第六十七話 魔法を覚えよう
前半ちょっと、お下品(´・ω・`)
後半は説明成分多めです。
「ぐううぅ……ダメだ! 間に合え!」
脱兎のごとく駆け出す。
腹に力が入らない状態で、この速度で動くのは自殺行為に等しいが、そんな事を言ってる場合じゃない!
女の子もいるという事で、色々と慮って離れた所に設置したのが仇になった。
ここでオレが大惨事に見舞われても、それで関係がおかしくなったり迫害視されるような事はないと思うが……ないといいなあ。
いや、そんな小さな望みに期待してどうする。
全力でその未来を否定するのだ!
しかしアスリートが時折り体験する、ゾーンのような加速した思考状態が、今はオレを追い詰める。
まさか、この過去の出来事が駆け巡っている状態が走馬灯?
オレは死ぬのか?
精神的に死んでしまうのか?
そうならない為にも全力で駆ける。
オレは今、一刻も早くトイレに辿り着かねばならない!
~~~~
「だ、大丈夫だったの……?」
「フッ……心配するなリナリー。ギリギリのところで人間としての尊厳は保たれた」
「そ、そうなんだ」
結論から言うとだ。
無事に間に合った。半分、開門したような状態だったが大惨事は避けられた。
くそう、門番仕事しろよ。
あやうく、いい歳してウ○コ漏らす所だったじゃねえか。
「おかしい……オレはこういう汚れ芸人みたいな役どころではないはずなんだが……」
「イズミは結構、近い所にいるよ?」
なんですと!?
いつの間にそんな事に。
「自覚がないみたいだけど、今だって無駄に格好良く帰ってきてキメ台詞言ったでしょ。あれってフリとかオチの類の行動だよね」
「あれは様式美だ。ピンチに陥った後の」
「ピンチの内容によると思う」
むう、女の子には理解されない感覚だというのか。
「そんな事より、その様子だと失敗だったって事? だよね」
そんな事呼ばわりは納得いかないが、このまま話を続けても実りはないか。
何処までいっても平行線だろう。
さて、リナリーの指摘の通り何が失敗だったかというと。
試作した完全バランス栄養食品、キャスロである。
レシピ通り作ったはずだが成功しなかった。
いや、レシピ通りとは言ったが失敗した原因は大体見当はついている。
何もかもがいけなかったのだ。
それもこれもクイーナから渡されたレシピに記されていた材料の名前のせいだ。
時代が違い過ぎてキアラに聞いても、今の時代では通用しない名称のものばかりだったのだ。
イグニスの知る名前も同様のものだったため、その時に見せられた映像でしか判断出来なくなってしまった。
しかしそれも、長い時間経過とともに野生ではあっても品種改良が進んでしまい、本当に同じものなのかも怪しいといった状況に陥っている。
その中でも確実と言えるような判断材料は効果や効能だけという、なんとも頼りない情報のみだ。
これでどうやって再現するのかと。
となれば試作を繰り返し、確かめるしかないわけで。
「いきなり成功するとは思ってなかったが、タキナガレの効果が強烈過ぎる……」
「ロンガ草と一緒に魔力水で煮て、効能反転だっけ? 本当に出来るの……?」
「他にも色々と処理が必要でいくつか工程はあるけど、一番のキモはそこだな。それが成功しないと飲み込んでから、ものの数秒で腹がぶっ壊れる。何なんだよコレ。タキナガレ単体で食った時より酷くなってるんじゃねえか? 三分ともたねえとかどうなってんだ」
一応、成分を魔力で確かめながら試作を続けているが、あまり芳しくない。
そもそも、キャスロに含まれている成分が知らないものばかりだ。
神域や妖精の里では、最低限の回復系の植物の知識しか身につけていないので、特殊な効果を持つ薬草類は全くもって分からないという悲惨な状況なのだ。
そこでキアラの薬学の知識を当てにしていたのだが、まずは素材の特定という面倒な事この上ない作業を強いられる羽目になっている。
午前中を費やしたが半分もいっていない。
で、面倒な単純作業が我慢出来なくなり、ちょっと魔が差した。似た成分の薬草類をレシピ通りに処理して混ぜれば、意外と簡単に完成するんじゃね? と。
「やっぱりちゃんと素材を特定しないと危ないってば。そう一日に何度もお腹壊せないでしょ?」
「いや、あと二回はいけるはず……」
「それ、賭け事で一番言っちゃダメなヤツだよね」
