05話:ホームレス天女
「これでよろしいですか?」
ケツァールさんの要望どおり、うざったい長髪をばっさり切ったのに、カナリアさんも、周りの天使達も、エミューとモアも、この場の支配者であるケツァールさんですら、誰も何も喋らない。
何かミスったのだろうか。多分ボブカットくらいの髪の長さになっているだろうけど、やっぱり坊主頭にでもしないと駄目なのだろうか。
「だ、だ、だ……」
「だ?」
「だ、誰がそこまでやれと言った! ほんの数本で良いのだ!」
「そう言われましても」
切れと言われたから切ったのに、命令をしたケツァールさんの方が狼狽している。
「貴様、何をしたのか分かっているのか!? 我ら天使族にとって、髪は神力の源であり力の象徴。それをあろうことか、たかが下級天使一匹を助けるために、ほぼ全てを犠牲にしたのだぞ!?」
あ、そうか。多分僕は、ヤクザが指を詰めて責任を取れと言われて、指どころか肩の根元から腕をぶった切るような事をしたのだ。そりゃドン引きだ。
「そうですか」
「そうですか……だと? 貴様、何も感じないのか?」
「ええ、これでカナリアさんが理不尽な目に合わないのなら、安くついたものです」
もともと切る予定だった髪で済むのなら安すぎる。神力とやらの価値もいまいち分からないし、そもそも僕は天使じゃない。もしも上神の儀式とやらに必要だったとしても、僕にはあまり関係ない。
「ミサキ様……」
カナリアさんは、両膝を突き、目に涙を溜めて僕を見上げている。単に髪を切っただけだし、神を崇拝するような姿で見ないで欲しいのだけれど。
「お待ち下さい! よくよく見れば、この者は羽を生やしておりませんわ! 儀式を受ける資格が無いのではないでしょうか! その子鼠共々、即刻退場にすべきです!」
モアが金切り声を上げる。今頃気付いたのか。
「ん……? 確かに……羽を生やすのが当たり前すぎて気付かなかったな」
ケツァールさんも、モアに指摘されて目を細める。ていうか、あなたも気付いてなかったのか。先入観って恐ろしいね。
「ミサキよ。何故羽の力を使わぬ? 理由があるのか?」
「必要ありませんから。それだけです」
周りの天使たちが息を呑むのを感じる。本当は羽の出し方が分からないだけなんだけど。
「ほう……羽の補助無しで、私の負荷に耐えたと言うのか……これは面白い。面白いぞミサキ! 私はお前が気に入った。エミュー、モアは順当だが、儀式を乗り越えたお前を、三人目の上級天使として正式に認めよう」
「……ぇ」
「何をそんなに意外そうな顔をしている。謙遜するでない。私は気に入った者に対しては愛を注ぐのだぞ? エメラルドやサファイヤばかりでは飽きてしまう。たまにお前のような黒曜石を加えるのも悪くは無い」
ケツァールさんは、どうやら僕が喜んでいると思っているらしいが、そんな物に認められても全然嬉しくない。むしろやめて欲しい。
「ケツァール様! そんなどこの馬の骨とも分からぬ者を、上級天使になんて……!」
「エミューよ、私の決定に何か文句があるのか? 先ほども言ったが、ここでは私が支配者でありルールだ。全ての決定権は私にある」
「ですが! その者は御前であるのに羽すら出さず、周りの天使に危害を加える危険な存在です!」
「羽の有無は、生成すら出来ないゴミを弾くためのものだ。羽の力無しで耐えた分、むしろお前より遥かに優秀だという事に何故気付かん。それに何度も言わせるな、ここでは私がルールだ」
「…………申し訳ありません」
エミューは自分が格下呼ばわりされた事が余程悔しかったのか、拳を握り締めつつも、恭しく頭を下げた。さすがに上司には逆らえないらしい。出来ればもっと食い下がって、僕を引き摺り下ろして欲しいのに。
「さて、特に問題が無ければ、これにて上神の儀式は終了とする。次の儀式の日時は追って連絡するが、ミサキ、エミュー、モア。何か私に伝えたい事は無いか? 今の私は機嫌が良い。多少なら融通してやらん事もないぞ」
ケツァールさんは上機嫌だが、僕は内心で困り果てる。この口ぶりだと、どうも二次試験らしき物があるらしい。
このまま放置しておけば、何だか良く分からないうちに、政権抗争っぽい物に巻き込まれてしまう。
何か……何か都合よく進める方法は……そうだ!
