27話:前夜
「でも、危ないところでしたね……」
天使達が去った空は再び澄んだ青色を取り戻し、その空を見上げながらカナリアは安堵のため息を吐いた。
僕もようやく全身から力が抜けてきて、カナリアに同調するように頷いた。
あのまま本気の殴り合いになっていたら、下級天使達にもかなりの被害が及んでいただろう。
そういう意味では、ケツァールさんの気まぐれには感謝したい。
「それにしても、何で救世主が勝手に動いたんだろう?」
「え? ミサキ様が動かしていたのではないのですか?」
「私は不器用だし、エミュー達が前にいる状態で、こっそり操作なんて出来ないよ」
僕は苦笑しながらカナリアにそう答えた。
文字通り今回の救世主となってくれた存在は、僕達の後ろ盾になるように立った後、微動だにしていない。敵意は無い様だけど、巨大建造物が勝手に動くなど前代未聞だ。
金閣寺とかが歩き出したら皆も驚くと思うけど、あの時の僕はそんな気持ちだったのだ。
僕が様子を伺いながら救世主を眺めていたら、不意に巨大な体をぶるりと震わせ、救世主が大声で笑いだした。
「あははははははは!!」
「な、なんなの……?」
次の瞬間、アルファベットのAを逆さまにした顔文字みたいな口や、丸い穴が開いただけの目から、お湯を捨てるのに失敗したカップ焼きそばみたいに、下級天使達がだばーっと溢れ出てきた。
「あははははは! あいつらすっごいビビってやんの! おっかしー!」
「イカルちゃん!?」
「うまくいってよかった……」
「アトリちゃんも!?」
彼女達だけじゃない、二人を先頭にして、大量の下級天使達が僕達に満面の笑みを浮かべていた。その顔ぶれの殆どは、朝に異世界に旅立っていったグループの娘たちだった。
「イカル、アトリ、救世主はあなた達が動かしてたの?」
カナリアの問いに、よくぞ聞いてくれました、とイカルちゃんが胸を張る。
「そうだよ! 帰ってきたらミョーに騒がしいと思ったら、あのバカ天使達が攻めてきてるのが見えたの!」
「それで、アシュラの家のドア――救世主の後ろから皆でこっそり入ったの。みんなで動かせば、きっとおどろくと思ったから……」
得意満面なイカルちゃんに対し、アトリちゃんはおずおずと答える。多分、僕の所有物を勝手に動かした事に引け目を感じているのだろう。僕は何も言わず、イカルちゃんとアトリちゃん、二人の首筋に両手を回し、耳元に囁く。
「二人ともナイス! 素晴らしい! 最高! お陰で助かったよ!」
僕がそう言うと、二人とも表情を緩めてはにかんだ。勿論、救世主に乗り込んでくれた下級天使達全員を褒めることも忘れない。蓋を開けてみれば、上級天使達は張子の虎を恐れて逃げ出したのだ。賢いお魚さんという童話も、あながち嘘でもないのかもしれない。
「ねぇ見た見た? エミューやモアの慌てっぷり!」
「ほんとほんと! 天使達もエラそーにしてるけど、私たちがいなきゃすぐに小汚くなっちゃうんだね」
「そりゃそうだよ、だってあいつら不器用だもん。自分達じゃ満足にお掃除もお洗濯も出来ないのね」
尻尾を巻いていくエミュー達を見たのが余程痛快だったのか、下級天使達はここぞとばかりに嫌な上司をボロクソに罵倒していく。気がつけばエミューやモア達も呼び捨てだ。
「暢気に笑ってんじゃねえよっ!」
その和気藹々(わきあいあい)とした空気に、冷水を浴びせかけるような怒声が響く。こんな低い声を出す奴は一人しか居ない――アシュラだ。
全身の体毛を膨らませながら、救世主の足を拳骨で殴る。ごっ、という鈍い音に、彼の怒りの全てが篭っているようだった。
「お前らっ! あんだけコケにされて、馬鹿にされて悔しくねぇのかよっ! 何ヘラヘラ笑ってんだよ! あいつら、ミサキをぶっ飛ばして、カナリアを焼き殺そうとしやがったんだぞ!? ムカつかねぇのかよ? ぶっ殺してやろうとか思わねぇのかよっ!?」
アシュラは火を吐きそうな勢いで、ひたすらに怒りの言葉をつむぎ出す。
