21話:神の戯れ
「ミサキ様……ほ、本当にアシュラさんをここに置くんですか!?」
僕の名案に対し、カナリアは喫驚した。
「だって元々、アシュラがあそこに居られなくなったのは私のせいだし」
「魔物を天界に住まわせるなんて、さすがにそれはちょっと……」
「大丈夫、私がちゃんと世話するから! 散歩も連れて行くし、ご飯の世話もするから」
「駄目です! 第一、他の天使族にバレたらどうするんですか! 絶対揉め事になりますよ!」
「アシュラは白いし、保護色とかで何とか……」
「なりません! 元の場所に捨ててきましょう!」
まるでお母さんと子供みたいな会話である。
僕の非常識行為はいつもの事だけど、カナリアはなかなか首を縦に振らない。
今回に関しては、それくらい問題があるのだろう。
この世界、天使に関する者しか居ないみたいだしなあ。
「お前ら……毎回毎回、俺を無視して進めるんじゃねえ!」
そういえば、肝心のアシュラをすっかり置き去りにしていた。
「大体、俺がこのガキ共を食い殺すとか考えてねぇのかよ!」
口角泡を飛ばしながら、アシュラはイカルちゃん達を指差す。
彼女らも何が何だか分からないようで、突然の闖入者に驚いている。
そんな彼女らに対し、僕は柔和に笑いかける。
「この人狼はちょっと恥ずかしがり屋さんだけど、まあ、意外といい人だから。皆も安心していいからね」
「その魔物さん、怖い人なんじゃないの?」
訝しげなイカルちゃんの言葉に対し、アシュラは口元を歪める。
「ああそうさ、どうだ、俺様は怖いだろう?」
「うーん、あんまり怖くないかも……」
「何ぃ!?」
ぽつりと呟いたアトリちゃんの声に、アシュラは毛を逆立てて怒鳴る。
アトリちゃん、口数は多く無いのに、的確に相手の弱点部位を突いてくる。
「だ、だって、白いし、細いし、もふもふしてるし……」
黒くて不潔、粗暴な人狼なら怯えたかもしれないが、アシュラは小奇麗でスリム、しかも彼女らに馴染み深い、純白の体躯なのだ。
ひげもじゃの巨漢に凄まれれば恐ろしいが、ポロシャツ姿のサラリーマンに凄まれてもあんまり怖くない。
「おおおっ、これは……ふさふさでし」
「うおっ!? このガキ、いつの間に!?」
どさくさに紛れ、ツグミちゃんがアシュラの背中に子供コアラのように張り付いていた。
しかし、いくらなんでも幼女相手に背後を取られるとは。それでいいのかアシュラよ。
「いい加減にしろ! 俺は帰らせて貰う!」
アシュラが唸り声を上げる。
威嚇しているのだろうが、いかんせんツグミちゃんを肩車しているのでいまいち迫力が無い。
怒りながらもツグミちゃんを振り落とさないあたり、人格、もとい狼格の出来た男だと思う。
「アシュラ、やっぱり私の事、嫌いかな?」
「嫌いとか以前に、こんな所にいきなり連れて来られたら反応に困るだろうが」
「それはノリっていうか……その件に関しては、いや、ほんとすみません。でも他に行くあても無いんでしょ? だったら暫くの間、私たちのところに居たらどうかな?」
僕とアシュラでは頭一つ分ほど背丈の差があるので、どうしても上目遣いでアシュラを見る形になってしまう。
僕と目線が合うと、アシュラは急にそっぽを向いてしまう。
ううむ、嫌われてしまったかな。
それとも照れているとか。まさかね。
「ここなら他の人狼も居ないし、食事も寝床も用意する。それでも私たちと一緒に居るのはやっぱり嫌?」
「あのな、俺なんかが居たら、お前らだって困るだろうが」
「アシュラ……どっかいっちゃうの?」
僕が口を開く前に、ぽつりと小さな呟きが聞こえてきた。
ツグミちゃんの物だ。
「おいガキ、俺が怖くねぇのかよ?」
「なんで? ミサキしゃまがだいじょうぶっていってるんだから。だいじょーぶだよぉ」
「大丈夫って……俺は魔物だぞ?」
「まものだとなんでダメなの?」
「そりゃ凶暴で邪悪だからな。魔物ってのはそういうもんだ」
「キョーボウでジャアクなのがまもの? ええと、じゃあてんしがまもので、アシュラはまものじゃないね。やっぱりだいじょうぶ!」
「……何言ってんだこのガキ?」
アシュラは困惑しているけれど、ツグミちゃんが言いたい事は実に簡単だ。
「ツグミちゃんは、アシュラが好きになったみたいだね」
「うん! アシュラすき! アシュラかわいい!」
