24話:八咫烏
カナリアと初夜……といっていいのか分からないけど、肌を重ねあってから数日、僕はジンさんの家に毎日のように通っていた。
てっきり一回きりで終わりだと思っていたのだけれど、ジンさんは本当にゲーム初心者らしく、製作者が、ここでちょっとプレイヤーを困らせようというポイントで見事に嵌ってしまうのだ。
『三面のボスが倒せない』とか『必要な素材がどこにあるか分からないとか』という連絡が入るたび、日本へ呼び出されジンさんをサポートする大任を仰せつかっている。
はっきり言って、物凄い労力の無駄遣いだと思う。
莫大な神力を報酬として貰えるのだから、ボロい仕事と言えばそれまでだけど。
「ミサキ様、危ない事はやめていただきたいのですが……」
「大丈夫だって。初日以外はちゃんと無傷で帰ってきてるでしょ?」
「ですが、やはり竜狩りなど危険です! ジン様はミサキ様を酷使しすぎだと思います!」
カナリアやアシュラをはじめ、僕が『竜狩り』をしている事をひどく心配してくれるのだが、僕はゲームをやるだけなので実に暢気なものだ。
でも、カナリア達はそう取らない。
『これから死地に向かうのに、あの落ち着きっぷりは王者の風格だ』とか『私たちもミサキ様にふさわしい天使にならねばならない』などと勝手に盛り上がり、騙しているようで居心地が悪い。
「いや、ちゃんと説明したよね? 竜狩りに危険性は無いって……」
「いいえ、ミサキ様が何か高度な技術を駆使し、ジン様の要求を満たしている分かっています。未知の技術はとても恐ろしいものです。それに挑むミサキ様の勇気に、私達はとても感銘を受けております」
「…………ええと」
カナリアさん、分かってないから説明してるんです。
ゲームをやりに行くだけだと説明したのだけれど、そもそもゲームという物自体が想像できないらしく、そのせいで余計に漠然としたイメージになってしまった。
結果として、『ミサキ様は我々の想像を絶する、神々の戯れに参加している』という凄まじい事になってしまい、嘘を嘘で塗り固める結果となってしまった。
もう仕方ないので、なるようにしかならないと割り切る事にしている。
そんな僕がジンさんの元から帰ってくると、下級天使達に凱旋パレードみたいに出迎えられてしまう。
下手に断ると下級天使達が泣いてしまうので無下にも出来ない。
初日、神水を一気飲みしてえらい目にあってしまったが、それ以降はちびちびと時間を掛けて飲むようにしているので、あまり悪酔いはしていない。
当然、無傷で帰還してくるわけで、そうなるとますます戦女神みたいな扱いになってしまい、どんどん無駄に神格化されていく。
ここ最近の僕のスケジュールは、アシュラの朝御飯を用意して、必要であればカナリアと協力して禊場に聖水を注ぐ。
その後、ジンさんの戯れに付き合って神水を受け取り、夜はカナリアと添い寝して一日が終わる。
要約すると、朝起きて犬に餌をやり、風呂を溜め、それから知人の家に行き一日中引き篭もってゲームやり、酒を呑んで帰ってきて、いたいけな少女を騙して抱くのである。
こう書くと、まるで自分がクズになったような気がする。
「カナリア姉ちゃん、ミサキさまばっかり心配して! わたしたちも別の世界に行くんだよ!」
「しかたないよ、だってわたし達はおまけみたいなものだもん」
「そりゃまあそうだけど……」
僕に付き従い、家の前に出たイカルちゃんが頬を膨らませると、アトリちゃんが宥める。
ここ数日でよく見られるようになった光景だ。
僕とカナリアが異世界に足を踏み入れて以来、下級天使のみんなが、リーダーばかりを危険な目に合わせられないと立ち上がり、異世界に進出することを決定した。
