第三十五話 到着、カザックの街
ブフンッ!
なんだその顔は。
まだ寄越せってか。
「わーッ! こ、こらバイツ、何するんだ! いきなり噛むなんて! すみませんッ! 普段はこんな事するコじゃないんですけど……」
馬の口から右手を引っこ抜いて馬とにらみ合ってると、馬車と馬を繋ぐ準備をしていたハイスさんがあわてて飛んできた。
この馬の名前はバイツっていうのか。
ハイスにバイツ。名前が似てるけど実は幼少時から一緒だったなんてサイドストーリーがあるとか? ないか。
「あ~、噛まれてませんから大丈夫ですよ。ねぶられただけです」
「えっ、ねぶ……?」
「どうもオレは動物にそういう扱いを受けるらしくて。馬に限らないようですが」
左手から魔力を吸ってるリナリーをチラっと見て。
なんで馬と張り合うかな。
「か、変わった事もあるもんですねえ」
どう返していいか困っているな、ハイスさん。
その佇まいから、オスかと聞いたらメスだった。
バイツって名前に、厳つい顔とガタイでとっても男らしいのに。
ガチンッ!
「あぶねっ!」
二の腕を噛まれそうになったぞ!
なんだよ、男らしいとか思ったから怒ってんの?
悪かったって! 魔力食っていいから!
そんな感じで魔力を差し出して、なんとかバイツに機嫌を直してもらうとキアラがそこへやってきた。
「何やってるニャ……馬のノドちんこ触る遊びなんて斬新ニャ」
「なんで、そんな遊びをせにゃならんのだ」
っていうか、ノドちんこ言うな。
「ん? なんかカイウスさん達が色々と動いてくれてるみたいだけど、どうした?」
オレがバイツとのスキンシップに興じていた傍ら、カイウスさん達がオレの作った荷台を馬車に繋いでいたようだ。
「馬も帰って来たし、そろそろ移動しようって事みたいニャ。あの荷車なら盗賊も充分運べるし、誰かが街まで行って警護組織の人間を連れてくる必要もないニャ」
「まあ、その為に作ったしな。じゃあ、さっさと盗賊を乗せて出発だな」
車輪の着いた簡素な荷台に盗賊6人を乗せ、まとめて荷台に縛りつけ街に向けて移動を開始した。
最初は歩いて街まで行くつもりだったが、二人くらいなら充分に乗るスペースはあるという事で同乗を勧められた。
断るのも失礼だという事らしく(キアラ談)、それならという事で乗車する事にした。
ただし、馬車を見た時から乗ってみたいなあと思った場所に。
「ほんとにそこでいいのかい? 気を使う必要はないよ?」
そう尋ねるカイウスさんに「いや~、こういう高い所って気持ち良くありません?」と答えたら苦笑された。
思ったよりも大きな馬車で、今オレとキアラがいるのは屋根の上。
と言っても、屋根にも荷物を乗せられるタイプの馬車だったので充分に人だって乗れる。
テレビで見た二階建てバスから見る景色はこんな感じなんだろうな。
二階建てバスは大自然の中は走らないけどさ。
このペースで行けば陽が落ちる前までに街に着けるらしい。
結構揺れるが気にならない程度だ。
馬車の揺れよりバイツのガッポンガッポンと鳴っているひづめの音のほうが気になるくらいだ。
後ろに繋がれてる荷台はちょっと激しく揺れているが見なかった事にする。短時間で床ずれになりそうな勢いだが知った事ではない。
その荷台に向けたオレの視線を追うようにキアラも盗賊を見ていた。
「あのままあそこに居たら、他の死の牙のヤツらが来た可能性もあるのニャ。魔毒使いはおそらく幹部の一人。その帰りが遅ければ、タットナーさんを足止めしてた連中が集まって来たかもしれないニャ。幹部だから失敗しないだろうって前提で動いてたっぽいニャ」
「襲われる側にとってはイヤな信頼だな」
「……戦ってみてどうだったニャ?」
今回の盗賊退治、オレとしては別に舐めプレイをしていたわけじゃない。
この世界で初めて遭遇する敵対的な人間の集団。
それがどのような行動をとり、どんな心理のもと如何なる判断を下すのか。それを知りたかったが故の行動だ。
この世界では野生の生物のみならず、人間もある意味危険な生物だろう。いや、積極的な悪意がある場合は野生の生物より性質が悪いかも知れない。
危険から身を守る為にはサンプルは多いほうがいい。