アシュラには悪いと思ったが、あまりにも邪気の無いその声に、僕はつい吹き出してしまった。
アシュラも予想外の反応に困惑し、毒気を抜かれたような状態だ。
「俺は怖いっつってんだろ! ひねり潰すぞこのガキ!」
「ひねりつぶすってなに?」
「だからこう、お前の頭をこの爪でガッと掴んでな、こう、ぐりぐりと……」
「あー、それならミサキしゃまも、カナリアねえしゃまもよくやってくれる! あたまなでてくれるの?」
「違うっ!」
気が付けば、イカルちゃんとアトリちゃんも、カナリアまでもが可笑しそうに笑っている。
でも、それは決して嫌味な物ではない。
街中の大道芸人を見ているような、そんな雰囲気だ。
アシュラは地団太を踏む。その振動でツグミちゃんがきゃっきゃと笑う。
「わーったよ! 居ればいいんだろ、居れば! それで文句ないだろ!」
もう怒る気力も無くしたのか、アシュラはがっくりとうな垂れた。
僕がちらりと目線を向けると、カナリアも観念した様子で肩をすくめた。
雰囲気で押し切る形になったが、ふふふ、勝ったぞ。
もちろん、僕はアシュラを拘束する気は無い。
あの状態のアシュラを一人で放置しておくのは、何となく気が引けたのだ。
説明せずに無理やり引っ張ってきたのは悪手だったけど、誘っても彼はきっと来なかっただろう。
僕は下級天使の皆に囲まれて、少しだけ自分を肯定できるようになった。
僕も含め、下層は彼と同じような、はみ出し者の集まりなのだ。
羽を休め、アシュラが自分を卑下することがなくなるよう、出来る限り協力できればいいなと思う。
その時が来れば、この人狼の新たなる旅立ちを笑顔で見送るつもりだ。
「でも、アシュラさんはどこに住まわせれば良いのでしょう? さすがにこの家は手狭ですし、下層は下級天使で既に一杯ですし……」
「うん、その件に関しては当てがある」
下層はただでさえ人口過密状態なのだが、今の僕には、素晴らしいアイディアが浮かんでいる。
この世界に生まれてきた以上、無駄なものなど何も無いのだ。たぶん。
◆ ◇ ◆
アシュラの来たあの日から、早くも二週間ほどの時が過ぎた。
その間、僕は毎朝、日が昇る前に起き出して、静謐な空気を頬に感じながら、ゆるりと風を切って聖域へと向かう。
豆腐職人の朝は早いのだ――いや、僕は豆腐職人ではない。料理人なのだ。
ただちょっと不器用なだけなのだ。
全長五十メートルほどの禊場のすぐ横に、大きく四角いモニュメントが横たわっている。
俯瞰して見れば分かるのだが、この巨大建造物は、生まれて間もなく廃棄されたメシアである。
「アシュラー、朝ごはんの時間だよー」
僕は、白鳥が水面に降り立つように着地すると、わき腹の部分に取り付けたドアをノックして呼びかけた。
大して待つこともなく、のそりと白い狼男が姿を現す。
とまあ、ここまで来れば説明する必要もないけれど、今のメシアは犬小屋、もとい人狼小屋として再利用されているのだ。
下級天使のみんなと協力して作ったものだし、異世界に放置したままでは迷惑だ。
かといって、壊してしまうのは惜しい。
廃船が海底の魚たちの住処となるように、メシアもまた、新たなる役目を全うしている。
でも短い生涯だったなあ。もうちょっと活躍させてやりたかった。
「おはようアシュラ、どう? 天界には慣れた?」
「辛気臭ぇ場所だが、ま、悪くはねぇな。でもよ……このガキを何とかしてくれ。うるさくて仕方ねぇ」
「おはようございまし!」
「ツグミちゃんもおはよう。いい子にしてた?」
「あい! カンシインでしゅから!」
アシュラに肩車されて、にこにこ笑うツグミちゃんの頭を、僕は軽く撫でてやる。
アシュラを聖域に住まわせると言ったら、離れたくないと泣きそうな顔をしたので、ツグミちゃんは座敷童子の如くここに住み着いている。
これに関してはさすがに僕も不安だったのだが、意外や意外、アシュラは面倒見が良く、ツグミちゃんを甲斐甲斐しく世話してくれている。
「ったく。まあいい。で、飯は?」
「うん、今作るから待ってね」
苦労人のアシュラのためにも、腕によりを掛けねばならない。
僕は精神を集中させ、手のひらサイズの豆腐を生成する。
毎日練習しているので、今では天界でも比較的柔らかいエーテルブロックを作れるようになったのだ。
どう、凄いでしょ?
