25話:擬傷
「あらあら、薄汚い下級天使のリーダー様のご登場よ。久しぶりね。ご機嫌いかが? ミ・サ・キ?」
聖域の遥か上方から、エミューが忌々しげに言い放つ。
横に寄り添っているのは、妹分のモアか。
そしてその二人に付き従うように、十人の天使が翼を広げ取り巻いていた。
「久しぶりですね。何か御用ですか?」
「ええ、下級天使の長、ミサキ様が傍若無人な振る舞いをしてくれたお陰で、余計な外出をする羽目になったわ」
下級天使の長、の部分を強調し、モアは前より長くなった緑髪を掻きあげ皮肉っぽく言う。
天敵を見た小鳥のように震える少女たちを後ろに下げ、僕はエミューたちを睨みつける。
「また弱いものいじめですか? 上級天使は随分と暇みたいですね」
「弱いものいじめ? 私たちが弱いものいじめをしているって言うなら、あんただって同じ事をしているじゃない」
「……どういうことですか?」
モアの言っている意味が分からず、僕は問い直す。
それに呼応するようにエミューが手振りだけで指示を出すと、付き添いの天使達が一列に並ぶ。
「見てみなさい、この哀れな天使達を。こんなに穢れているでしょう?」
モアは大仰な態度で、付き人らしき天使達を指差した。
何人かは上神の儀式で見た事のある顔ぶれだ。
確かにモアの言うとおり、あの時よりも服がよれよれだし、心なしか目の下にクマのようなものが出来ている。
「これを見ても何とも思わないの? ミサキ、あなたも上級天使なら心が痛まない?」
「いえ、特に何も……十分綺麗じゃないですか?」
「あんたね! これのどこがそう見えるのよ!?」
「そう言われましても」
前に比べれば少しは薄汚いように見えるけれど、僕からしてみれば誤差の範囲だ。
すると、エミューがやれやれと言った感じで、ため息を吐きつつ前に出た。
「モア、下がっていなさい。この女は見てくれだけの馬鹿だから、きちんと説明しないと理解できないのよ。おまけに薄汚い野良犬まで拾ってきて……」
「なんだとコラぁ!?」
「ほら、野良犬が吼えたわよ。やっぱり飼い主に似て下品だわ」
「いきなり人様を下品呼ばわりするたぁ、てめぇらの程度が知れるな」
アシュラが牙をむき出して威嚇するが、負け犬の遠吠え程度にしか感じていないらしい。
僕に関しては大体あってるけど、アシュラに対するエミュー達の暴言には反論しておかねばなるまい。
「アシュラは薄汚くありません! ちゃんと毎日、上質な餌を与えてお風呂に入れてます!」
「そっちじゃねぇよ! 野良犬のほうを訂正しろよ! 俺は人狼だっつってんだろ!」
「そんな雑魚のケダモノはどうでもいいのよ! ミサキ、愚か者のあなたに分かるよう単刀直入に言ってあげるわ。独り占めしてる下級天使を差し出しなさい」
「……やっぱりその件ですか」
ある程度は予想していたけど、やはり的中してしまった。
彼女達に力を与えている下級天使がストを起こしたのに、今まで何のお咎めも無かったのが不思議なくらいなのだ。
僕が押し黙っていると、エミューはさらに続ける。
「ミサキ、あなたが下級天使を独占する。それがどういう事態を引き起こすか分かるかしら? 下級天使達を使えなくなった天使族は、私たち上級天使を磨くため、自らの身をすり減らさなければならないの。どう、可哀想だと思わない?」
どうやら、下級天使を使い潰していた分が取れなくなったので、今度は天使族が上級天使の搾取対象になったらしい。
まあ、そうなるよね。
「上級天使が結界を張ってしまったから、この子達は怖がって中々近寄れなかったの。それで、あんたが弱って運ばれていく姿を見て、攻め時だと思ったんでしょう。私たち上級天使に泣きついて来たってわけ。全く迷惑な話だわ」
エミューに付け足すように、モアが言葉を引き継いだ。
多分、初日の竜狩りの泥酔状態のことだろう。
「一つ訂正しておくことがあります。私は別に、彼女達に指示を出してはいませんよ?」
「嘘おっしゃい! 下級天使達を独占して、私たちを兵糧攻めにする気でしょう!」
「それほど大事な兵糧なら、もっと大切にしてあげて下さい。あなた達が怖いから、必要が無くなれば酷使されになんて行きませんよ。当たり前じゃないですか」