貰ってばかりいるのではなく、少しでも神力を稼ぎ、僕に献上しようという事らしい。
危険な行動はなるべくして欲しくないし、怪我でもされたらかえって大変だと諭したのだが、彼女達の決意は固かった。
それに、『ミサキさま……わたしたち、そんなにお役にたてませんか……?』なんて涙声で懇願されたら、意思の弱い僕では抑えることは困難だ。
そんなわけで、戦闘などの危ない行為は決してしないと念を押し、異世界に旅立つ事を許可した。
イカルちゃん達も本当は怖かったのか、僕の提案をすんなり受け入れてくれた。
下級天使の力はとても小さく、エーテル濃度の低い天界以外の世界では姿が見えないらしい。
そんな彼女達のできることは、落し物を見つけてあげたり、迷子を親元に届けたりといった、本当に小さな物だ。
実に微々たる物で、募金箱に一円玉を入れていくような行為だと思う。
けれど、今まで怯えていた小さな存在が、何かをやろうと思えるようになった事自体、素晴らしい事じゃないだろうか。
人は笑うかもしれないけれど、僕はなるべくそれを受け入れてやりたい。
「じゃあミサキさま、行ってまいります!」
「くれぐれも気をつけて。暗くなる前に帰らなきゃ駄目だよ」
「大丈夫。もうなれましたから!」
アトリちゃんが自信ありげに頷いたので、軽く頭を撫でてあげた。
他の子も、親鳥を前にしたツバメの雛みたいに顔を突き出してくるので、僕は全員の頭を優しく撫でる。
薄汚れたヤギみたいにごわごわしていた白い髪は、今では随分と柔らかい。
「私もミサキ様にご同行出来ればよいのですが……」
少し離れた場所でカナリアは歯がゆそうに呟いた。
彼女には残った下級天使の管理や、異世界に行った下級天使たちのトラブル対応のため、天界で待機をしてもらっている。
アシュラも口には出さないが、何だかんだいいつつ協力してくれている。
「大丈夫。カナリア達が残ってくれるから、他の子が思う存分動けるんだよ」
「……私、ミサキ様のお役に立てていますか?」
返事の代わりに、僕は他の子よりも少し強めにカナリアの頭を撫でると、満足そうにはにかんだ。
最近、カナリアがどの辺りを撫でられると喜ぶのかが分かってきた。
「でも、やはり心配なのです。ミサキ様は少し奔放なところがありますから、いつか私達の元から飛び去ってしまうのではと……」
「大丈夫だって。カナリアは心配性だねぇ」
と言いつつも、内心どきりとした。
僕は無駄にトラブルを起こす悪癖があるので、確かにいつ追放されてもおかしくない。
でも今のところ、何故か天使族から文句は言われていない。
先日、僕が担架で運ばれていく時に何人か見かけたけれど、あれは一体なんだったのだろう。
「ミサキさま、途中までいっしょにいきましょ!」
イカルちゃんに声を掛けられ、現実へと引き戻された。
下級天使達の準備も整ったようだし、そろそろ出発せねばならない。
「そうだね。じゃあカナリア、留守をお願いね」
「はい! 私、おいしい食事と禊の準備をして待っています。ですから、早くお帰りになってくださいね」
新妻みたいな台詞を言うカナリアをホールドしたい衝動をぐっと堪える。
後ろ髪引かれる思いで、何故かV字型に編成された下級天使の群れを先導し、晴れやかな空へと舞い上がる。
目指すは聖域、ジンさんが用意してくれた門だ。
前は少し飛行するだけで息切れしていた彼女達も、今ではかなりのスピードで飛翔できる。
さして時間も掛からず、聖域へと到着できた。
到着すると、僕はすぐに神器でイカルちゃん達のための門を作る。
「わたし達もジン様の用意した門に行ければいいのになぁ……」
「危ないから来ちゃ駄目。イカルちゃん達にもきちんと仕事があるじゃない」
