十年前の真相
※警告※
マイルドに抑えたつもりですが、恋愛小説にあるまじき拷問シーンが後半にあります。
五歳児が、物理的に壊される胸糞話です。
そのような描写が苦手な方は、次話にてあっさりと表現しておりますのでそちらで補完をお願いします。
王城の中庭では二人の兄弟が遊び戯れ、王と王妃は微笑ましい光景を目にしながらお茶を嗜んでいた。
ぴくりと、兄弟の動きが止まる。
「国王」
「王妃」
色違いの瞳を同じ赤に染め、二人は両親を見た。
「エッシェンバッハ子爵令嬢マイユを」
「エリューゼとユージィン、どちらかと娶せよ」
「マイユが望む者を」
「彼女の夫に」
「マイユと王家が結びつく事により」
「遠き未来の益となる」
国王夫妻は慌てず騒がず、二人に向かって頭を下げる。
「二神の思し召しのままに」
エッシェンバッハ子爵レオナルドのはその時、自領に家族ごと引きこもっていた。
幼い娘は元気いっぱいに育ち、妻のお腹には二人目が宿っていたからだ。
どちらの子も自領でのびのびと育て、ある程度大きくなってから王都で交流を始めればいい。
夫の方針に妻も賛成し、家族は平和に時を過ごしていた。
ある日訪れた王都からの使者が、彼に動揺を与える。
二神の神託により、幼い娘マイユに王家の子供が求婚者として面会しにやってくる。
兄のエリューゼと弟のユージィン、どちらかマイユがなついた方と婚約せよと。
義務を果たすのは、貴族の務め。
エリューゼとユージィンを擁してやってくる一行を歓待するため、レオナルドは準備を整えた。
列の先頭近い位置に、一際豪華な仕立ての馬車が二つ並んでいた。
城の前に出て主賓の到着を待っていたレオナルドは、後方の馬車から出てきた二人の子供を見て敬礼する。
十代前半の、若木を連想させるしなやかさを宿していながらも落ち着いた物腰の少年。
娘のマイユよりやや年かさの、元気いっぱいと表現しておきたい少年。
瞳の色は違えど、どちらも燃え立つような色合いの赤毛だ。
先祖代々どのような色合いの髪をした女性を妻に迎えようと、特徴的なこの色合いが褪せる事はない。
それは建国王の色であり、二神の関心がこの国に寄せられている事の証左でもある。
「子爵殿」
兄のエリューゼが、弟ユージィンの手を握って歩き回るのを抑えながら声をかけてきた。
「急な訪問、申し訳ない。 しばらく世話になるよ」
エリューゼの言葉に、レオナルドは頭を下げる。
「精一杯、歓待させていただきます。 どうぞこちらへ」
レオナルドは二人を、ウェイティングルームへと案内した。
そこにいた小さな女の子に、二人は目を奪われる。
大きな椅子に腰掛け、手持ち無沙汰に足をぶらぶらさせているこの女の子こそ。
「マイユ」
咎めを含んだ父親の声に、女の子は顔を上げた。
レオナルドの後ろにいる二人を見て、ぱっとその顔がほころぶ。
「お客さま!」
椅子からずるっと降りた女の子は、三人の目の前に駆けてきた。
「いらっしゃいませ! エッシェンバッハ子爵令嬢、マイユと申します!」
おしゃまにお辞儀をして挨拶する様子に、二人は呆気にとられる。
すぐに応じたのは、エリューゼだった。
微笑んで膝をつき、マイユの手を取って甲に唇を触れさせる。
「初めまして、小さなレディ。 僕はエリューゼ」
「お……俺、ユージィン!」
精一杯胸を張って、ユージィンが負けじと声を上げた。