だから煽ったりして色んなパターンの反応を引き出そうとしたわけだ。
そうは言っても傍から見たら完全に舐めプレイに見えたんだろうなあ。
と、今この場でそんな事を言っても意味はないし、キアラの表情からは聞きたいのはそんな事じゃないというのは、なんとなく察しがつく。
「偉そうに言わしてもらうなら……盗賊1~5、こいつら個人の能力としては、キアラより下。かといって、キアラ一人で全員をどうにかするのは厳しい。更に仮面が加わると、この時点で人数的に手に負えない。仮に各個撃破出来たとして、仮面とキアラでは仮面に軍配があがるだろう。
あ、誤解するなよ? キアラが仮面より全面的に劣ってると言ってる訳じゃない。むしろ身体能力ではキアラのほうが獣人というだけあって圧倒している。
ただ、魔毒なんていう固有能力もだけど、経験の差というやつで一歩及ばないとオレは見る。他人を何の躊躇もなく傷つけてきた経験というのは想像以上にでかい。自身の攻撃を当てる為なら、どんな手段でも使うだろう。その全てに対応するのは難しい」
「……イズミは対応してたニャ……」
「相手が本来の力を発揮出来ないように立ち回ったからな。ま、相手が焦ってたのも大きい。ひとつ間違えば結果は違ったかもしれないぞ?」
「とてもそうは見えなかったニャ」
「……まあ、ぶっちゃけて言うと、オレが修めた技術がその手の技に通じてるのも対応出来た理由になるか」
「やっぱり地力の差が必要だったニャ……」
「キアラは強くなりたいのか? 薬学や薬草学を究めたいのかと思ってたけど」
「最低限の強さは手に入れたと思ったけど、全然足りないって痛感させられたニャ……それに薬草学を学ぶにも、ある程度の強さがないと希少な植物が必要になってきた時に足枷になるニャ。今はいいけど、いずれ自力での研究は経済的に厳しくなるのニャ」
「そうなるか。薬草だってタダじゃないだろうし、全てを買って揃えるなんて現実的じゃないかもな」
「イズミは今までお金払った事ないでしょ。全部自力調達。しかも魔力にものをいわせて」
「そういえばそうだった。その事で、キアラに相談したい事があったんだよ」
「な、なんニャ?」
会話の流れがズレてきた事に戸惑ってるな。
でもそれほどズレない場所に着地すると思うぞ。
そう思いながら無限収納からいくつかの苗木を取り出して並べる。
主に古道で引っこ抜いてきたヤツだ。
「これな、何に使えるか分かるか?」
「ど、どこで手に入れたニャ……これは上級薬に必要なアーガラの若木……他は分からないけど、どれも恐ろしく魔力が含まれてるニャ」
「おお、やっぱり何かに使えるんだな。無限収納の肥やしになるだけかと思ってたけど無駄にならずに済んで良かった」
取り出した苗木を収納し、ここからが本題。
「でな、相談ってのは、その薬草学とかを教えてくれないかって事なんだわ。まだ山ほど無限収納の中に詰まってるから活用するための知識が欲しいんだよ」
「……それは構わないけど、それ程高度な事を知ってる訳じゃないのニャ。それでもいいのニャ?」
「構わない。頭打ちになってる原因があるなら、その解消にも協力するぞ」
「え……?」
「色々な調査だって必要だろうし、文献を漁る事だってあるだろう? 他にも未踏域に出向く事だってあるかも知れない。その為に強さが必要だって言うなら手伝おう」
「なんで、あたしが言いたかった事を先に言っちゃうのニャ……知り合ったばかりで、ずうずうしいかな、とか悩んでたのは何だったニャ……」
「まあ、物々交換みたいなもんだなあ。そうは言っても街にある程度慣れて落ち着いてからになるけど、そこはいいか?」
「わかったニャ。取引としてはあたしのほうがメリットが大きい気がするけど、そういう事なら生活に慣れるまで出来るだけサポートするニャ。でもイズミはすぐ順応しそうニャ」
「確かにイズミってどこでも生活できそうよね。トイレの問題を除けば、だけど」
「あー、それがあるんだよな。トイレ事情は最重要だからな」
馬車が現役で活躍してるところを見ると、生活様式は近代以前。
文明の発展度合いは、剣と魔法の世界のお約束である中世ヨーロッパくらいなんだろうか?
