雪女からの贈り物(結果的にはリストラされることになりました)
その日、東京では珍しい大雪だった。話に聞くと、ここ数10年で1番の大雪だったらしい。
俺は、あの日あの時、雪かきをしていた。
ザッザ……ッザッザ
「クソ! ……クソが! ガア!」
悪態を尽きながら、俺はスコップに渾身の力を込める。雪をすくっては放り、すくっては放り……
取引先の帰り、その時の気まぐれで俺は実家に帰った。帰ると、家を出た時より少し年をとった母親が開口一番で雪かきを押し付けてきた。数年帰ってなかった息子が帰ってきたんだから、もう少し大事にして欲しいもんだ。
「はー……」
スコップの手を止めて俺は辺りを見渡した。辺り一面、視界全部が真っ白。膝まで雪がまとわりついてきて、歩くのもままならない。ボロの長靴に雪がしみて冷たい。何がなにより、寒い。しかも、空からは雪がハラハラ降り続き、止む様子はない。天気予報では明日の昼までガンガン降るらしいが。
「たまに帰ったら、こんなだから帰ってくるのやなんだよ!」
一層力強くスコップを振るい、家の塀に救った雪の塊をぶつけた。
「ん?」
とにかく早く終わらせたくて、一心不乱に雪かきをしていたのだが、ふと俺は視線を上げた。
いつの間にか、道の向こう側電信柱の横で女の子が一人、スマホを弄ってた。黒髪ロングに、白い肌、目もパッチリとしていて快活そうな中々可愛い娘。可愛いのは良いのだが、異様なのはその格好。ヘソまで見えるヒラヒラした花柄キャミソールと、ももまで全部が見えるローライズのジーンズ。肌を遠慮なく露出させた格好、この大雪の中では凍死必至、自殺志願者の姿である。
「お、おい! 大丈夫かよ!」
露出した肩に、雪が軽く積もっている、見てるだけでコチラも凍えてしまいそうだ。さすがに目の前で凍死体が出来るのは見過ごせない。スコップをその場で、放り捨て俺は女の子に駆け寄った。
「……」
彼女はのそっとした動作で俺へ振り返った。
彼女の目を見たとき、俺はギョッとした。彼女の瞳は両目とも真っ赤だったのだ。黒髪をすっとかきあげ、彼女はその真紅の瞳で俺を射抜くように、真っ直ぐ俺を見返してきた。そこで一言、
「ウザ」
その整った顔を歪ませ、彼女は吐き捨てるように言った。
「あたし、今喋りかけるなってオーラ出してたっしょ? なんで喋りかけてくるかなー、そういうの空気読んでよねー」
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(むかつくなー、このガキが!)
と口には出さないが、心の中だけで叫ぶ。この手の子供にムキになってロクなことはない。喉元まできた怒りを飲み込み、スコップをもう一度手に取った。
「まあ、寒くないならいいけど、早く帰った方がいいよ」
「余計なお世話なんですけど、なにそれキモーい」
彼女の「キャハハ」という耳障りな笑い声を背に、俺は雪かきの作業に戻った。
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あらかた道の雪が片付いた時(まあ、まだ降ってるから、明日また積もるんだろうけど)、
ふと横を見ると、女の子がそこに立っていた。キャミソールからでているヘソを小指で軽く撫ぜながら、降り止まぬ雪を眼で追っている……いや、本当によく凍えないでいられるものだ。
「……雪綺麗だよねー」
彼女が、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。少しもの思いにふけってから顔を上げると、電信柱の横に女の子の姿はなかった。不思議に思い、辺りを見渡していると、
ドン!
