第七話 娯楽とは
「―――記憶じゃ」
あっれー?
冗談で金ならないって言ったら、冗談じゃない要求で返ってきたぞ。
もしかして記憶を代金として差し出すってこと?
「言っておくが、記憶を奪うとかではないぞ。こことは違う世界から来た者にゼロから魔法を教えるというのは存外に骨が折れる作業でな。記憶を読み取って、その中から似た概念に置き換えたり応用した知識で説明するためじゃな。効率がいい」
一瞬、思考まで読まれたのかと思ったけど、そういう事ね。安心した。
どの記憶を差し出そうか考えちまったよ。
「記憶が消えたりしないなら別にいいけど、読み込むって具体的にどうやるんだ? オレが何か特別な事をしなきゃいけないとか?」
「おぬしは何ら特別な事をする必要はない。楽にしておれ」
「了解。ああ、出来れば個人的な……デリケートなヤツは避けてくれると嬉しいんだけど」
「心配せずとも人間の性癖等に興味はない。身体の構造から精神の在り様まで人間とは全く違うからのう。仮に完全複製で読み込んだとしても全く共感しない感覚部分が多すぎて単なるノイズになってしまうだけでな。余程興味が沸かない限りは読み込む事すらせんよ」
性癖て。
まあそれも含めて初対面の相手にアホな過去を晒すのはどうなん? って思ったが、どうもそんな感じじゃなさそう。
「ほー、そういうもんか、なるほどね。じゃあ存分に吸い上げてくれ」
「やけに潔いな。それほど多い人数の記憶を読み取ったわけではないが、大抵の者は迷いを見せるのにのう」
目を細め、明らかに楽しんでいるような口調だ。
「あんまり大した記憶もないし、配慮はしてくれるんだろ? それなら魔法の上達の方が優先順位が上ってだけの話だよ」
どう考えても修行の記憶が大半だと思うんだよな。
それにオレは開放的助平を自負している。だから知られて困るようなことは……やっぱりあるな。
いや構わん! やってくれ!
「ならば遠慮なくいかせてもらおうかの」
そう宣言すると人差し指だけを突き出した、その大きな手をオレの額に近づける。
ラキも神妙な顔? でオレの顔をジっと見ている。
「痛みはない。そのままじっとしておれ」
なんとなく目を閉じた方がいいような気がして、リラックスした状態で瞑想するように目を閉じる。
すると自分の魔力ではない魔力が身体に触れるのが分かった。
他人の魔力というのは、こう感じるのかと意識を向けていると。味わった事のある感覚が認識の中に滑り込んで来た。
ん? この感じは、つい最近味わったような……?
ああ、クイーナの魔道具だ。
あれと似てる。
「もう良いぞ。終了じゃ」
クイーナの魔道具を使った時の事を思い出していると、イグニスの言葉に引き戻された。
「もう終わったのか。で、説明が楽になりそうな情報はあったのか?」
「そこは問題ない。懐かしいと言える類の知識も多数あったのう。それよりも気になったことがある。おぬし面白い能力を持っておるな」
懐かしい知識ってのが気になるがイグニスの云わんとしている事も分かる。
オレの記憶能力の事だろう。
「面白い能力って、直観像記憶みたいなヤツの事か?」
映像記憶とか、写真記憶とか言われている能力。見たものを写真のように記憶する能力だ。
オレの能力がその能力そのものかどうかは分からないが、意識して記憶した映像は絶対に忘れない。
いつ自覚したのかは忘れてしまったが、かなり重宝している。
意識して、という但し書きが付くが逆に言えば意識しなければ覚えないので取捨選択が出来る。
その能力を使って本にネットにと様々なものを読み漁って記憶している。
テストなどに役立つと思うかも知れないが、多少のアドバンテージはあるだけで、いつでも高得点を取れるというような能力ではない。
例えて言うなら、パソコンに画像データを保存している状態、とでも言おうか。
教科書を持って試験を受けられるというのに近いかも知れない。
記憶が頼りの教科はいいが数学等のその場で応用を利かせなければいけない場合は方程式の検索や類似問題の回答の検索が可能な程度だ。