そして、その中でトイレ事情はどうなっているのか。
しかし絶対に避けたいのは、その中世ヨーロッパ。特にパリ。
何故かと言えば。街中のいたる所が、う○こまみれだったから!
外に投げ捨てていたというのだから、その時代の人間の衛生観念はどうなっていたのか。
現代人からすると、逆に人間としての何かを一緒に投げ捨てていたのでは、などと考えてしまう。
街中の道が馬の糞尿と人のそれで、ぬかるみまくっていたらしいし、裏路地に入れば馬と人の排泄物がうず高く積まれていたとか。
宮殿の中も例外ではなく、ルーブル宮殿が汚物まみれになったからヴェルサイユ宮殿に引っ越したなんて話も。
何故、宮殿を建てる費用で掃除やトイレの充実を図らなかったのか……。頭おかしいんじゃないの? と言いたくなる。
当然、汚物まみれなんだから匂いも酷かったようで。
人間の五感の中で嗅覚というのはかなり重要だ。
感情や記憶に直結してる、なんて言われたりする感覚。四六時中その匂いを嗅いでいたら。いったいどんな感情に支配されるのか……。
有名な作曲家がスカトロマニアだったのは、そういう普段での生活による下地があったからか?
そんな事より何より重要なのは食事時だ。
その匂いを嗅ぎながらメシが食えるのか? という問題。何食ってもそれの匂いに鼻を攻撃されて、味なんてわからないだろう。バカじゃないのッ!
古代ローマでは上下水道完備してたなんて信じられないくらい、中世ヨーロッパはトイレ事情が退化しまくりだったのは、いったい何が原因だったのか。
どうせ外に捨てるんだからと建物の上にトイレらしき物を設置して、直で道にひり出していたというのも信じられない。
油断すると頭の上から黄金が降ってくるとか、それどんなエルドラド?
鳥のフンとはワケが違う。モノが違う。
日傘がう○こ避けのために発明されたなんて知りたくなかったぜ……。
インカ帝国は黄金に満ち溢れていたって話しだけど、こんな黄金はイヤ過ぎる。
あげく、その衛生状態が祟ってペストが大流行したり。
その事をテレビで見て知った時には信じられなかった。
そういった事をこれから行く街について懸念しているんだけど、その辺りはどうなっているのか。
「そんな街が本当にあるのニャ……?」
「……あったんだよ。実際に」
「聞けば聞くほど、凄い話ニャ……。カザックの街はそこまで劣悪な環境じゃないのニャ。流行り病も深刻なものはあんまり聞いた事がないかニャ」
怖そうな風土病とかもないわけね。
イグニスに聞いても、人間の病気はよく分からんみたいな事言われたから、ちょっと引っかかってたんだよな。
でもまあ、原因が魔力による地球にはない病気とかもあったりするんだろう。
そこの所は現地にならって対処するしかない。
「でもイズミって病気とかするのかニャ?」
「人をバカみたいに言うな。オレだって人並みに病気くらいは……あれ? あんまり寝込んだ記憶がないぞ……」
「やっぱり病気にならない性格だったのニャ~」
「そこは体質じゃないのか? 何故に性格?」
「底の抜けてる人間は、病気も素通りするって言われてるニャー」
「どう好意的に解釈してもバカにされてるとしか思えないんだが……まあいい。ここはその迷信を信じるのが吉だろうな」
「仮に病気になったとしてもある程度までなら、あたしの薬でなんとかしてみせるニャ」
我が身で治験をするという事か。
想像もつかない効果の薬とかがありそうで、ちょっと怖いんですけど。
とは言え他に伝手もないしな。
「そうなったら頼むわ。オレもキアラが強くなるために色々考えとかなきゃな」
「大丈夫かなあ? 無茶して吹き飛ばしたりしないでよ? キアラが爆散するところなんて見たくないからね」
「リナリーはいい加減そのイメージから離れろよ。それに、そこはちゃんとキアラ用に調整するから、そんな事にはならん」
「な、何をさせられるニャ……」
「主に基本的な事をだな」
「不安しかないニャ……」
まあ、そう言わずに。
任されたからには頑張りますよー。
元々の身体能力がオレなんかより良さそうだから、かなり期待が持てるな。
~~~~
馬車での移動はなかなか快適だった。
抜けるような青い空に、吹き抜ける風が運ぶこの世界の匂い。
