第九十四話 妖精天露 クリームを添えて
妖精天露。
ラグや皆の驚きようから、味や特殊な酔い方以外に何かあるかと思ったら、どうもオレの知らない効能が伝わっていたらしい。
それは媚薬としての効果。長い歴史の中、人類が追い求めてきた数ある秘薬のうちのひとつ。
血を混ぜたものを飲ませると、その血の提供者にどうしようもなく魅かれる、と。
えーホントにぃ?
「そんな効果あんの?」
「「さあ?」」
「さあって……」
そりゃあそうか。
人間に使う機会なんてなかったはずだから確かめようがないのか。
取引をしたっていう話も聞かないみたいだし、リナリー達が知らないのも当然なんだろう。
それにしても眉唾な話だな。
「空想の産物とか誇張や誤認が高そうだけど」
「いや俺も詳しくは知らん。伝承としてそう言われているだけだ。確かに物語にも出てくるが誰も確かめた者はいない」
だろうなぁ。
王族のラグでさえこうなんだから誰も真実を知らないというのも頷ける。
以前に精神操作系の魔法なら一時的に、脳が焼き切れる程の深度が可能な術者なら永続的にってのは出来なくはないとイグニスが言ってたけど。
それを経口摂取だけで出来るもんなのかね?
誰かの血で確かめる――わけにはいかんわな。
一滴でいいのかコップ一杯でも足りないのか判然としいないものに血を寄越せとか。一歩間違えればサイコだ。
あっ。
「何をしている?」
「いや血があったなーって思い出してな。オレの血」
ごそごそと無限収納から取り出したのは前にガルタさんの治療の時に流れ出たオレの血だ。セヴィの治療時の血も一緒にしてあるから結構な量だぞ。
取り敢えず数滴垂らして。おやちょっと光った? 気のせい?
「……実験する気か?」
「ん? ダメか?」
「興味はあるが、誰が飲むのだ」
「あーそうか、そうだよなぁ」
女子率高いから被験者候補には事欠かないだろうけど、どうなるか分からないものを普通飲みたいとは思わないよな。いくら眉唾な噂でも原料である片方の実物が存在した事で、微妙にではあるが信憑性の後押しをしてるのが状況をやや複雑なものにしてる。
「はいはいッ! 僕飲んでもいいですよ!」
「なんでだよッ!」
異性にって言い伝えにあるだろうが。飲んで何するつもりだタリス。
それに不確定要素満載のものに思い切りが良過ぎるだろ。
まあ表情を見れば、信憑性は低いし面白そうだからって思ってるのは分かるが。
同性だから効かないとも考えてるみたいだけど、どうだろうなぁ。
「じゃあ私が飲みますねー」
「あっ!」
やられた! 一瞬の隙をついてイルサーナに飲まれた。
いや飲むと思わんし。無防備にテーブルに置いたのがいけなかったか。
と言っても血が数滴混ざった程度で何が変わるとも思えないのも確かだ。
どうもイルサーナもそう考えて飲んだようだな。
キアラも飲むつもりだったのか。なるほど、薬師と錬金術師が反応したわけね。
あ、まだ半分くらい残ってるみた――――ん? 霧? 目の前が靄がかったような……
――心地良い感触。
最高だ。
「いやん」
「ハッ!?」
オレは何を!?
なんだこの程よい弾力は……?
もみもみ。
「イズミさん……こんな大勢の前でなんて……あんっ、ん……ちょっと恥ずかしいです」
「えっ、おわッ!?」
イルサーナのお尻に顔うずめてたよ!
急いで飛び退いたけど、視線が痛……くない? 皆驚いてる?
「フラフラと立ち上がったと思ったらイル姉を立たせてお尻に頬ずりし始めた。揉んで撫でて、さすって幸せそうだった」
いやぁーーーーッ!!
公衆の面前でそんな事を!? ウルが淡々と語るから何だかとてつもなく恥ずかしい!
恥ずかしいんだけど……何この雰囲気。どういう訳か皆して難しい顔して考え込んでる……?