暗記系問題もそうなのだが、結局は勉強をして、ある程度出題と記憶情報を紐付けしておかないと検索に手間取って時間切れになってしまう。
時間無制限ならば、暗記系問題に限っていえば満点も可能かもしれない。
だが、その他となると途端に優位性が崩れてしまう。
とは言うものの、かなり有用な能力だ。
オレのテストの点数が平均よりちょっと上程度なのはその能力に胡坐をかいて、あまり紐付け作業――勉強をしないからだ。
いやだって勉強に費やす時間ないし。
はっきり言って大半のリソースを本や漫画、ネットの情報と、趣味のほうに割いている。
本当はゲームなんかもやりたかったが、兎に角時間がなかったため、自然と短時間でも収集可能な本やネットの情報を画像情報として漁るようになったのだ。
まあ、ゲームのほうは有名所はギリギリなんとかプレイ出来たけど。
明らかに武術の鍛錬の反動がここに出ているように思う。
幼い頃から割とオカルト系やファンタジー系の話が好きだったから、元々そちらに傾倒する素質があったのかも知れない。
「これほど膨大な量の記憶を読み取ったのは初めてじゃな。映像情報としての記憶が鮮明に残っておるのには驚いたのう。他人の記憶を読むのはワシにとって一種の娯楽なのじゃが、ここまで楽しめるとは思わなんだわ」
少し声の調子が変わって、表情も何故か満足気だ。
「普通は強く印象に残った記憶以外は時間経過とともに薄れていったり意味消失するはずだが、おぬしの場合その体験的な記憶も鮮明に残っておったぞ」
「あー……そういえば昔の事も結構ハッキリ覚えてるな」
「あまりに面白かったのでな。思わず完全複製してしまったわ」
ちょっ! 何してくれちゃってるのッ!?
「待てえええっ! 約束が違うじゃねえか! 配慮してくれるって言ってただろう!」
「とは言ってものう。大抵の記憶に尻の情報が関連付けられていて分けて読み込むのが困難だったのじゃ」
オ、オレって奴ァ……
関連付けてる自覚は全くなかったが、そこまで、なずなのお尻に執着してたのか?
知られちゃいけない事を知られてしまっというのか?
もうお婿に行けないだわさ。
「言ったとは思うが、その辺の感覚は共有出来んから安心するがよい。人間の本能による部分の記憶はワシにとっては情緒を伴わない単なる情報に過ぎん。それに生物としては当然の欲求だからの。と言っても納得出来んか」
イグニスの言いたい事はなんとなく分かる。
なずなのお尻を想像して、そういうコトをした事はないが思春期真っ盛りの男子高校生特有の、自分による自分の為のアレ的なこと事はオレだってしてない訳じゃない。
そういう事を気にするなと言いたいのだろう。
「はぁ……言いたい事は分かったよ。なずなのお尻に関しては別に恥ずかしいとは思ってないしな」
「思っておらんのか」
「性欲なんかの関連情報はイグニスがそう言うなら信じることにする」
「切り替えが早いのは良い事じゃ」
と言いつつ大きな身体をのしのしと動かし、背を向けて自分の尻尾の先でその付け根――腰の辺りをピシピシと叩いて顔をこちらに向ける。
「どうじゃ、ラブリーじゃろ?」
「ドラゴンの尻見て興奮するほど特殊じゃねえよ!」
「なんじゃ、つまらん。おぬしならイケると思ったのにのう」
「イケるかっ!」
イケたらどうするつもりだったんだ!
あ、そういう事を言いたかったのか。
つまり、オレがイグニスの尻を見ても欲情なんか絶対しないのと一緒で、イグニスにとって人間の欲情なんかの情動は本当に意味のない情報なんだな。
「あー、今ので完全に理解できた。信じるとは言ったが本当の意味で理解してなかったって事だな。オレはてっきり遊ばれてると思ったわ」
オレのその言葉で、口の端を上げてニヤリという表現が一番合いそうな表情をするイグニス。
「ほう、理解出来たのなら重畳。じゃが、遊んでおったのも事実じゃ」
「遊ぶなっ!」
背を向けたまま再度、尻の辺りをビシビシと叩く。
いつの間にかラキも並んで同じポーズで尻尾を振っている。
こいつら……いつか泣かす!