エリューゼの紳士的な態度に驚いていたマイユだが、ユージィンの声に彼を見る。
何か、通じるものがあったのだろうか。
つぶらな瞳が大きく見開き、次いでふんわりと笑顔になる。
「ユージィン様」
「う……うん」
二人ともお互い身内以外では初めて接した、同年代の異性だ。
二人の様子を見てエリューゼは小さく笑い、そっと退く。
「さっそく確定かな、これは」
どうやらお互い親しみを覚えたらしく、二人は手を取り合って外へ遊びに行ってしまった。
ユージィンの護衛騎士が、少し離れてついていく。
「とりあえず、予定通り滞在して親交を深めようか。 このまま別れて、将来お互いの顔を忘れてましたなんてならないように」
「そうですな……」
複雑そうな顔をするレオナルドを見て、エリューゼは小さく頭を下げた。
「子爵殿、いくら神託とは言え幼い娘御を王家に嫁す事になってしまい、申し訳ない」
「そのような事はっ……」
言いかけて、レオナルドは口をつぐむ。
妻のお腹に宿った命が女なら、マイユが婿を迎えてエッシェンバッハ子爵家を継ぐ予定だった。
それを神託により、自分達がまみえる事も不可能なほど遠い未来に出現する英雄のために王家の子供と結婚しろと言われたのだから。
立身出世の野望とは縁のないレオナルドにとって、王家との婚姻などという注目の的でしかない話題はあまり嬉しいものではなかった。
「だがこれは、我々にも詮ないこと。 辛抱して欲しい」
エリューゼの言葉に、レオナルドは頷きを返す。
仮にも、王家の子供の婚姻だ。
子爵家の継嗣と目されている女の子では、通常の場合その身分にいささかの不足がある。
それでも二神は、この婚姻を示したのだ。
この国に生まれ住む以上、避けられない義務を果たさねばならない。
外を駆け回ってきた二人はすっかり打ち解けた様子で、お互いを『マイ』『ユー様』と呼んでいた。
ユージィンは晩餐の時間まで子爵夫人レイチェルの膨らんできたお腹を触らせてもらったりマイユの部屋まで遊びに行ったりと精力的に動き回り、エリューゼは蔵書庫でレオナルドのコレクションである稀覯本を読み耽って過ごしていた。
次の日も、その次の日も。
遊び戯れる二人を、大人達は微笑ましく眺め。
全ては順調に進むだろうと、誰も疑いすらしなかった。
「何だよそれ!?」
ユージィンが上げる不満の声に動じる事なく、護衛騎士は説明する。
「不審者がエッシェンバッハ子爵領内に潜り込んだようです。 皆様の安全が確保されるまで、当面の外出はお控え願います」
「そんな……」
マイユと一緒に近所までピクニックに行こうと約束していたのに、その約束を果たせないのがユージィンには不満らしい。
「仕方ないですよぅユー様ぁ」
マイユが、ユージィンをなだめにかかった。
「エリューゼ様やユー様に何かあったら、みんな悲しいですよぅ?」
淡い想いを向ける女の子からそう言われ、ユージィンはぐっと言葉に詰まる。
「ね? うちで過ごしましょう?」
服の裾を掴んでマイユがおねだりすると、ユージィンはしぶしぶ頷いた。
「マイユの方が大人だね」
一部始終を見守っていたエリューゼが、くすくす笑う。
「その不審者とやら、早期に捕まえられるよう手を尽くしてくれ。 ユージィンが不満で爆発しそうだ」
小さな声で、エリューゼは指令を下した。
「御意」
