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07話:羽化不全

 カナリアさんに手を引かれた僕は、緩やかに空を歩む。

 全身を緩やかに撫でる、凪いだ風が心地よい。

 粗相が無いように気を配るカナリアさんには悪かったけど、僕はというと、周りの風景に仰天しっぱなしだった。

 何せどこを見ても白、白、白の世界なのだ。

 建物どころか地面まで、どこまでもマシュマロのように柔らかな白さを保ち、雪景色とはまた違う幻想的な世界を作り出す。


「ミサキ様、そろそろ手を離しても大丈夫でしょうか?」

「うん。何となく感覚が掴めて来たよ」

「流石ですね!」


 カナリアさんは、まるで自分のことのように喜んでくれた。

 慣れれば簡単というか、上手く言えないけど、歩く事を意識しないのと同じ感覚でいけそうだ。

 欲を言えば、彼女の手の温かさをもう少し感じていたかったけれど、いつまでも手を引いてもらうのも悪い。

 

 カナリアさんによれば、今、僕達が進んでいるのは中層と呼ばれる、純正の天使族が住んでいる区域らしい。

 無駄に広い敷地にちらほらと、巨大な円筒形の建物がある。

 恐らくあれらが棲家なのだろう。

 お上の言いつけで、色を塗られない分を補うためなのか、壁には装飾らしき複雑な紋様が刻まれている。

 何と言うか、麗らかな春の日に行われたサッポロ雪祭りみたいな奇妙な感じだ。


 広大なスペースにも係わらず、天使たちの姿はそれほど多く無い。

 もしかしたら、天使族自体、それほど生息数が多い種族ではないのかな。


「ここから最下層になります。真下に下りますので、壁にぶつからないようご注意下さい」


 色々な景色に視覚と思考を奪われていると、カナリアさんが不意に声を掛けてきた。

 僕がアホみたいな速度で空中に吹っ飛んだ場所、神域と呼ばれる場所から、通常の天使たちが住んでいる場所までは、急な坂道はあったけれど地続き――もとい雲続きだった。

 

 けれど、カナリアさんが立ち止まった場所は、文字通り、切り立った断崖絶壁だった。

 崖下を覗いてみると、わらわらと、灰色っぽい四角形の建物がいくつも建っている。

 恐らくそれぞれが家屋なのだろうけど、家というより、何かの巣が密集しているようにも見えてしまう。


「日中は何とか陽が当たるのですが、この時間になると、最下層は夕闇に覆われてしまうので、気をつけて下さいね」


 彼女の言うとおり、崖の下までは夕暮れの日差しは通らず、既に暗い影に覆われていた。

 カナリアさんがふわりと中空を舞い、そのまま緩やかな速度で薄闇の中を降りていく。

 僕もそれに倣い、少し間を置いて、落下傘のようにふわふわと降りた。


 一足先に、カナリアさんが最下層に降り立った。

 地面が土や泥で無い分、陰鬱さは緩和されているけれど、塹壕のように掘られたこの場所は、吹きぬける風を感じる事も無く、どことなく淀んでいる気がする。


 使いきれないほどの空き地に、美麗な建物が遺跡のようにぽつぽつと立てられていた中・上層に対し、この場所は、四角い雲の塊を中身だけくり貫いた、何の飾り気も無い建物で所狭しと埋め尽くされていた。