「あのー……オレ女の子のお尻に顔うずめてたよ?」
「んニャー、それは割とどうでもいいのニャー」
「だね。イズミンの様子もいつもと違ったし明らかに妖精天露が原因だもん」
「問題は効果があった事」
そうか。言われれば確かに。
いやでも、オレのセクハラ行為はいいの? 結構ガッツリいってたよ?
その疑問の視線にウルが気が付いた。「女の子って思ってくれてるんですねー、うふっ」とか言ってるイルサーナは誰も気に留めていないからオレもスルーで。
「イズミンのお尻好きは周知の事実」
そんな納得の仕方ってあり?
確かにセクハラ行為に対して詰めてこないならオレとしては助かるけど……。
「欲望の枷を外した結果なら納得。イズミンならやる」
酷い。割と酷い評価だ。
そんなオレの内心の抗議を知ってか知らずか、遣り取りを見ていたラグが笑いを堪えるように。
「クッ、お前の性癖が知れたのは、ある意味収穫だったな」
「なんの収穫だッ!」
「しかし問題だな……」
「だから何が問題なんだ?」
「気づいていないのか?」
何の事だ?
さっきとは一転して真剣な表情。何かあるというのは分かる。
しかし、まったく心当たりがないんだが……。
「お前に効果があったというのが二重の意味で問題なんだ」
「二重の意味?」
「そうだ。俺はまだ一部の者からしかお前の事を聞いていないが、そういった魔法に対して耐性が高いはずだ。恐らく、ここにいる誰よりも」
「あっ」
……それはまずい。
オレが抵抗出来なかったというのは、いろんな意味で確かにまずい。
「理解したようだな。魔法の無意識下の演算能力だったか? それが一番高いにも関わらず一瞬とはいえ抵抗し得なかった。精神耐性のきわめて高い者が抗えなかったんだ。それがまず一点」
一般的な耐性の持ち主だと、どの程度で正気に戻るか予想が難しい。
下手をすると戻らない可能性だってある。
「そしてもう一点は、お前にではなくお前が魅かれた事だ」
「だよなぁ。伝承の通りならイルサーナがオレに欲望を向けたはず。だけど結果はオレの欲望がイルサーナに対して解放されたからな。猟奇的な状況を想像しちまったぞ」
「極端な事を言えばそうだ。血さえ手に入れてしまえば正気を失わせる事が出来る。相手を襲ってでも血を手に入れようとするのは十分にあり得る話だ。伝承の通りでも厄介だが、これが本来の効能なら更に厄介かもしれん」
ここまでは、確かにと納得していた一同だったが、更に厄介だという理由にまだ思い至らないらしい。
全ての可能性を予想出来たわけじゃないが、ラグの言いたい事は何となく想像がつく。
予想通りであれば思いっきり厄ネタだ。
「いくら警戒しても血液を手に入れるタイミングがないわけじゃないからなぁ。子供の頃に全く怪我をしないなんてあり得ない。貴族なら剣術の稽古くらいはするだろうし、魔法の訓練だって怪我と無縁とは言い切れない。なら付き人、従者、メイド、他にもあるだろう入手経路。そのすべての経路を潰すのは難しいかもな」
「そのタイミングという要素が問題なんだ。人知れず異物混入済みのものを飲ませるのは意外と難しい。不可能ではないがタイミングが限られる。しかしこの方法なら、いつでも発動可能。そのために保存法も当然改良が進められるだろう。永続的な魅了や洗脳に応用できる可能性も切り捨てる事はできん。そしてそれを利用して同時多発的になど発動されたら悪夢の始まり――」
「悪夢……?」
誰ともなく、漏れた呟き。
グッと握りしめた拳から視線を上げたラグが、その場に居る一同を見渡すように顔を巡らす。
「――察知不可能の反乱」
『えっ……』
レックナート卿、カイウスさん、ログアットさんは途中からはっきりと渋い表情に変わっていた。
とんでもない可能性を聞かされて、その三人以外は顔色を失ってしまっている。
極論、根回しが必要ないからな。猶予なんかあってないようなもの。敵が陣容を整えるまでの時間しかない。