それが何とも言えず、いい気分にさせてくれた。
道中、ぎゃあぎゃあと騒ぎすぎて、気になったタットナーさんとトーリィさんが様子を見に二階に上がってきたりと、他愛のない会話も含めて退屈はしなかった。
事前に言われたように、陽が落ちる前には街に到着。
実を言うと、街まで半日強というのはバイツの馬力があってこそだ。
聞けば、やはりバイツは大きい部類の馬、というか特大サイズらしく、普通の二頭立てや四頭立ての馬車だと、余裕を持たせる意味でももう少しかかるらしい。
馬以外で引く馬車だと、少し事情は変わるようだが。……馬以外って、何だろう。
「私はタットナーと街に入る手続きをしてくるから、少し待っててくれるかい? ついでに盗賊の引渡しも済ませて早いとこ身軽になってしまおう」
カイウスさんのその言葉に頷き、引渡しの手続きもしてくれるという申し出に甘える事にした。
というか身分証のないオレだけだと、ちょっと面倒な手順を踏まされるらしく、そこに助け舟を出してくれた形だ。
偽証が不可能なので、これだけの証言者がいれば証明は容易。何より生け捕りだった事で証言の正確さを測る必要がほとんどなかったというのが手続きの簡略化に大きく役立ったらしい。
しかし捕まえた盗賊の状態が、有る意味とっても無残な事になっていたのを見て警備の若いお兄さんは顔を引き攣らせていた。
「これは、いったい……」
盗賊全員が気絶してるのはまだいいとして、何故に下半身が湿った砂まみれなのかと。
特に股間のあたりが。
「なんというか……捕らえた時に、少々お仕置きをしてね……私も驚いたんだが……」
カイウスさんの曖昧な説明に、怪訝そうにしながらも、そこはプロ。
それ以上の余計な詮索はせずに、さくさくと自分の業務をこなしていた。
「手続きも済んだし、街に入るとしよう」
「え、あれ?」
カイウスさんが二階のオレ達に向け、そう声をかけながらタットナーさんと共に馬車に帰って来た。あんまりにもあっさり街に入れるから、ちょっと拍子抜けなんだけど。
予想していた手続きやら、通行料やらは……。
「ああ、私たちの同行者という事で申請を通しておいたよ。煩わしい手続きに時間を使わせてしまうのも忍びないし、この程度では恩返しにもならないから気にしないでいいよ。と言っても難しいかい?」
事情説明とともに苦笑でオレの心情を言い当てるカイウスさん。
うーん、お言葉に甘えちゃっていいんだろうか。
「ほっほ。あまり考えすぎるとハゲますぞ?」
タットナーさんはその歳でもフサフサですもんね。
「この歳でハゲるのは嫌ですねえ……分かりました。甘えさせてもらいます!」
何気にキアラも便乗してると思ってたけど、冒険者カードがあれば手続きは簡単なもので済んでしまうらしい。
便乗してもしなくても、たいして変わらないんだとか。
これは、ギルドに登録は必須だな。最初からそのつもりだったけど。
カザックの街は想像していたより大きな街だった。
今しがた通った門も、引き扉のような造りではあったが、かなり大きな門だ。
ただ、その門に続く外壁が、街全体を覆っているわけではないらしい。
地形を上手く利用した関所ようなものだとか。
門を境に石畳が敷かれ、文明の気配が色濃くなってくる。
門を抜け、しばらくすると建物が立ち並ぶカザックの街並みが目に入る。
そして、そこで馬車が停車。
「見慣れた街並みを見て、無事に街に辿り着けた実感が湧くというのは、やはりそう何度も経験できる事ではないな」
「そうですなあ。ここが自分の街だと感じる数少ない機会でしょう」
カイウスさんとタットナーさんの馬車を降りながらの会話に、今日一日の出来事を振り返って色々なものが感情として湧き上がってくるんだろうなと感じる。
「ところで、イズミ君たちはこれからギルドに向かうのかい?」
馬車から飛び降りたオレとキアラに向けて、そんな事を言われた。
「と、思っていたんですけど……ギルドは逃げないけど宿屋は満室になってたらどうしようかと。なので先に宿に向かったほうがいいのかな、なんて考えてたんですよね」
「だったら、『パン色の犬』という宿がオススメだよ。手頃な値段に丁寧な接客で評判がいい」