怒鳴られた下級天使達は、先ほどまでの陽気さは何処へ言ったのか、皆、困惑した表情を作っている。
多分、アシュラには元の自分の境遇と、下級天使達の境遇がダブって見えたのだろう。
「悔しくないわけ、ないよ……」
「あん?」
「何にも知らないくせに! わたし達がどれだけつらかったか、そんなのわたしたちが一番知ってるに決まってるじゃない!」
「イカル、やめなよ!」
その沈黙を破ったのはイカルちゃんだ。
アトリちゃんが止めに入るが、イカルちゃんは血を吐くようにアシュラに対し叫ぶ。
「やめないっ! わたし達にどうしろって言うのさ! そりゃ、皆あいつらをどうにかしたいと思ってるよ! でも、でも! 怖いものは怖いもん! しょうがないじゃない!」
「だったら何だ! 死ぬまであいつらにへこへこして、適当に揚げ足とって、笑い話にして終わりかよ!」
「うるさいっ! 毛深いくせに!」
「け、毛は関係ねぇだろ! チビのくせに!」
「何よっ!」
「何だよっ!」
「二人とも、ちょっと落ち着いて」
何だかどんどん関係ない方向にヒートアップして行っているので、アシュラとイカルちゃんの間に入り仲裁を試みる。
「あのなぁミサキ! やられたのはお前とカナリアだろうが! 大体、おめぇがビシッとしねぇから……!」
「私は平気だし、皆にケガが無くてよかったじゃない」
「今回はたまたま運が良かっただけだし、毎回こうとは限らねぇだろ。一発ガツンといけよ!」
「それが出来たらそうしてるって。アシュラだって群れから出るときに暴れて大怪我したじゃない。彼女達が望むならともかく、怯えてる子達に乱暴な真似はさせたくない」
「ぐっ……! で、でもよぉ……」
そう言うと、アシュラは口を噤んでしまった。
口の中でなにやらもごもごと呟こうとしていたが、結局それは言葉にならず、舌打ちしながら僕に背を向ける。
アシュラだってここに住んで下級天使達とも交流が出来ている。喧嘩っ早くて頭にすぐ血が上るけど、彼女達を危険に晒すような事をさせたくないという気持ちだってあるのだろう。
僕がアシュラに声をかける前に、尻尾の部分を軽く引っ張る子が居た――ツグミちゃんだ。
「アシュラ……ごめんね?」
「……何がだよ?」
「だってアシュラおこってる……ミサキしゃまをまもれなかったから」
ツグミちゃんは顔中をくしゃくしゃにして、彼女なりの悔恨を口にしていた。アシュラはというと、困ったように頭をがりがりと掻いた後、地面に膝を着けて、ツグミちゃんの目を見てゆっくりと語りかけていた。
「ミサキは殺しても死なねぇよ。何つーか、いろんな物にムカつくんだよ。生まれてきた場所とか、最初から持ってる物で生き方が大体決まっちまうこととか、そういうもんにな」
「……アシュラ、ツグミたちのことおこってない?」
「……怒ってねぇよ。まあ、今度会ったらあのクソ天使どもはぶっ殺してやるけどな」
アシュラがそう言うと、ツグミちゃんは実に眩しい笑顔を作った。それは、雷雨の後に顔を出す、澄み切った太陽を想像させるような、心からの笑顔だ。
「そっかー! じゃあツグミもエミューたちをぶっころすのてつだうね!」
「アホ、お前なんか簡単にひねり潰されちまうぞ」
「でもアシュラとべないよね? ツグミは空とべるから、アシュラにできないことできるよ?」
「うるっせぇな! 空は……気合で何とかすんだよ!」
「……ツグミ、じゃま?」
「……邪魔じゃねぇよ。ただ、危ない事はするんじゃねぇぞ」
「だいじょーぶ! ツグミがあぶなくなったら、アシュラがたすけてくれるから!」
「だから、危ない事はするんじゃねぇって言ってんだよ!」
そんな会話をしながら、アシュラは不貞寝すると言い残し、ツグミちゃんを背負いながらどこかへと消えていった。それを皮切りに、下級天使達も僕に頭を下げながら、各自解散という形になった。アシュラはツグミちゃんに任せてしまおう。きっと彼女の方が、僕よりもアシュラと相性がいい。