「ケツァールさ……様。一つだけお願いしたい事があります」
「何だ? 言ってみるがよい」
「カナリアと私を、一緒に次の儀式に参加させて貰えませんか?」
「……貴様、正気か?」
「み、ミサキ様……い、一体何を!?」
僕の嘆願はケツァールさんの予想の範疇外だったらしく、またまた驚愕の表情を作る。カナリアさんはカナリアさんで、口元に両手を当て、目玉が零れ落ちそうなほどに瞼を見開く。
「先ほどケツァール様は仰いました。カナリアに私の髪を与えよ、と。だとしたら、今のカナリアは私が失った髪であり、私の肉体の一部です。私に次の儀式に参加する権利があるのなら、命よりも大切な髪を与えたこの天使にも、受ける権利はあるのではないでしょうか?」
僕は口から出任せを一気にまくし立てる。別に髪なんか何とも思っていないけど、ちょっとで良かったらしい髪をばっさり切ったし、なんか機嫌が良いみたいなので、一気に押し切れるかもしれない。
第一、本当に儀式を受けたいのは僕ではなく、カナリアさんなのだ。僕の代わりにというのは流石に無理そうだが、カナリアさんを立て、僕が裏方に回る事が出来れば、お互いメリットはある筈だ。
「ふむ……神力の源である髪を失っただけではなく、その鼠という足枷まで嵌めると申すか……」
「鼠ではありません。カナリアという名前があります。そして、私の大事な髪を分け与えた、無二の存在です」
あんなに髪切ったでしょアピールをしつつ、名前に関してはきちんと突っ込んでおく。
さっきから、みんな彼女の事を、これだのあれだの鼠だの呼ばわりだ。
聞いていて楽しいものではない。
「ふふ……ははは……はっはっは! ミサキよ。お前は本当に面白い。先ほどからの振舞い、お前はまるで男のようだな。私は男などという汚らわしい物は滅びればよいと思っているが、稀に見せる豪胆さ自体は気に入っている。あれで女のように美しければよいのだが、お前はそれを兼ね備えている」
「ありがとうございます」
一応褒められたようなので、丁寧に頭を下げて置く。兼ね備えているも何も、女の皮を被った男なんだけど。神様の目は節穴だ。
「いいだろう。この神であるケツァールの名に置いて、その下級天使に、次回の儀式の受験資格を与えよう」
周りの天使達がこれまで無いくらいにざわざわと騒ぎ出す。多分、こんな事態、これまで起こった事が無いのだろう。いくら僕が空気が読めなくても、辺りの反応からそれが感じ取れる位、天使たちは動揺していた。
「さて、鼠――確かカナリアと申したな」
「は、はいっ!」
カナリアさんはケツァールさんに射竦められ、彼女はびくりと身を震わせる。けれど、今度は僕が真横に立っているせいか、多少上ずりつつも、先ほどよりもしっかりと返事をする。
「勘違いをするでないぞ。お前個人はどうでも良い。ミサキの髪一本で、お前と同格の存在が何百人精製できるか理解しているだろう。お前はあくまでミサキの所有物であり、奴隷であり、消耗品だ。死ねと言われれば死ぬ覚悟で尽くすが良い」
「わ、分かっています……」
カナリアさんは緊張しているものの、特に卑下した訳でもなく、当たり前のようにケツァールさんのとんでもない言葉に頷く。
「お前はミサキの枷にしかならん。だが、その枷のついたミサキが、この難局をどう乗り越えるのか。私はそれを見てみたいのだ。予定調和ばかりではつまらんからな」
「……ミサキ様の枷」
「いずれにせよ、先ほどの儀式すら耐えられないお前の結果などどうでも良い。分不相応な儀式を受けられるのだ。ミサキの温情に感謝するが良い」