「……」
くっ……。確かに完全栄養食を作ってるのに栄養失調になんかなったら本気で笑えない。
しかし作るとしてもキッチリとこの成分比率でないとダメ、という事だと困るんだよなあ。
ある程度の成分のバラつきは許容されているはず。と期待しているのだが。
完成した試作品は、その期待でもってこの身で実験してみたものの、見事に失敗であった。
成分に違いがあるのは分かっていたが万が一でも許容範囲に入っていれば儲けもの、という一念でこの身を犠牲にしたのだ。
「諦めるって選択肢は……」
「ないッ!」
「だよねー」
「そもそもリナリーたちが早くしろって急かしたからだろ」
「うっ……」
「まあ。オレも早く再現したいのは一緒だから始めたんだけどな。いつでもトイレを設置出来る環境とは限らん」
しかし……この失敗したキャスロをどうしようか。
まずはレシピ通りの分量でやってみたが、一ロットで百本のクッキーバーが出来上がってしまった。二本一単位の消費が基本であるキャスロ。約五十食分が不良在庫として残ったわけだ。
「リナリー。誰か毒盛りたいヤツとかいない?」
「いきなり何を物騒なコトを。そりゃあ明らかに効果としては毒と違わないけれども」
「命の保障をされてる毒って、かなり良心的だよな」
そこへ、いい汗かいたとばかりに額を汗をぬぐい、タンクトップの胸元をパタパタとさせたキアラが作業スペースを覗き込んできた。
「なんかすごい会話してるニャー。試作のクッキーバーはダメだったのかニャ?」
「ああ、かすりもしなかった。おかげでタキナガレの効能マックスでトイレの住人になった」
「……何事かと思ったのニャ。すごい音がしたけど、まさかあれって……トイレから」
「どんな生理現象だ! オレのケツが吹っ飛ぶわ!」
あれは移動時の踏み込みの音だ。
相当切羽詰ってたから周りに気を配る余裕なんてなかった。
あんな音がオレの尻から出たとか何故思う。爆発音だぞ?
「でも効能反転なんてホントに出来るのニャ? いままで聞いた事なかったけどニャ。サイールー姉さんに聞いても、お楽しみの一点張りで結局は具体的に何を作るのか教えてくれなかったのニャ」
「完成してからお披露目しようかと思ってたけど、どうにも上手くいってない。隠していてもしょうがないから、ここで情報を明かしたほうがいいかもな。サイールーとキアラ、それに、ものによっては錬金術でイルサーナにも手伝って貰わなきゃならんかもしれん」
ちょうどゴーレム操作の訓練から全員が戻ってきた。
リアも朝からラキと一緒にゴーレムで遊んでいたようだ。
その辺りの詳しい様子は後で聞くとしよう。遠目には範用タイプのゴーレムをそこそこ動かしていたのが見えたんだよな。
それでは説明をば。
「今オレが作ってるのは、生理現象の完全なコントロールと肉体の全てを最適化する完全バランス栄養食品『キャスロ』だ。ついでに寝る時間も減って大変お得です」
「それって本当に栄養食なの……? 寝なくていいってヤバイものが入ってるんじゃ……」
「カイナの心配も最もだ。太昔に軍事物資として流通していたとだけ言っておこう」
「ふーん……って、あれっ!? 否定してないッ!?」
バレたか。
バリバリの戦闘薬ではないが、それに近いとクイーナは言っていた。
さすがに痛覚麻痺とか、娯楽薬物系やサイケデリック剤みたいな向精神薬としての機能はコレにはないという事らしいが。
言い方が引っかかるんだよ。
問い詰めたら案の定、このレシピの派生でそういったものも作れるという事だった。
そっちのほうは教えないけど研究するのは止められないから悪用しないでね、だって。
まあ悪用する気はない。どちらかというと、そういったものに対してのカウンターとして用意しておきたいといった所だ。
「正直オレも確信してるわけじゃないから何とも言えないんだよ」
はっきりしてるのは睡眠を短時間にする効果がある事。
多少、精神安定の効能もあるかもしれない。
しかし、あくまでそれはオマケでメインは完全消化と吸収、そして毒物の無害化だ。
「えっと、生理現象のコントロールと肉体の最適化、ですか? それだけを聞いてもよく分からないのですが……」
「サーナの言うとおり、生理現象のコントロールというのが良く分からないニャ。肉体の最適化だったら、なんとなく健康な状態にするとか、そんな想像がつくけどニャ。でもイズミがトイレに駆け込んでた事実から考えると……もしかして……?」
