それと...」
つらつらと理由を述べるソラを見て俺は小さく笑った。
「もう迷惑なんて十分かけてるだろう。」
「....だが...もっとかけるかもしれない...。」
初めて会った時の、ヴァンパイアのことを言っているのだろうか。
「そのくらい俺がなんとかする。
味方になって欲しいんだろ?」
俺は優しくソラに聞いた。
ソラは上目遣いでこちらを見た後、小さく頷いた。
「じゃあ、俺はソラの味方だ。」
俺はまたソラの頭に手を伸ばしたが、体を強張らせるだけで、手を掴みはしなかった。
そのまま、二回頭を軽く掌で叩く。
俺が敵か味方か言わなかったせいで、ずっと悩んでいたのだろうか。
ソラの立場からしてみれば、いくら助けられたからといって、この屋敷が絶対に安全かどうかはわからない。
もしかしたら、助けた恩を返せと言って襲われる、なんてこともあり得ないわけじゃない。
そう考えると、悪いことをした、と思った。
「悪かった。俺が決められなかったばっかりに。」
ソラは俺のことをちらりと見ると、俯いて、太ももの上で広げた自分の両手を見た。
「素性を知らない相手を信用しろという方が難しい。」
俺は目を丸くした。
「気づいていたのか。」
「ナイトさんは、この屋敷を守る義務がある。当然だ。」
ソラも馬鹿ではないらしい。
屋敷の者の目を盗んで、この家のことについては調べたらしい。
「ナイトさんが有名で助かった。」
「有名でって...。」
俺は苦笑した。
確かに俺の家系は、歴史書の最初の方に載るくらい有名ではあるが、本拠地であるこの屋敷に自分の家系についての資料が無いわけがないのだ。
「そういえば、ソラについて教えてくれないか。」
すると、ソラの顔が強張った。
「今は、言えない。」
無理に聞くのも悪いと思い、今は深く聞かないことにした。
「気が向いたら話して欲しい。」
「...わかった。」
ソラがいつまでここにいるかはわからないが、俺のことを十分信頼してくれたら、きっと話してくれるだろう。
何か話題は無いか。
そう考えていると、あることに気づいた。
「そういえば、口調変わったな。」
ソラは、しまったという顔をして、ばっと両手で口を抑えた。
「すみません...。」
その様子が少しだけ可笑しくて、俺は笑った。
「いや、そういう意味じゃなくて、さっきのがソラの素なんだな、と思って。
あまり自分のことを"我"って言う人に会わないから。」
それに自分に対して敬語を使わない女性というのも新鮮だった。
「クラに、自然体の方が良いと言われた。
"我"という言い方が嫌だったら、"私"に変える。」
少しだけしょんぼりした様子で言うソラ。
その様子も、なんだか面白かった。
「ソラが好きな方で構わない。」
昔の人みたいで面白いから、というのは言わなかった。
「どうして自分のことを"我"って言うんだ?」
「昔読んだ本で、皆自分のことを"我"って言っていた。」
どんな本だか少々気になるが、あることに疑問を持った。
「親も"我"って言ってたのか?」
すると、ソラの表情が曇った。
「親は、自分のことを言わなかった。
いつも、"はい"か"いいえ"か"ごめんなさい"しか言っていなかった。」
ソラがどういうところで暮らしていたのかはわからないが、親が周囲からどんな扱いを受けていたのか、なんとなく想像がついた。
しかし、つい先程、自分のことは今度話すと言った。
両親について深く聞くのは今では無いだろう。
「そうか...。」
この話は終わりにしようと思い、また違う話題はないか、と考えていると、今度はソラから話しかけてきた。
「えっと、ナイトさんは仕事はしているか?」
「ん?あぁ。まぁな。」
俺は窓を指差した。
「あの向こうに国境がある。そこで仕事をしている。」
ソラは立ち上がって窓から外を覗いた。
「国境?」
「ああ。橋の近くにある建物が俺の職場だ。」
キョロキョロと外を見渡した後、困惑した顔でこちらを見た。
「橋なんて無いぞ?」
「ここからじゃ見えない。」
「なんだ。探して損した。」
むっとした顔で椅子に座る。
少々ご立腹のようだ。
「そんなに見たいなら、今度誰かと見に行ったらいい。」
すると今度は目を輝かせて、こちらを見た。
「じゃあ、明日。行こう。」
うきうきした様子で話すソラ。
俺は親のような気持ちで見ていた。
「明日?そうだな。行ってきたらいい。」
すると、またむっとした表情をした。
「ナイトさんと行くのだが。」
「え、俺?」
まさか俺と、とは思っていなかった。
「え、クラとかと行ったらいいじゃないか。」
「ナイトさん、まだ仕事に行けないって聞いた。
気分転換は大事だ。」
どうやら、俺の為でもあるらしい。
「でもな...テラに止められると思うぞ。」
「私からお願いする。」
全然引き下がらないソラに、俺は折れた。
「じゃあ、テラの許可が出たらな。」
「わかった。楽しみにしてる。」
ソラは鼻息を荒くしながら、ギュッと両手を握った。
何がそんなに楽しみなのか俺にはわからないが。
少しだけテンションが上がっているソラを見て、あることを思い出した。
「そういえば、ソラはいくつだ。」
「歳のことか。16になったと聞いた。」
聞いた、ということは、生まれ年も誕生日も、自分ではわかっていないのだろうか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
「ソラは読み書きは出来るか?」
「読み書き?読むのは出来るが、書くのはあまり経験がない。」
