第一話 転移
「……これは」
そこはトンネルのような場所だった。
別のパターンも予想してたが……激しく違った。
トンネルと例えてみたが周囲の状況がハッキリと認識出来ない、ひどく曖昧な空間。
現状を一言で表現するなら。
巨大な万華鏡に放り込まれた。
何故こんな事に?
「まぁ、どう考えてもアレが原因だよなあ……」
原因はハッキリしている。そして原因が分かった所で何の解決にもならない事もハッキリしている。
問題はこの後だ、この後。オレどうなってしまうん?
落ちているのか上昇しているのか、よくわからない浮遊感。
一番近い所で言えばジェットコースターで上りから下りになる時の感覚。あの股間が寒くなるような力が入らないようなアレ。
要するにキン○マが浮くようなあの感覚。
タマヒュンッとなるアレですよアレ。
正確には内臓が浮くとかなんとかで、あの感覚らしいから女の子にもきっと理解して貰えるだろう。
まあキ○タマも内臓みたいなもんだから、そこまで間違っちゃいないはず。
下品だが事実だ。
発想が貧困なうえに少し動揺しているが、冷静であってもおそらく感想は変わらないだろう。
手足を動かしてみても支えになる場所がないために、うまく力が入らず自由に動けない。
星の光と虹のような光が入り混じっていて、宇宙空間に似た空間ではあるが呼吸可能なことからどうやら宇宙ではないという推測は成り立つ。
夢じゃなければ、だが。
と、冷静に周囲を見渡した。
つもりだったけど……
「あぁ、水溜りに油が浮いてるとこんな感じの模様になるよな」
少しどころか、かなり動揺しているようである。
口に出すにしても、もうちょっと何かあるだろうオレ。
結構な時間を思考に費やしていたのか、いつの間にか虹模様の螺旋の中を猛烈な勢いで移動していた。
上下左右の方向が掴めない。
なのに移動しているのは、はっきり分かるという不思議な感覚。
しかし困った……何もできない。
いや、身体は動くんだから何も、という訳じゃない。
仮に強烈な生理現象に襲われてもズボンを脱ぐくらいは出来る。
試しにやってみるか?
「…………」
いや、冷静になれ。
その状態で人のいる所なんぞに放り出されたら、いろいろ終わるぞ。
とりあえず、半ケツ状態からは復帰してみたものの状況に変化なし。
ずっとこのままなのか?
どのくらいの時間が経過したんだ?
時間の圧縮、あるいは伸長。とにかく名状し難い感覚が続く事で判断力が著しく低下している。
時間の確認ならスマホを見れば済む話だ、と胸ポケットのスマホに指が触れたその時。
唐突に強烈な光が網膜に突き刺さった。
「――ッ!!」
なんだ!?
閉じた目を更に腕でかばってるのに関係なく眩しい。
なんだこれは――
光が和らいだ気がした。
目を開くと、いつの間にか真っ白な場所に立っていた。
地面に降り立った感覚はなかったはずなのに。
気絶したわけでもないのに意識の連続性が絶たれていたが、どうなってる?
自覚してないだけで放心してたのか?
(にしても……ここは……)
トンネルを抜けるとそこは雪国だった……と言いたい衝動に駆られる。
見える景色は大して変わらん気がするし。
視界に入る一切が白い。
全ての色がない。
対比物が無いにも関わらず何故か広大な真っ白な空間が広がっているとわかった。
いや、天頂方向だけは濃紺に近い青。
目を凝らすと地平線と思しき辺りから微妙にグラデーションになって頭上に向かって色づいている。
(おお、……綺麗だな)
状況を考えると、あまりに呑気な感想。だが、それも仕方ないというものだ。
予想出来ない出来事の連続で思考停止というか思考放棄の状態に陥っている。
「やあ」
「ッ!」
背後からの突然の声。
周囲が無音のせいか、やけにはっきりと聞こえた。
反射的に振り向いた先。
約20メートル離れた場所。そこに声を掛けてきたと思われる人物が立っていた。
光沢のある白を基調にした長めの外套のようなものが真っ先に情報として視界に入る。
周囲の色と同化していないのは、所々に施された薄い朱色の幅広のラインがあるからだと理解できた。
ライン上に細かな模様が描かれているようで、なかなか凝った意匠だ。
その外套の下は和服っぽく見える。
胸の辺りまで伸ばした髪は黒絹のように艶やかで白一色の世界にあって、ひと際目を引く。
頭部には厚手のバンダナのようなものを、目が隠れるか隠れないかくらいで無造作に巻いているせいか表情がよく分からない。
ぱっと見、浴衣にポンチョを羽織って頭にマフラーって感じだ。
というか、そう思ったらそうとしか見えなくなった。
(いつのまに?……)
思考は放棄していたかも知れないが誰もいないのは確認したはず。
声から察するに子供……いや、女?