~~~~
すっかり陽が落ちて周囲が暗くなってきたので、焚き火を明かり代わりにしての座談会。
「そういえば懐かしい知識って言ってたけど何の事だ? 心当たりがないんだが」
「科学知識のことじゃ。この世界でもそれなりに科学が発達している時期があっての。それも魔法との高度な融合によって、おぬしのいた惑星よりも大分進んでおった。技術衰退が始まって大分経つが、今はその流れも緩やかになり僅かにじゃが盛り返しつつあるようじゃ」
「衰退には何か切っ掛けがあったのか? 戦争とか」
「その予想は当然の発想じゃな。その予想通り戦争が切っ掛けになっておる。散発的な戦闘が世界各地で繰り広げられ、やがて拡大、そして泥沼化し大戦に突入。人類の歴史では珍しくもない、ありふれた出来事よな」
定期的に繰り返されてきた、戦争という名の共食いと人口調節。
それまでの戦争と決定的に違ったのは短期間での復興が不可能な程の大破壊が行われてしまったことだという。
それが原因で現在の科学技術の衰退した世界が生まれてしまった。
もうひとつの要因としては、その後、積極的な技術の復活が忌避された時代が続いたというのもあるそうだ。
元々、魔法と科学の力づくの融合で成り立っていたものが、それを期に自然回帰、自然と共に生きるという思想に、より傾いて行ったというのも大きいらしい。
それが約1万5千年前の出来事。
「人間ってのはどこの世界でも……。あ、人類の歴史って言ってたけどオレのような人類って事? 神話に出てくるような生き物がいるって聞いたんだが、人類は種族的には単一だったのか?」
重い話はちょっと苦手なので、この話はここで終わりとばかりに別の話題を振る。
オレは基本、お気楽、極楽で生きていきたい。
「その説明がまだじゃったな。人類種は単一ではない。獣人種、海人種、数は少ないが甲人種と様々な種族がいたの。竜人種というのもおったな。ま、現在だと会う事の出来る種族は限られるだろうがの」
「なんでだ?」
「絶えたという話は聞かんが、可能性としてはある。ワシとて辺境の更に奥、地の底、海中などの全てを把握しておる訳ではないからの」
興味がないのかな? でもそうか。そう簡単には会えないのか。
しかしそれだけ雑多な人種がいて、今の地球より高度な文明が成り立っていたというのは正直興味をそそられる。
聞きなれない甲人種というのが気になったが、名前の挙がってない種族がいるぞ。
「エルフは? エルフやドワーフなんかは居ないのか?」
ファンタジーと言えばエルフだろう。
「何故そこに食いつくのか気持ちは分からんではないが、ちゃんとおるぞ。亜人種と言えば分かり易いか?」
「おお、やっぱり居るんだな」
期待したファンタジー要素に、思わず顔が緩む。と思ったらこちらも「人間社会から距離を置いているから、どうじゃろうな」と言われた。
それにしても人種のるつぼどころの話じゃないな。多様性が半端じゃない。
何が原因でそんな事になってるんだ?
「純粋に興味だけで聞くんだが、この世界の生物の進化とかってどうなってるんだ? オレみたいな人間以外の種族がどうやって生まれたのか不思議で仕方ない。やっぱり人間は類人猿から?」
「古生代辺りまでは概ね地球と同じ進化の過程を辿っておったが、魔力素子の影響か、ある時を境に植物も含めた生物全てが地球のそれとは比べ物にならぬ程の分化と進化をしたのは確かじゃ。類人猿からの進化も、その一つに過ぎん。なにより世界の壁が薄いのも要因かの」
なんか色々新しい単語が出てきたぞ。
イグニス先生絶好調。
「世界の壁?」
「一番近い表現が次元の壁じゃ。この世界は何が原因かは分からぬが元から壁が薄かった。生物全体の変革を求める思念、この場合生きる為の意志とでも言ったほうがいいか。それが魔力素子を媒介に、この世界と異なる次元に作用する事を、その薄さ故に可能にした。そしてその次元からは相互干渉的に、こちらの世界の生物に影響を及ぼす力が生まれた。そのことが新たな種を生み出し、同時に既存の生物の進化を促したのじゃ。中には融合したとしか思えぬような進化を遂げた種もおる。さらに精神生命体もその存在確率が不安定なものから確定したものとなり特定条件下以外でも顕現可能となった。これらは魔法工学が隆盛を極めていた時代に研究されていた事じゃな。重ねて言うなら地球のようにリセットされておらんのが大きいかも知れんの。地球では何度かあった大絶滅を、この星は何故かほとんど経験しておらん。長いスパンで考えれば、隕石の衝突や氷河期があった地球はある意味過酷な環境じゃ」
おおう、絶好調過ぎて何を言ってるのかさっぱり分からん。
ラキは船漕いでるし。
無理しないで寝ればいいのに。
「精神生命体という観点から見れば、おぬしの居た日本でも世界の壁が薄かった時代があったのではないか? 妖と言われる存在が文献などに残されているのがその証拠だと思うがの」
理解に時間がかかりそうな話に目を白黒させていると、それを察してか、わかり易い日本での事例を挙げた。
「え、アレって、そういうことなのか?」
オレの記憶にその手の情報もあったなそういえば。
物語とか民間伝承という眉唾な話ばかりだったけど、イグニスの話を聞いた後だとまた違って聞こえる。
良く考えれば人狼が居たくらいだ。物の怪の類も居てもおかしくはないか。
「おそらくはな。壁の厚さと魔力は相関関係にあったと言われておる。その影響で地球のその時代には魔を調伏する手段も発達したようじゃな。そのまま壁の厚さが固定されていれば、地球でも劇的な生物の進化が起こったやも知れんの」
要するに、壁が薄いと魔力が濃くなって異常とも言える進化をすると?