「白々しいわね! 毎日、異世界に下級天使達を派遣しているでしょう! あんたの所に偵察を飛ばしているから分かるのよ!」
確かに彼女らは異世界に飛び出し、せっせと動いてくれているけれど、僕もカナリアも何も指示はしていない。彼女達が好きでやっているのだ。
でも、僕の発言はどうも逆鱗に触れてしまったようで、今まで優雅に振舞っていたエミュー達の顔が般若のようになっている。
ヒステリーのおばさんみたいで凄く怖いけど、言ったらまた怒るだろうな。
「大体、怖いって何よ! この美しい私たちが怖いですって!? もう一度言ってみなさい! 生かしてやってるのに怖がられるなんてあんまりだわ! 天使に作られた恩を忘れるなんて、恥を知りなさい!」
「彼女達も、別に頼んで作ってもらったわけじゃないでしょう? それに、あなた達は『生かしている』だけで、『活かしている』わけでは無いですよね」
「また訳の分からない事を!」
エミューに対して反論すると、横からモアが短く叫ぶ。
この人たち、弱者を力で押さえつければ、何でも思い通りになると思っているのだろうか。
そんな物で制御できるほど、生命というものは脆弱じゃないと思うのだけど。
「質問なんですが、お二人は下の者達を犠牲にしてまで、何故美しくなりたいのですか?」
「……はぁ? 何を言ってるのあなた?」
エミューは質問の意味が分からないといった感じで、眉間に皺を寄せていたが、僕の無知さを哀れむように、子供に1+1を教えるような口調で語り出す。
「そんなの、強力な力を得て神になるために決まってるじゃない。何を当たり前のことを……」
「神になると、一体どうなるのですか?」
「沢山の天使達を侍らせ、皆から敬われるのよ。どう、素晴らしいでしょう?」
「なんだ、それなら私はもうやってます」
「なっ……!?」
僕がそう言うと、エミューが絶句した。
エミューの理屈で行くと、僕はもう十分満たされているじゃないか。
同等の力を持っている彼女らだって、神にならなくても可能なんじゃないだろうか。
「……っ! ごちゃごちゃとうるさいわねっ! いいから、あんたは『はい』と言って薄汚い下級天使共を差し出せばいいのよっ!」
「その薄汚い下級天使が居なくて困っているから来たのですよね? 下層民を汚いと罵るのに、その力は必須。必要なものには正当な対価を払うべきではないですか?」
「ああもうっ! うるさいうるさいっ!」
残念ながら、僕の答えはお気に召さなかったようだ。
モアとエミューはもはや理屈も何もなく、狂った鶏みたいに喚いている。
というか、根本的に勘違いをしている。
「そもそも、下級天使の動向は私が決める事ではありません」
「……どういう事よ?」
顔を真っ赤にしたエミューが、怪訝そうに眉を潜める。
僕はいつの間にか横に寄り添ってくれていた、小柄な天使のほうに顔を向けた。
「下層のリーダーはこの子、カナリアですから。決定権は彼女にあります」
「……一体何を言ってるの!?」
エミューが、モアが、そしてカナリアたちまで目を見開く。
そんなに驚くことなんだろうか。
僕は単に居候させてもらってるだけで、トーテムポールとか鬼瓦とか、魔除け程度に思ってもらっていいし、当たり前のことを言っただけなんだけど。
「み、ミサキ様!?」
「何でカナリアまでそんなに驚いてるの? 下級天使達のリーダーはカナリアじゃない」
「た、確かにそうですけど……」
「なら問題ないね」
「あるわよっ!」
きんきん耳に響く声でエミューが叫ぶ。
真珠のような肌が真っ赤に染まっているのは、怒りからだろうか。
「そんなに怒鳴ったら他の子が怯えるじゃないですか。何故そんなに怒るのですか?」
「下級天使に上級天使が従うなんて、前代未聞だわ!」
「いやだから、それに何の問題があるのですか?」
「あんた……頭がおかしいんじゃないの!? そんな事をしたら私たち天使族のプライドが台無しになるじゃない! それこそ神をも恐れぬ冒涜行為よ! あああ、もうっ! 本っっ当に馬鹿な女ね!」
「え、エミュー姉さま、落ち着いて!」
羽をばたつかせ暴れるエミューを、モアがやんわりと宥める。
エミューは、はっと我に返り、咳払いを一つしてから優雅に居住まいを直す。
あれだけ取り乱されてからそんな事されても、ちっとも美しく見えないのだが。