ゆっくりとこちらに近づいてくる。
歩いているだけなのに、優美、と言っても言い過ぎではない上品さが漂っている。
距離が詰まるにつれ、表情もはっきりと分かるように。
わずかに微笑んでいる唇は桜色。透き通るような白い肌と、わずかに桃色に染まる頬。
合わせて見るとかなり印象的だ。
漂わせる雰囲気は「柔らかい」と表現するのが一番しっくりくる。
世間一般で言うところの美少女というカテゴリの中でも、更に超の付きそうな整った容姿。
見た感じ年齢のほうも少女といって差し支えないだろう。
薄緑の大きな瞳と視線が重なった。
だが、いきなり現れた事でオレは若干身構えていた。
いきなり襲ってくるような事はないと判断したが、ほとんど無意識に身体に力が入っていた。
襲うつもりなら既にやっているだろうとは思ったが、無防備になれる程楽観は出来ない。
改めて思う……ズボン脱がなくて良かった。
遠目で見た時は高いかと思っていた身長は意外と小さかった。
等身のバランスの良さで高身長に見えていたようだ。
オレが175センチだから大体160センチくらいか?
あ、上げ底履いてる。
「今、小さいって思ったでしょ?」
無遠慮な視線に対しての反応としては真っ当なものだよな。
さて、どう返したもんか。
身長にコンプレックスでもあるのかね?
警戒していたとは言え、初対面の相手にいきなりその本人が気にしている事を指摘するのは、さすがにデリカシーがないってのはオレでも分かる。
とりあえずは当たり障りのない方向で……。
「……まあ、オレよりは小さいかなと……」
「そうなんだよねえ。私ってば年齢のわりに発育が良くないってのは自分でもわかってるの。でもねでもね、ちゃんとメリハリあるんだよ? 腰だってちゃんと、くびれを維持できるように毎日エクササイズしてるしヒップアップのトレーニングだって欠かしたことないの! でねでね、まわりの皆は貧乳とか微乳とか無乳とかとか言うけど、言うほど小さくないよ? バストアップ運動は特に念入りにやってるから絶対Cカップはあると思うの! 微乳じゃなくて美乳なの! わかる? ほら!」
オレの言葉を遮り、自分の腰、お尻と手で撫でつつ、まくし立てて最後に胸を両手でむんずと掴んでワキワキと動かしている。
「そっち!?」
そこを凝視した覚えはないぞ。オレの気遣いを返せ!
それはともかく第一印象とのギャップがすげえ。
詳しく脳内描写したのに台無しだ。
「あ、こんな格好じゃイマイチわからないよねー」
おもむろに頭に巻いてる布をバッと放り投げた。何をするつもり……
「服を脱ぐな! 下着になるな! こっちにくるな!」
痴女だ、痴女がいるっ!
服を勢い良く脱ぎながらジリジリと近寄ってくる。
「なによー、男の子なんだからこういうの好きでしょう? それに、下着じゃなくて、み・ず・ぎ」
唇を尖らせて上目遣いでにじり寄ってきて不服そうに言ってきた。
同時に口元に握った手を近づけるポーズで胸を寄せ、殊更に胸部を強調してくる。本人は水着と言い張るが下着のようにしか見えない。
可愛らしいと言えなくも無い仕草で人によってはムラッとくるかもしれないが、今はなんだかイラッとくる。
「よく聞け、オレは尻派だ」
「……」
眼を丸くして、まじまじとこちらを見つめている。
……何か?
「そんなこと真面目な顔して言っちゃうんだ」
「やかましい」
偽らざるオレの真実だ。
「確かに胸も嫌いじゃない。だけどな、露出教の教徒はお呼びじゃない。そういうのは恥じらいの成分が必須だ」
オレの嗜好なんてどうでもいいだろうが一応述べておく。
そうだ、決して嫌いなじゃない。
普段のオレなら間違いなくガン見している。
これほどの美少女なら尻派のオレであっても、その完璧に近いバランスの身体に目が行ってしまうだろう。
しかしこの状況に陥った瞬間から危機回避系の精神的スイッチが完全に入ってしまっている。
目の前で美少女の肌が露になっているのに、キレイだなとは思うが、それよりも視線や足の運び、筋肉の動きなどに意識が集中させられている。
惜しいとは思うが、長年特殊な環境にいたせいで強制的な切り替えが身体に染み付いてしまっているのでどうにもならない。
……どちくしょう。
「えぇー、あんなただ見せればいいと思ってるやつらと一緒にしないでよー」
そんな宗教あるの?
待て、今はそんな場合じゃない。
後で思う存分突っ込めばいい。突っ込み倒せばいいのだ。
なんだか卑猥に聞こえるが、今は卑猥でもなんでもいい。
「そういうコトがしたくて出て来た訳じゃないんだろ? 何か説明するためにここに現れたんじゃないのか?」
「あれ? なんか冷静だね」
「パニックになる暇がなかっただろ」
先程からの彼女の言動。こちらに息つく暇も与えず思考に制限をかけてきたように思える。
余計な疑問は抱かせずにペースを握るには有効な手段かも知れない。
何も考えてないように見えるが意外と頭がキレるのか?