「そういう事だ。出るほうを制御する。一時的に完全な消化吸収と老廃物の再分解で水分も体内で循環させる夢のような食品だ」
オレもサーナって呼ぼうかな……。
サイールーとなんだか混ざる時があるんだよな。
ところで……言い方がまわりくどかったか? 反応が薄い。
ウ○コとオ○ッコを出さなくて済むと、はっきり言ったほうが良かっただろうか。
みんな固まって、いや、イルサーナは今のでピンときたようだ。
その事を確かめるようにイルサーナが口を開いた。
「まさか、それはつまり……」
「出るほう、つまり大、中、小のどれもが効果時間中は全てなくなる」
「「「「中って何ッ!?」」」」
おっと、リアとトーリィ以外が全員突っ込みを入れてきたぞ。
二人は目をパチクリして会話に入って来れないでいる。
ちょっとお下品な話題だから積極的に入ってこないほうがいいと思うぞ。
まあ、冒険者と違って、この二人の場合、身近で切実という訳でもないというのもあるかもしれないが。
「中は中だ。あー……オレの口から説明するのもなー……妖精のお二方、頼むわ」
「あー、うん」
「了解~」
リナリーは苦笑気味に、サイールーは何故か嬉しそうにオレの頼みを了承してくれた。
女性陣全員をオレの作業スペースから離れた所へ連れて行き、説明をする事に。
相槌や「え、そうなのっ!?」と時折、驚いたような声が聞こえるが、結構丁寧に説明をしているようだ。
オレの口からは言い難かったから助かった。
中というのは、要するに女性が抱える生理現象の事だ。
いわゆる月のものの事。
キャスロを摂取すると痛みや出血が最低限になる。
さすがに排卵を制御なんて機能はないが、肉体の最適化作用が胎盤の剥離を最低限に抑え、再生を促進する。キャスロの効能の基本である、身体が最も良好な状態へなるようにと効果が発揮されるのだ。
おそらく長期間の軍事行動を見据えた上での機能なんだろう。
男女間の肉体的ハンデを可能な限り解消という点から見ても、かなり有用なアイテムだ。
そして、何故『中』と言ったか。直感的にそう呼称しただけ。
決して身体の構造位置に絡めて、大、中、小と呼んだわけではない。
ないぞ。
大体の説明が終わったようだが、みんな先程とは違った顔つきで戻ってきた。
何やら、かなり魅力的な話に聞こえたようで、オレの作業スペースに並べられた素材の数々を興味深げに観察し始めている。
「いつ完成?」
「始めたばかりだからなー。レシピは間違いがないものだけど、素材の特定に時間がかかりそうだ。ウルとしても、やっぱり有れば欲しい薬効か?」
「毎月の負担が軽くなるのは夢のような話。正直、時々重いから辛い」
「いや、オレに言われてもな……って、この場合オレに言うしかないのか……」
「重い云々は別にしても、体調に関わる事だから軽視できない。全員が同じタイミングとか軽いならいいけど、そうじゃない。集中力を欠けば命に関わる事だってある。ある意味、収入に直結する問題」
依頼の選び方にも少なからず影響はあるだろうな。
アタッカーが居た方が楽な依頼や、マジックキャスターが居ないとどうにもならないような依頼で、それの得意なメンバーが同行出来ないとなったら随分効率に差が出る。
下手をすると期限内に依頼が果たせずに違約金、なんて事にもなりかねない。それどころか、いつもの連携が崩れ怪我人が出れば、更に仕事の効率は落ちるだろう。
それを避けるためにそういったクセのある依頼は引き受けないという選択もあるが、そうなると収入に随分と大きな違いが出てくるに違いない。
クセのある依頼の方が圧倒的に報酬が高額だからな。
高額の報酬を得るために、自分たちのランクでは達成ギリギリの依頼を狙った場合は特に、そういうジレンマに陥り易く、有効な解決策もないんじゃないだろうか。
ふむ、なるほどね。
冒険者の場合、無視していい問題ではないわけだな。
「そっちはまあ、実体験は伴わないが分かる話ではあるな。オレとしてはメインの効能の方を重要視しているわけだけど。大と小な」
「乙女はそんなことしない」
真顔で否定するか。
シビアな事言っておいて、なんでいきなりファンタジーになる。
出会い頭にキアラに色々と聞いたぞ?
