夜会のひととき
ユージィン様が侯爵様とお話している間、私は適当に愛想笑いを振り撒いて時間を潰していました。
会話の中に含まれるテクニックは学ぶべきものですが……会話の内容自体は天気とか自領の作物の出来とか、当たり障りのないものばかり。
エッシェンバッハ子爵家は規模は大きくはないけど古い歴史を持っていて、穀倉地帯のいい所を所有しています。
小作民の皆さんが頑張ってくれるので、小麦だ野菜だ畜産だと王都に居住する人達の食糧事情を支えているんですね。
地理的にも優れているのか、飢饉や干魃のような災害とは迂遠です。
うちの小さい自領に比べて、公爵・侯爵家なんて広大な領地は治めるのも大変なんでしょうね。
柑橘系の果物を中心にブレンドされたジュースにちびちび口をつけて喉を湿しつつ、私はユージィン様の横顔を盗み見しました。
侯爵様とのおしゃべりを切り上げ、続々と訪れる貴族当主の方々とひとしきり声を交わし合うお姿。
普段のぶっきらぼうな態度を引っ込めて社交に勤しむ姿はとても凛々しくて、こんな方に想われる女性は幸せ者だなぁと思います。
ユージィン様の、想う方。
今夜一晩だけ、この方を独占させてください。
私がユージィン様を想うなんておこがましいですし不遜なのは、分かっています。
だからせめて、今夜だけ。
ごめんなさい。
「そろそろか」
会場の隅で緩やかな曲を奏でていた楽団が、不意に音楽を止めました。
それを聞いたユージィン様が、立ち上がって私に手を差し出します。
「来い。 練習の成果を見せてやろう」
頷いて、私は立ちました。
ダンスフロアには、既に三組ほどのカップルが待ってらっしゃいます。
空いた場所で足を止め、ユージィン様と向き合って姿勢を整えます。
ゆっくりと、舞曲が奏でられました。
くるり、くるり。
ユージィン様と寄り添い、ダンスを踊る。
緊張は、しませんでした。
ユージィン様の香水は、いつもの匂い。
繋がれた右手も腰に当てられた左手も、練習していた時以上に優しい。
少し顔を上げれば、ユージィン様の目と視線がぶつかります。
ダークイエローの瞳はいつものように剣呑な光を放つ事なく、優しく細められていて。
まるで、私達が恋人同士のようだと。
湧き上がる不遜な思いに唇を噛み、目を伏せる。
……あぁ、曲が終わる。
あっという間、でした。
「……ユージィン、様?」
あ、と思う間もなく。
抱きすくめられて、顔が近づいて。
思わず目をつぶる、と。
額に、感触。
……キス、されるかと。
唇に。
私は……状況に、流されても。
唇にキスする、価値すらないと。
自惚れを、叩き潰された。
ユージィン様が私に優しくしてくださるのは、私が付添人だから。
それ以下ではないけれど、それ以上でもない。
私、は。
……あぁ、何を考えてるんでしょう。
私は自分の気持ちを悟られないよう隠すと、決めていたではありませんか。
ユージィン様と想う方とを、祝福するために。
額とは言えユージィン様からキスされた事なんて、望外の喜びであり高望み。
これ以上を望むのは、不遜です。
「……ユージィン様」
だから。
声をかけると、ユージィン様が私を見ました。
うっすらと頬が染まってらっしゃるのは、気まずいからでしょうか。
ご気分が高まって、想う方を忘れて私などにキスしてしまったから。
「今夜は、ありがとうございました」
だったら私は、今のキスはなかった事にしてしまいますから。
私に、気を使う必要などありませんから。
なんとか夜会が終了し、馬車に乗り込みます。
ふぃっと、ため息が漏れてしまいました。
寮に帰ったらアビゲイルさんが着付けをほどいてくれるそうなので、それまでの辛抱ですね。
「あ、このドレスですが……」
脱いだらどうすればいいのか分からなくて、向かいに座ったユージィン様に声をかけました。
そうしたら。
「お前のために誂えさせた物だ。 一式クリーニングしたら、そのままやるよ」
実に気前のよろしい台詞が飛び出します。
「え」
「いいから。 遠慮するな、俺は金持ちだ」
……そういうもの、でしょうか。
公爵閣下からの頂き物なんて売り払え……るわけないですが。
「それより」
う?
なんですか、妙にいい笑顔ですが。
「次のドレスはどんな奴がいい?」
「へひ?」
「次のパーティも、お前を連れてこうかと思ってな」
……………………なんですとぅ?
「いやいやいやいやいや。 謹んで、ご遠慮申し上げますよ?」
「なんだ、駄目か?」
「駄目に決まってますって。 こんなチンドン屋さんより似合わない格好してまた晒し者にされるくらいなら、うちでのんびりしてたいですっ」
必死に弁解すると、ユージィン様は眉をひそめられました。
「チンドン屋って……なんだそれ?」
「え、だって私の姿が滑稽だから会場入りした時のリアクションが変だったんじゃないんですか?」
「おま……少しは俺の話を信用しろよ」
あぁ、すごく綺麗だって褒められましたねそういえば。
でもああいうシチュエーションで人の事を貶すのは人格的にどうかって話になりますし、普通にリップサービスだと捉えましたが。
リップサービスだから嬉しくないか嬉しいかってのは、また別問題ですし。
あ、でも……ユージィン様の性格的に、リップサービスなんてしない気もします。
だとしたら、本当に私の事を褒めてくださって?
「……ようやく信じたか」
ため息混じりの台詞にアワアワするのは、仕方ない事だと思いますですよ!
だってだってだって!
「……まるで」
「まるで?」
「く、口説かれてる、みたいです……」
言葉を口にした途端……ユージィン様が、固まりました。
「……え? まさか」
は?
「口説かれてないと思ってたんかっ!?」
……えぇ!?
「口説いてたんですかっ!?」
お互い呆然として見つめ合うなんて、どこの物語のシチュエーションでしょう。
「……どうやら、相互に重大な誤解があるらしいな」
「ひ……ぎゃあ!?」
隣に体を移したユージィン様に、ガッチリ捕縛されました。
「幸い、もうすぐ寮だ。 逃げられると思うなよ?」
ひいいいいいぃ!!
お、おこ、怒ってらっしゃいますねユージィン様!
そ、そりゃ今の話が本当なら、ユージィン様は私を口説いていたわけで。
く、くど?
口説くって事は、ユージィン様は……私を、す、す。
好き?
「くぴ」
あまりの衝撃に気絶した私は、悪くないと思います。




