真夜中の訪問者
主人公途中リタイアにつき、三人称です。
なおこの世界は、飲酒可能年齢に制限はありません。
その日の晩。
ユージィンの激変ぶりが心のしこりとして残るのか、マイユはどうにも寝つけないでいた。
ベッドの中で何度も寝返りを打ち、諦めて起き上がる。
応接室の棚に並ぶ、ユージィンのコレクション。
古今東西の銘酒を収集しているユージィンは、マイユに応接室の備品は自由に使っていいと許可を出している。
それをほんの少し分けてもらって寝酒にしようと、マイユは応接室に行った。
手燭の灯りで視界を確保すると、棚へ歩み寄る。
名のある工房が技術を凝らして作り上げたと思われるクリスタルのカットグラスに、琥珀色の液体をとぷりと注ぐ音が響いた。
量はない。
せいぜい、人差し指の半分くらいの幅だ。
それでも、室内に豊潤な香りが立ち込める。
手の平にグラスを包み込み、体温で酒を温めた。
程よく温まった所で、グラスに口をつける。
「誰だっ!?」
飲み込もうとした酒は、口から霧になって噴出した。
「誰ですかっ?」
乱入してきた人物へ誰何をかけ返したマイユだが、それがユージィンだと気づく。
昼間は整髪剤で立てている髪が寝ているのと寝間着の上にガウンを羽織った姿を見た事がなかったので、気づくのが遅れてしまった。
「あ……も、申し訳ありません。 寝つけなくて、お酒をちょっぴりいただいてました」
ユージィンの方もマイユと確認したようで、強張った肩から力が抜ける。
「……不審者かと思った」
ユージィンはそう言って、片手に持った小剣を示した。
それから近づいてきて、自分もグラスを手にする。
「……俺も眠れん」
マイユが飲もうとしていた酒のボトルを傾け、中身をグラス半分ほどに注いだ。
それからマイユのグラスが空なのに気づいたらしく、少なめにお酌をしてくれる。
「ありがとうございます」
見上げてお礼を言えば、ユージィンは視線を反らした。
「……悪かった」
ぽそりと呟かれた言葉に、マイユは首をかしげる。
「その……昼間の。 お前の事を、抱き締めたろ」
「あ」
気にしていないと、マイユは首を横に振った。
「私こそ、申し訳ありません。 不用意な発言で、ユージィン様をご不快にさせてしまって」
おちょくりにかかったセオとテオがびったり引っ付いて二人をからかっていたため、あの事を口にするのがこんなに遅くなってしまった。
それがユージィンを鎮めるために双子がわざとやっていた事だとは、マイユは永遠に気づかないだろう。
何故ならば、双子が誰かをおちょくるのはいつもの事。
そうやっていじる事が日常茶飯事だから、特に記憶にも残らない。
記憶に残らない事を覚えているほど、マイユは器用ではなかった。
「いや、いい」
あっさりと、ユージィンは謝罪を受け入れる。
「その……不快、ではなかったか?」
様子を伺うようなユージィンの質問に、マイユは目を見開き……ややあって、こくりと頷いた。
力の強さに驚きはしたものの、寄り添うユージィンの存在は嫌ではなかった。
「そうか」
ホッとしたように、ユージィンが息をつく。
「その……また、抱き」
さすがに危ない発言と自覚したか、口をつぐんだ。
「抱き締めていいか、です?」
口をつぐんでグラスの中身を呷っていたユージィンは、マイユの言葉にぐむっと噎せてしまう。
「リーゼロッテ様の方がボリュームがあって、心地良さそうなのですけど」
胸の膨らみを手の平で示しながら、マイユは言った。
「胸の大きさで、女の価値が決まるわけじゃないだろう」
ため息混じりに、ユージィンは呟く。
「それに俺が抱き締めたいのはお前で、リーゼロッテじゃない」
酒を舐めながら、マイユはこてんと首をかしげた。
「ユージィン様って、ちょっと変わってますねぇ」
「お前ほどじゃない」
くい、とユージィンは酒を呷る。
「で、その……」
ちら、と思わせ振りな視線がマイユを捕らえた。
「ああ、はい……いいですよ」
マイユはへらりと笑って、ユージィンにもたれ掛かる。
「っ」
鋭く息を飲み、ユージィンはマイユを抱き留めた。
二人はグラスを手放し、お互いの体に腕を回す。
「……マイユお前、酔ってるな?」
酔っていようがいまいが許可は出ているのでマイユを抱き締めながら、ユージィンは言った。
「はいー、酔ってますー」
うふうふと笑いながら、マイユは肯定する。
言動が、既に立派な酔っ払いだった。
「……毎日手を握ったり抱き締めたりしても、大丈夫か?」
「平気ですよー」
「言質は取ったからな」
にんまりと、ユージィンは笑う。
「……ユージィン様」
ガウンに頬を押しつけながら、マイユは尋ねた。
「ユージィン様はどうして、私の愛称を知ってるのですか?」
問われたユージィンが、ぴくりと震える。
「私達、前に会った事があるんですか?」
ぎゅ、とユージィンは唇を噛み締めた。
「……今は、言えん」
「では、いつなら?」
「いつだろうな……」
ユージィンの手が、マイユの髪を梳く。
気持ちよさそうに目を細める様は、まるで満足げに喉を鳴らす猫のようだ。
「ユーしゃま」
だいぶ酒が回ったらしいマイユはへろっと笑い、ユージィンにしがみついたまま舟を漕ぎ始める。
「お前はーっ!? 俺のイメージは、据え膳に何もしない人畜無害なのかっ!?」
思わず叫ぶユージィンだが、マイユが身動きしたので慌てて口をつぐんだ。
「……ユージィン」
マイユが目を開け、ユージィンを見据える。
眼窩に嵌め込まれているはずの翠色は、何故か髪と同じ象牙色に染まっていた。
「月の女神、か?」
眉間に皺を寄せ、ユージィンは呟く。
「ええそうよ、私」
マイユにはできない、艶然とした笑顔を彼女は浮かべた。
「早く。 もっと早く、頑張って」
蠱惑的に、彼女は囁く。
「足りない。 まだまだ、足りないの」
「月の女神……」
「このままだとこの子は、修道院に入るわ。 あなたが一生懸命引き留めても、どれだけ情熱を傾けても、精一杯愛しても、あなたの手の届かない所へ行ってしまう」
すぅ、と彼女は息を吸った。
「それは駄目なの。 この子は、あなたと結び合わされたのだから」
眉をしかめ、ユージィンは黙り込む。
「早く、もっとたくさん。 あなたともう一度、恋ができるように」