俯いてしまったカナリアさんに一方的に言い捨てると、返事を待たず、ケツァールさんは僕ら三人に目を向けた。
「新たに誕生した上級天使三名よ。各自、神力を高め、次の儀式に備えるが良い! 見事お前たちがそれを乗り越え、神の位へと上り詰め、私と対等の存在になる日を心待ちにしておるぞ!」
重厚な言葉を残し、ケツァールさんの姿は煙のように掻き消えた。支配者が居なくなると、周りの天使達は僕とカナリアさんを取り巻いて、腫れ物に触るように何事かを呟き出す。がやがやと声が入り乱れ、内容はあまり聞き取れないが、決して好意的な物ではないだろう。
「ミサキ、色々煮え湯を飲まされたけど。涼しげな見かけに反して馬鹿で助かったわ。勝手に髪を切って力を落とした上に、その足枷まで嵌めてくれて本当にありがとう。お陰様で、私とモアはトントン拍子で神の座に登れそうだわ」
「そうですか。おめでとうございます」
「……っ!? あんたのその余裕は何なのよっ! 何か小賢しい作戦があるのかもしれないけど、負け惜しみを言うんじゃないわ!」
だから作戦も何も、僕は上神の儀式なんて受ける気がないし、神の座でも何でも、なりたいならなればいいのに。
「別に負け惜しみじゃないんですが……」
「うるさいわねっ! ちょっとケツァール様に気に入られたからって調子に乗って! エミュー姉さま、こんな愚図に構ってないで帰りましょ!」
エミューとモアは一通り僕に罵声を浴びせると、ぷりぷり怒りながら儀式の間を出て行った。
それに引き摺られるように、他の天使たちもぞろぞろと出て行く。
がらんとした広すぎる部屋の中、カナリアさんと、僕だけが残された。
カナリアさんは呆けたように僕の様子を伺っていて、自分に起きた状況がいまいち理解出来ていないようだ。僕も何が何だか分かっていないけれど、話を進めるために半ば無理やり声を掛ける。
「この儀式に受かりたかったんでしょ? ああした方が良かったかと思ったんだけど、巻き込んじゃってまずかったかな?」
「そ、そんなことありません! でもミサキ様、何故私を助けて下さったのですか? 皆さんの仰るとおり、あれほどの神力の漲った御髪を犠牲にして私なんかを助けても、何にもメリットなどありませんし……」
「私『なんか』とか言わない」
「えっ……?」
「メリットとかどうでもいいじゃない。結果としてカナリアさんは次にチャンスを繋げられて、私はそれで満足している。それじゃ駄目かな?」
「…………ミサキ様」
カナリアさんは何を言われたのか分からないみたいで、僕の顔を不思議そうに見上げている。
暫くすると頭の中で情報が整理できたのか、カナリアさんは目元に涙を浮かべて、両手で顔を覆ってしまう。
「ご、ごめん! よく事情も知らないのに偉そうな事言って」
「違います! 嬉しいんです……ミサキ様、私に出来る事があれば、何でも――この命を捧げる覚悟で滅私奉公させたいただきます!」
「別にそんなに気負わなくても……」
「ミサキ様は本日から上級天使となられましたし、お住まいも上層へと移られますよね? 私は下層民なので、こちらから伺う事が出来ませんが、必要とあればお住まいの方からご連絡いただきたく……」
「あ、あの……ちょっと待って!」
僕の台詞をまるで無視し、切腹前の侍みたいな表情で、カナリアさんは僕の知らない情報を喋り出す。
「も、申し訳ありません! ミサキ様の方から呼ばれるのではなく、本来なら私が付き従うべきなのですが、下級天使は特別な呼び出しが無い限り、中層以上には行けないことになっておりますので……」
