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09話:禊

「禊の準備が整いました。ミサキ様、どうぞこちらへ」


 カナリアさんが恭しく礼をしつつ、僕を促した場所は、一階の奥まった一室だった。

 脱衣所の類はなく、畳八畳分くらい部屋の真ん中に、大きな石造りのバスタブがあり、良い香りのするお湯がなみなみと湛えられていた。


「ねえ、このお風呂どうしたの?」

「見ての通りです。聖水を溜めさせていただきました。ミサキ様には失礼だと思いましたが、下層だと禊の出来る場所はうちしかなくて……」

「いや、そういうことじゃなくて。さっき準備をするって言って、まだ五分も経ってないよ? 見たところ水道が通ってるように見えないし……」


 スペース的には十分すぎるほど広い浴室ではあるのだけど、奇妙な事に、水道もシャワーも何も無い。大きな湯船と、他の部屋より少し硬めに作られている床しかない。

 造りは多少古めかしいけど、掃除は行き届いており、閉塞感は全く無い。


「もしかして、ミサキ様はエーテル固定の技術をご存じでは無いのですか?」

「うん」

「イカルとアトリですら知っているのに……ミサキ様は、本当に外の世界を知らされなかったのですね」


 カナリアさんが愁眉(しゅうび)を寄せる。

 先ほどのジェット噴射の時に比べて多少落ち着いているのは、恐らく僕の間違った生い立ちが頭の中にあるからだろう。


「折角なので実演させていただきますね。ミサキ様、私の手を良く見ていてください」


 カナリアさんはそう言うと、湯船の方に両手を突き出す。

 目を閉じて何かに集中するような動作をすると、手のひらから、まるで噴水のようにきらきらと輝く水流が現れた。

 魔法のような不思議な光景に、僕は目を丸くする。

 しかも、湯気が出ている所を見ると、ただの水じゃなく、どうやら温水らしい。


「凄いね。まるで魔法みたい」

「自分の神力を媒介にして、大気中のエーテルを好きな形に変換できるんです。皆は『エーテル固定』と呼んでいますけど」

「神力? エーテル?」

「……そこから説明しないといけませんか」

「話の腰を折ってばかりで、本当ごめんなさい……」

「そんなことはありません! ミサキ様の生い立ちを考えない私のほうが軽率でした!」


 天界について、僕は殆ど情報を知り得ない。

 そんな僕に対して、カナリアさんは懇切丁寧にきちんと説明してくれる。

 出来の悪い生徒で大変申し訳ない。


「だいじょーぶだよミサキさま! 最初は誰だってシロートだもん!」

「カナリア姉さまは教えるの上手だよ。私たちもちょっとだけ手伝ったんだよ」

「ツグミも! ツグミも! がんばったよ!」


 幼女たちにまで同情されてしまった。

 というか、こんな小さい子に出来ることすら知らないと言うのは、仕方ないとは言えやっぱり恥ずかしい。

 カナリアさんの説明を、しっかり頭に入れておかないと。


「あなた達はちょっと黙ってなさい! ……失礼しました。ええと、では、まず神力のご説明からさせていただきますね。神力とは、簡単に言ってしまえば私たちの『力』そのものです。多ければ多いほど良いもので、大体、羽を作れてようやく『天使のはしくれ』という感じでしょうか」

「羽って、別に飛ぶための物じゃないんだよね? 無い私でも浮遊できたわけだし」

「羽は髪と同様に、神力を蓄えておくための物です。いざという時に放出したり、能力を強化したり出来ます。ミサキ様ほどのレベルになると、羽を作って溜め込む必要も無いのかもしれませんけど」