「……どうする、研究するか?」
「難しい所だな……見なかった事にするのも手だが、知ってしまったからな……」
例え99パーセントないと分かっていても、残りの1パーセントを無視出来ない。
それは為政者として正しい姿勢なんだろう。
「ハァ……いや、すまん。せっかくの歓迎の宴だというのに、場の空気を悪くしてしまったな。一旦落ち着こう」
オレが感心しているとラグが息を吐いて、そう告げた。
それにならう様に皆が深呼吸を重ね、大きく息を吐く。
「……それにしてもイズミ、お前さんが絡むと本当に事が大きくなるな。妖精天露と聞いて興奮気味だったのが一気に体温が下がったぞ」
「妖精の作る特別な果実酒と聞いて楽しい気分でいたが、君が正気を失った事で血の気が引いたよ」
「うっ」
ログアットさんとカイウスさんの偽らざる心境を聞かされて言葉に詰まる。
今回はあまりに予想外過ぎた。眉唾だと高を括っていたものが、意図していなかったとは言え、思いがけない効果を発揮してしまったのだ。オレ自身の不注意で。
「イズミ殿に効果が現れるという事は、私共では耐えるなど到底無理でしょう。それが判明しただけでも僥倖というものです」
自覚はなかったが、どうやらヘコんでいるように見えるらしい。
タットナーさんがそれとなく慰めてくれている。おかげでちょっと持ち直しましたよ。
「それにしても伝承が、ある意味では偽りではなかったというのが驚きですな。しかし何故、対象が入れ替わってしまったのか」
「意図的なのか偶然なのか、それとも願望か。いずれにしても人の思惑が事実を歪めたのは確かだろう。いつの時代も人の心とは、ままならぬもの、という事の表れかもしれんな」
「で、ありましょうか」
タットナーさんの疑問に私見を述べるカイウスさんは何かを思い出しているような、そんな表情にも見えた。
しかしどうしようか。このまま放置、というか封印という形で一切触れない方針で行くか、それともある程度の検証はするべきなのか。
いや放置は悪手になりかねない気がする。
樹園木の実をオレだけが入手可能だとは言い切れない。何事であろうと完璧なんて事はあり得ないのだから。
「……ラグ、やっぱり研究はしておく事にする。偶然、誰かが樹園木を見つける可能性だって皆無じゃない。欲求を増強や拡大、加速と解釈すると増幅や強化系の付与魔法とか薬剤に分類されるかもしれない。だとすると解毒が意味を成さない可能性もある」
「なるほどな……あくまで対象者の能力の補強に過ぎないと。わかった」
「ラグのほうでも調べるか? 一応、樹園木の実もある。まあ特殊な環境じゃないと育たないって話だから栽培は難しいかもしれないけど、どうする?」
「……いや、やめておいた方がいいだろう。どこから情報が漏れるか分からん。事実を知る者は少ない方がいい」
「了解」
ふーむ、なんとか落としどころが決まった。
しかし、なかなか厄介だぞ。どうやって検証したものか。
ちょいちょいと袖を引っ張られたので振り返るとウルが血液入りの妖精天露の入ったグラスを手に持ってオレを見上げていた。
ああ、それをどうするか気にしているのか。
「お話、終わった?」
「ああ、そいつは取り敢えず――」
「分かった、じゃあ」
「させるかーーッ!?」
ウルが自身の口元に運んだグラスを急いで取り上げる。
何しようとしてるのッ!? ちょっとビックリなんだけどッ!
「? 検証?」
「話聞いてたか!?」
何を言ってるの? みたいな顔してるけど、こっちこそ何を言ってるのかと言いたい。
「研究するんでしょ?」
「そういう事じゃない!」
いやまあ最終的にはそういう検証も必要かもしれないけど、この段階で飲もうとするか?
それともオレを問答無用で前後不覚にしたいのか?
なんの躊躇もないとか、恐ろしい事をなさる。
「必要な犠牲」
「んニャ、本音は?」
「触られたい」
「欲求に素直過ぎるだろッ!?」
年頃の娘なんだから、せめて時と場所を選んでくれ!
