第六十四話 戸惑いの少女
前半はイツィーリアよりの三人称視点です
(ここは……?)
少女は最初、そこが何処なのか全く分からなかった。
石造りの暗く湿気を帯びた部屋、とまではいかなくても陽の届かない部屋に閉じ込められると思っていたからだ。
では何故こんな場所へ?
木造の小さな部屋。
だとは思うが、それにしては植物が多すぎる。それも見た事の無い植物が。
見間違いでなければボンヤリと光っているように見える。
壁のそこかしこに花が咲いており、やたらとメルヘンチックな部屋である。
天井付近に一際大きな白い花が咲いているが何の花だろうか。その花の周りだけ、やけに気合の入った装飾が施されている。
衝立の向こうは伺い知ることは出来ないが、おそらく部屋全体がこうなのだろう。
ゆっくりと上半身を起こし深く息を吐く。状況を整理してみようと試みるくらいには気持ちが落ち着いたのか、記憶を手繰り寄せる少女。
(そうだ、私は誰かに助けられた……)
夢うつつではあったが、それだけは何故かはっきりと確信していた。
温かな魔力を身体が覚えていたと言うべきか。
それと、こちらには確信はないが、その後に何か怖いものを間近で見たという微かな感覚が残っている事に少し困惑する。
(それにしても……)
本当にここは何処なのでしょう、と記憶を反芻するが思い当たるものが何もない。
特徴的なものならば家具や寝具などから、地域を特定する事も不可能ではないが、少女にはそこまでの詳しい知識が無かった。
何より素材すら特定出来ないのではどうにもならない。
今まで使った事もないような手触りの寝具に、魔法をかけられたような寝心地のベッド。
これだけでもう調度品からの推測を諦めるのには充分だった。
しかし、ならばどうするか。
誰かに聞けばいいという結論に達するまで然程、時間は要らなかった。
何故なら、この部屋には間違いなく人が生活している空気のようなものを感じるから。
それ以前に、疑いようもなく聞こえてくる人の声に捨て置かれた訳ではないと分かる。
そんな事を少女が考えていると衝立の向こうから何かの動く気配が。
「んニャ、起きたかニャ? 調子はどんな感じかニャ」
(この方はミオノかアイノ系の方? どことなく似ているけど私を助けて下さった方の魔力では……ない)
敵意は感じない。
そもそも敵意があったら拘束もされずにベッドに寝ているなど在り得ないだろう。
そして、そこで初めて少女は自分の体調に関心を向ける事が出来た。
「はい、調子はたぶん……大丈夫です。どこにも異常はないと思います」
「んニャー良かったニャ。あの二人のやる事なら問題ないに決まってるけどニャ」
あの二人という単語で自分を助けてくれたのが、その二人なのではという推測が浮かぶ。
しかし相変わらず自分がどういう状況に置かれているのか全く分からない。
「あの、大変恐縮なのですが、此処は何処なのでしょう……私はどうして此処に……?」
「んニャ? 訓練するための拠点ニャ」
「キーたん、そういう事を聞いたんじゃないと思う」
キーたんと呼ばれた女性の後ろから、魔法使い然とした格好の少女が現れ若干驚いたが、意図した所を正確に汲み取ってもらえた事にホッとする。
「そうニャ? 具体的に言うと、カザックの街から北にある、ん~っと……だいたい十日の距離にある森の中? まあ、とりあえずは安全だから安心するニャ」
「カザック……森の中、ですか……?」
「そうニャ」
安全と聞いて僅かばかり胸を撫で下ろしたものの、森の中と聞いて益々混乱する少女。
訓練の拠点と聞いた時には、どこかの街の中だとばかり思っていたが、どうもそうではないらしい。
森の中に拠点を設ける事もないわけではないだろうが、辺境区の深い森の中に拠点を作るなど正気の沙汰とは思えない。
物資や安全の面から考えても、そんな事をするメリットがない。
取り分け辺境区の森というのは危険の代名詞とさえ言われるような所が多いのだから。
そんな深い森の中に滞在するなど、自殺志願者か酔狂な修行者くらいなものだろう。
目の前にいる二人の少女――といっても自分より幾分、年嵩な――は、そんな風には見えない。