 中には三階建てくらいの物もある。

 多分、平屋では居住スペースが足りないんだろう。


「カナリアさまだ!」

「カナリアさまー!」


 カナリアさんの姿を見つけのだろう、下級天使らしき子供たちが、一斉に押しかける。凄い人気だな。

 わらわらと集まった集団を見下ろすと、見た感じだと、誰も彼もが小学生以下にしか見えず、女の子しか存在しない。

 どの子も薄汚れた姿をして、ボロ布みたいな物で、申し訳程度に煤けた白い肌を覆っていた。


「みんな、いい子にしてた?」

「うん。みんなでカナリア姉さまの帰りを待ってた!」

「カナリアねーさまが天使をぎゃふんと言わせるから、みんな寝ないで待ってた!」

「別にぎゃふんと言わせに行ったわけじゃないのだけれど……」


 カナリアさんは苦笑しつつも、嫌な顔一つせず、にこやかに子供の質疑応答に答えている。偉いなあ。


「あ、あれ見て! 天使! 天使が来たよ!」

「え? 私?」


 カナリアさんの帰りを喜んでいた下級天使たちの一人が、不意に頭上の僕を指差す。

 その瞬間、空気が凍りつくのを感じる。


「みんな大変! 天使っ! 天使が来たよっ! またわたし達をいじめに来たよ!」

「カナリアねえさまもはやく逃げて!」


 言うが早いか、あれほど和やかだった下級天使達は、蜘蛛の子を散らすよう逃げ出した。

 数秒もしないうちに、どの子も泣き叫び、転びながら家に逃げ込み、誰も居なくなってしまった。

 僕が女の子にキャーキャー言われるなんて初めてだ。

 でも、このキャーキャー言われるのは違う気がする。

 何というか、切ない。


「私、嫌われてるのかなぁ……」

「ミサキ様のせいじゃ無いんです! ここに天使が来る時は、大抵無茶な要望や、憂さ晴らしに来る事が多いので、みんな怯えているだけです」

「そ、そっか、個人的に嫌われてなきゃいいんだけど」


 とりあえず僕が嫌われているわけではなく、天使そのものが下級天使にとって恐怖と嫌悪の対象らしい。

 と言っても、一応僕もそこに分類される訳だから、手放しに安心しているわけにも行かない。

 闇討ちとかされなきゃいいんだけど。


 カナリアさんは最奥にある自宅に向かう道中、色々慰めてくれた。

 僕が来た事で、余計なトラブルにならなければ良いのだけれど。

 生前は、僕が物事に介入すると、些細な事でも大事になったりしたので、今まで以上に気をつけねば。


「着きました。ここです」


 そう言ってカナリアさんが紹介した場所は、出来損ないのかまくらみたいな周りの建物と比べれば、幾分、均整の取れた建物だった。

 大きさだけなら普通の一軒屋と同じくらいで、灰色の四角い箱を二つ積み重ねたような、何とも簡素な二階建ての造りだ。


「ただいま。イカル、アトリ、居る?」


 カナリアさんは多少砕けた口調でそう言いながら、数回ドアをノックする。


「カナリア姉ちゃん! おかえりなさい!」

「姉さま! 無事でよかったぁ!」

「わっ! びっくりするじゃない! もしかしてずっと待ってたの? 寝ててよかったのに……」


 ドアをノックして一秒もせず、二人の少女が飛び出し、カナリアさんに飛びついた。

 同居人だろうか? 反応速度から考えて、ドアの前でずっと待っていたのかもしれない。


「寝られるわけないよ!」

「姉ちゃんが上神の儀式に行くなんてバカなこと言うから、アトリといっしょに心配してたのに!」


 カナリアさんの胸の中で、小さな女の子が二人してぷりぷりと文句を言う。

 とはいえ怒りつつも、口調にはどこか安堵した感じが籠められている。

 銀色の髪をした、吊り目の女の子がイカル。

 同じ髪色をした、イカルちゃんより少し背の低い、控えめな印象を受ける子がアトリと言う名前らしい。


「姉さま……後ろの人、ひょっとして天使?」

「ああ、初めまして、私の名前はミサキと……」

「出てけっ!」


 僕の存在を認識した途端、言葉を遮るようにイカルちゃんが飛び掛かろうとしたけれど、横に居たアトリちゃんが、慌てて彼女を羽交い絞めにする。


「や、やめなよイカル! 天使様に逆らったら、わたし達、消されちゃうよ!?」