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昨日の晩は、やや強引にだが仕切りなおした結果、なんとか良い雰囲気の中、歓迎の宴を終える事ができた。
気持ちも切り替わった事で早速、妖精天露の検証を開始しようかとも思ったが、いかんせん考えがまとまっていない。
オレひとりの血で終わらせる訳にはいかないとなれば、さて誰に血液を提供してもらおうか、そして誰に飲んでもらおうか等、頭の痛い問題が多数のしかかってきているからだ。
性別や年齢、昼夜などの時間、場所による魔素の濃淡。あるいは月の満ち欠けでさえ関係しているかもいれない。可能性を言い出したらキリがない事くらいは分かってはいるが、それでも気になる事が多過ぎるのだ。
「やっぱり、見なかった事にしようか……」
「さすがにそれは……」
「僕には判断できませんよ師匠……」
だよなぁ。
姉弟の困惑が混じる笑顔、という複雑そうな表情に、心中で同意するしかないかと納得させる。
「ダメだ、やっぱりあとで考えよう。頭がごちゃごちゃになってる時は良い考えなんか浮かばん。そのために気分転換にいつもと違う講義をしようかって話になったんだから、オレが切り換えなきゃな」
という訳で、以前から言っていた『料理に魔法を使う』という具体的な用法の講義をする事に。
目の前で見ていても分からないといった声が多かったので、この期にやってしまおうとなったわけである。
講義というよりレクリエーションの色が濃いが、食という生活に直結している事柄なので一応は講義という事にしてあるだけだ。
ちなみにラグたちは不参加。朝から会議だ。
……思いっきり厄ネタだったからな。すまんラグ。
ジェンも仕事でこの場にいないので、ちょっと気が引けるがあとで教えればいいか。
「さて気を取り直して、さっそく始めよう。じゃあ、手始めにコレかな」
「クリーム?」
「いんや、これは植物の油、生クリームはこっち。最初は植物性油脂のほうからだな」
並べた容器はミスリル性のボウル。その中に入った液体を見てシュティーナが首を傾げる。その横では双子が「え、これミスリルだよね……?」「なんで誰も突っ込まないの?」とヒソヒソと話しているが、敢えて聞かない事にする。
「同じように見えますけど」
「これな、コーザの実の絞り油にルイランの煮汁をこしたやつを混ぜると出来るんだわ」
カザックに来て漁った資料の中に現在で通じる名前があった。
イグニスに神域外の森で採れた戦利品を見せた時に、今しがた言ったように処理を施せば、いわゆるホイップクリームの元が作れるぞと教えられたのだ。混ぜ合わせると乳化剤やら安定剤やらの役割を果たす成分だか作用が働くとか、なんとか。その時は「ほーん」と半分聞き流していた。正直、原理とかどうでもいいし。実物がオレの知っているものとほとんど同じなら全く問題ない。
イグニスにしてみたら『得体の知れないものに不安を抱くかと思ったが、無縁じゃったの』とせっかく教えてたのにと、やや残念がられた。
いや気を使ってくれたのは分かるけど、難しい事は分からんよ?
とまあ、そういった経緯で面白いものが手元にあったのでお披露目してみたという次第である。
「で、これにクラカラの樹液を煮詰めて作った蜜をいれて、こうして、こうすると!」
「わ、わわわッ!?」
「な、何コレ!?」
サリスとマリスの反応を見ても分かるように、泡立てたクリームというのが、どうも存在しないようなのだ。
いや、あるにはあるが、恐ろしく手間の掛かる作業を強いられる。自然分離したクリームを混ぜて出来た泡を掬い取ってを繰り返して作っている。だいたい地球のお菓子の歴史と似たような道を辿っている、らしい。
……イグニスがオレの脳内蔵書から引用したんだが、オレは記憶していただけで知識に還元されてなかった結果、これまた教えられたというね。
つまりは短時間でホイップクリームが出来上がった事に皆が驚いたというのが正しい。
「姉様、クリームは高級品だったような気が……?」
「同じ高級品でも泡立てたクリームはまた別枠ね……とんでもなく手間が掛かるから」