アシュラの言うように結果論ではあるけれど、とにかく、怪我人が出なくて何よりだ。
騒動がひと段落着いたところで、僕はカナリアに向き直る。
「カナリア」
「はい、上神の儀式の準備ですね」
僕は黙って頷く。アシュラの言い分も良く分かるし、下級天使達は以前とは比べ物にならないほど力を付けている。それは理解できるけれど、なるべく彼女達を使って何かする事は避けたい。そのためにも、カナリアの――下級天使の存在をアピールできる上神の儀式は絶好のチャンスだ。僕の考えをカナリアは見抜いているらしい。以心伝心というのは、こういう事をいうのだろうか。
「私、頑張らなきゃなりませんね。下級天使の長として、みんなの為に……」
「もちろんそうだけど、けど一番大事なのは、みんなの事よりカナリアが自分の目標を達成する事だよ」
「え……?」
「だって、下級天使の長である前に、カナリアはカナリアじゃない。もちろん下級天使達も大事だけど、私にとってはカナリアも凄く大事。カナリアの心の赴くままに動いて欲しいかな」
「ミサキ様……」
カナリアが僕にぎゅっと抱きつく。
僕とはかなり背丈の差があるので、彼女が僕の胸に顔を埋めるような感じになる。
そして僕は、カナリアのひんやりとした細い銀髪に手を伸ばし、手櫛で優しく梳いてやる。
二人で肌を寄せ合う時は、自然とこんな感じになるのだ。
「ミサキ様とカナリア姉ちゃん、何だか仲いいねー……あ痛っ!?」
「子供は見ちゃダメ……」
「えー、何で!? ちょ、アトリ! 耳引っ張らないでよ! いたたっ!?」
アトリちゃんがイカルちゃんの耳を引っ張って離れていく姿を見て、僕とカナリアは現実へと引き戻された。いかんいかん。生前の僕はラブラブなカップルを殺意を込めて見ていたが、今なら彼らの気持ちが理解できる。どうもこういった感情は、エーテル操作以上に制御が難しい。
僕達は赤面し、それでも握った手だけは離さずに慌てて聖域を後にした。
◆ ◇ ◆
「ど、どうしましょう……」
「どうしようねぇ……」
さて、あの天使襲撃事件から早くも一日が経過した――してしまいました。それはつまり、上神の儀式まで後一日しかないという事であり、付け加えていうと、今はもうとっぷりと日が暮れていて、もう半日切っている。そんな中、僕とカナリアは、エーテル固定で作られた蛍火の穏やかな光の下、幻想的な雰囲気をぶち壊すほどにてんやわんやの状態だった。
やるべき事はやった、人事を尽くして天命を待つのみ――というのが格好いいスタイルだと思うのだけれど、僕は夏休みの宿題を8月31日に必死でやる計画性の無い人間であり、今もカナリアと二人、自室で必死に明日の準備をしているところなのだ。
「うう……翼が綺麗にならないよぉ……」
「まぁ、これはこれでいいんじゃないかな?」
「でも! やっぱりこのままじゃ変です! エミュー様もモア様も、あんなに立派な純白の翼を持っているのに!」
「うーん……」
今のカナリアは、普段来ている粗末な服ではなく、僕の着ているドレスのSサイズ版を身につけている。上神の儀式という社交界に出る以上、やはりそれなりの格好でいかねばならない。服に関してはイカルちゃんやアトリちゃん、それ以外の下級天使達の協力もあり、僕の口では表現できないほど清楚で可憐な――新雪よりも白い物が出来た。そこまでは良かったのだけれど、問題は翼だった。
僕が翼を作ろうと力むと、背中から二本のレーザービームみたいな物が出て、聖水ビーム同様に破壊兵器となってしまったので早々に諦めた。まぁ僕は表向きの代表なので、翼無しで参戦する予定なのだが、問題はカナリアの方だった。
彼女は昨日の覚醒以来、これまでの小さな鳩みたいな物ではなく。大きさだけならモアやエミューを凌ぐ立派な物を作れるようになった。でも、その色は純白ではなく、光を吸い込むほどの闇色になってしまったのだ。