修行者と言うには身なりが整い過ぎている。というか軽装過ぎる。夜着というのもおこがましいくらいに布地が少ない。
驚くほど綺麗な髪も、それに花のような良い香りを纏っている事も、そうとは思えない要因だ。
そんな考えが少女の表情に出ていたのだろうか、猫人族の少女が苦笑して言う。
「まあ、普通に考えたら森の中で安全だって言われても余計に不安になるかもニャー。むしろ森の中って言うのがウソに思えても仕方ないのニャ」
「安全確実。何処よりも安心」
魔法使い少女の、何かの標語のような言い回しに、どう反応していいのか分からないが、とにかく森の中であっても安全は保障されていると言いたいようだ。
「信じられないだろうけど、そこは請け負うニャ。と言っても請け負うのはあたしじゃないけどニャー」
ニャハハと笑う顔が、どこかバツが悪そうに、だが何かを信頼していると少女の目からも分かった。
「と、そうニャ。お互い名無しのままじゃ何かと不便だし自己紹介しとくニャ。あたしはキアラ。で、こっちの魔女っこがウルって言うニャ」
「ウルリーカを略してウル」
「キアラ様とウルリーカ様ですね。私はイツィーリアと申します。この度は助けて頂き、誠にありがとう御座いました」
ベッドに座ったままであったが、深々と頭を下げるイツィーリアのその所作に、少しばかり驚きを滲ませるキアラとウル。
「イズミの予想通りなのかニャ? あたしたちに『様』はいらないニャ。冒険者はそんな身分じゃないし尻尾がかゆくなるのニャ。それに助けたのはあたし達じゃないから、そこまで感謝されると悪い事したような気分になっちゃうのニャー」
「そう、なのですか? では、どなたが? イズミ様、という方の予想通りという言葉も気になりますが、まずは助けて下さったご本人にお礼を申し上げたいのですが……」
「どうして此処にって聞いた、その答えが、そのイズミなんだニャ。イツィーリアお嬢ちゃんが――」
「ふふっ、普通に呼び捨てで構いませんよ?」
「そうニャ? じゃあ遠慮なく。オホンッ! イツィーリアが飛行生物に連れ去られそうになっていた所をイズミ、リナリー、ラキの三人でその飛行生物を落として助け出し、此処まで連れてきたっていうのが事のあらましニャ。詳細は聞いてないけど、まあ、あの三人ならって感じニャ」
落としたと聞いて目を剥くイツィーリア。
全く方法が想像できない。
相当な高さを飛行していたはずで、しかも簡単には倒せないはずだからだ。
キアラもそれに疑問を持っているような口ぶりなのに、あの三人なら、と妙な納得の仕方をしている。
(もしや、そのお三方も飛行型の騎獣で? だとしたら、かなりの手練れ。ですがキアラさんの疑問の矛先は方法以前のもの? 確かにどんな方法で倒したのかというのは気になりますが……飛行型の騎獣はカザックの……?)
何か釈然としないものを感じながら、イツィーリアがそんな事を考えていると、キアラがサラっと、とんでもない事を言ってのける。
「三人とは言ったけど、イズミ一人で倒したらしいのニャ。あたし達にしてみれば正直誰が倒しても関係ないニャ。他の二人も単独で同じ事が出来るはずニャ」
「た、単独で、ですか?」
あのクラスの魔獣を単独で倒せる飛行獣乗りなどイツィーリアは聞いたことがない。
厳密には飛行獣との共同になるが、それでも何をどうすれば単独で、などとなるのか。
「他の二人を、二人と数えていいのかも疑問」
「それを言ったら、イズミなんか本当に人間なのかも疑問ニャ」
いったい何者なのだと言いたくなるようなキアラとウルの会話に、ちょっと困惑の色を深めるイツィーリア。というか普通に引いている。
人間の範疇にないと暗に聞かされては、不安に思わない者はいないだろう。
そんなイツィーリアの様子を見て、何かを思い出したような表情に変わるキアラ。
「今の話と無関係じゃないんだけどニャ。イズミがどんな人間か不安に思う気持ちも分かるニャ。だから直に合って判断するといいニャ。でもその三人と引き合わせる前に事前準備が必要ニャ」
(な、何をさせられるのでしょう……身の危険は感じないのですが、何故か聞かないほうがいいような……)
事前準備が必要というだけで、既に普通じゃないと突っ込みたくなるような話だが、何か相応の理由があるのだろうと自分を無理矢理に納得させる。
