里帰りの日
「それでは今日一日、失礼しますね」
声をかけたらユージィン様、僅かに眉をしかめられました。
鋭い眼光で私を射抜きますがそれは不機嫌なのではなく心配しているからだと気づいたのは、一体いつだったでしょうか。
目線のバリエーションが異常に豊富なのと他者と気軽におしゃべりするほど気安くない性格、この年齢で公爵当主という立場。
様々なものが絡み合って、建国の祖と同様の苛烈な気性というイメージが固定されてしまったようですこのお方。
かくいう私も先行する噂に踊らされていた一人なわけですが、今は違います。
ユージィン様の、お役に立ちたい。
私個人で大した事ができるわけではありませんが、ユージィン様の愚痴に付き合うくらいはできます。
私を使ってスッキリして、快適にお仕事ができるように取り計らうとか。
そのためには、未来の公爵夫人と面識を得ておく必要がありますね。
私達がやましい関係でない事を、ご理解いただかないと。
私自身に、報われなくてもユージィン様の側にいたいというやましい気持ちがあるのですから。
「夕方には、戻って参りますので」
お顔を見上げてへらっと笑えば、ユージィン様の眉間が緩みます。
家族よりユージィン様の側にいたいなんて、私は相当重症なようです。
でもそれが不快ではないのですから、恋の病というものは厄介なものです。
挨拶はもう済ませたので、ユージィン様が貸してくださった馬車に乗り込みました。
ガタガタ揺れて、馬車が動き始めます。
目指す方向は、私の実家。
今日は、私の里帰りの日です。
年輪と風格を感じさせる構え、と言えばとても聞こえのいい我が館です。
実際は築ウン百年の外壁にどこからかやってきた蔦がモサモサ這い、庭の手入れはそれなりですが家の中はあちこち修繕が必要なボロ家ですが。
……子爵領のおうちはもっと立派な城なんだと、見栄張っておきますよ。
お父様が貴族の間では常識とされる賄賂や付け届けを嫌がるので、家の修繕資金が集まらないのですよ。
私個人は賄賂や付け届けが駄目なもの、とは思わないのですが。
前後の挨拶と少量の金子や物品で物事が円滑に運ぶなら咎めるべき事ではない、というのが貴族の常識です。
すべらかな口の回りとお愛想を振り撒くだけで、お互い気持ちよく仕事を押し進められるわけですからね。
まあお父様の方針がそういったものを不要としている間、我が家の貧乏暮らしは確定です。
国の政策のおかげで元々通おうとしていた私立校よりあらゆるもののグレードが高い学習院に無料で通えるのは、本当に幸運な話なのですよ。
しかもユージィン様の側にいてお相手をしているだけで、過分なまでのお給金をいただく事ができるのです。
そして十分な教育を受けた後は、ユージィン様の紹介でそこそこいい職場にありつける!
未だにお仕事内容を公開してくださらないユージィン様の態度に不安を覚えるのですが、まあユージィン様なら無体な仕事を押しつけてくる事はないでしょう。
そう思えるくらいには、ユージィン様との付き合いも深く長くなってきています。
「それでは、夕刻頃に迎えに来ていただけますか?」
門扉の前で馬車から降り、御者さんにそうお願いします。
帰りもこいつを使えとユージィン様に言われたので、遠慮せずに希望時刻を伝えます。
遠慮すると、ユージィン様怒りますし。
どうやらユヴァンテ家で漏らした私の護衛に四人のうち誰かを連れていけ、は冗談でもなんでもなかったようです。
私が嫌がって遠慮するから、それ以上ごり押ししないだけで。
御者さんにお見送りされて、私は実家に入りました。
「ただいまー」
とりあえず声をかけると、すぐにパタパタと足音が。
「姉ちゃん!?」
真っ先に来たのは、弟のマックスことマクシミリアン。
まだ十歳なので、私にとっては可愛い盛りですね。
「うん。 帰ってきたよー」
飛びついてきてくれたマックスをぎゅっと抱き締めて、姉弟の再会を喜びます。
「マイ!」
「お嬢様!」
おや、両親と爺や婆やまで駆け付けてきましたよ。
「ただいまです、父様母様爺や婆や」
へらっと笑って挨拶すれば、みんなに囲まれてしまいました。
「閣下のご様子は、どうだ? 噂通りでお前が邪険に扱われてやしないかと……」
どんな噂を聞いてますかねうちのお父様は。