方法は色々とアレだけど。
「とりあえず服を着てくれ。話をするにも集中できない」
レースっぽい生地で下着のようにに見える上、何より面積が小さい。
水着と言い張るそれを、気にしないようにしても目に入ってしまって気が散ってしょうがない。
「むう……仕方ないなあ」
不満げに頬をふくらませて、せっかく用意したのに等とぶつぶつ言いながら散乱している服を拾い上げる。
初対面の相手にすることじゃないだろう。と、オレはため息をつき、彼女を背後に周囲を見渡す。
また何か現れるかと思ったが、どうやら彼女ひとりで打ち止めのようだ。
「言われた通り着たわよ~」
という声に振り向くと、頭の布は被り直さなかったようだが、それ以外は元通りだ。
「―――と思ったら大間違い!」
ニッと意味ありげな笑みを見せ、くるりと振り返ると後ろ半分の服がなかった。
腰に手を当てて仁王立ちで、はっはっは、と高笑いしてる。
待て! もしかして最初から後ろは無かったのか!?
「間違ってるのは頭のほうだ!」
正面から見た時は分からなかったが、見れば水着はほぼTバック。
非常に魅力的なラインを描いている。
だが、笑い声に合わせてぷるんぷるんと揺れるそれを見せ付けられると、お尻に笑われてるようでやけに腹が立つ。
バカにしてんのか?
あ、ダメだ前言撤回。頭が切れる人物かと思ったのに、このひと脳ミソがゼンマイ仕掛けだ。
山菜のゼンマイでも詰まってたほうがまだマシだ。
用意がどうのと言っていたが、最初からそういうコトがしたかったのか、この患者さん。
「要望に応えてみたんだけどなあ」
上半身だけをこちらに向けるようにひねり、肩越しにオレを見ながらの台詞。
即応したとでもいうのか……どう返せばいいんだ。
「むむ、シャレが通じないとは予想外」
通じてないわけじゃないがシャレでケツを出すのが流儀か。
是非とも広めて欲しい流派だとは思うけど時と場所を選んでくれ。
「冗談はコレくらいにしてっと」
とてもそうは思えないが。と温度低めの視線を向けていると、ふいに彼女の全身が淡い光で包まれた。
その光が消えると、無かった後ろ半分の服が現れていた。
「ッ! 今、何をした?」
いろいろと有り得ない出来事の連続だが、今のはなんだ?
「んー、魔法? みたいな」
さも当然のことの様に首を傾げて。
向き直った彼女を見て、それこそ冗談じゃないのかと眉をひそめたが、逆になに言ってるの? 的な表情で見返された。
「魔法?」
「そうとしか言えない何か、かな。それはそうと自己紹介がまだだったよね。はじめまして、イズミ・サハラさん、私はクイーナ・アルゼ」
クイーナと名乗った少女は不可解な現象を『何か』で済ましてしまった。
スルーするつもりか? 後で改めて聞けばいいか。
それよりもだ。
イズミ・サハラと口にしたな……佐原伊澄と。
「オレ名前言ったか……?」
「ここにあなたが来た時にちょっと情報をね、探らせてもらったの」
不思議な力を使えるみたいだし、そういうコトもできるのか……?
「正確には生体探査と一緒に表層意識の一部を読み取らせてもらったって言ったほうがいいかな。名前くらいなら抽出するのは簡単だからね」
ふむ、そういうもんか。
って、生体探査ってなんだ? 医療機器の類か何かか? 表層意識の読み取り?
あー、もう訳がわからん。
色々と矢継ぎ早にあり過ぎて、もう何がなんだか。
考えるのは嫌いじゃないし、こういう不思議現象も嫌いじゃない。けど、それはあくまで外部から客観的に見た場合に限り、が前提だ。
自分が当事者として巻き込まれるのは完全に想定外だ。
だが、何がどうなってるかくらいは把握してないと何も判断が出来ない。
混乱に拍車をかけられた気がするが、確認出来ることから話を進めよう。
「とりあえず何がどうなってるのか聞きたい。まずはここがどこで、オレはどうしてこんな所にいるのか、だな」
原因については疑問の余地はないから、それはいい。
その後何が起こったのか。
「うん、当然の疑問だよね。その前にちょっと聞きたいんだけど、此処に来るまでのことは覚えてる? ごっそり記憶が抜け落ちてるとかはない?」
クイーナに記憶の欠落がないか問われ、確認の意味でもオレはこの場所に来るまでの記憶を辿ることにした。
「……ああ、覚えてるぞ」
お初です。よろしくお願いします。
楽しんで頂けたら幸いです。