「ソラは学校、って知っているか?」
「がっこう?聞いたことはない。」
朝、テラからこの話をされた。
学校に通わせる、ということにまで頭が回っていなかった。
「知識を得る場だ。そういうところに行った経験は?」
「ない。ずっと部屋の中で本を読んでいた。」
今度は俺は顔を曇らせた。
この国では10歳から18歳になるまでの8年間、教育を受けることが義務付けられている。
しかし、飛び級制度というものが存在する為、18歳以下でも教育課程が終了していれば、学校に行く必要は無い。
(俺も18歳だが、その制度を利用して15歳で終了した。)
しかし、学校に行ったことがないということは、ソラは長い間軟禁状態だった、ということになる。
この国では、皆国民の証として、生まれてすぐに、国に出生届を提出しなければならない。
年齢に達した際、国が確認をして、子どもが亡くなっていない場合は学校に通わせるように通知が行くはずだ。
学校に来なかった場合の確認も役人がしに行くように決められている。
だが、ソラは学校に行っていなかったと言っている...どういうことか...。
色々と考え出したために、突然黙った俺を心配そうにソラは見つめた。
「ああ。悪い。」
駄目だ。
自分のことは今度話してもらうと約束したのだから。
今は考えるべきではない。
俺は首を振って、ソラの方を向き直した。
「俺は仕事があって、ずっと構うことは出来ない。
それにソラは16だ。
多くの知識を得るべきだと思う。
だから、俺が仕事でいない間は、学校に行ってもらう。」
「ふむ。つまり、"がっこう"とやらに行けばいいのだな?」
「まあ、そうだ。
それと、ソラはここら辺で他に行くところは無いんだろう?」
そう尋ねると、ソラは小さく頷いた。
「気の済むまでこの屋敷に居ていい代わりに、学校に行ってもらう、っていうことでいいか?
必要な道具はこちらで用意する。」
そう聞くと、ソラは顔を輝かせた。
「ここに居てもいいのか?」
そっちか。
学校についてよくわかっていない為かもしれない。
「ああ。」
まあ、命からがら逃げ出したところに帰れ、なんて言えるはずもなく、魔女が少なくなったこの世界で、外に放り出す方がなにか問題が起きた時のことを考えると俺の心臓にも悪い。
近くに置いておいた方が、問題が起きたとしても対処がしやすい。
それに、この屋敷は広い。
人が一人増えたところで何も問題はない。
「あと、学校は編入試験を受けてもらわなければならないから、文字を書く練習はしておいた方がいい。
理事長は俺の友人だから、事情を話すことはできるが、免除というわけにはいかないからな。
屋敷の誰かに教えるように話しておくから。」
「わかった。」
もう既にテラから話を聞いた時点で、手紙を出した。
夕方までには返事が来るだろう。
嬉しそうに頷くソラ。
さっきから様子が変わらないのを見ると、まだ屋敷のことで喜んでいるのだろう。
「そんなにこの屋敷にいれるのが嬉しいのか?」
「ナイトさんの家、皆優しい。こんなの初めてだ。」
本当に嬉しそうに笑うソラだが、言っていることには、今までの自分の扱いがどんなものだったかを物語っていた。
一通り話が終わったところで、ソラは部屋から退出しようと立ち上がった。
「楽しかった。ナイトさんも良い人だ。」
「そうか。ありがとう。」
面と向かって良い人、と言われるのもなんだか照れ臭い。
「そうだ。ソラは今のところ客人ではあるが、俺の友人でもある。
呼び方はナイトでいい。」
「え、本当にいいのか?」
キョトンとした顔でこちらを見る。
なぜそこまで不思議そうな顔をするのだろう。
「ああ。」
「そうか。わかった。これからはそうする。」
小さく、ナイト、ナイト、と繰り返しているのを聞いていると、こちらまで恥ずかしくなる。
咳払いをすると、ソラは繰り返すのをやめた。
「そういえば、なんでそんな不思議そうな顔をしたんだ?」
純粋に疑問だった。
口調は若干上からだったのに、呼び方だけ"さん"に拘っていたのだろうか。
「ん?
クラにそうした方がいいって言われたんだ。
ナイトさ...ナイトが怒るぞ、って何度も言われた。」
「クラが?」
「あぁ。」
俺は首を傾げる。
今まで、名前くらいでそんなに怒った記憶は無いのだが...
仕事をしている時に会う小さい子どもなんて、俺のことなんか平気で呼び捨てだ。
もちろん、そのことで怒ったことなど無い。
「もういいか?」
ソラも小首を傾げて言った。
「ん?ああ。またな。」
俺が言うと、ソラは軽く手を振って部屋を出て行った。
ソラがいなくなった後、俺はベッドから窓の外を見ながら考えていた。
「...クラが言っていたってどういうことだ...?」
正直言って、どうでもいいことではあるが、何か引っかかっていた。
名前のことで愚痴を言った記憶もない。
何故クラがそういうことを言ったのか、よくわからなかった。
「クラとは長い付き合いだけどなあ...」
そこでふと疑問に思う。
クラと俺はいつ会ったんだ?
クラは気づいたら近くにいた。
だが、明確なタイミングを覚えていない。
生まれた時からか、途中で拾ったか。
それに、クラの本名も出身も知らない。
知っているのは、変幻が得意な魔術師というだけだ。
名前は、「クラ」と呼び続けていた為か。
きっとたまたま忘れているだけだろう。
「まぁ、いいか。」
俺は深く考えないことにした。
しかし、このとき、考えるのをやめてしまったのが一つ目の間違いだった。
もっと調べるべきだったと、後悔することになる。