「いいえ。 怒りっぽい方ではありますけれど、多少の癖なんてどなたにもあるものですし気になりませんわ。 むしろすごくよくしていただいて、心苦しいくらいです」
とりあえず、否定は明確にしておきますよ。
「……閣下なら、そうだろうな」
父様の呟きは聞こえなくて、首をかしげてしまいます。
「生活はどう? 友人はできた?」
お母様の声に、明るく答えます。
「生活も友人も、問題ないですよ」
ユージィン様のお側にお仕え……むしろ私があれこれ世話されてますが、とにかくあの方のお側にいるだけで発生する妬み嫉み程度は想定内の出来事ですから何とも思いません。
厚かましいですがリーゼロッテ様の事を友人というか盟友というかとにかく親しい間柄、と呼んでいいそうですし。
そうなるとユヴァンテ家の派閥に与する皆様は、私がリーゼロッテ様のお墨付きをいただいた時点で敵対する意思を放棄しちゃいました。
トップが私と仲良くしてるのにキャンキャン騒いだ所で、いい事はありませんからね。
「生活に不足はございませんか?」
婆やの台詞に、頷いて答えます。
衣食住は全て一流のものを用意していただき、将来は国の中枢に関わる子息方と同じ教育を受けているのです。
不満なんて言ったら罰当たりますよ。
「姉ちゃん、いつまでいられるの?」
マックスの声に、少し眉をしかめてしまいます。
「夕刻まで、かな。 あんまり遅くなると、ユージィン様が心配しちゃうから」
答を聞いてポカンとするマックスの頭を、ついよしよしと撫でてしまいました。
「どうしてだかユージィン様から可愛がられててね。 閣下と呼ばなくていいし、細かい事で心配されちゃうし」
うん、他のユージィン様の顔見知りなお嬢様方と比べても、私は優遇されていると思うのですよ。
他人を目線だけで威嚇するのは割とよくやっているのですが、私が止めれば聞き入れてくださいますし。
ただそれは神託に沿った行動で、期間満了を迎えた暁に晴れて別居となった時まで私の言葉を聞き入れてくださるかどうかは分かりませんが。
……駄目な子扱いで世話されているのだとしたら、ちょっと悲しいです。
家族であれこれおしゃべりして昼食を一緒に摂り、食後のお茶をお母様と二人でたしなんでいた時でした。
「閣下の事を、お慕いしているの?」
ぐむっと、お茶を喉に詰まらせてしまいます。
いきなり何を言い出しますかねこの人は。
「……はい」
けど、吐き出したかったのかも知れません。
「ユージィン様の事が、好きです」
気がつくと、そう呟いてました。
「家柄も容姿も何もかも釣り合わないのは、分かってます。 けど誰を想うかは私の自由ですもの」
たとえ、ユージィン様に想う方がいらっしゃっても。
「……はい?」
続けて呟いた言葉に、お母様が硬直しました。
「公爵閣下に、想う方がいる……ですって?」
ひっくーい声はユージィン様と似通った怖さですが、ユージィン様の方が怖いので何とも思いませんね。
「それは、どこからの情報なのかしら? 事と次第によっては、しかるべき筋に問い合わせませんと」
お母様……しかるべき筋って、どなたです?
それにお母様とユージィン様って、面識ありませんよね?
面識ないユージィン様の想う方の情報を、どうしてお母様が知りたがるんです?
まぁ、支障はないですし話しますけど。
「以前うちに来た、今上陛下の伝令官をしていらっしゃるゲインという方ですよ。 ユージィン様と同居というお話ですから許嫁様はこの事をご存じなのですかと質問したら、『ご存じではらっしゃいます。 ですがお心の内 は、我々が関知できる所にないのも事実とだけ』って明言したんですもの」
ユージィン様と同居してからもう数ヶ月経ちますが、あの腹黒おじさんの言葉は一言一句に至るまでしっかり覚えてますよ。
「……もやっとした言い方ねぇ」
……なんで私を生温い目で眺めますかねお母様。
「まあ時期的にも微妙な……そういう言い方ができないと駄目なんでしょうけど……けど知ったばかりのマイにそういう言い方でごまかすなんて……」
ぶちぶちこぼす内容は、よく分かりませんねぇ。
「まあいいわ。 マイ、あなたが不安に思う事はないのよ」
はい?
「閣下をお好きなら、突っ走りなさい。 お父様には内緒でね」
「内緒って……何故ですか?」
私の質問に、お母様が苦笑します。
「私はもう諦めがついたけれど、お父様はまだ駄目なのよ。 閣下の事が、お嫌いなの」