護衛騎士は一礼し、戯れる二人に目をやる。
癇癪を起こしやすい気性のユージィンが、マイユを相手にしていればえらくおとなしい。
ここからお互いへの恋愛感情に発展するかは二人の幼さ故に不透明と思われるが、貴重な人材が掘り出せたものだ。
ユージィンが王族と知らされているのにひねたりいじけたりする事もなく、むしろ駄目な事を駄目ときちんと諭せるのだ。
まだ、五歳の女の子が。
個人的には、惜しいなと思う。
性別が男であれば、間違いなくユージィンの部下として迎えたい人材だ。
マイユは女でユージィンの部下となるより重大な要件をその身に抱えているので、叶わぬ望みと言ってしまえばそれまでだが。
護衛騎士は、ひそかに嘆息する。
そんな事をしているうちに、二人は騎士に背を向けて歩いていってしまった。
だから彼らは、気づかなかった。
まだむくれた顔をしているユージィンの目が、よからぬ考えで輝き始めた事に。
「外行こうぜ!」
マイユの部屋で時間を潰していたユージィンがそんな事を言い出したので、マイユは目をぱちくりさせた。
「ユー様?」
咎める口調を聞き取ったのか、ユージィンの唇が尖る。
「だって退屈じゃんかよー」
「駄目ですぅ。 お外に出ちゃいけないって、言われてるんですよぅ?」
「えー、たーいーくーつー」
ぶうぶう文句を言うユージィンは、マイユを言いくるめにかかる。
マイユも五歳児なりに、必死に抵抗した。
けれど……二つの歳の差は、マイユを負けさせる。
こうして、二人の間には消えない傷が刻まれた。
大人達の監視の目を掻い潜り、二人は城の外へと出ていた。
幼児の行動力は、侮れない。
抜け道や未補修の壁穴などの城内に詳しいマイユと身体能力に優れるユージィンは互いの弱点を補完しあい、不幸にも大人達を抜いてしまったのだ。
「うっひょーう!」
歓声を上げ、ユージィンは草むらに寝転がる。
その隣に、マイユは腰を下ろした。
ここは城の外に広がる、ちょっとした原っぱだ。
「なんだ、誰もいねーじゃん!」
「ユー様、早く帰りましょうよーぅ」
不安げに周囲を見回すマイユは、ユージィンをつついて催促する。
今なら、戻れば誰にも咎められずに済むだろう。
ユージィンにそそのかされたとは言え、マイユはこれが『悪い事』だと自覚していた。
「なんだよマイ、お前まで!」
抑圧されて鬱憤の溜まっていたユージィンは癇癪を起こし、起き上がって駆け出した。
「あ、ユー様!」
マイユも慌てて、後を追う。
そしてユージィンに追いついた時……異変は、起こっていた。
「あ、ぁ……」
ユージィンの前に立ち塞がる、黒装束の男。
「けひ」
奇妙な笑いを、男は上げる。
「けけ、くひ、ひひひひひ」
構えた右手に備えるのは、不気味な色を放つ金属製の爪だ。
「死ぃねぇや、クソガキ」
男は、爪を振りかぶる。
「だめええええええっ!」
マイユの絶叫とユージィンの体に衝撃が走るのとは、ほぼ同時だった。
つんのめったユージィンの耳に、肉の裂ける音が届く。
そして、びしゃりと。
体に降り注ぐ、なまあたたかい。
「うあああああああっ!?」
「チッ」
男が、舌打ちした。
「この年で、男に媚を売るのだけは一人前か。 メスガキめ」
体を裂かれユージィンの上に倒れたマイユが、急に浮き上がる。
意識はないのか手足は力なくぶら下がり、けれど、浮く?