「な、何かニャ? 乙女はそんな事、し、しないニャ?」
おまっ、垂れ流すのどうのって言ってたじゃねえか。
何を突然、乙女になってんだ。
「じゃあ、そっちの効能は排除して、月イチを軽くするだけでいいな」
「「「「それは困るッ!」」」」
綺麗に揃えやがって。
やっぱり、そっちも欲しいんじゃないか。
~~~~
とりあえず完成していないものの扱いを今ここで決める必要もないだろう。
どうにも長期戦を覚悟しなきゃならないようだしな。
頑なに、乙女はそんな事しないと言い張っていたが……まあ、そういう事にしておこう。
下手に追求すると「いくら、お尻が好きだからって……」と謂れの無い非難に晒される羽目になる。
まずは、どうにかなる事を先にどうにかしよう。
というわけで、リアの魔法習得のための講義を開始しようと思う。
みんなには長めの休憩時間として自由参加といったが、全員が聞く事にしたらしい。
リナリーとサイールーは果物を頬張りながら、ラキはオレのフードに潜り込んで頭の上に顔を乗っけているといった観覧スタイルだが、この三人は完全にオレの側だからスタンスの違いが良く分かる。
まあ、あくまでメインはリアだから、それに合わせた講義だけど。
「さて、まず最初にリアが魔法を覚えるためにする事は、意識改革だな」
「意識改革、ですか?」
「リアが魔法を使おうとして躓いているのは、出来ないと思い込んでいるからだ。おそらく今まで居た環境では、そういった認識が普通で当たり前だったんだろう。意識の根幹に根付いたものを、自分で改変するというのは状況的には無理だったんじゃないか? というか当たり前の事として疑問にも思わないんだから、意識改革に至る以前の問題だよな」
「そうですね……祈りの力を持つと等級の高い術は使えない、と誰もが口を揃えて言っていました。私も、そういうものだと思って疑問を感じずに日々を過ごしていましたし……」
「環境の影響だよな。この場合は教育になるのか? 誰かがおかしいと気付いても良さそうなもんだけど、それには確証が必要って事か。情報がないのにいい加減な事も言えない、という事なんだろう」
「魔力の動きを直接操作して具現化するなんて、私もイズミさんが詠唱無しで当たり前のように、しかもその場で新しい魔法を使うのを見るまで信じられませんでした」
「オレとしては、そこが不自然だと言えなくもないんだけどな」
「不自然、ですか?」
「ああ。魔法の研究をしてるなら、誰かが気付くはずなんだ。完全無詠唱が魔法の基本だと。だが誰もそれに気がついていない。いずれは気付くかも知れないが、そこまでの時間が遅すぎるように思う。魔法で成り立つ社会で百年、二百年の単位で研究されてるはずなのに、そこへ辿り着いてないのが解せないんだよ。いや、オレが知らないだけで、そういう結論を導き出したヤツが居るかもしれないとは思うが、普及してない所をみると周囲が理解できなかったか異端とされたか」
まあ、科学技術が衰退した世界だと、魔法の技術の継承も難しいという予想は出来る。
元になる科学知識が失われれば、当然の事ながら、それでイメージした魔法の具現化は出来なくなるからだ。
しかし、それだけでは説明のつかない事実がある。
「どんな経緯を辿って今の魔法体系が完成したかは知らないが、完全無詠唱がスタンダードだったというのはウソじゃない。それはラキを見れば分かる事だ」
頭の上で、うとうとしてるであろうラキを見て、僅かに眉をひそめたリアだったが、
「……あっ」
言葉の意味に気付いたようで、ハッと表情を変えた。
「ラキは詠唱なんかしてない。それどころか言葉も話さない。独自のイメージ構築の為に吠える事はあるけど、完全無詠唱で魔法を発動してる。まあ、ラキの場合は知能が人間を上回ってる部分もあるから納得できないかもしれないけどな。でもドルーボアなんかは普通に土魔法を使うぞ」
そう。野生の生き物でも魔法を使うものがいる。当然の事ながら無詠唱で発動が基本だ。
それを見て、何故疑問に思わないのか、という疑問にぶち当たるのだ。
「……言われてみれば確かにそうですよね」
多少、強引だという自覚はあるが、否定できる要素がないのも事実だ。
完全無詠唱が基点である魔法体系こそが本道だという事を知るだけでも随分と意識が変わるはずだ。
実際、ウソではないし、オレとしてもそうだと疑っていない。
ここでリアを、こちら側に誘導しても間違った対処ではないだろう。