本当に申し訳無さそうに、カナリアさんは九十度を超える勢いで、何度も何度も頭を下げる。
今の会話から、少なくとも上層、中層、下層という場所がある事は分かったけれど、当然僕はその何処にも属していない。
「あのね……そうじゃなくて、私は上層なんかに住まないから」
「……? ではミサキ様は、中層にお住まいのままで過ごされる予定なのですか?」
「いや、私は中層とやらにも家が……じゃなくて、そ、そう! 私はちょっと事情があって、家に戻れないの! だからその……ええと、どこか雨風が凌げる場所を教えて欲しいんだけど」
「えええっ!? ど、どういうことですか!?」
カナリアさんは素っ頓狂な声を上げる。
そりゃ自分の上司にあたる人間がホームレスだったら驚きだろう。
今の僕はホームレス中学生ならぬ、ホームレス天使――いや、天使ですらないから、強いて言うならホームレス天女か。
何とも情け無い状態である。
「本当に戻られる場所が無いのですか?」
「う、うん……まぁ……」
カナリアさんの追及に、僕は言葉を濁す。全てを洗いざらい話そうかとも思ったけど、この世界の状況が分からない以上、安易な行動は取れない。
もう取り過ぎている気がするけど、それでも可能な限り自制していかないといけない。
過ぎた事は仕方ない、今後の事を考えるべきだろう。
「……あ、あの! ミサキ様っ!」
「は、はいっ! なんでしょう!?」
カナリアさんはしばらく悩んだ後、意を決したように僕の目を真っ直ぐに見る。小さな体に痛々しいほど決意を籠めて、言いづらそうに口を開く。
「で、では私の家に来ませんか?」
「いいの?」
「勿論です! ミサキ様ほどの方をおもてなしする事は難しいですが、雨風を凌ぐくらいなら出来ます」
カナリアさんは胸元で拳を握り、申し訳なさと切実さの相混じった口調でそう言ってくれた。
弱みに付け込んでるみたいで嫌なのだけれど、まるきり知らない場所で野宿するのは危険すぎる。
「じゃあ、悪いけどお願いしてもいいかな?」
「悪いも何も、私に出来ることなら何でも仰ってください! ご恩に報いるために、精一杯頑張ります!」
「ありがとう。凄く助かるよ」
「え? あ……ありがとうって、私に……?」
「うん。だって有難いものにありがとうって言うのは当然でしょ?」
「…………は、はいっ!」
カナリアさんは一瞬きょとんとした表情をした後、真っ赤になってはにかんだ。
先ほどからの卑屈な言動で何となく分かった。
カナリアさんは、この世界でかなり酷く扱われていると見て間違いだろう。
もしかしたら、こうしてお礼を言われた事なんて殆ど無かったのかもしれない。
「では、ご案内させて頂きます。本当に小さくて汚い場所なんですけど……」
「いいからいいから。よろしくお願いします」
僕は軽く会釈をした。カナリアさんはまた驚いていたけれど、先ほどよりもずっと控えめな驚き方だった。僕もこういう態度を取られた事が余り無いけれど、お互い少しずつ慣れていければいいと思う。
そうしてカナリアさんと僕は、重苦しい儀式の間から抜け出した。カナリアさんは相変わらず緊張はしているみたいだけれど、追い立てられている感じは無くなり、足取りも先ほどより大分軽い。
前を歩くカナリアさんの背を見ると、主人に褒められた子犬が尻尾を振るみたいに、小さな羽をぱたぱたさせていた。その様子が何だか微笑ましく、僕は少しだけ笑ってしまった。