「滅多にお目にかかれないのは確かですね。しかし植物から作られているというのも驚きですが、相変わらず何をやったのか分かりませんでした……」
アラズナン家の姉弟とトーリィの三人、それぞれの感想を口にしたが貴族からしても、あまり身近なものではないようだ。
白のトクサルテの皆は「またとんでもないものを出してきたのは分かる」と妙な納得の仕方だ。
「容器を冷やしていたのは分かったのですが、どのようにして雲型にしたのでしょう」
リアの疑問が皆の一致した疑問であり今回の講義のキモだ。
「みんな、なんとなーく予想ついてるんじゃないか?」
「空気の粒……極小の泡?」
「お、イルサーナ。正解! あともうひとつ」
「え、えっ? あ、あとひとつ?」
これはちょっと意地が悪い問題だったかな? 『ああ、やっぱり』となって皆すぐに首をひねって唸りだした。
しばらく待ってみたが、候補が在り過ぎて正解に辿り着けなかったようだ。
「答えは振動だ。空気の泡を混ぜ込むだけじゃあ、こうならないみたいなんだよ。最初はそれに気づかなくて苦労した」
「そうなのですか? 振動がどのように作用するとこうなるのか正直わかりませんが……とにかく、そういうものなのですね」
「ま、原理とか理屈なんか知らなくても別に問題ないからな」
リアの納得の仕方も、それはそれで有効だ。
一応、それらしい説明をしてみたが、なにぶんオレ自身理解しきれてないから細かい脂肪の粒が振動でくっ付くといっても、「なるほど……?」と分かったような分からないような、といった反応が返ってきただけだった。
「あ、そうか……これって今の私達なら覚えられるから……?」
「カイナ正解。後発の三人は今すぐにとはいかないけど、一週間もあればなんとかなるから」
「えっ……」「今のと同じ事を?」「一週間で僕たちが?」
なんか一人がしゃべってるみたいにタイミングよく重ねるなぁ。
それはともかく。三人娘に向けてオレが頷くと「本当に?」といった様子で周りを確認するも、皆同じように頷くので、どうリアクションしていいか分からないといった様子だ。
「てなわけで、やってみようか」
人数分のクリームを入れたボウルを用意してクッキング開始。
その際、「……まだ出てきた」とミスリル製ボウルを見て三人娘が呟いていたが、それもスルーだ。
みんな悪戦苦闘してるねぇ。容器を冷やし続けて尚且つ振動させながら泡を作るっていう同時進行がネックになってるようだ。
ちょっと助け舟を出すかね。
「イズミ、その空箱って何かに使うのニャ? 人数分あるように見えるけど」
「いや皆、生真面目だなってな。ちょっと目線を変えるために用意したんだけど、オレとまったく同じ事しなくてもいいんだぞ? 今回は結果が同じなら過程は問わない」
「そうは言ってもニャー……」
「らしくないな。氷を使えば冷却はそれで済むぞ。つまりそういう事」
『あっ』
皆どうやって三種類の魔法を使うかに気を取られて、他に気が回らなかったみたいだ。
オレも、ちょっと言葉足らずだったし無理もないか。何も同時に全てやれと言ったわけじゃないから、ズルでもなんでもない。残り二つは順番にやってもいいし交互に切り替えながらやってもいい。
そういう事ならと皆、浅底の箱に氷を出し、敷き詰めたらクリーム作りを再開。
「ちなみにこれ。こっちのクリームで振動与えすぎるとバターが出来ちゃうから向かないんだよ」
植物性のほうだと、どういうわけか変化しない。とろみが増すだけ。
日本で市販されてる植物性クリームもそうなんかな? どうでもいいな、日本じゃないし。
「まあそうなったら塩ぶち込んでホイップバターにすればイイだけなんだけど」
好きなんだよホイップバター。あのフワフワ感がたまらん。
泡立てた生クリームに溶かしバターを混ぜるだけの簡単レシピだ。比率はお好みで。
「なるほど、それで植物性クリーム……というかまた知らない食べ物の名前が挙がりましたけど」
「シュティーナは貴族だから聞いた事あるかと思ってたけど、ホイップバターって、この辺りにはないのかね?」