オレという存在を通して、それが可能だという意識を植え付けられれば成功なのだ。
若干、洗脳染みたやり方ではあるが、そもそも魔法の習得が似たような方法なのだから、なんの問題もない。
とは言ったものの、オレだってこの世界を構成する要素の全てを把握しているわけじゃない。
たまたま科学の知識をある程度、有していただけに過ぎない。
魔素や別次元の要素などは、いまひとつピンとこない部分も多い。
疑問に思っても調べようがない、といった事情のほうが大きいのかも知れない。
何せ、捕獲にせよ何にせよ命がけの場合がほとんどだ。
無詠唱が普及していない理由としては、要はそういう事なんだろう。現状では、そういうものだと割り切っているようにも思える。
知識や技術が失われていくのも、また歴史というわけだ。
イグニスに言わせれば、その時代に合った形に落ち着くのは当然なのだそうだ。
ちょうどいいから、おぬしが引っ掻き回して来い、などと無責任な事も言っていた。
「何故その技術が失われていったのかは、さて置き。まずは実践に移ってみよう。ああ、今回は魔力はそれほど必要ないから、回復しなくても大丈夫だ」
「わかりました」
ポケットから魔宝石を取り出そうとしたリアだったが、オレのその言葉に頷き姿勢を正す。
どんな事をするんだろうという期待の視線が微妙にむず痒い。
「まず最初にリアにやってもらうのはイメージしてもらう事だ。オレのやってる神楽、じゃなくて、えっと武術な。それの初期の鍛錬法にいいのがあるんだよ」
本当は四股立ちや馬歩に似た姿勢でやるのだが、そこは割愛。
イスに座ったまま集中してもらう。
両腕を胸の高さまで上げ、両手で何かを掴み、持ちあげた時にするようなポーズだ。
掌はそのまま、何かを掴んでいるような形で維持。
「目を瞑って、その両手の平の中に火の玉があるのを想像するんだ。松明の先で燃えてる炎を思い浮かべてもいい。出来るだけ明確に。大きさ、色、熱、音。視覚以外の全ての感覚がそこに火の玉があると錯覚するほどに頭に思い描く」
「はいッ」
嬉しそうな返事のあと、すぐに集中し始めるリア。
眉間にシワを寄せる表情からも、真剣さが伝わってくる。
「……何か、掌が温かくなってきました」
うっそ、マジで?
一発でそこまでいくの?
武道の鍛錬の素養もないはずなのに、イメージと肉体のリンクがいきなりそこまで行ったか。
「よし、じゃあ一端やめて両手を擦り合わせて、仕切り直しだ。二、三回繰り返したら、もうひとつのイメージでやってみよう」
「はいッ!」
続けて二回やらせてみたが、イメージ構築が早い。
ウソを言ってるようでもないし、実際に掌が熱く感じているようだ。
「次は火よりもイメージし易いかもしれないな。火の玉なんて普通は掴む機会もないからな。火とくれば次はなにがくると思う?」
「え? 火を掴むよりイメージが簡単というと……」
「はいはーいっ! 水ニャ!」
「残念、惜しい! 答えは氷だ。氷の塊を両手で持つイメージだ。この辺は冬になると結構寒いんだろ? だったら氷くらいは触ったことあるんじゃないか? 過去の経験を反芻するのもイメージには有効だぞ」
「小さい頃に氷のつららで遊んだ事があります」
あー、うん。そういう遊びも経験していたか。
ただ、まだ十三歳なのに『小さい頃』と言った事に、ちょっとほのぼのした表情になってしまった。
「うぅ、イズミさんは今でも子供だって言いたいんですね……」
「ははっ、明るい表情は歳相応に見えていいと思うぞ。こんな場所なんだから無理して大人の仮面を付けなくてもいいだろ?」
「イズミなんて、この歳で水遊びも泥遊びもするしねー」
「規模とレベルが常識から離れ過ぎてるから、油断すると遊びが災害になっちゃう」
「うるさいぞ、そこの妖精ふたり。世界を理解するためなんだから、なんだってやる。リアもそのうち色々やりたくなるぞ」
「悪い道に引っ張り込まないの」
リナリーだって色々やってたくせに。
そんなオレとリナリー、サイールーの応酬を見て苦笑気味のリアだったが、最初に比べればだいぶ表情が柔らかくなったように見える。
張り詰めていたものが、いい具合にほぐれてきた証拠だろう。
「とにかく、次のイメージは氷だ。自分の頭よりひと回りくらい小さい氷の塊を両手で持っているイメージだ。似たような大きさなら、今まで持った事のある氷とか雪の塊でもいいぞ」
リアの講義に集中していたが、全員が同じようにイメージの訓練を始めた。
もしかして、さっきもやってたのかな?