カナリアはエーテル操作は非常に上手だし、翼だって生成できる筈なのだけど、どうしても綺麗な白色に出来ないのだ。デフォルトだと烏の濡れ羽色、意識して白くしようとしても茶色になったり、まだら模様になったりと、どうしても白鳥のように美しい翼にならない。力は足りているはずなのに。
「でも、真っ白なドレスに真っ黒な翼って、コントラストが効いてて凄く綺麗だと思わない?」
「ミサキ様が褒めてくださるのは本当に嬉しいです……ですが、やはり白の翼でないと、拒絶されてしまうのではないでしょうか?」
それは僕も考えていた。上神の儀式に出てくるような人たちは、貴族よろしく体裁という物を何よりも優先する節がある。カナリアの力が強力でも、翼が汚いという理由で突っぱねられてしまう可能性がある。何より、カナリア自身が白い翼を作れないことにコンプレックスを持っている。
「仕方ない、ちょっとチートを使おう」
「ちーと?」
僕は壁に手を突っ込んで、しまってあった神器を取り出し通話のアプリを起動する。
連絡先は当然ジンさんだ。以前、何となく突き放されるような感じで帰ってきてから音信不通だったので、出てくれるか不安だったが、殆ど間を置かないで、ジンさんの顔が画面に表示される。
「んー? ああ、ミサキ君じゃないか。何か用かい? 私は今、瞑想中だったんだがね」
「どうせ爆睡してただけでしょう? 実はですね、ちょっとのっぴきならない事態になってまして。知恵を貸していただきたいのですが」
「ほう?」
のっぴきならない事態と聞いて、急にジンさんの目が輝いた。
この人はトラブルと聞くと喜々として首を突っ込んでくる性質がある。
僕は簡単に事のあらまし――天使の襲撃と、上神の儀式が明日に迫っている事、そしてカナリアの翼について話をした。
「なるほど……つまり、カナリアちゃんに綺麗な翼の作り方を教えてくれと言う事だね?」
「は、はい、ジン様にお伺いするのは越権行為かと思ったのですが、他に頼れそうな方がいらっしゃらなくて……」
カナリアはそう言うと、神器ごしに映る、四角い枠のジンさんに両膝をついた。この人にそんな態度取る必要ないと思うけど、多分これが普通なんだろう。僕が度を越して失礼なのだ。
「やはり私の力が足りないのでしょうか? 体の中に力が渦巻いているのは感じるのですけど、イメージ通りに神力を混ぜ合わせることが出来ないのです」
「そうじゃないね。神の力、下級天使達が集めた力、それにミサキ君の力が交じり合ってるんだ。不純物が大量に混ざっているのだから、いくらエーテル操作が得意でも、これを制御するのは至難の業だねぇ」
「そこを何とかなればと思ってジンさんに連絡したんです。カナリアに白くて綺麗な翼を作る方法が聞ければと……」
「そもそも、白く美しく――力を制御する必要があるのかね?」
予想外の言葉に、僕もカナリアも目を丸くする。
ジンさんは当たり前のようにそのまま続けていく。
「いいかね、天使族の純白の翼は美しさを重視して洗練された美術品。例えていうなら、紙切れ一枚に纏めた一万円札みたいな物。そして、今のカナリアちゃんは一円玉が一万枚詰まったビンのようなものさ。重苦しくて嵩張るし手垢まみれ。けれど同じ一万円だ。問題ないじゃないか」
「そう言われましても」
同じ一万円なら、紙幣一枚のほうが良いに決まってる。
一円玉を一万枚持ち歩く馬鹿は居ないだろう。
「そうでもないさ。暴漢に襲われたとき、一万枚の一円玉は武器になるじゃないか。鈍器として相手を強打すれば悶絶間違いなしだ。どうだい? むしろ有利だとは思わないかい?」
「いやだから、そういう話をしてるんじゃなくて、とにかく綺麗な翼を……」
「ま、細かい事を今更ぐだぐだ考えてもしょうがないじゃないか。なるようにしかならないよ。しかし、上神の儀式は明日か……マリオカートの合間に覗いてみてもいいかもねぇ。じゃ、バイバーイ」
僕の台詞を遮って、ジンさんは通話を切ってしまった。
駄目だ、あの人はマリオカートに夢中で何の役にも立たない。