 そう言えば、下級天使たちには全く羽が生えていなかったな。

 あんまり風情の無い言い方だけど、栄養や水分を溜めておく、ラクダのこぶみたいな物なのだろうか。


「あたち、羽つくれまち!」

「「「えっ!?」」」


 ツグミちゃんの突然の告白に、カナリアさんたちが仰天する。

 今の話だと、羽を作れるのが天使のステータスという話だったはずだけど。

 さっきまで死に体だったこの子が、いきなりそれが出来ると言い出した。

 まずいぞ。幼女に先を越されてしまった。


「みててみててー! うーっ!」


 ツグミちゃんは丸っこい手を握り、気張るように力を籠めると、背中に小さな真っ白い羽らしき物が出来た。

 と言っても、上神の儀式に居た天使たちから抜け落ちた、羽毛一枚にも満たない大きさだけど。

 それでも、カナリアさん達の度肝を抜くには十分だったらしい。


「つ、ツグミ! 本当に羽が作れるようになったの!?」

「うん! ミサキしゃまのおっぱい吸ったら、できるようになりまちた」

「え!? 胸を吸った!? ミサキ様の!?」

「ツグミはミサキさまの胸をちゅっちゅって吸ってたよ。あのとき、神力を少しもらったのかも」


 アトリちゃんの説明を聞いたカナリアさんは、不意に悲しげな表情を作り、ツグミちゃんの新緑の苗木みたいに細い首へと両手を伸ばす。


「ツグミ、ごめんね……」

「どうちたの? カナリアねえしゃま、とってもかなしそう……」

「貴方をちょっと遠いところに連れて行かないとならなくなったの。大丈夫、苦しく無いわ……」

「ちょ、ちょっと待った! 何でそうなるの!?」


 僕は反射的に割り込んで、カナリアさんからツグミちゃんをひったくる。

 カナリアさんはと言うと、悲壮な決意を秘めた顔をしている。

 何で僕のおっぱいを吸っただけで、ツグミちゃんを絞殺せねばならんのだろう。

 わけが分からない。


「上級天使であるミサキ様が、羽化不全の下級天使の穢れを払う。これだけでもあり得ないことです。なのに、まさかミサキ様の乳房まで汚しているなんて……! ツグミを殺して、この私もお詫びのため、首を吊ります……!」

「折角助けたのに殺したら意味無いでしょ! 私が良いって言った事に、必要以上に萎縮しないってさっき約束したじゃない」

「で、でも! あまりにも越権行為過ぎるのでは無いでしょうか!? それとも、あえて生きながらえ、悶え苦しめという事でしょうか?」

「いやだからさ、死ぬ方向から離れようよ。自殺なんてしたって楽しい事一つもないし、ツグミちゃんも元気になって、みんな元気で笑ってる。何の問題も無いでしょ」


 あんなもんしない方が良いに決まってる。

 経験者が語るのだ。間違いない。


「ミサキ様……! なんと慈悲広大な……!」


 カナリアさんは顔をくしゃくしゃにして、感涙にむせび泣く。

 参ったな。アメリカ人だってここまでオーバーアクションを取らないと思う。

 彼女に染み付いた卑屈さを取っ払ってあげたいけど、こりゃ思った以上の難事になりそうだ。


「っと、話が逸れちゃったけど、もう片方の単語について説明してくれるかな?」

「あ、はい。申し訳ありませんでした! それではエーテル固定をさせていただきます。ええと、大気中に満ちている『エーテル』という物を、ある特定の形にする技術のことです」


 エーテルねぇ……良く分からないけど、空気みたいなものだろうか。


「エーテルは天界にほぼ無限にありますし、いくらでも好きに使って構わないのですが、それを固定するためには、加工するための神力が必要になりますし、イメージしなければなりません。特に、聖水を作る場合、水と邪気を払うイメージを同時に混ぜ合わせないといけませんから、かなり難しいのです。下層だと私以外できる人が居ないんです」