一時的にではあるが地球も、これに当てはまった時期があったというわけか。
なんというか、夢物語のように思われていた話が事実だったかも知れないというのはロマンがあるな。
「まあ、肝心な部分は相変わらず解明されないままなのじゃがな」
ドラゴンなのに肩を竦めるような仕草が、やけに人間くさかったので思わず吹き出しそうになった。
「それにしても色々と知ってるな。世捨て人、じゃなくて世捨てドラゴンかと思ってたが、もしかしてイグニスって歴史の生き証人ってヤツ?」
相当な量の情報や知識を持っていそうだが、自分で研究をしたりしていたんだろうか?
それとも研究者に知己でもいたのか。
積極的に人間に関わっていた時期もあったのかね。
「確かに人間では想像もつかないような時を過ごして来たのう」
「実際の所、イグニスって何歳?」
「さて、ワシもいつの頃から自分が存在しているか覚えておらん。気が付いたら自我を持ち、この姿をしておった。自分が何者であるか今以ってさっぱり分からん。永遠の謎、じゃな」
「なんだよ、それ」
「興味があるならば他の祖竜達を訪ねてみるのも良かろう。ワシの知らん、我らが何者であるかという事もだが、面白い話が聞けるかも知れんぞ。それにサシャ殿の行方を知っている者がおるかもしれんしの」
「気が向いたら訪ねてみるのもいいかもな。まあ、実際はどういう生命体だろうとイグニスはイグニスだ。何者かなんて別に知らなくてもいいだろ」
「ふっ、そうか」
オレを面白いものでも見るかのように見つめ、口の端を上げて呟く
しかし何故か悪い気はしない。なんとなくだが、褒められてるような気がした。
少し気恥ずかしくなり照れ隠しのように、会話の中で気になった事を質問してみる。
「祖竜に会ってみろって言ったけど、何人いるんだ?」
「ワシを含めて12柱じゃな」
数え方は人じゃなくて柱だったか。12柱ね。
しかし、それは……多いのか? 少ないのか?
分からん。
判断に迷うが、こんな巨大な魔力の塊みたいなのが、あと11柱居るのか。
「やっぱり他の祖竜も毛深いのか?」
「無駄毛処理を忘れてるみたいな言い方をするでない」
「あー、うん。さっきの説明だと、強ければ強いほど毛深そうだなと思ったからさ。希少な程強いんだろ?」
「釈然とせん理解の仕方だが、間違ってはおらんのが癪に障るのう」
という事はイグニスって相当強いはずだよな。
「なあ、イグニスの強さって……」
オレの言いたい事を察したのか「ふむ、そうじゃのう」と何やら思案してから言葉を続けた。
「ここしばらくは本格的な戦闘はしておらんからのう。ワシの竜位戦での序列がどの程度か今は分からんのう」
ちょっ、そんな事してんの?
竜位戦って、何その将棋のタイトル戦みたいな名称は。
ドラゴンって暇なの?
あ、暇なのか。だからクイーナの依頼を引き受けたんだよな……。
「ちなみにワシが最後に参加した時の序列1位はクイーナ殿じゃ」
「何やってんのアイツ!」
一瞬何を言ってるのか理解できなかった。
身のこなしから、もしかして強いんじゃないかと思ってたが、そんな事に参加してたのか!