「氷のイメージだけで足りなかったら、冬の寒空も加えて想像してもいい。真冬の野外で氷を両手に持ってブルブル震えてる所なんか思い浮かべると氷がよりリアルになるかもしれん」
しばらく様子を観察していると、全員が何かしら感覚の変化があったらしい。
「想像だけで、ここまで身体の感覚に違いが出るとは思いませんでしたねえ……」
目を開け、擦り合わせた両手を見つめ、イルサーナが戸惑いながら言う。
修行組の面々も、やはり不思議そうな面持ちで、自分の掌を握り締めたり、さすったりと、感覚の変化を確かめているような仕草をしている。
やけに飲み込みが早いな。魔法を使い慣れているのと関係あるのかね。
同じくリアにも感覚の変化があったようだ。
では、こちらもあと数回、繰り返して、と。
「それじゃあ、次は魔力を掌に集中しながら氷をイメージしてみようか。とりあえずイメージしながら魔力を動かすのに慣れる為の訓練だから、氷を生成するとかは気にしなくていい。言うまでもなく目は瞑ったままでな」
「わかりました。魔力を集中、ですね」
頷くと、早速リアが瞑想のように意識の集中を始める。
みんなも、それに倣ったように同じく魔力と意識を掌に向けたのが分かった。
おおー、みんな結構うまいな。
今現在でこれだけ励起した状態、つまり平時の安定した状態から、いつでも具現化できそうなほど魔力を活性化させた状態に出来たなら、具現化状態まで移行するのもすぐかも。
この練習にあとちょっと慣れるだけでいけるんじゃないか?
と思っていたんだが……。
ん?
んん?
ゴトンッ!
ゴトゴトンッ!!
「……え?」
意表を突かれたように大きく目を見開いたリアから呟きが漏れた。
その原因は……。
地面に転がる氷。
テーブルに当たって落ちた音のようだったが、それはどうでもいい。
集中していた全員の掌の間から氷が落ちた。
「あたしたちも出来たのニャ……?」
一瞬、呆けていたが修行組の全員が驚きながら喜んでいる。
一応ながらリアがメインなので、そこを分かっているのか、控えめではあるが。
しかし……。
ええー……?
なんでみんな一発で出来ちゃうの?
オレ結構、時間かかったと思ったけどなー。
これが才能の違いというやつか?
魔法に馴染みのある世界だからって、これはどうなの?
オレってやっぱり才能ないんか?