「へぇ……でも使えれば便利そうだね」


 要約すると、基礎的な力と想像力があれば、空気中からどんなものでも作れてしまうという事だ。

 思い出してみれば、ここに来る道中、売店みたいな物は一軒も無かった。

 自分の力で欲しいものが何でも作れてしまうのであれば、流通や商売が発達する理由が無いのだろう。


「もしかして、私にも出来たりするの?」

「勿論です。むしろミサキ様なら、漠然としたイメージでも、基礎の神力だけでかなりの物が作れると思います。細かい作業になるとまた違うと思いますが……」

「そっか。ありがとう」


 これはかなり有益な情報だ。

 僕はそのベースとなる神力という物はかなりあるみたいだし、やり方さえ分かってしまえば、何か役立つ物を生成したり出来るかもしれない。


「もうよろしいのですか?」

「うん、いっぺんに色々聞いても、多分忘れちゃうからね」

「分かりました。なら、そろそろ禊のほうに入りましょうか。では失礼してお召し物を……」

「ちょ、ちょっと!」


 カナリアさんは少しだけ恥ずかしそうに、僕の破れた洋服に手を掛け、するすると脱がそうとする。

 僕が慌てて一歩後ずさると、カナリアさんは粗相をしたと思ったのか、しゅんとしてしまう。


「あ、あの。何かご不満な点がおありでしょうか? 天使様の禊の手伝いをさせられた時には、私の腕はかなり好評だったのですが……」

「不満って言うか、何ていうか……じ、自分で出来るから!」


 そりゃ今の僕は、女の体である事は間違いないけど、女の子に脱ぎ脱ぎさせられるのには流石に抵抗がある。そもそも、単にお風呂に入るだけなんだから、僕一人だって――


「ミサキさま。私たちの事きらい?」

「うっ……!」


 右下を見ると、破れたスカートの裾を掴むイカルちゃん。


「ミサキさま……私たち、お役に立ちたいです」

「ううっ……!」


 左下には、縋るような視線を投げ掛けるアトリちゃん。


「ミサキしゃま。わたちもいっしょうけんめいがんばるから……」

「うううっ……!」


 とどめに、後ろから僕の足に必死で抱きつくツグミちゃん。

 そして前には子犬のように僕を見上げるカナリアさん。

 行き場の無い視線を上に向け、僕は天を仰ぐ。四面楚歌とはこの事か。


「お願いします……」


 ――結局、僕はそう言うしかなかった。



 そして禊が開始された。

 禊なんて大層な名前だけど、早い話、ただのお風呂だ。

 ただし、僕は座ってるだけで、周りに四人の美少女がせっせとお湯を掛け、体を磨いてくれていることを除けばだけど。


 一糸纏わぬ姿になった僕は、改めて自分の姿に驚く。

 やはり特筆すべきは、夕張メロンみたいな形の良い胸だ。大きすぎて下が見づらい。

 体が温まってきたせいか、心なしか先端の桜色がより綺麗に――いや、これ以上はやめておこう。


「ではお体を清めさせていただきますね。熱かったら仰ってください」


 カナリアさんは僕の後ろに回ると、エーテル固定でシャワーのような温水を作り、僕の背中を丁寧に清めていく。

 少しだけ付いていた穢れが、じんわりと広がるお湯と共に、柔肌をするすると溶け落ちていく。

 自分で言うのもなんだけど、女性が憧れるお肌の究極系は、多分これなんだろう。

 

 カナリアさんが作る聖水は、柑橘系の匂いに似た、爽やかな香りがする。

 ほんのりと暖かく、押し付けがましくなくて、優しく包み込んでくれる。

 カナリアさんの心が溶け出したような心地よさに、いやらしさや気恥ずかしさという物が消えていく。

 ただ心安らかで、穏やかな気持ちになれる。


 イカルちゃんとアトリちゃん、さらにツグミちゃんまでもが、カナリアさんが作り出した聖水を掬い、小さな手で僕の足や腕を、スポンジのような物で優しく擦ってくれる。


 途中、ツグミちゃんが僕のおっぱいに吸い付こうとしたり、それに嫉妬したイカルちゃんとアトリちゃんが便乗しようとしたり、慣れない感触に色々緊張したりはしたけれど、みんなから本当に大事にされている事が、彼女達の対応から理解できる。

 