「……まぁいいわ、カナリアとか言ったわね?」
「え、私ですか?」
「そうよ、あんた以外に誰がいるのよ!」
深呼吸しているエミューの場を繋ぐように、モアが彼女の前に出てカナリアを名指しで呼ぶ。
カナリアは困惑してはいるものの、以前のように怯えてはおらず、きちんと返事出来ている。
うむ、これはいい傾向だ。
僕はカナリアから一歩引いて、事の成り行きを見守る。
「え、ええと、何でしょうか?」
「あんたが下級天使のリーダーなんでしょ? だったら命令しなさい。『天使に逆らって申し訳ありませんでした』とね。そうして大人しく従えば、今回はお咎め無しにしてあげるわ」
「で、でも……」
「別に今までどおりに戻るだけでしょ? 元通りの天界になるだけじゃない。それこそ、何も問題ないでしょう?」
「み、ミサキ様……私、どうすれば……」
カナリアは捨てられた子犬みたいに僕を見上げる。
ここでどう答えるかで、今後の扱いが決まってしまうだろう。
軽はずみな受け答えは出来ない。
「それは……」
「それは?」
「……私の答えられることじゃない」
「え……?」
非情かもしれないけど、僕にはこう答えるしかない。
カナリアは軽くショックを受けたようで、目を瞬かせた。
その表情に少し心が痛んだけれど、あえて僕は無視を決め込む。
カナリアにとって僕は保護者であり、絶対者だ。
僕がこうしろと指示すれば、カナリアはYesでもNoでも従うだろう。
でも、それじゃ洗脳と変わらない。
僕はカナリアにお人形さんになって欲しくない。
いつまでも抱っこされていては、自分の足で歩けなくなってしまう。
転びそうになった時、怪我をしないように支えてあげるくらいでいい。
僕の意図が伝わったかは分からないが、カナリアは僕とモアの顔を交互に見て俯く。
「まどろっこしいわね! さっさと『いいです」と言いなさいよ!」
苛立ちながらモアが呟く。
決断までの時間はあまり無い。
恐らくカナリアには、今の瞬間がひどく長く感じられているだろう。
何故分かるかって? それは僕も同じ気持ちだからだ。
「い、い、いい……」
「いいのね?」
「い、嫌です!」
カナリアは大きな声で、きっぱりと拒絶の言葉を口にした。
「……今、何て言ったの?」
「嫌です! 私たちはもうあなた達に従いません! 下級天使達はみんなミサキ様の物です! ミサキ様以外の方に仕えるくらいなら死を選びます!」
「あ、あの……カナリア、何もそこまで言わなくても……」
さすがにそれは言い過ぎなので注意しようとしたが、何故か下級天使達はこの自決行為に賛同する。
こうなるともう止められない。
下級天使達は一斉に、上空の天使達に『帰れ! 帰れ!』とコールし出す。
「……そう、そういう態度を取るのね。なら、私たちもそれなりの対応をさせてもらうわ。エミュー姉様、いいでしょう?」
「ええ、勿論よ、モア。少しお灸を据えてあげなさい!」
冷静さを取り戻したエミューが、己の力を誇示するように巨大な白い翼を広げる。
それを合図に、モアは右手を前に突き出す。
「燃えろ!」
モアが叫ぶと、彼女の前に巨大な火球が現れた。
離れていても熱を感じられる程の、大人一人くらい軽々包んでしまいそうな巨大な火の玉だ。
「私たちに従わない下級天使など要らないわ! どうせまた作れるもの!」
モアは狂気じみた笑みを浮かべ、バレーのアタックのように業火を投げつける。
剛速球の向かう先は、下級天使達が群れのど真ん中。
「このっ!」
けれど、業火が彼女達を焼くことは無い。
一瞬早く飛び出した僕が、目の前に巨大豆腐の盾を作ったからだ。
豆腐は炎と相殺され、一瞬で蒸発して掻き消えていく。
「あはははは! なぁにその不恰好なエーテル操作! あんた塊しか作れないんじゃない?」
「ええ、でも、その不恰好な固まりで炎を防げました。私にはこれで十分です」
「減らず口をっ!」
正直に言うと、色々な能力を使いこなしたい欲はある。その方が格好いいし。
けれど、この不恰好な力で僕は色々な事が出来る。だからこれでいい。
「落ち着きなさいモア。髪が乱れているわよ?」
「で、でも、あの烏女! あんな不細工なモノリスで私の炎を……!」
「あらあら、じゃあ、こうしましょ? ほら、あんた達も手伝いなさい!」