「ちょっとお兄さんショックです……」
「あ、あの……何が良くなかったのでしょう……? 氷が物質化してはいけなかった、という事ですか?」
おずおずと何か不味い事をしてしまったのではないかと、問うリア。
そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だ。
「ああ、違う違う。オレの時と比べて、自身の才能の無さにちょっと色々と、グラ付いてる感じなだけだ。誰だよ、リアに魔法の才能が無いなんて言ったのは。オレよりあるじゃねえか。氷の物質化は当面の目標に据えるはずだったのに、いきなりクリアだよ」
他のみんなはまあ分かるよ。
オレが魔法使う所を何度も見てるし、サイールーによってその身で味わっていたりもする。
修行で魔法を効率的に使えるようにもなっていたから、後は切っ掛けだけだろうと踏んでいたのも確かだ。
何より、魔法を使えていたのだから何の不思議もない。
とはいえ? スタートラインが違っただけでオレより魔法を上手く使えるんじゃないかとは思っていたりもしたんだよな。
仮に科学の知識を疑いなく常識として持っていたとしたら。
おそらくは、オレの考えの及ばないような魔法を使っていただろうと予想できる。
しかしリアの場合、オレがルテティアに来た時より状況が悪かった。
魔力は動かせはしたものの、ごく簡単な短詠唱の生活魔法しか扱えなかったのだ。
オレが境界で覚えてきた魔法と比べても、オレの方が幾分か先んじていたはず。
そのリアが、いくら教えたとはいえ、すぐに出来るようになるとは思わなかった。
「クリアですか? 良かったです。でもイズミさんより才能があるというのは……」
「いや、間違いなくオレより魔法に適性がある。ただまあ前提条件が違うから、そう思えないかもしれないが、リアは自信持っていいぞ」
「はい!」
オレは褒めて伸ばすタイプだからな。
あとは本人たちに、それと気付かないうちに身に付けさせるというのが教育方針だ。
垂直跳びで一ミリずつ目標値を高くしていく、みたいな。
「前提条件って、昨日言った?」
何か考え込むような仕草のあと、ウルがコテンと首を傾げて疑問を口にした。
オレとリアとの会話の内容に気になった単語があったらしい。
液体空気を作った時に語った、知識と記憶について思い至ったというわけか。
「だな。刷り込まれてる常識と、持っている知識と記憶がかなり魔法に影響してる。魔法を使うというのは、世界を構成する要素をどれだけ把握してるかで違いが出ると言われた。例えばだ。水とはなんだ?」
「え、水? 水は水、だよね?」
「んー、そうニャ。それしかいいようがないのニャ……」
「水分、水滴の集まり……という事ではないんですよね?」
カイナとキアラの答えを、更に突き詰めて考えてみたものの、自分で納得しなかったようだなイルサーナは。
だが惜しい、方向性は合ってる。
「まさか、水が何で出来てるかを聞いてるの?」
お、さすがだなウルは。
見事に本質を捉えた質問を投げてくるじゃないか。
「そう。いわば世界からの問いだ。その世界の問いに対して答えないと魔素は仕事をしてくれない。――そうか……自分で言っててやっと気が付いた。だから詠唱が普及したんだな」
「どういう事でしょう? リナリーさんやサイールーさんは分かりますか?」
トーリィが問うも、二人は肩を竦めて首を振るだけ。
「何を納得したかは私やルー姉さんでも分からないけど、イズミは時々こうなるよ?」
「そだねー、私も見慣れてはいるけど、思考の着地点までは分からないかなー」
オレ自信よく分かってないからな。
考えをまとめるための連想ゲームのようなもの。
「同調詠唱で刷り込んでしまえば、極端な話、知識は必要ない。疑問の余地も与えず無理矢理、魔素に仕事をさせているような状態だ。さっきの氷の具現化と同じ事を自動でやっているに過ぎないが、知識が歴史とともに風化していくとしたら……それへの対抗策、なのか?」
そうだ、何故気が付かなかったんだろう。
知識が失われていく事への保険だったわけだ。
疑わなければ全てのことが出来るというのを逆手に取って。
魔法の技術のほうが失われる危険性もあったが、生活に密接に関係している以上は最低限のものは残ると見越していたようにも思える。
しかし、すべての魔法を継承出来たわけではないだろう。
液体空気がそうだ。これはおそらく保険から漏れた魔法。属性という概念で括れなかったのか、あるいは単純に扱い辛く廃れていっただけか。
今、気付いたが、液体空気だって最初からそこに存在していると思い込めれば、いきなり具現化できるのか?
しかしオレの場合、知識が逆に邪魔をしているような気がする。
圧縮と低温化という工程がどうしても省けない。高速化は出来るだろうが、おそらく完全に省略するのはオレには無理だろうな。
いや、そうか。 現象を追っていけば……これはウルに協力してもらう必要があるな。
話が逸れたが、知識はなくとも意識の根底に常識として焼き付いていれば、問題はないという事だ。些か乱暴だとは思わなくもない。
高度で複雑な魔法がどれだけ継承されているかは分からないが、魔法の技術を伝えるためには同調詠唱による継承は必要な措置だったのだ。
「なんだ。同調詠唱による魔法の継承は先人達の苦肉の策だったわけか。ははっ、だとしたらすごいな。何千年先を見越して対策を立てたんだって話だ」
イグニスは、人間が魔法をどう後世に伝えようがあまり気にしないってスタンスで、その辺りの講義については無頓着だったからなあ。
あら、いかんいかん。
みんなポカーンとしてる。
そんな中、いち早く気を取り直して発言したのはリアだった。
「魔法の研究者でも、そこまで言及している人はいませんが……否定できない説得力があります。すごいですね、イズミさんは」
「だニャー。イズミがどこかの先生っぽく見えたのニャ」
何かね、キアラくん。現在進行形で君らの講師をしているんだが?