「……イグニスは2位か?」
「いや、ワシは3位じゃ。サシャ殿が1位タイであったから2位無しの3位という訳じゃ」
「そっちもか! 姉妹で何やってんだ……」
イグニスは予想通り強かった。
が、姉妹のせいで全然、頭に入ってこなかったわ。
竜位戦の説明が若干、右から左に抜けているが、その内容としては別にふざけている訳ではないらしいものだった。
大半は娯楽目的のようだが秩序維持の意味合いも大きいようだ。
娯楽目的もどうかと思うが、序列をはっきりさせる為には合理的だ。
祖竜という種族はそれほど自己顕示欲や支配欲が強い種族ではないが、その他の種族の中にはその手の欲求を満たそうとする種族もいたらしい。そしてやり過ぎる事が多々あったようだ。
あまりに目に余るのでイグニスも粛正のために動いた事もあるとか。
運悪く街の近くで戦闘が起こった時などは街に被害が出てしまったらしい。
人死には出なかったから問題ないだろうと、本人は笑っていたが。
人間にしたら笑い事じゃないが、一応人死にが出ないように気を使って戦闘をしていたようだ。
(イグニスが人間に怖がられてるのって、どう考えても風評被害じゃねえよなあ……)
竜位戦とは好戦的な種族が好き勝手出来ないように、強い者には従うというドラゴンの種族的特性を利用した秩序構築の手段だったようだ。
そして暇なドラゴン達の娯楽になったと。
ちなみに戦闘領域はちゃんと用意されていたという話だ。
なんか色々どうなんだろう。
分かった事と言えば、おそらくイグニスはルテティアで最強なのではないか、という事。
同じ祖竜の間で変動はあるかも知れないが、ほぼその認識で間違ってないだろう。
上位二人は……まあアレだ、考えるだけ無駄だ。
~~~~
いつの間にか会話に夢中になって大分時間が経過したようだ。
日課の鍛錬を怠る訳にはいかないので、ここで鍛錬をさせてもらう事にした。
ラキは既にうたた寝状態のようだが、音で起こしてしまったら後で謝ればいいかと。
いつものように独特な柔軟体操から入り、型を繰り返していく。
型の反復練習を開始すると、感心すように「ほう」とイグニスが呟いた。
約2時間弱、一通りメニューをこなし汗を流す。
今回は川に服のまま入り、水分を飛ばしてベタついた身体をスッキリさせた。
さすがにパンいちでは鍛錬はしていない。
「記憶を読み込んで武術を身につけているのは分かっておったが、なかなかの錬度じゃな。実際に目にしてみると良くわかるのう。魔力を抜きにして、技術、体術だけで見れば道師並じゃな」
「道師?」
「その道を極めた者達の総称じゃな。達人と言われる者達の中で更に一握りの者が畏敬の念を込めて、そう呼ばれておる」
このルテティアでタオマスターと呼ばれる者達。
元々は仙道を極めた者がそう呼ばれていたらしい。仙術と言われる戦闘技術を極限まで突き詰めてその技を修めるのが仙道。人間を、ひいては生物の限界をも超える。それのみに腐心し心血を注ぎ、狂気とも言える程にひたすら強さを求め、己を求める。
仙術とは主に肉体の強化に重点を置いた戦闘技術の事だ。
魔力のほぼ全てを段階的身体強化に注ぎ、永続強化を行う。
その為属性系魔法は一切覚えない。唯一例外は強化等の強化系の魔法のみ。
そして体内を巡る気を操り、その強靭な肉体で様々な技を繰り出し、敵を屠る。
猛々しい印象を覚えるが、仙術師のその精神性は真逆だ。
岩や鉱物、そして植物、果ては山に例えられる程の不動の精神。
仙術師の強さはその技にばかり目が行きがちだが、実際はその不動不惑の精神があってこそだという。
その圧倒的な強さが道師の代名詞のようになり、いつしか強い者をまるで道師のようだ、という形容がされるようになった。そしていつの頃からか、その形容が消え、強さを超えた強さを持つ者を道師と。
強い者をそう呼ぶようになり、自然と魔法使いの中で強力な魔法を使う者も魔道を極めた者として、道師と呼ぶようになったようだ。
要するに、べらぼうに強い者を道師と呼ぶって事だ。
オレの場合、魔力を抜きに、という条件が付くのは仕方ないだろう。
記憶を見てどの程度魔力を扱えるか筒抜けなので、そう指摘されるのも納得だ。
「魔力の扱いがネックになっておるな」
何かを考え込んでから、「そうじゃ」と少し芝居がかったようなわざとらしい口調で提案をしてきた。
「やはり戦うのが手っ取り早いのう」
なんですと?
何がどうしてそういう結論になった。
もしかして死刑宣告ですか?
現時刻をもってイグニス教授によるスパルタ教育が始まったのである。