「イツィーリアは魔獣系の大きな狼って知ってるかニャ?」
「……一応、知識としては。剥製などでも何度か目にした事はありますが……」
「さっき名前の出たラキは、その狼ニャ。ちょっと引くくらい大きい狼。でも安全ニャ。実際見ても、あんまり怖がらないで欲しいニャ」
人間のように語っていたのに人間ではなかった。こうなるとイズミという人物が男か女かという以前に本当に人間なのか益々不安になってくる。
まるで想像だにしなかった事に意識が付いていかないが、更に実物を確認しろとばかりに部屋の小窓から外を見るように促される。
「ッ!?……大きい……」
この部屋から少し離れた所にそれは居た。
馬ほどのサイズの狼など、この世にいるのかと思えるほどの大きさ。
大きな狼の魔獣を想定していたのに、軽く裏切られた気分だ。
青みがかった白銀の体毛が余計に、この世ならざるモノのように目に映る。
しかしそんな感想はすぐに消えた。
何か食事の用意でもしているのだろうか。黒髪の人物――後姿で顔は見えないが体つきから男と分かる――がテーブルの脇に寄せたお皿の中身をラキがそっと食べようとして、舌をつままれて何かを言われていたからだ。
男が舌を離すと、その手をペロペロと舐め、まるで「ごめんなさい」と言っているようにしか見えない。
その光景が、どこか喜劇染みていて思わず吹き出しそうになった。
「見ての通りラキは安全ニャ。絶対に人を襲わないって確約出来るニャ。だから怖がらないで欲しいんだニャ。本人が随分と気にしていたらしいのニャ」
(あっ、何か怖いものを見たと思っていたのは、もしかして……)
「顔を見られて気絶されたって落ち込んでた」
何かに思い当たったイツィーリアにウルが、そうなの? とでも確認するように告げる。
小さくコクリと頷いて、困ったように眉を下げた笑顔のイツィーリアであったが、こう言うしかなかった。
「そ、それは申し訳ない事をしました」
落ち込む魔獣なんて、いるんだ、とやや複雑な気持ちで再度ラキへと視線を向ける。
しかしラキにばかり目が行っていたが、それに匹敵するくらいありえないものに気付く。
「あ、あれは何ですか? まさか妖精、ですか?」
「あ、それも言わなきゃいけなかったニャー。ピンクの髪がリナリーで、もう一人のほうがサイールー姉さんだニャ」
か、軽い。
イツィーリアは率直にそう思った。
妖精などという伝説にも等しい存在を前に、何故そんなに冷静でいられるのかと。
ラキの事もそうだが、妖精がいるのを当然の事のように受け入れている。
(他にもここには数人居るようですが……この方たちはいったい何者なのでしょう……? もしかして私は、ある意味とんでもない方達に助けられたのでは……)
「言っておくけど、ラキも妖精もイズミの知り合い、というか仲間ニャ」
「私達は、そのイズミンの知識と技術を学んでいる弟子のようなもの」
「ひとりだけいる男子がイズミなのニャ。どういう人間かは……またアホな会話をしてるニャー。大体あんな感じニャ」
何故かイズミと呼ばれる人物の説明を放棄しているような気がするのは思い違いだろうか。
そして自分たちはあくまで普通の冒険者だと釘を刺されたような。
だが二人とも自身の魔力が尋常ではないという事を理解しているのだろうかと、密かに呆れの視線を向けてしまうイツィーリア。
「とにかく。助けたのはイズミだから、お礼なら直接言うといいニャ。まあ、しばらくは余計な事は考えられなくなると思うけどニャ。ニャハハハ」
こうして、イツィーリアとイズミは対面したのだった。
~~~~
ふむ。ラキを見て気絶した時はどうしようかと思ったが、寝て起きたら顔色も良くなってるな。
「サイールー。悪いけどちょっとリアを診てくれないか? 普通に食べても大丈夫だとは思うが、念のため」
「ん、りょうか~い! ちょっとゴメンね」
「ん……ぁ……」
これがあるから、意識があるときはオレが魔力で触診するわけにはいかない。
若干、頬を染めてサイールーの魔力触診を受けているリアだが、大人っぽい反応だな。
まあ、有体に言えばエロい反応なわけだが。