「ねえ、何か私に出来る事はないかな?」

「ミサキ様、何を仰られるのです! 私たち下級天使が、上級天使であるミサキ様に触れられるだけで、十分過ぎる光栄なのですよ!?」

「うーん……」


 そう言われても、お姫様みたいな待遇をされてしまうと、僕としては逆に申し訳なくなってしまう。

 かと言って、僕のほうから彼女達を洗うなんて言った日には、セクハラになってしまう。

 いや、一応生物学的には女同士だし、洗ってくれと言われたら、そりゃ喜んで洗いたいよ。

 それに便乗するのはちょっとずるい気が……


 なんてことをうだうだ考えているうちに、僕の禊は滞りなく終了してしまった。


 鏡が無いから顔とかはどうなってるか分からないけれど、手に少しだけ付いていた薄い穢れは、もう完全に消えうせていた。


「ではミサキ様、よろしければ、あちらの湯船をご使用下さい。リラックスしていただければと思い、お湯を張らせていただきましたので」

「え? これ、リラックスのためだけにわざわざ溜めてくれたの?」

「はい。あまり上質のものではありませんけれど。余計なお世話でしたか?」

「ううん。凄く嬉しい。ありがとう」

「いえ、流石にこれだけの量を用意するのは大変なんですけど。ツグミの件もありますし、少しでもお疲れを癒していただければと、頑張らせていただきました」


 カナリアさんだって相当疲れているだろうに、それでも何でも無さそうに笑ってくれた。

 わざわざ僕のためにここまで準備してくれたのだ。その気持ちが凄く嬉しい。

 ツグミちゃんの件があったとは言え、あれは偶発的なものだ。

 何か出来る事があればいいんだけどなあ……いきなりは難しいかもしれないけど。

 

 そうして僕は、ほこほこと湯気を立てる、良い香りのする湯船へ体を滑らせる。

 正直、お風呂大好きな日本人としてはかなりありがたい。

 ところが、入って一分もしないうちに、透明だったお湯が、濁り湯のように乳白色へと変化した。

 やばい。また無意識に何か変な事をしてしまったのだろうか。


「凄いですミサキ様! 一瞬で最高クラスの聖水を精製してしまうなんて!」

「え……この温泉みたいなのが聖水なの?」

「いい匂い……ミサキさま! ちょっと飲んでいい?」

「え!? 飲むの!? 私が入ってるのに!?」

「こ、こらイカル! やめなさい!」

「ちょっとだけ、ちょっとだけ!」


 カナリアさんの制止を振り切って、イカルちゃんが湯船にピンク色の舌を伸ばす。

 何となく、子猫がミルクを舐め取っているような雰囲気だ。

 僕が漬かったお湯なんか飲んで、おなかを壊したりしないだろうか。 


「う、うまいっ! うますぎるっ!」

「えっ!?」

「わ、私も飲む!」

「アトリまで! やめなさいっ!」

「やめないもん!」


 大人しいアトリちゃんまでもが、豪快に湯船の縁から口を付ける。


「おいしい……ジュースみたい……」


 ツグミちゃんが恍惚の表情で天を見上げる。いや、これ飲み物なんだろうか。

 心なしか、二人のお肌が綺麗になった気がする。

 いや、気のせいじゃない、本当にぴかぴかになっている。

 薄汚れていた煤のような者が、空気中に雲散霧消していくのが見えた。

 掛けるだけじゃなくて、飲んでも効果があるらしい。


「あああ……ミサキ様。本当に申し訳ありません……躾が足りず、なんとお詫びしたら良いか……」

「そんなの気にしなくていいよ。折角だし、この聖水が役に立つなら、入ったらどうかな?」

「……よろしいのですか?」

「うん、残り湯みたいで申し訳ないけど」

「い、いえ! 身に余る光栄です!」


 一瞬、一緒に入らないなんて言い掛けたけど、こんなに健気な子を騙して、脳内混浴にするのは気が引ける。

 今の僕は、スープの鶏がらくらいの活躍しか出来て無いけど、役に立てるなら結果オーライだ。

 出来ればエーテル固定やらを覚えて、もっと自発的に協力していきたいのだけど。

 

「……でも、やはりご一緒では駄目なのですね」

「え? 何か言った?」

「い、いえ! 何でもありません。では、ミサキ様の禊が終わりましたら、ありがたく使用させていただきます」

「ぇー……ミサキさまと一緒がいい!」

「私も……」

「ツグミもミサキしゃまと一緒がいー!」

「わがまま言うんじゃありません!」


 カナリアさんに雷を落とされ、三人はしぶしぶと引き下がった。

 そうして僕は、再度気恥ずかしい思いをしながら、四人の女の子に、エーテルで作られたタオルで全身を優しくふき取られたのだった。

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