「クリーム自体が食卓や茶会に並ぶのが稀ですから、それを更に加工するとなると」
「リアでも見た事はないと。じゃあ覚えておいて損はないな。動物のミルクは流通してるわけだし、バターや生クリームが手に入らないわけじゃない。それになければ作ればいいだけだ」
確かにと一同が同意するも「でもお手軽に作れないと、その発想は無理だよねえ」とのカイナの意見にも同意していた。
正解を得た事で皆それぞれ自分に合った方法で作業を再開。
これくらいの難易度なら会話しながらでも平気そうだ。あーでもないこーでもないと意見を交わしながら割と楽しんでくれているようだ。
「三人も見てるだけってのはつまらないだろうから、これの練習な」
三人娘の似姿のミニゴーレムを渡し、走る動作が出来る所までを課題として提示。
譲渡前提の代物だから、あとは自分たちで管理してくれという旨も伝える。
「い、いいんですか? これだけの造形のものを簡単に譲渡って」
「平気、平気。鍛錬に必要なものだからな。用意するのは当然だ」
「そ、そうなんですね……それにしても僕たちって、こんなに見分けつかないんだ」
瓜三つだぞタリス。
客観的に自分たちを見比べる機会なんて無いだろうから、そう思うのも不思議じゃないか。
「さてと、それじゃあ皆頑張れよー。オレはこれからラキと一緒に、出来た人に出すご褒美を作るから。ちなみに食べ物な」
『えっ、ご褒美?』
キレイに揃ったな。
食べ物のご褒美って事で、いつもより食い付きが良かったのは間違いない。
「今やってる作業って色んな応用が利くんだよ。このパンを作る時も細かい気泡を均一に生地の中に作ると食感が格段に良くなる。酵母種を使わずに作れるのもメリットだな。発酵の風味が好きな場合は物足りないかもしれないけど、管理の面倒な酵母がなくてイイってのは利点だろ? あとこっちのラキがつくるアイスクリームもほぼ同じ作業で作れる。違うのは温度だけ」
『アイスクリーム?』
ああ、そうか。シャーベットのようなものはあってもクリーム主体の冷製菓子はないのか。
「今日みたいな暑い日にぴったりの冷え冷えの菓子。シャーベットのお仲間だよ。とりあえず期待には添えるはずだ。って事で頑張れー」
おお、みんなやる気が漲ってる。
さてと。パンは以前に作ったものを普通にトーストして。あとフレンチトーストも。
卵と小麦粉と蜜でホットケーキも作っておくか。ベーキングパグダーとか無くても膨らむから便利だよなぁコレ。
ラキも自分の好物だから失敗なんてあり得ないから安心だ。「わふっ」とまかせてーと自信たっぷりの顔。
まあアイスクリームは割と簡単だから。適度に振動させて空気を含ませながら凍らせるだけ。
こうしてると日本に居る時、真冬に外で作ったアイスを思い出す。
卵と牛乳と砂糖で作ったけど、あれはアイスクリームじゃなくて氷菓だ。ア〇スクリンというヤツだ。
今回はそれとは違うアイスクリーム。魔法ってホントにズルいくらい便利だ。
ちなみにバニラエッセンスの代替品はクラカラの蜜がその役割を果たしてる。
個人的にはクラカラの蜜のほうが好みの香りなんだけど。
よし。完成完成と。
「さあ一番乗りは誰かな~? 早くしないと無くなるぞ~?」
「えっ!?」
「あああっ! 美味しそう!?」
「あーむっ、うん。美味い! これは手が止まらんなぁ」
「ああ、待って待って!」
「もうちょっとだから待ってぇー!」
頑張れ。
そんな恨めしそうな目で見ても手は休めんよ? 妖精ふたりもそうだが特にラキは手加減を知らないからな。
ふむ。なんとか皆、課題は達成できたか。
「パンケーキは用意したから、自分たちの作ったクリームと蜜をかけて食べてみな。三人もオレの作ったのがあるから遠慮するな。好きなのいっとけー」
その言葉に、わぁっとテーブルに群がる女子の群れ。ほんと女子多いな。
『ん~……んまい!!』『美味しい!』
満足して頂けたようで何より。
「クラカラの樹液がこんなに優しい甘さの甘味料になるとは知りませんでした。ああ、それで時々、森に入って一人でゴソゴソしてたんですえねぇ。てっきり男の子のゴソゴソかと」