「うん。大丈夫みたいよ。体温低下の影響もないし、内臓系も問題なし」
「そうか。ならメニューを変えなくても良さそうだな」
「あ、あの……今のは……?」
「ああ、いきなりやって悪かった。妖精が使う魔力による触診だよ。身体の異常を検知するのに便利だ。初対面の相手だと、その対象の現在の状態が正常なのかそうでないのか判断するのが難しい場合もあるけど、サイールーは腕がいいしサンプルの情報もあるからな」
数としては少ないが人間のサンプル情報として六人分が揃ってるから大丈夫だろう。
言うまでも無くサンプルとはオレを含めた、ここにいる人間全員だ。
オレ以外は全て成長魔法で得た情報だが。
「オレも一応は使えるけど、さすがにリアのような女の子に使うのはなー」
「……イズミさんなら問題ない、です」
「本当に何をしたんですかねー、この人は。なんでこんなにイツィーリアちゃんに懐かれてんですかねえ。それに私たちになら、その魔法使うんですか? エッチですね。是非使ってください」
「使わねえよ! 使うとしても緊急時だけだ」
イルサーナの冗談か本気かよく分からん追求には、はっきりとそう宣言しとく。
しかしながら懐かれてるってのがオレにも、さっぱり分からん。
まあ助けられた事で一時的に親近感が増しているだけだろう。要はつり橋効果の一種のようなもんだ。
「何にしても体調が良好なら夕食にするとしよう。みんなはその後、座学な。いや、ゴーレムで遊んどけばいいか」
リアがゴーレムで遊ぶ? と疑問を口にしていたが、それについては後で説明するという事で取り敢えず納得してもらい、夕食の時間と相成った。
本日のメニューはピザ。トッピングは無難な所を攻めてみた。
ボア肉のベーコンを使ったジャーマンポテト風ピザと、マヨチーズコーンのピザ。
バジルに似た香草を使ったマルゲリータと、オレにとっては定番のものばかり。
三種類もあれば、味に飽きるって事もないだろう。
あとはドリンクでコーラが用意出来れば完璧だったが、あいにく再現がまだなので簡単なレモンスカッシュで間に合わせた。
レモン水にガムシロを入れ、魔法で炭酸ガスを無理矢理溶け込ませれば出来上がり。
「あの……すみません……これはどういった食べ物なのですか?」
「ああ、悪い。テーブルマナー的にはよろしくないと思うが、手で直接持って食べるものだな」
「そういう事を言ってるんじゃないと思うニャ。見た事もない料理だから、出てきた質問のはずニャ」
あれ? こっちにも似たような食べ物があったような気がするけど、違ったか?
てっきり、リアはどうやって食べるのか分からなくて質問したんだと思ったが。
それにキアラたちの前では作った事あったような……いや違った、神域で頻繁に粉物を作ってたから勘違いしてた?
「平型のパンを濃いスープに浸して食べたり、色々塗って食べる事はありますけど、一緒に焼き上げるのは見たことがないですよ?」
こちらにもあるのではないか、というオレの勘違いを正すように、トーリィがその類似品の概要を教えてくれた。
なるほど。トマトもあるし、その食べ方を見て、あると思い込んでいたのかも知れない。
「そうなのか? まあ珍しくはあっても毒なんか入ってないから安心して食べていいぞー」
美味い。良く考えたら神域に居たときにはチーズがなかったから、ほぼ完璧な再現となるとこれが初めてって事か。
「美味しいです! アツアツでチーズがトロけて、表現するのが難しいくらい、とっても美味しいです!」
リアも気に入ってくれたようだ。
コース料理的なものはオレには無理だし、どうしてもジャンクな物になりがちなので安心した。
トッピングを変えれば、いくらでもバリエーションが増えるのもお手軽でいい。
炭酸ジュースも初めは驚いていたようだが、オレやリナリーが平気で飲んでいるのを見て、気にするのをやめたようだ。
一応、微炭酸にしておいたから、それほど気にする必要はなかったみたいだが。
「イズミンといると、食べたことのないものが次々と出てくるよね。どこの料理か分からないから、すごい不思議」
「趣味だからな。その辺の情報は溜め込んでるぞ。昔の文献だったり、他の国の料理だったりな。師匠から色々と聞き出した」
ウソだけど。