突然、背後から、何かがのしかかってきた。慌てて振りほどこうとするが、逆にバタバタする手を、後ろ手に掴まれてしまった。
「ねえ、ウザいオッサン」
先程の女の子の声だった。彼女は、手を押さえつけながら、おぶさるように俺にしがみついてきていた。胴にまわされた彼女の足はギリギリと俺の胴を締め上げる。そのほっそりと白い足からは想像も絶する力で、思わず先程食べた鯖味噌を吐き出してしまいそうだ。
「オッサン。アタシ、アナタのこと好きかも」
「え……何で急に?」
「いいから、好きなの」
俺は「これは遠回しに援交を誘われてるのではなかろうか?」と思った。背中に、オッパイ当たってるし。しかし、彼女の万力のような力といい、突然の豹変といい、どうにも尋常な様子ではない。
「ああん、なんかこう、くたびれたサラリーマンって感じがいいよー。カワイイ。ウザキモカワイイ感じ」
俺は、アガアガと無様に声を上げた。女の子が、俺の口に手を突っ込み舌をひっつかんだので来たのである。メチャクチャ痛い、しかし抗議の声を上げることも出来ない。
「アタシってさ、実は雪女なわけ。わかる? 雪女、人間が雪女って呼ぶモノなのよ、アタシって」
「ふぇ……?」
「まあ、アタシが何なのかとか、関係ないよね……アタシがアナタのことを好きだってことは確かなんだから」
彼女は、俺の舌を指で弄びながら耳元で囁く。しかし、胴と口の激痛で、俺は何を言われているのかもわからない。「助けてくれ」と言おうとしたが、それは言葉にならず、「アヒアヒ……フウ」というよくわからない音になった。
「アナタが欲しいわ。アナタの体温……いいえ、アナタの感情も、アナタの過去も、アナタの人生も……」
のどの奥に突っ込まれた指により一層の力が込められ、胴に回された足もより強く締め上げてきた。目に貯めた涙を拭うこともできず、俺は強く目をつぶり、「なんでもするから、許してくれ!」と相変わらず言葉にならない、哀願の叫び声を上げた。
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ドサ
と、俺は膝から雪の上に落ちた。口や胴をさすり、自分の体のことを確かめる……なんともなっていないようだ。ほっと胸をなでおろした後、
俺は背後にいる女の子……雪女でそうであるが……俺は雪女の方を見返した。
彼女は、先程の熱っぽい感じとは打って変わった冷めた様子で、ポチポチとスマホをいじっていた。
「飽きた」
「は?」
「ああ、オッサンのウザ可愛さは、もう十分堪能したから帰っていいよ」
スマホから目を移すことすらなく、雪女はそのまま、俺に背を向き歩いて行った。膝まである雪の中、平然とヒールの靴で歩いて行く姿は、確かに雪女としか思えないが……
「あ、そうそう」
白い雪の中、雪女(?)の黒髪が揺れる。
一瞬彼女は振り返り、
「オッサンさあ、明日仕事休みたいなって思ってたでしょ?」
「え、まあ……」
「多分、明日仕事休めると思うよ。アタシからのプレゼントだと思って、休み満喫しなよ」
小さく手を振りながら、彼女はニヤニヤしながら走り去っていった。
雪女(?)の背中を見送った後、俺はスコップを肩に担ぎながら家に戻った。なんだか、さっきより余計に雪が積もっていて、雪かきをした意味がなかった気がするんだけど。どうせ、明日は車は走れないだろうし、どうでもいい。
「うっす、ただいまー」
コートについた雪を玄関ではらい、長靴を脱ぐ……なんか妙な感じだった。さっき家を出た時と、玄関の様子が違うような……
「タケシ!」
「正気に戻ったんだね! 兄ちゃん」
突然、母親が抱きついてきた。雪かきのスコップを押し付けてきた時はあんなに無表情だった母親が、瞳いっぱいに涙を貯めている。横では弟も、涙ぐみウンウンと頷いている。
「は? これ、どういうこと?」
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正直、今でも俺はこの時起こったことを理解できていないのだが……
結論から言うと、俺が雪かきをして雪女(?)とやりとりをしていた間に何と2年の月日が経過していたらしい。
俺としては、たった数分の雪かきだったはずのあの時間。
母親から聞いた話では、俺はあの雪かきをした日から、突如失踪してしまったらしい。連絡先は誰にもわからない。
そして、東京で雪が降り積もるたびに戻ってきて、気が違ってしまったかのように雪かきをして、またいつの間にかどこかへ行ってしまう、ということを繰り返していたらしい。付け加えると雪かきをする俺には、いつも黒い長い髪の女の子がいたとか……
2年間の空白……
2年の失踪で当然仕事は首になっていた。やることもなく、ただ実家の縁側でボーっと庭を眺める毎日である。
これを読んでいる誰か、大雪の日、やたら薄着の女の子がいるとしたら、ゆめゆめ気をつけることである。
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追伸・
アナタの街で、
「雪女殺す! まじ殺す! があああああ!」
と騒いでいる。職業自称・妖怪退治屋(収入ゼロ)の男がいたら、それは俺なので、放っておいて上げてください。