彼女にとっては天界の厳かな儀式より、マリオカートでいかにコーナーリングを決めるかのほうが余程重要なのだろう。
僕は神器を壁に叩きつけるように埋め込むと、カナリアのほうに向き直る。
「私、どうすればいいのでしょう……」
「ジンさんの目から見ても、カナリアの力は上級天使に匹敵するくらいになったって事が分かった。それだけでも儲け物ってことにしよう」
「本当に、このままで大丈夫でしょうか?」
「だ、大丈夫だよ! 現にモア達の攻撃を弾き飛ばしたじゃないか。きっと大丈夫! 明日はカナリアが主役だよ。あの生意気な上級天使達の度肝を抜いてやろう! ねっ?」
「は、はい! 私、何だかやれそうな気がします! だって、こんな晴れ舞台に立てるなんて、以前は想像もしてませんでしたから!」
僕達は無理にテンションを上げるよう大きな声でお互いを鼓舞しあうが、その声は、静寂の闇の中に吸い込まれるように消えていく。
今、この区画には僕とカナリアしか居ない。残りの下級天使達は、聖域で豆腐モノリス相手に僕とカナリアのために祈りを捧げてくれている。
夜更かししないようにとは言ってあるが、多分、徹夜でずっと祈りを捧げてくれるだろう。
そうまでされてしまうと、僕達もそれなりに結果を出さねばなるまい。
ジンさんにお墨付きは貰った。上級天使の攻撃もカナリアは簡単に防げた。
不安要素は多いけれど、可能性も十分にあるとは思う。
けれど、何だろうこの感じ。
拳銃を持っている。
弾丸も装填されている。
相手の眉間に銃を突き付けたし、安全装置も解除した。
後は銃弾をぶち込むだけ。
けれど、本人の躊躇によって引き金を引けず逆転される。
そんな映画のワンシーンのようなイメージが脳裏に浮かんできたが、僕はかぶりを振ってそれを追い払う。
「おいで、カナリア。明日のためにも今日はもう休もう」
「そうですね……で、では不束者ですが、今晩もよろしくお願いいたします」
最後の調整――というよりお互いのために、僕は既に慣れた作業、カナリアの服を脱がし、横抱きに抱えてベッドに潜り込む。
そうして、彼女がもっとも安らげる場所――僕の胸に顔を埋めると、そのまますぐに寝入ってしまった。
緊張して眠れないかと危惧していたけれど、何だかんだで忙しかったのが功を奏したようで、これなら明日は万全の調子で、カナリアは上神の儀式に挑めるだろう。
それとは別に、僕は別の不安に思いを馳せていた。
それは、カナリアが上神の儀式に受かった場合の事だ。
ケツァールさんはカナリアを僕の一部とみなしているらしいから、僕が試験に落ちたとしてもカナリアが受かれば、僕も芋づる式で天界に残れるとは思う。
それはいい、いいのだけれど……
「カナリアが神になった場合、私はどうなるんだろう?」
カナリアが寝入った事で蛍火のライトは既に消えていて、部屋の中は殆ど真っ暗だった。
その暗闇に溶け込むように、僕の口から無意識に台詞が零れ落ちていた。
慌てて胸元を確認するが、幸いカナリアは深い眠りに落ちたままで、安らかな寝息を立てている。
僕はほっと胸を撫で下ろしたけれど、心の中のもやもやは消えてくれない。
カナリアが上神の儀式に受かる事、光の中を歩いていく事――それを第一に僕は行動してきた。
けれど、カナリアが神という立場についた場合、僕よりも格上の存在になってしまう。
それはつまり、僕と一緒に居る必要がなくなってしまうという事じゃないだろうか。
だって僕は『上級天使ミサキ様』であり、そのベールを剥いでしまえば、それ以外に誇れる物なんて無いのだから。
「いいや、もう寝よ……」
僕の心を侵食してきそうな闇から身を守るように、目を閉じて外界から意識を遮断する。
悶々と考えていても仕方ない。何にしても時間は流れていくし、結果は明日になれば出るのだ。
いつもより少し強めにカナリアに抱きついて、その柔らかな体温に縋るように、精神のブレーカーを落とす作業に僕は没頭していった。