全部レシピサイトの情報を丸ごと記憶しているだけ。
言い訳にイグニス使うと便利だなあ。
カイナも別に追求する気はないみたいだし、他のみんなと同様、それで納得したようだ。
そうそう。食後にリアにも歯ブラシを渡したが驚いていたな。
久しぶりにこの手の反応を目にした。
驚かせついでにその辺を一気に片付けるか。
「リア。ここが何処かとか一応聞いたと思うけど、生活に必要なものは揃ってるから、それでなんとか凌いでくれ。あっちがトイレで、その向こうが風呂な」
修行組のみんなは食休みと、ゴ-レム対戦の準備を兼ねて、広場のほうで対戦フィールドの設定をリナリー、サイールーと共に、ああでもない、こうでもないと意見を交わしている。
「ト、トイレがあるのですか? それにお風呂まで……?」
「慣れない環境だとは思うが、今はこれで我慢してもらうしかないな」
「い、いえ、お気になさらないで下さい。今の私の状況にとっては望み得る最高の環境より、更に恵まれていますよ?」
「そうか? なら、いいんだが」
「あの……イズミさんは私が何者なのか、聞かないのですか? なんとなくですが、全てを承知の上での言動な気がしてならないのですが……」
「全ては言い過ぎだな。確信してるのはせいぜい、イイとこのお嬢さんだって事くらいだぞ。だからこそ、例え短期間だとしても、ここの生活が身体に合わない可能性を考えた訳だ」
「……なぜ、そう思ったのですか……?」
「ん? イイとこのお嬢さんだって?」
「はい」
「服の素材がこの辺じゃ見ないくらい上等だったのと、あとは会話してそう思っただけだな。普通だったらまず口にしない事を言いかけただろう?」
「?」
「助けた事に対して、功績と言いかけて言い直した」
「あっ……」
「あんな論功の時のような台詞は染み付いてないと、なかなか出てこない。それと見た目か。日焼けもしていない。手も綺麗なもんだ。ああ、髪もそうか。一般市民の同年代でそこまで手入れが行き届いた髪はほとんど目にしなかったからな」
「……では、ほぼ最初からお見通しだったわけですね」
「まあ、そうだな」
そう言われてしまえばその通りで、肩を竦めて控えめに笑うしかないわけだ。
「でも、髪の話だったら皆さんの髪のほうが綺麗ですよね。キアラさん達の髪を見て、最初は驚きました」
「使ってる洗髪剤がちょっと特別なんだよ。リアも後でみんなと入ってくるといい。その時に洗髪剤その他の使い方と、ここの設備の使い方もついでに教えてもらっておくといいんじゃないか? もう少しすればゴーレムの対戦ゲームも始まるだろうから、暇つぶしに見学しとくのもありだぞ」
「イズミさんは……? まだ何かお仕事が残っているのですか?」
「ああ、オレはまだ日課の鍛錬が残ってる。その間は、そうだな……ラキ、リアと一緒に適当に遊んでな」
「えっ?」
「ウォンッ!」
ぶるぶるっと身体を震わせ、子犬姿に変身するラキ。
目の前で十分の一以下の大きさになったラキを見てリアが固まったまま何度も瞬きをしている。
「えっ、えっ!? なんですかこれ。可愛いです!」
それを聞いてラキがご機嫌になった。
ダウンしたイメージを自ら回復させてご満悦ってとこだな。
という訳で、しばらくの間はリアの相手をよろしく。
切羽詰っている様子もないし、詳しい事情や今後の方針は、明日以降でもいいだろう。
~~~~
体感では約二時間強。
占めて本日の鍛錬、終了ー。
魔力抑制具を使った鍛錬にも違和感がなくなってきたな。
感覚の誤差修正も、徐々にだが前進している。というか永続の循環強化をすると微妙にズレていくんだよな。循環強化が限界値に達しないと、完璧な誤差修正が出来ないから、終わりが見えないのがなあ。
いつまで続くんだろうか。そろそろ打ち止めになって欲しい気もする。
成長している証なのだから贅沢な悩みなんだろうがねえ。
「わふ!」
子犬姿のままのラキが尻尾をパタパタと振り、駆け寄ってきた。
おや、みんな何処に行った?
ああ、風呂か。リアもちゃんと一緒のようだな。
「イズミン、鍛錬、終わった?」
替えのTシャツみたいだが、ウルはその下、ちゃんと着てるんだろうな?
その歳で事後のような格好とか、女子的にどうなんだ?