凄い名前の宿だ。
白と茶色の犬の事を指してるとしたら、日本人としては柴犬? とか思ってしまう。
でもまあ、何の情報もなしにうろつくよりは話が早くて助かる。
「あ、金がない……リナリー! は持ってないし……キアラ、金貸してくれ!」
「躊躇のない借金の申し出が、いっそ清清しいくらいだニャー」
「すぐ返せるあてがなきゃ、オレだって借金はしないけどな」
「ワッパードラゴンの事があるから、返さなくてもいいくらいだニャ」
「そこはまあ、今後の事も考えて、きっちり出来る時はきっちりしとこうと思ってな」
ギブアンドテイクのような形でキアラの戦闘力向上を請け負ったけど、金額に換算できるわけじゃないしな。曖昧な取引だからこそ、それ以外はって感じだ。
「ん~、わかったニャ」
なんとなく分かった、といったキアラの表情。なので、心おきなく借金しよう。
その宿屋、『パン色の犬』の場所は割と近いとの事。
「すまない、そこまで送って行きたいが、少々立て込んでいてね……」
「あ、それは全然構わないですから」
そりゃあ、あんな事があったんだから本来なら他人に構ってる暇はないだろうな。
商会としては、代表が殺されそうになったなんて大問題だろう。
盗賊の「予定の行動」というのが、どの範囲までの事を言っているのかで、色々と状況が変わってくる可能性だってあるしな。
「いずれ、この謝意は正式な形でと思っているから、その時まで待ってもらえないだろうか?」
「ん~、全然気にしなくていいんですけどね……」
そこまで大層な事をしてないから、反応に困るなあ。
オレの顔を見て苦笑してるカイウスさんも困ってるっぽいけど。
「ふふ、君ならそう言うとは思っていたけど、そういう訳にはいかない事情もあってね」
「分かりました。では、その時に改めてという事で」
「その時はギルドを通じて連絡させてもらうよ。一番確実だからね」
そう言うとカイウスさんとタットナーさんは馬車に乗り込む。
いつの間にか馬車を降りていたトーリィさんは乗り込む間際に「私のほうが先にお訪ねするかもしれません」と、若干モジモジしながら告げてきた。この人、可愛い仕草するなあ。
「今日は本当に助かったよ! ありがとう!」
その言葉を残し、カイウスさん達は宿とは反対の方向に去っていった。
ガッポン、ガッポンと大きな足音の馬車に、それ程注目してる人が居ないところを見ると、見慣れた光景なのかね。
~~~~
宿屋の主人に宜しくとカイウスさんは言っていたが知り合いなのかな?
それにしても『パン色の犬』の主人と言うと何かの飼い主ぽい響き。
単なる屋号に深い意味なんてないか。
そんな事より驚いたのは、街灯の存在。
中世にはなかった街灯が、この世界には既に普及しているようだ。
そりゃあそうだ、一時は地球の文明すら凌駕していた世界。
仮にゼロから発展していたとしても魔法なんて便利なものがあるんだから、応用を利かせる程度で実現出来るなら、しないほうがおかしいだろう。
地球の場合は中世以降だったか? 暴動の監視が目的だったなんて話もあるけど。
影が伸びきって陽が沈み、街灯がチラホラと明かりを灯し始めた。
「自動で光るのか……」
思わず独り言が漏れた。
「街灯の事ニャ? イズミがいた所にはなかったのニャ?」
「ないこともなかったけど、気にした事がなかったんだよなー」
地球では当然の事ながら、妖精の里でも最初こそ驚いたものの、すぐに慣れていた。
街の明かりなんて考えから消えてたわ。
「?」
じゃあ、なぜ今になって? と言いたげに疑問の表情を浮かべたキアラだったが、深くは突っ込んでこなかった。
「それより、あそこが言ってた『パン色の犬』だニャ。この時間なら多分、部屋も空いてるニャ」
有名なのかをキアラに尋ねると、知る人ぞ知る、という感じらしい。
「わかった。って、言いたい所なんだけど……」
「わたしがこのまま隠れていても問題ないの?」
フードに隠れていたリナリーが、オレの代わりに続きを口にした。
「あ……」
キアラはその事を失念していたらしく、「どうしよう……」と難しい顔をしていたが何かを思い出したようにハッと表情を変えた。