「うるさいうるさいっ! どうせまた私たちをいびりに来たんでしょ! カナリア姉ちゃんに何をしたの!?」

「お、落ち着きなさいイカル!」


 凄い剣幕で捲くし立てるイカルちゃんを宥め、カナリアさんはこれまでの経緯を言って聞かせた。

 特に、僕が自分の髪を犠牲にしてくれたお陰で、上神の儀式を突破した事を聞いたときは、二人とも目を丸くして驚いていた。

 僕に関しては別に大したことじゃないと思うのだけれど、彼女たちの常識では大したことらしい。


「ごめんなさい……」


 イカルちゃんはばつの悪そうな表情をした後、きちんと僕に謝罪した。

 気の強そうな子だけれど、まだ小さいのにちゃんと非を認められるなんて、随分教育が行き届いている。

 僕がこのくらいの頃は、何かと言い訳を考えていた気がするのだが。


「イカルはすぐ頭に血が上るからダメなんだよ。私はちゃんと分かってたもん」

「ぜったいウソだよ! アトリだって睨んでたじゃん!」

「うん、ちょっとだけウソ。でもちょっとだけだよ。ちょっとだけ」

「ぜったい違うっ!」

「二人とも、ミサキ様の前でいい加減にしなさい!」


 カナリアさんが珍しく声を荒げると、三人並んで、深々と頭を下げた。


「いや、そういうの私苦手だから、止めて欲しいんだけど」

「え、で、でも……!」

「じゃあ、上級天使である私の要望ってことにしよう。カナリアさんは必要以上に萎縮しないこと。私に関しては、私が良いと言っていることは気にしない。良いかな?」

「分かりました……」


 まだ納得してないみたいだけど、カナリアさんは渋々僕の意見を了承した。

 命令するのは嫌だけど、こうでもしないと言う事を聞いてくれないだろう。

 勿論、いつまでも主人と従者の関係にする気は無い。

 こんな小さな子達に仰々しく挨拶されても、逆にいたたまれなくなってしまう。


「ミサキ様、ご紹介が遅れました。この子達はイカルにアトリ、私の同居人です」

「同居人……? カナリアさんの妹とかじゃないんだね」

「ええ、ちょっと訳有りで、私の家で預かっているんです」


 訳有り、という言葉に、何となく苦いものを感じる。

 この子達の前で話したくない事なのかも知れないし、僕はそれ以上の言及をやめた。


「アトリ、ツグミはどうしてる? 少しは良くなった?」

「……あんまり良くない」

「そう……」


 アトリちゃんの返答に、カナリアさんの顔が曇る。

 どうやらもう一人居るらしい。


「あの、ミサキ様。少しお願いがあるのですけれど……」

「うん。さっきも言ったけど、私に出来る事があれば遠慮なく言って」

「いえ、ミサキ様の手を煩わせる事ではありません。先ほどの反応を見てお分かりだと思いますが、最下層の住人達は、純粋な天使族に拒否反応を持っています。これから暫くここでお過ごしになるのであれば、まずは誤解を解いて置いたほうが良いかと」

「あー……そうだねぇ」


 確かに、暴力団の親分が、自分の近所に居を構え出したら、周りの住人は心穏やかに暮らせないだろう。このまま放置は、お互いにとって良くない。


「なので、今から少しお時間を頂いて、私の方から皆に説明をしたいと思うのですが、よろしいですか?」

「それは助かるけど今から? 凄い人数が居たし、いちいち声を掛けて集めるの大変じゃない?」

「大丈夫です。私が集会場で声を掛ければ、下級天使の皆は一斉に集まってくれます。こう見えて私、下級天使の長をしておりますので……」


 ほんの少しだけカナリアさんは得意げに答えて、はっと気がついたのか、すぐに顔を引き締めた。


「下級天使の長って……凄いね。あんなに沢山居るのに」

「みんな力の弱い者たちですし、数だけ居ても仕方ないです」


 そう言ってカナリアさんは自嘲した。

 個々の力がどうこうより、あれだけの数を纏めると言う事は凄いことだと思う。

 教育された軍人を統制するより、烏合の衆を纏めるほうが余程大変な事だ。

 少なくとも、馬鹿力だけの僕よりよっぽど凄い。


「ではミサキ様、ほんの少しだけ出かけて参ります。見ての通り、狭くて汚い場所ですけど、どこでも好きに使っていただいて構いませんので。あ、でも二階の部屋はやめた方が……穢れが移ってしまう可能性があるので」