ユージィンは、見る。
男の片手が、マイユを掴み上げていた。
眼窩に、指を突っ込んで。
「ぐっ!?」
男の片足が、叫ぼうとしたユージィンの腹にめり込む。
「見てろ、クソガキ。 てめえのメスガキが、壊れる所をなァひひひ、けひひゃひゃひゃ」
言うなり男は、マイユの体を殴り……いや、壊していく。
びしゃり、びしゃり。
体に降り注ぐ、マイユから、滴る。
溢れる。
「ぅ、ぐうっ、うぅうううっ!」
ユージィンは一生懸命、男に抗った。
だが……子供の小さな手で、指で。
武装した男に、どれだけ太刀打ちできるというのだろう。
丈夫なブーツを履いた足にあお向けの子供が拳を叩きつけ爪で引っ掻き歯を剥いて威嚇した所で。
どれほどの、痛痒に感じるというのか。
そして。
腹を踏みつけられた小さな子供が苦しみ憎悪を爆発させるのを。
男は、心底愉快な心地で眺めていた。
大切なものを守れない無力感と絶望で顔を歪ませのたうちもがき、自分の頭上で解体されていく恐怖を味わい。
「けひ、ひひひ」
彼にとって最高の娯楽を差し出すユージィンをいたぶる事に、何の躊躇いがあろうか。
「ひひ……さあ、お別れだ。 遺言はあるかメスガキィ?」
男はマイユの体を、放り投げる。
ぐしゃりと、マイユが隣が墜落した。
地面に叩きつけられたマイユが、小さく震える。
あれだけの事をされながら、まだ生きていた。
「……じ」
ひゅうひゅうと、マイユの喉が鳴る。
「ごぶじ……ですか……ゆー、さま?」
微かな声が、ユージィンの耳に届いた。
「ううっ!」
声を出そうとした途端、腹にめり込んでいた足が顔を踏みつける。
「うひ、ふひひ……じゃあ、どっちも死ぬぇや」
どぷり。
突然。
男の胸から、剣の切っ先が生えた。
「え?」
「早く! 救助を!」
剣をねじってとどめを刺しながら、ユージィンの護衛騎士が叫ぶ。
「医者! 治癒師! 何でもいいから人手を集めろ!」
助かった。
それを唐突に理解して、ユージィンの意識は途切れた。
その部屋の前には、重苦しい空気が満ちていた。
運び込まれたマイユが、手当てを受けている部屋。
最初の治療に当たった医師の助手はマイユの惨状に気分を悪くし、今もトイレに籠って出てこない。
この場にいるのはレオナルド、エリューゼにユージィンのみ。
夫人のレイチェルは……二人が襲撃されたという報を聞いて手酷く動揺し、お腹の子が流れかけているのでこちらも懸命に治療されている。
レイチェルの方はなんとか目処がつきそうだが、マイユは……。
「……ユージィン殿下」
レオナルドの声に、ユージィンは震える。
「ご、ごめ」
「謝らないでいただきたい」
ユージィンの声を、レオナルドは遮った。
「あなたに謝られましたら、私はあなたを許すしかない。 そして私は、あなたを許したくない」
この子供の軽挙妄動により、レオナルドの家族は全員が失われる所だったのだ。
「……楽しかったですか?」
「え?」
「禁止されていたのに娘を連れて外に行き、私の娘を拷問させた事です。 あなたの退屈は私の家族全員を対価にせねば紛れないほど、大層なものですか?」
「……」
「どうして我々が、外出禁止を申し渡したとお思いですか? それを理解できないほど愚かな方が、この国の王子を名乗るのですか?」
レオナルドの言葉に、ユージィンは唇を噛み締める。
マイユを思って泣くのもそんなつもりじゃなかったと喚くのも、加害者に許される事ではないのだ。
「……お引き取りいただきたい」
レオナルドは、申し渡す。
「娘がどうなったかは、お知らせしましょう……義務として。 ですが私は、あなた方にこの城へ留まっていて欲しくない」
「そんなっ!」
「娘をあんな目に遭わせておいて、近くにいたいとおっしゃいますか? 私はごめんです」
今まで黙っていたエリューゼが、立ち上がる。
「ユージィン」
高く、ユージィンの頬が鳴った。
「あに、うえ……」
「ユージィン、君には罰が必要だ」
エリューゼは、ユージィンの胸ぐらを掴む。
「何の罪罰も与えずに済ませられるほど、今回は軽い事態じゃない。 分かるね?」
「……は、い」
「子爵殿。 できる限り、素早く引き上げる事は約束しよう……細かい事は、こちらから使者を出す」
エリューゼは、深々と頭を下げた。
「今回の事は、いかようにも償おう。 本当に、申し訳ない」
後日。
娘が命を繋ぎ止めた報せとともに、子爵は和解の条件を突きつけた。
ユージィンに関するマイユの記憶を全て封印し、面会を最低十年は取り止めること。
ユージィンはこの条件を飲み、マイユの記憶の封印は二神が直々に執り行った。
さらに月の女神が、封印解放の条件を設定する。
マイユがユージィンを心から好きと思い、唇を許すこと。
そして、十年後。
物語が、始まる。