「あたしには関係ないと思っていた情報だけど……あの宿には噂があるニャ」
「噂?」
「誰も信じてないし、知っている人間も少ないニャ。根拠のない噂だけど……『パン色の犬』はワケ有りの客を受け入れる窓口って言われてるニャ」
「なるほど……確かに、にわかには信じられない話だよな。でも……」
カイウスさんはリナリーがいる事を承知の上で紹介した。
それっぽい事も言ってたし、その噂は全くの嘘ではないのではないか。
どこまでのワケ有りを客として扱うのかは分からないが、乗ってみるのも一興だろう。
なんて大げさに言ってみたけど、ダメならどこかにコテージ出して寝ればいい。
街に慣れるために宿屋も使ってみたいとは思ってたが、そうなったらそうなったで仕方ない。
問題は、それをどうやって確かめるかだけど。
「それを、あたしに聞かれてもニャ~」
「だよな。ま、出たとこ勝負って事で」
「大丈夫かなあ」
リナリーが多少不安になる気持ちも分からないではない。
でも宿屋で必要以上に不自由するのもなあ。過剰に悩むより産むが易し。
ざっくりとした方針のまま宿屋『パン色の犬』に到着。
通りからは奥まった場所にあるソレは、外観は少しおしゃれなペンションのような雰囲気の建物だ。
これは荒くれ者とかその系統の人間が入るのは厳しそうな感じだな。
勝手な想像なんだけど。
オレは別に気にならないから関係ないか。日本なら普通の建物で通る。
「何の迷いもなく踏み込んだニャ……」
「ん?」
振り返ると「なんでもないニャ」と首を振るキアラ。
オレ自身、上の空だったが気を取り直して扉を開ける。
「いらっしゃいませ、パン色の犬へようこそ」
中に入ると20代半ばくらいの女性がカウンターの中から声をかけてきた。
スラっとした綺麗な人だ。看板女将?
「お食事ですか? お泊りですか?」
「2名の一泊で、お願いしたいんですけど。一番安い部屋で」
夕食と朝食がついて、7千ギット。
2名でこれなら、かなり安くね?
大体の物価はキアラに聞いてたけど、こんなもんなのか?
それはいい。しかしどうやって切り出したもんか。先程のそれっぽいと言った内容を思い出す。カイウスさん曰く、事情は汲んでくれるという事らしいが……。
「そういえば、カイウスさんが宿屋のご主人に、よろしくと言ってました。ここに来たのもカイウスさんがオススメしてくれたからなんです」
「あら、カイウス様からのご紹介だったんですね。ありがとうございます」
ん? 一見して今までと同じように笑顔で対応してるけど、どこか空気が変わったような気がする。
これはストレートにいったほうがいいのでは。いや、勘だけど。
「すみません。何か書くものってありますか?」
「――はい、御座いますよ」
一瞬、逡巡したようなそぶりを見せたが、即座に対応したのは、その道のプロといった所だろうか。
目の粗い紙のようなものがカウンターに置かれ、羽ペンらしきものも添えられる。
それを手に取り、紙に書き込む。
『ワケ有りの窓口はここですか?』
視線を紙に落としていた女性が、ほんの一瞬目を丸くしてオレに向き直った。
オレの目を見て僅かに頷き、間違いではない事を伝えてきた。
「すみません。回りくどい事をしましたが、用件は大したことじゃないんです。2名で宿泊と言いましたが、オレともう一人は、こちらの女の子ではなく――」
キアラに一瞬だけ視線を移しフードを少し肩越しに引っ張る。
「――こちらなんですよ。リナリー」
「いいの?」
リナリーが姿を現すと、女性が目を見開いて固まった。
さすがにビックリするよな。
数秒の硬直の後、搾り出すような声で口を開いた。
「お、お客様……これは大した事なんですけど……」
「泊まれますか?」
半ば放心状態なのに、コクコクと頷いて自分の職務を全うする姿に、小さく笑いが漏れそうになる。こんな事言ったら失礼かもしれないが、こういうリアクション見るの結構楽しいかも。
ともあれ問題なく泊まれそうだ。
この場にオレ達以外、誰もいないから出来た方法だろう。
何かバラしまくりだな!
何はともあれ、食事が楽しみだ。
ちょっとショックな事があって、なかなか筆が進みませんでした。
まあ、車が壊れただけなんですがね(´・ω・`)