「わたし達もおおきくなったら、ミサキさまみたいに強くてきれいな天使になる……」
「うっ……!」
アトリちゃんの何の邪気もない呟きが、僕の心をナイフで抉る。
本当は、単にだらだらとゲームをやっている醜態を晒したくないだけである。
大人って汚いなぁ。
「じゃあみんな! 頑張っていこー!」
「「「おー!」」」
イカルちゃんの掛け声に呼応し、幼女の群れが拳を天に突き上げ気合を注入する。
そのまま彼女達は、実益と、それ以上の好奇心を満たすために異世界へ飛び立っていく。
全員が無事に門を通った事を確認し、僕は専用の入り口――薄汚れた神の住む部屋へ向かう。
「遅いじゃないか! もう一人で始めちゃってたよ!」
「そう言われましても」
開口一番、ジンさんは僕に文句を言うが、最近は慣れて来たので適当に流す。
相変わらず暗くてきったない部屋だ。
人が来るのだから少しは気を遣って欲しい。
僕は勝手に冷蔵庫からコーラを取り出し、紙コップに注いで喉を潤すと、ほぼ所定の位置になっている布団の上に腰を下ろす。
「いやぁ、この黒い砂糖水を飲むと、自分が生きていると感じますね」
「本当、君は適応力が強いと言うか……天使っぽくないねぇ。まあいい、今日は新しいゲームを買ってきたんだ。勝負しようじゃないか」
「いいですけど、手加減しませんよ?」
なんて会話をしつつ、僕とジンさんは湿った部屋で、一日中対戦ゲームに明け暮れるのだ。
ジンさんは本気で相手をしないとブチ切れるくせに、負け続けると不機嫌になるという非常に面倒くさい性格だ。
何だか敬意を払うのも面倒になり、僕はもう全く遠慮しないで緑の甲羅とかをバンバン投げつけていく。
「あ、こら! 私がゴリラを使うつもりだったのに! 私は神だよ!?」
「権力に胡坐をかいていてはいけません。早い者勝ちです」
「何!? 本当に君は上司に対する敬意という物がないね! 人のアイテムは勝手に取るし、私をどんどん妨害してくるし!」
「そういうのを乗り越えるのがゲームじゃないですか」
「ぐぬぬ……」
こんな不毛なやりとりを、強大な力を持つ存在がしているのだから、全くもって世界のリソースの無駄使いだと思う。
「ところでミサキ君、最近の天界はどうかね?」
「どうって……別に普通ですよ? 下級天使の皆も元気ですし、カナリアもめきめきと力を付けてます。平和なものです」
「なるほど、全然普通じゃないのが良く分かった」
画面を凝視しながら、ジンさんが実に可笑しそうに口元を歪める。
そんな風に笑われると、僕がまた何かやらかしたのか不安になるじゃないか。
「しかし、私の神力を毎日分け与えているのに君自身は全然成長していないねぇ。むしろ少し弱くなったんじゃないかい?」
「何となくそんな感じはします。下級天使達が貰ってきてくれた分に加えて、私の神力もカナリアに多めに渡してますからね。毒を少しずつ盛って、耐性を付けさせている気分ですよ」
「それを彼女は気付いているのかい?」
「いえ、独断でやってます」
「……なるほど、君は八咫烏という訳か」
「やた……なんですか?」
ジンさんはゲームを一時停止させると、珍しく真面目な表情で僕をまっすぐに見る。
「この国の神話に存在する、三本足のでかいカラスの事さ。迷える衆生の元に、神の御前として遣わされ、寄る辺無き民を先導したという話だよ。君は八咫烏になるつもりかね?」
「まさか」
その仰々しい言い方に苦笑してしまう。
この人はいつも捉え所が無くて、どこまで冗談で本気なのかがよく分からない。
「下級天使のリーダーはカナリアです。私自身は別に上神の儀式に受かる気もありませんし、可能なら私の力を全部やってもいいと思っています」