「ああ、ちょうど今な。もうちょっとしたらオレも風呂に入るわ」
「残り湯を堪能」
「存分に楽しませてもらう」
「……」
「赤くなって黙るくらいなら言うなよ」
ちょっと意地の悪い笑みを返せば、むう、と膨れっ面のウル。
時々こういう反応するから、まだまだ可愛いほうだ。
実際に残り湯があるから生々しい想像になったからなんだろうけど。
イルサーナだったら「私のエキスも染み出た女子汁で何する気ですか?」とか畳み掛けてきてもおかしくないくらい年季が入ってるからな。
「えっ、堪能するなら、もっと体液出しておくべきでしたか?」
「何出したッ!?」
さらっと超えてきやがった。
今、言うのは冗談でも度が過ぎてるぞ、イルサーナ。
リアの顔が真っ赤だ。
「……そういうのは教育上良くないから」
「あぁ、そうでしたね。申し訳ありません」
視線でリアがいるんだぞ、との指摘に悪びれず『失敗、失敗』と笑って誤魔化しているが本当にそう思ってるのか? まったく。
「どうだ。温まったか? リア」
「はい。とても気持ち良かったです。髪の毛が信じられないくらい軽くてふわふわです」
「リアさんの髪は本当に綺麗ですよね」
「ホント。私の赤みがかった栗色と比べると、なんというか上品」
カイナは自分の髪の色が違う色なら良かったのに、とか思ってるのかね。髪の色に上品も下品もないと思うが。
でもまあ、確かにトーリィの言うとおり綺麗な髪だな。
髪質というか土台がしっかりしてる感じ。
「ありがとうございます。……でも」
「どうした?」
気のせいではなくリアの表情に少し影が差した。
何かあるのか?
「この髪は忌み髪なんです……この青みを帯びた黒というのは、一部では忌み色として認知されているんです……」
そうなのか?
知っているかと他に視線を向けるが、皆、知らないとばかりに首を振っている。
「この辺じゃ、そんな話は聞かないみたいだけどな。それにオレの故郷だと逆でな。濡れ羽色と言って、リアの髪は理想の髪色なんだよ」
「そ、そうなんですかっ!?」
「その色にどんな謂われがあるのか知らないが、オレの中ではそうだ。髪の毛の色で忌むべき対象になるなんて、自分ではどうしようもないのに、それじゃあ生きてる事を否定されてるのと変わらんじゃないか。それとも何か、その髪に特別な力があって不幸になると? バカげてる」
「そう、なんでしょうか……」
「リアは生きてるだけで、ただそこに在るだけで不幸をばら撒いてるのか?」
「いえ、いいえっ! ……そんな、筈は……っ」
「だろう? 現にオレは不幸になってない。この先もその予定はない。絶対にな」
オレから見てもリアは真っ当な精神の持ち主だ。
もしリアのせいで周りが不幸に見舞われ、そんなものを見せられていたら、こんなに真っ直ぐに育ってないはず。
この年齢にそぐわない利発さや聡明さというものが、そんな環境で備わるわけがない。
それとも、逆にそういう環境だからこそ聡明であらねばならなかった、なんて事も在り得るのか。在りそうな話だ。
リア自身、ないと断言しきれないのは、何かを呼びこんでしまったと思い込むような出来事があったのかもしれない。
しかしだ。オレの常識だけで判断は出来ないが、少なくともリアの周りにはそんなオカルト的な力学が働いているとも思えない。髪に何がしかの力が宿っている風でもない。
むしろ何かを呼び込むとしたら周りの人間が原因じゃなかろうか。
欲望に振り回されるなんて事は良くある事だ。
ウィッグなどを使えば良かったのでは、となりそうなものだが、それも意味は無さそうだ。
リアの出自がどうであれ、既に忌み髪として認知されているなら隠した所で効果など期待できないし、逆に目立ってしまうだろう。
何にしてもオレの言葉で、リアの表情に明るさが戻ったようで良かったわ。
「それにな。髪色なんていくらでも変えられるんだから、アホらしいにも程があるわ」
「「「「「えっ……」」」」」
「えっ?」
オレなんか変な事言ったか?
リアも含めた修行組の全員がなんとも言えない顔をしてる。
「一応聞くけどニャ……イズミの言う、色を変えるっていうのは、ずっとって意味ニャ?」
「伸びるに任せると段々と毛先のほうに残るだけになっちまうけどな」
「イズミさん。そんな長期間、髪の色を変える染料はありませんよ……」
えっと、どういう事だ?