「口を慎めイルサーナ。なんで青空の下でしなきゃならんのだ。ところでどうよ、どれも美味いだろ?」
並べられたデザートを一周するのに夢中で会話どころじゃないらしい。一心不乱に食べてる。
違うものを口にしては、その都度驚いているから、さすがに疲れないかと、ちょっと心配になる。
やっと落ち着いてきたか。
他にはないの? ってオレを見ても、ないの。
「ない事はないけど、太るぞ」
『うっ』
「いずれな。しかしよく考えると、この技法って菓子に特化してるような気がするな。スポンジ生地にスフレだろ? ムースに……基本はメレンゲか? 他に何かあったかな? あとで調べるか……」
「……まだ、そんなにネタを隠してたのニャ」
「隠してたわけじゃない。魔法を応用するのに、すぐに思いついたのが此処にあるものだったって話しなだけだ」
「応用ニャ?」
「本来は魔法は使わずに作るけど、ちょっと時間がかかる。それが嫌で短縮方法を考えたわけだ」
「という事は、これ全て魔法を使わずに作れる、という事ですよね?」
「作れるぞシュティーナ。というか普通は魔法は使わんだろう。でも、こういう泡立て器を使ってやらなきゃいけないから面倒」
無限収納から出した泡立て器に注目が集まる。
何この反応。なんでそんなに凝視する? 一般的な、曲げた針金を束ねたようなヤツだよ?
「……なんですかソレ。見た事ないですけど……ちなみにそれを使うとどのくらいの時間がかかるんですか?」
「10分とか?」
「ッ!!」
意外な反応。そこに驚く? いやそうか。恐ろしく時間がかかるって事だから、これでも十分早いのか。
そういえばこういう泡立て器が普及したのだって近代くらいだったような。
なるほどねー。それでここまで食いつくのか。
「わかったわかった。貸すから自作するなり何なりしてくれ。って言っても、一度見れば構造は丸わかりだから見るだけで十分か」
お菓子類に直結してると思ってるようだし無理もないか。
シュティーナなんかは「お母様と相談して……」とかなんとか、色々と考えを巡らせているようである。
「魔法を使うとはいえ、バターがこんなに早く作れるというのも驚きです」
「サリスはバターの作り方知ってるのか?」
「ええ、まあ。私たちの住んでいた所は畜産が盛んでしたので。でもこういった感じで体力を使う作業ですね」
何かを上下させる動きを見せたサリス。
あれか。昔、何かで見た、竹の水鉄砲を縦にしたみたいなデカいヤツか。そりゃ大変だ。
魔法を使わないと脂肪球どうしをくっつけるのも一苦労だな。
妖精天露はあんなに簡単に誘引するってのに。
誘引?
何かが引き寄せ合う? おなじ血液が元に戻ろうとする?
いや引き寄せるが正しいか? 片方の力が強いから磁石みたいに吸い寄せられる、とか……?
何故そこで精神に作用するのかが、イマイチ分からないが……。
試してみる価値はあるか?
「……なあ、誰かちょっと協力してくれないか?」
急に何を言い出すんだといった顔が並ぶが、こういうのは早い方がいい。
妖精天露で試してみたい事があると告げると。
「じゃあ私が! 検証するなら同じ条件のほうがいいですよね!」
「あ、ズルイ」
「何がズルいんだウル。悪いが頼めるかイルサーナ」
「全然いいですよー」
準備万端ですよーみたいな顔で尻を確認するんじゃないよ。
確かに失敗したら、また尻に直行するんだろうけど。……この際それもいいか?
いやいやいや。
とにかく今は検証だ。
「じゃあ今度はオレが先に飲むぞ」
「なるほど、盲点でしたねぇ」
皆、ハッとした表情でオレに視線が集まった。
そう。オレが考えたのは、一番てっとり早く検証出来るもの。
片方に引き寄せられるのなら、両方を同じ条件にしてしまえば、打ち消せるのでは? というもの。
さて、どうなる?
…………。
「さっきより時間経ってるよな? って事は」
「ぶー、せっかく触って貰えると思ってたのにぃ」
ぶーじゃない。
こんな事、人前で何度もやってたら社会的に死ぬじゃないか。というか単純に正気に戻った時に恥ずかしい。
えーでも、こんな簡単な方法でいいの?