 けがれ? という疑問に答える前に、カナリアさんは、イカルちゃんとアトリちゃんに僕に迷惑を掛けず、くれぐれもいい子にしている様にと念を押し、家を出ていってしまった。

 

 ここで僕は、三人だけになった部屋を改めて見回した。

 装飾品の類も、収納スペースも台所もテーブルも無い。

 本当にただ雨風を凌ぐだけと言った、殺風景な家ではある

 

 けれど、地面は雲のようにふかふかして踏み心地が良い。

 神域の格式ばった硬い廊下より余程好みだ。

 このままごろ寝しても、全く問題無いだろう。

 僕の基準からすると、決して汚くも狭くも無い。

 というか、これで汚かったら、築四十年で荒れ果てた我が家は一体どうなるのだろう。

 

「ミサキさま、私たちツグミの面倒見ないといけないから、ちょいと二階に行ってよいですか?」


 イカルちゃんが、舌足らずな敬語を使って僕の許可を取る。

 まだ少し瞳に警戒心が見え隠れしているが、これは仕方ないだろう。


「もう一人居るんだよね。ツグミちゃんって子。その子は病気なの?」

「病気じゃなくてね……えーと、えーと、アトリ、なんだっけ?」

「『うかふぜん』ってカナリア姉さまが言ってた。私たちもそうだったんだけど、今は元気なの」

「羽化不全……」


 羽化不全――同じ言葉をどこかで聞いた記憶がある。


 昆虫が蛹から体を作り変え、成虫へと変化する行為――つまり羽化をした直後だと、体は柔らかく、しわくちゃで、何時間もかけて羽を広げ、体を乾かし、晴れて完全な成体になる。

 ところが、その大事な作業中に何らかのトラブルに遭うと、よれよれのままで固まり、成虫になる事に失敗してしまうことがある。

 それが羽化不全という現象だ。

 そうなると一生涯、空を飛ぶことは出来ない。

 

 後は、地面を這いつくばり、最高に狩りやすい獲物として、捕食者に襲われるのを待つだけだ。逃げる事も、空の美しさも知らないままで。

 残酷だと思ったけれど、決して珍しいことでは無いらしい。

 人間だってそうだ。


 僕達が目にする、美しく空を舞う蝶の裏には、沢山の亡骸がある。

 一人の成功者の影には、誰にも知られる事の無い無名の人間が、英雄の影には、百万人の死が転がっている。


 死ねば終わりだと思っていたけれど、死んだ後の世界でも、似たような事が繰り返されているのはショックだった。


「その、ツグミちゃんに会わせてもらっていいかな?」

「え……でも……汚いよ?」

「いいから」

「アトリ、どうしよっか……?」

「ミサキさまの命令じゃ仕方ないよね……」


 カナリアさんに怒られると思っているのか、イカルちゃん達は中々首を縦に振らなかったが、最終的に僕の言う事を聞かざるを得ないと判断したのか、二階の最奥の、小さな一室へと案内してくれた。


 今、この世界で下級天使――僕達の魂が、どんな扱いを受けているのか、それをこの目できちんと見ておきたかった。


 ドアの無い入り口から、咳き込むような掠れた声が聞こえてくる。

 中を覗くと、硬そうなベッドマットのような物だけが置かれた、がらんとした部屋の中で、幼い少女が背を向けて横になっていた。

 呼吸が苦しいのか、その小さな体は上下に揺れている。


「カナリアねえしゃま……かえってきたの?」

「ごめんね。カナリアさんは、もう少ししたら帰ってくるから」

「おねえしゃん、だあれ?」

 

 僕の気配に気付いたのか、苦しそうに寝返りをうち、知らない姿を見て驚く。

 この子がツグミちゃんらしい。

 彼女の全身には、黒い染みのような物が、体中にこびり付いていた。

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