まあいい。
「すまん、すまん。自分なりに納得すれば、これ以上はこの話はしないから安心してくれ。魔法を覚える上で、あんまり気にしなくてもいい事だしな。それと、水が何で出来てるかって説明は、これまた難しいからなあ。簡単に言うと空気中にある物質で出来てるって言って分かるか?」
「……?」
ウルに向けての質問だったが、修行組の全員が同じような反応だ。
ちなみに知識だけなら、妖精たちは日本の書物である程度は知っている。
だが知ってはいても、半ば洗脳に近い教育を経験しない限り無条件で受け入れられるわけもなく、魔法に応用するというのは、まだまだ先のようだ。
ただ、その知識をイグニスが否定していないので、オレより強烈に刷り込みがされてしまう可能性もある。妖精にとって祖龍とは、絶対の存在にも等しいからだ。
そんな絶対の信用をここにいる皆がオレに対して置いてるわけじゃないから、言葉だけではどうにもならない。
まあ、神格化されるよりはいいど……。
「だよな。証明する機材がないから説明が難しいんだよ。そこをカバーするように、他で何とかしてみるつもりではあるけど、過剰な期待はするなよ? プレッシャーに弱いからな」
「プレッシャーに弱い人間が、一日で死の牙を壊滅に追い込むかニャー?」
「え!?」
キアラの何気ない一言にリアが固まる。
「あ、そっか。リアちゃんはその事を知りませんでしたよねえ。この人とんでもない理由で盗賊を一網打尽にしてますよ?」
「そんな人がプレッシャーに弱いと言われても、確かに信じられませんよね」
イルサーナとトーリィが微妙に呆れるような表情でオレとリアを交互に見て言うが、あれと一緒にしないで欲しいものだ。
「誰かの期待を背負ってやったわけじゃないから、ある意味、気楽だったんだよ。全部自分の都合で動いたからな。いいストレス発散だった」
「え? えッ!?」
リアは目を開きっぱなしだね。
そこまで衝撃的な事ではないと思うけど。
「うーん、この反応からすると、リアちゃんは死の牙が中央でも手に負えなかった賊だって知ってるみたいだね。ストレス発散で片付けられるような規模じゃないし、普通なら色々なリスクを考えて動けなくなるんだけどねえ。トーリィから聞いた話だと、一応は情報をもとに計画的に動いたっぽいんだけど、本人の中では追い込み漁だったって言うし」
カイナの言うリスクってのは中途半端に手を出して、身近な人間に被害が出る事についてかな?
真っ当な盗賊じゃなかったという意外な収穫はあったけど、下手に首を突っ込ませないほうがいいよな。真っ当な盗賊というのも変な言い方だけど。
「報奨金はまだだけど、日給にしたらいい稼ぎになりそうだったな。更に食の充実が図れる」
「うわ……日雇い感覚で厄介な武装集団を追い込んだんだ……」
ちょっと頭のおかしい人がいる、みたいに言われるのは心外だぞカイナ。
「みなさんが確信を持っているという事は、壊滅は確かな事実なのですね……驚きましたが、これで驚いていてはイズミさんとは一緒にいられないという事なんでしょうね」
「何か妙な納得のされ方だな……詳しく話を聞きたいなら折を見て話すけど、とりあえず今は魔法に集中だ。せっかく好調なのに続けないのは勿体無いからな。時間を有効に、だ」
「はいっ!」
よろしい。
しかし教えるのもなかなか楽しいな。イグニスもこんな感じでオレの面倒みてたのかね?
リアには一週間で何とか、一つくらいは実用に耐えるものを使えるようにしてやりたい。
オレの睡眠時間を削りたいが、どうしたもんか。
キャスロを食べれば余裕だけど、そうなると正規品の効果が優先されて試作品の確認が出来ないかもしれないからなあ。
うーん、どうしよう。