「そんな事をしたら君自身が消滅してしまうよ。君は八咫烏というより幸福の王子に似ているね。ああ、君は知らないか。美しい王子様の銅像が、自分の体についている高価な宝石をツバメに配らせて、貧しい人々を救った結果、二人ともくたばる話だよ。どうだい、笑えないだろう」
そう言うジンさんの態度は、先ほどと比べてどこかそっけない。
幸福の王子ってそんな夢のない話だったっけ。
もうちょっと品のある話だったと思うけど、良く覚えていない。
「まぁ自己犠牲もほどほどにしておくべきだと思うがね。君はひょっとして、何か成し遂げなければ、自分は存在していてはいけないと思っているのではないかい?」
「……良く分かりません。ただ、カナリアや皆には幸せになってほしいと思います」
「君自身をすり減らしてまで?」
「私なんかより、カナリアたちのほうが純粋で綺麗です。そういった存在が報われるべきでしょう?」
だって、僕の力は知らぬ間に拾ったものだ。
別段何か努力しているわけでもないし、周りから過大評価されてはいるけど、僕自身は大した存在ではないと自覚している。
一族を背負い、上神の儀式に身を投じたカナリアのように眩しい存在ではないのだ。
そんな事を考えていると、ジンさんは小さくため息をつき、急にゲームの電源を落とした。
そのまま神水をコップに注ぎ、僕に突きつける。
「もういい。今日はやる気が失せた。これを飲んで帰りたまえ」
「へ? もういいんですか?」
「興ざめだ。君はもう少し自分を大事にしたほうがいい」
何が琴線に触れたのか知らないが、どうもジンさんの機嫌を損ねてしまったらしい。
この人は口を閉じていれば怜悧な美人さんなので、低い声で凄まれると地味に怖い。
有無を言わさぬ雰囲気に押され、僕はちびちびと神水を飲む。
さすがに飲みなれてきたので、もう酔っ払うことはない。
「一つだけ言っておく。他者のために尽くす行為は大変素晴らしい。だが、己を殺してまでとなると、もはや愚行ではないかね。己の命は己のために使うべきだと私は思うのだがね」
「はぁ……」
「無論、君が真に他人の幸福を願うのならそれもいいが、君が心の底から望むものには、恥も外聞も無く縋るといい。幸せは、握っていないと逃げてしまうからね」
何だか良く分からないお説教を捲くし立て、ジンさんは鬱陶しそうに僕を追い払い、布団に横になった。
もともと気まぐれな人だけど、今日はいっそう意味不明だ。
これ以上話す気はないらしく、ゲームも途中で放置してしまった。
僕は布団を被ったジンさんの背中に一礼し、部屋を後にする。
いつもより大分早く帰ることになるが、カナリアも心配しているだろうし特に問題ないだろう。
それとも倦怠期の夫婦みたいに、家に帰るのが早くて怒られてしまうだろうか。
いやいや、さすがにそれは無いか。
「ぶっ殺すぞ! このクソ野郎っ!」
「わぁっ!?」
視界が聖域へと切り替わった瞬間、鬼の形相をしたアシュラに怒鳴られた。
ひょうたんから駒である。
にしても、幾らなんでもここまで激怒されるとは思わなかった。
一応、僕なりに皆のためを思って営業しているのに。
ひどい、あんまりだ……と思ったけど、視線は僕ではなくあらぬ方を向いている。
よく見ると下級天使たちの様子もおかしい。
いつも僕が帰るのを大勢で待っていてくれているのだけれど、今日は何だか怯えている。
「あら、お姉さま。丁度良いところに現れたわよ」
頭上から聞こえた声に、僕は弾かれたように上を向く。
「あなた達は……」
「あらあら、薄汚い下級天使のリーダー様のご登場よ。久しぶりね。ご機嫌いかが? ミ・サ・キ?」
聖域の遥か上方で、天使達を侍らせたモアとエミューが、見下すように僕を睨み付けていた。