その辺に詳しいイルサーナだからこそ、確信をもって無いと言ったんだろうが、オレの認識とズレまくってるな。
それがはっきり顔に出ていたのだろう。イルサーナが説明をかって出てくれた。
どうやら、一時的に髪を染めるものはあるらしいが、ホントに一時的。
早くて三日、保っても一週間といった所。はっきり言って日常生活レベルでの実用に耐えない。
せいぜいが変装に使うくらいの用途しかない。
という程度の染料しかないという事らしい。
ああ、久々にやっちまった。まだこういう常識の違いが出てくるなあ。
「すまん……オレの故郷と里の常識で発言してたわ。いや、オレの故郷は前提が違うから関係ないな。でも妖精の里だと普通に髪の色を変えてたぞ。なあ?」
「そうねー。気分次第でいつでも変えてたね。リナリーはその自毛の色が気に入ってるから、ずっとそれだけど、私なんかはしょっちゅう変えてるかな。この前は水玉模様だったし」
何を思ってその模様にしたんだか。
しかし、髪の毛を染める手段がないとは。
「仕様が違うんだな。イルサーナの言う染色剤は、糸や布地を染めるのと同じアプローチって事だよな? 髪の毛を糸に見立てて浸透させて染める方法がダメなのか」
オレみたいな黒髪だと、一度脱色しないと綺麗に染まらないらしいけど。
脱色の必要のない髪色が多そうなのにダメとはねえ。
「色が染みこんだとしても、魔力によって時間経過で回復してしまうんですよ。排除されるのか分解されるのかは染色剤によりますけどねー。だから長時間の定着なんて無理なんです」
「なるほどなー。妖精の里のヤツは正確に言うと染色じゃなくコーティングだな。変えたい色ごとに専用の薬液があって、それを髪に塗り、乾いた後に魔力を流せば、あっという間にあら不思議。希望通りの色に変化する」
「そんな事できるんですか?」
「もっと正確に言えば上塗りしてるわけでもない。髪に塗布されたコーティング剤で偏光してるんだよ。といってもピンとこないか」
希望の色だけを反射させて、見かけ上そう見えるようにしているだけ。
だから、髪も痛まないし地肌にも優しいぞ。
「言うより見せたほうが早いか」
無限収納から出したのはガラスの瓶に入った偏光薬。
しかーし。ただの偏光薬ではない。
まあ、ある理由があって、あまり使いたくはないがデモンストレーションには丁度いいだろう。
「プッ! それ、使うのイヤがってなかったっけ? プフッ」
「笑い過ぎだ。余計な事するなよリナリー。サイールーもだぞ」
「「は~い」」
何の事か分からないといった風の一同だが、聞いてくれるな。
瓶から少量を手に出して、髪の毛全体に馴染ませる。くしを使えば完璧。
「これな。オレとサイールーで改良した偏光薬なんだが、トクサルテの花を使って……」
「どうしたのニャ?」
思い出した。
トクサルテの花の事で言うか言うまいか、迷っていた事があった。
この流れで誤魔化すのは難しいか? こっちは違うけど、普通の偏光薬のほうは主な原料に白のトクサルテの花が入ってるからなあ。まあ、ちょっと希少価値が薄れるくらいで誤魔化す意味はないからいいか。
「キアラ。ここで残念なお知らせがある」
「な、何かニャ……?」
「白いトクサルテの花が幸運の象徴だって言ってたよな。滅多に採取出来なくて、だから見つけられたら運がいいって」
無限収納から花の束をドサっとテーブルに置く。
そう、白いトクサルテの花束を。
「価値が大暴落してるニャ……」
白のトクサルテのメンバーだけじゃなく、トーリィもリアも目を見開いて花束を凝視している。
「妖精が採取するとかなりの高確率で白くなるんだよ。色彩変化系の魔法薬には大体混ぜるから里では使い勝手が良い素材として重宝してる」
「……魔法薬に使えるほど数量が確保できないから、そんな発想がまず出てこないのニャー」
「ははっ、だろうな。まあ別にオレは価値を貶めようって訳じゃない。残念なお知らせって言ったのも冗談だ。言いたかったのは、白いトクサルテってのは加工次第で何にでも変化する、言い換えれば何にでもなれるって事だな」
「幸運の象徴にして可能性の宝庫?」
「お、上手い事いうなウルは。その名を冠するパーティーのメンバーとしては色々やる気が出てきたろ? それに、一人の力じゃ可能性は見つからない。どん詰まりだと思えても関わる手が変われば意外な可能性が見つかるかも知れないって所か」
ハッとしたリアの目がオレに向けられたが、なんとなーく伝わったかね?
