第二章不良コーチのまともじゃない指導 4
『ガヤガヤガヤ……』
雑踏の中で声が重なりあい、意味を成さない一つの音になって耳に響く。
「ねえ……尾上。一体どの高校に向うの? この辺りだと城西高校か、南本郷高校があるけど……」
隣を歩きながら智衣が尋ねる。大きなバックの中には柔道着が入っていた。その隣には笹倉が医療キッドを持って歩いている。
「あ? もう直ぐ着くぞ」
尾上は欠伸をしながらそれに答えた。そして携帯電話を取り出す。
「おう。今、着いたわ…………ん。分かった。じゃあ上がらせて貰うぞ」
尾上は携帯を着ると雑踏の中、ふと立ち止まった。
「? ちょっと、急に止まってどうしたのよ?」
「いや、目的地に着いたんだが」
「目的地、学校なんてこの辺に無いじゃない」
智衣は辺りを見渡した。しかし、そこはビルが立ち並んでいるだけで、学校らしき物は無かった。
「は? さっきからお前は何を言っているんだ? 学校とか何とか」
「え、だって貴方が練習をするからって……他校に練習しに来たんじゃないの? 私柔道着を持ってきたんだけど」
「ああん? 俺は一言もそんな事言ってないぞ? さっきからやたら荷物持っていると思ったらそんな邪魔な物を持っていたのか……はあ、まあ良い。いいか? 俺達が今日用事があるのはこのビルだ」
尾上はそう言って正面にあるビルを指差した。それを見て智衣は看板を見る。
『スタジオファイン』
看板にはそう書かれていた。智衣はそれに首を傾げる。
「ここで柔道をやるの?」
「やるわけねえだろボケ。本当にお前の脳みそは柔道で出来てんのか? いいから来い。入るぞ」
そう言って尾上はツカツカとビルの中に入っていく。智衣と笹倉は慌ててその後を追った。
「よう。来たぜ」
ビルの最上階に着くと尾上は大きな声でそう言った。
智衣と笹倉は恐る恐る建物の中を眺める。
そこは真っ白い部屋だった。床はカーペットが敷かれており、歩くとフカフカする。殺風景と言ってもいいほど何も無い部屋だったが、何故か強い光を放つ証明と、立てかけたられた白いシートが目に付いた。
「な、何の……この部屋」
異様な光景に智衣と笹倉は身を寄せ合う。
「おお! 尾上! 来たか!」
すると部屋の奥から腹の底にまで響く声が聞こえて来た。そしてそれと共に現れたは声に相応しい人物だった。
「久しぶりだな軍艦」
「ああ、久しぶりだ」
軍艦と呼ばれた男はそう言ってニッコリ笑う。
軍艦はピチピチのTシャツを着たマッチョの男だった。小麦色に焼けた肌は恐らく日焼けサロンで焼いたのだろう。とにかく見た目が厳つい男だった。
「お、そっちが例の女の子か?」
「ああそうだ。今日は宜しく頼む」
「ああ、任せろ。記者も何人か呼んである。この素材ならいい記事を書くだろう」
そう言いながら軍艦はズイっと智衣たちとの距離を縮める。
「始めまして。佐伯弘蔵です。親しい人間からは軍艦と呼ばれています」
「え、ああ……は、始めまして」
握手を求める軍艦に圧倒されながらも智衣は何とかそれに応じる。
「うん。可愛いな。それに……こっちの眼鏡の子も可愛い。尾上、二人か?」
「いや、そっちは違う。ポニーテールの方だけだ」
「そっかそれは残念」
軍艦がニコッと白い歯を見せながら笹倉に笑いかける。すると笹倉は智衣の後ろに隠れた。
「ああ~別に心配しなくても大丈夫だぞ。軍艦はゲイだからな。女には手を出さない。貞操が危ないのは寧ろ俺の方だ」
「ふふ、そうだな。相変わらず良い男だ。私よりも弱かったら無理矢理襲っていたのにな」
「…………今ほど柔道をやっておいて良かったと思った日はねえぞ軍艦」
旧知の仲だという事が良く分かる遣り取りだった。しかし――。
「ねえ、何なのここ? 私達は一体何をさせられるの?」
智衣が我慢出来なくなったかの様にそう言った。それに軍艦は目を開く。
「何だ尾上。説明していなかったのか?」
「ああ、来れば分かるし、目的地を言って辺に揉めるのも面倒臭かったからな」