エミューはくすりと笑い、後ろからモアにしなだれかかる。
さらに、その後ろから、お付きの天使達が連なるように肩に手を置く。
美しさを重視しているみたいだけど、あれじゃムカデ競争だ。良くて組体操だろう。
「燃えろっ!」
そうして絡まりあった状態で、再びモアが火球を飛ばす。
今度の狙いは僕らしくピンポイントで飛んでくる。
再び僕は豆腐バリアを作――
「かはっ!?」
豆腐は先ほどと同じく炎をかき消した――が、次の瞬間、僕はアシュラの家、救世主の壁に叩きつけられていた。
火炎自体は防御したけど、その後の熱風に吹き飛ばされた――そんな感じだ。
僕が普通の人間だったら、衝撃だけで潰れたトマトみたいになっていただろう。
頑丈に出来てて良かった。
「あははは! ざまあ無いわね!」
エミューが僕を嘲笑する。
全身にじんじんと痛みが走るが、どこか折れたり、致命的なダメージは受けていないようだ。
でも何故、さっきは防げたのに……
「そうか……神力連結……」
「ピンポーン! それも純正天使の力よ? どう、効いたでしょ?」
うふふ、と上級天使二人がたおやかな笑みを浮かべる。
効いたか効いてないかと言われれば、そりゃあ効いた。
でも、まだ立ち上がれる。
とは言え、いくら僕が頑丈でも、何度もこれを喰らったら流石に持たない。
下級天使達は泣きそうになりながら僕を取り巻くが、やはり天使達が恐ろしいのか、遠巻きに見ているだけだ。けれど、その方が僕としてもありがたい。
こんなのを下級天使が喰らったら、一発で消滅してしまう。
僕は白い地面に手を付いて起き上がり、にっこりと笑みを浮かべる。
上空で得意げに笑っていたエミュー達が、僕の奇行に目を見張る。
「天使達から力を搾り取ってその程度なのですか? お笑いですね」
「ふ、ふざけるんじゃないわよ! 効いてないわけ無いでしょ!」
「ふふ……効いているように見えますか?」
本当の事を言うと、もうかなり膝が笑っているので、一刻も早く立ち去って欲しい。
これはなるべく余裕を見せ付ける、いわばハッタリだ。
このまま撤退してくれればそれで良し。
派手な見た目で威嚇し、敵を追い払う動物の如く僕は嘯いた。
「このっ……! あんたの涼しげな顔を涙でぐしゃぐしゃにしてやるわ! モア! もう一発よ!」
「ええ、お姉さま。この女が何を企んでいるのか知らないけど、ちょっと小奇麗になった下級天使しか駒が無いんじゃ、どうせ何も出来ないわ」
「あ、あの! エミュー様、モア様! 私たちもう神力が……」
「うるさいわねっ! もう一度最大出力よ!」
ああ、やっぱり駄目か。
モアかエミュー、一人だけだったら逃げ帰ったかもしれないけれど、今は二人揃っている。
後ろの天使達は乗り気じゃないみたいだけど、上級天使二人は無視して再び構えを取る。
再び火球が現れる。先ほどよりも一回り大きい。
参った。挑発が裏目に出てしまったか。
「安心なさい。あんたは殺したりしないわ。上神の儀式に出てもらわなきゃ、私たちがケツァール様に疑われてしまうしね。でも……せいぜいボロボロになって頂戴な!」
モアの肩越しに、エミューがゆるりと僕を指差す。
それはまるで、罪人を処刑する死刑執行人のように見えた。
謝る気は無いが、どう頑張っても許してもらえそうにない。
こうなったら死んだふりをするしか――
「ミサキ様ーっ!」
「カナリアっ!? 危ないから来ちゃダメッ!」
僕があまり無い脳みそをフル回転して上手い負け方を考えていると、カナリアが目の前に飛び出してきた。
エミューの口元が吊りあがっていくのが、遠目からでもはっきり分かった。
モアも同じ顔をしている。
そうしては火球が放たれる――僕ではなく、銀髪の少女に向けて。
全力で加速した。
びっくりするほど速度が出た。
初めてエミュー達を吹き飛ばした後、僕はカナリアを受け止めることが出来た。
だから、今度だって間に合うはずだ。
そんな願いをあざ笑うかのように、手を伸ばした僕の目の前で、カナリアの小さな体が業火に飲み込まれた。
擬傷【ぎしょう】――ある種の鳥の習性。外敵が巣に近づいた時、卵や雛を守るため、親鳥が怪我をしたふりをして敵前に姿を晒し、注意をひきつけようとする防衛行為のこと。