自分一人で何とかしようとせずに、利用できるものは何でも利用しろって、含みを持たせてみたんだが。
「ありがとう、ございます……」
ちゃんと伝わったようだ。
自然体ではあったろうが、どことなく張り詰めていたように感じたから、どこかで緩めてやらなきゃいかんなとは思ってた。
それにしても、整った容姿のコの泣きながらの微笑ってのは、なかなか絵になるもんだ。
可憐、というのも言い過ぎじゃないような気がするな。
そんなリアを見る皆の視線も柔らかい。
「おっと、そろそろか」
「何がニャ?」
「忘れるなよ。髪の色を変えるって話だったろ。これは特別製で、こうやって魔力を流すと」
「金髪ッ? 赤に緑に紫って、早すぎて目がチカチカしますよー」
「わふっ!」
「あ、今度はラキちゃんとお揃いの白銀?」
イルサーナは高速な色の変化に驚き、カイナは白銀がラキの色だと認識出来たようだ。
まあ今のは、オレが変えたわけじゃなくラキがやったんだが。
「とまあ、改良したコイツなら、好きな色にその場で変えられるから「えいっ!」――あっ?」
「「「プーーーーーッ!!」」」
風呂上りのフルーツミルクで虹が出来とるね。
花の明りの中に浮かび上がって、とっても幻想的。
って、ちがう! やりやがったな。
「やるなっつったろリナリー! 髪の毛を透明にするな! ハゲ頭から湯気が出てるように見えるだろうが! 蜃気楼じゃねえんだよッ!」
「「プハッ。アハハハハッ!」」
そこの妖精二人、笑い過ぎだ。
すぐに、いつもの黒に戻したが、みんなの視線がオレの頭に張り付いてる。
ああ、こういう事か。分かるもんだな視線って。
それにしても皆すごい顔して驚いてるな。
「ど、どどど、どういう事ですか? 一瞬、髪の毛がな無くなりましたよ……ッ!?」
動揺し過ぎだろうトーリィ。
それに不吉な。無くなってなどいない。
「どういう事って言われてもなあ。これも、原料にトクサルテの花が使われてるわけだが……簡単に説明すると、普通の偏光薬は白の花が使われていて、この改良版はオレが採取した花が使われてる」
これだな、と言って透明のトクサルテの花をみんなに見せる。
「……透明の花なんて、在り得るの?」
カイナの疑問に肩を竦めるも、実物がこうしてあるのだから、あるとしか言いようがない。
オレの手にある数本の透明の花を見て、みな一様に動きが止まっている。
ひとしきり花を見つめた後、誰ともなく飲み物を口に運ぶと、みんながそれに倣うように飲み物を口にする。シンクロニシティってヤツかね。
「えいっ!」
「「「「プーーーーーッ!!」」」」
「そのタイミングはやめろッ!」
再度の透明化に全員が吹き出す。
ああ、トーリィとリアはさっきと同じく顔を背けて、なんとか肩を震わせているのに留めてるな。
「あはははっ! 久々だから、つい」
あったま来たぞ。
オモチャにしやがって。
そんなに見たいなら、とことん見せてやろう。
いつものローブも着て変身可能な状態でスタンバイ。
覚悟しろ。
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「や、やめて……お願い……お腹痛い……ククッ、ぷはっ!」
勝った。
リナリーが一番最後まで粘ったな。
他のみんなは笑い過ぎたのか、驚き疲れたのか、突っ伏してダウンしてる。
リナリーとサイールーを狙い撃ちしたネタのオンパレードだったが、他のみんなにも有効だったようだ。
整髪用のジェルを使って、モヒカンから始まり、ザビエル風、バーコード、頭頂部だけ残したり、侍の月代にしたりと、思いつく限りの頭部バリエーションを披露してみた。
当然、髪型に合った格好にも変身している。
世紀末っぽいトゲトゲしい衣装や、宣教師、サラリーマン、落ち武者頭の時は矢が刺さった鎧姿なんかにも。某財閥の格闘オヤジも再現したな。
元ネタが分からない他の皆も、その髪型だけで充分笑いのツボを刺激出来たらしい。
「この偏光薬を解禁してもいいけど、あんまり遊ぶようなら、またやるからな」
「わ、わかっ、た……ククッ、も、もうしない」
本当に分かったのか?
まだネタはあるから数回はダウンさせられるぞ。
しかし、このオチはないわー。せっかく良い話で終わって寝られそうだったのに。