「はぁ……ふふ、お嬢さん。ここは撮影スタジオだよ。主に女優さんが来て撮影会をやったりイベントを行っている。俺はプロのカメラマンだよ」
「カメラマン……はぁ……」
智衣は全くピンと来ていない様だった。だから尾上が補足する。
「まあ要するにこれからグラビア撮影をするんだよ。お前の」
「そう撮影………………って、えええええええええええええええええええええええ!」
智衣が体を跳ね上げて驚いた。それを見て尾上がははははははと笑う。
「な、な、な、何で! 私がそんな事をしなくちゃならないのよ! ば、馬鹿じゃないの!」
「必要だからだよ。勝つ為に」
「何で必要なのよ! 関係ないでしょ!」
智衣が上半身を隠すようにしながら叫んだ。それに尾上は首を振る。
「関係ある。いいか? お前もスポーツするんだから知っているだろう。アウェーとホームの違いを」
「!」
尾上の言葉に智衣はビクッと体を震わせる。
「綺光高校柔道部の人数は現在二人、戦うのは確かにお前かも知れない。しかし、声援してくれるのは笹倉だけなんだぞ? それ以外はお前に興味が無いか敵だ。更に言うと相手の高校によっては部員が百人を超える所もある。お前はそんな空気の中一人で戦わなきゃいけない。この心理的なプレッシャーが理解出来るか?」
「そ、それは……でもそれとこれに何の関係が?」
尾上はズビっと智衣を指差す。
「これからお前は美少女格闘家として世の中に出る」
「…………はぁ?」
「美少女格闘家として世間の注目を上げるんだ。お前ははっきり言って柔道の才能は皆無だ。というかかなり不器用な方だ。だが幸いな事に容姿は超一流だ。そうだな笹倉?」
「はい! 一番です!」
笹倉は即答だった。
「だからそれを利用する。美少女格闘家が必死に練習して全国優勝する。そんなサクセスストーリーを描き、世間にもそれに乗ってもらう。そうすればお前は万の応援を得て逆に相手には勝ち辛いという印象が残る」
「そ、そんな……そんな事しなくても頑張って強くなって正々堂々戦えば――」
「負けてもいいってか?」
鋭い口調で尾上が制止する。
「正々堂々やれば負けてもいいってか? ふざけるな。お前が今言ってるのは負けた時の良い訳だ。一生懸命やったから、精一杯やったからしょうがないって、勝つ為の努力を怠った事を肯定している。それは決して素晴らしい物じゃない。お前は今、正々堂々卑劣な事を言っているんだぞ? 分かっているのか?」
冷めた眼つきだった。もしここで智衣が正解を間違えれば尾上は智衣を見捨てるだろう。そんな眼つき。
「わ、分かってるわよ。ちょっと訳が分からなかったから不安になっただけ」
「そうか……なら良いんだ。じゃあ後は軍艦の言う事を聞け。俺は煙草吸ってるから」
そう言って、尾上はさっさと室内から消えて行った。
「もう! 何なのよ、あいつは!」
完全に姿が居なくなってから智衣は地団駄を踏む。
「ふ、相変わらず不親切な奴だな。まあこっちは仕事だから良いが。じゃあお嬢さん、この衣装に着替えて来てくれるかな?」
軍艦は智衣に紙袋を渡した。智衣は戸惑いながらもそれを受け取る。
「じゃあ準備が出来たら撮影開始だ。そっちの眼鏡のお嬢さんも手伝ってあげてくれ」
軍艦の指示通り智衣と笹倉は控え室に向った。そして智衣はその中で紙袋の中の物を取り出す。
「…………ちょっと、何これ?」
智衣はそこに入っていた衣装を指でつまみ固まる。
「あ、メイド服だね。可愛い」
「可愛いってさくちゃん。こんな恥ずかしいの私着たく無いよ。それに何かこれ露出多くない? スカートが短い」
「本当に……そうだね」
笹倉は目を丸くしていた。
「ちいちゃん手伝うよ」
「え、着るの前提なの?」
「え、あ、ご、ごめん。だってちいちゃん凄い似合うと思って……つい」
笹倉は恥ずかしそうにモジモジと指を絡ませた。それに智衣は大きな溜息を吐く。
「しょうがないわね。あの馬鹿尾上の言う事を取りあえず聞いてみましょう。これで効果が無かったらぶっ殺してやるんだから」
メラメラと瞳を殺意の炎で燃やす智衣に笹倉はカタカタと体を震わせた。