「出来た! さあ召し上がれ!」
「ちょっと待った! いつもチビが持ってくる奴があるだろ。あれは美味い。あっちはどうした?」
「今までカナリアが作ってくれてたけど、彼女は他の下級天使の面倒も見てるからね。だから、これからは私が作ろうかと思って。ツグミちゃんの分はカナリアが作ってくれたけど」
カナリアが、僕のエーテルブロックは、なるべくアシュラに食べさせた方がいいと提案してくれたのだ。
確かに、僕の作る豆腐は硬いので小さい子向きじゃない。
大人向けのハードボイルドな味付けなのだ。
「あんのクソチビ、地味な嫌がらせしやがって……」
アシュラは苛立たしげに歯噛みする。
何がそんなに不満なのだろう。
確かに、カナリアほどエーテル操作は得意じゃないけど、僕だって毎日練習しているのだ。
練習は嘘を付かない――はずなのだが、この反応を見ると疑問だ。
頑張っても頑張っても上手くなっていないと思うとつらい。
そんな風に考えると、自分でも分かるくらい萎れてしまう。
「やっぱり私のエーテルブロックは不味いのかな?」
「い、いや、そうじゃねえ。そうじゃねぇが……ほ、ほら、あのチビの方が下っ端なんだから、給仕くらいやるのが筋ってもんだろ? だから、ミサキのは年に一回ぐらいでいい。お前のは特別っつうか、誕生日を祝う時とか、めでたい事があった時とか。そう、それがいい! そうしてくれ頼む!」
「そ、そっか。気を遣ってくれてるんだね。どうもありがとう」
へこんでいた僕に対し、アシュラは優しい言葉を掛けてくれる。
こういう気配りが出来る男なのだ。
人間だったらさぞモテただろう。狼だから対象外だけど。
「ちなみに一応聞いとくが、ちゃんと味見はしてんだろうな?」
「してない」
「しろよ!」
「何でそんなに遠慮するの? 作るのはあんまり疲れないし、沢山食べていいよ?」
「そういう問題じゃなくてな……」
「じゃあ、どういう問題?」
「それはだな、もうはっきり言うが、お前のエーテルの味は……」
「ミサキ様ー!」
アシュラと押し問答をしていたら、慌てふためいた声が僕を呼ぶ。
見上げると、カナリアが血相を変え、僕の元へ文字通りすっ飛んでくるのが見えた。
「どうしたのカナリア、そんなに慌てて?」
「先ほどから神器が鳴動しているんです! 天変地異の前兆でしょうか!?」
カナリアの言う通り、彼女が両手で抱えるよう持っている液晶端末が微妙に振動している。
携帯電話のマナーモードみたいな震え方だ。
不安げなカナリアから端末を受け取り、画面に目をやると、以前使った下手糞な電話アイコンの上に『受信中』と表示されている。
「何でしょうこの記号? 何かの文字でしょうか?」
漢字表記なんかされたら、アメリカ人だって読めないと思うのだけど。
つくづく使い手の事を考えない、ひどい開発者だと思う。
指先で電話マークを軽くタッチすると、窓枠が表示され、見覚えのある人物が姿を現した。
「遅いっ!」
開口一番、不機嫌そうな声と共に、不満げな表情が飛び込んでくる。
ムラのある金髪によれよれの服、この液タブ型神器の開発者、自称神様だ。
「一体君は何なんだ!? 『いつでも掛けて来ていいよ』って言ったのに、あの魔物の件以来、全く連絡してこないじゃないか! 夜も眠らずに待っていたのに! 私がどれだけ心待ちにしていたか、分かっているのかい!?」
「そう言われましても」
そんなこと言われても、おいそれと神様に電話するわけに行かないし、そもそも別に用事が無い。
でも確かに、友達とアドレス交換をしたのに、全く連絡が無かったら悲しいとは思う。
割と本気で傷ついているように見えたので、一応謝っておいたほうがいいかもしれない。
「ええと、そういえばお名前は?」
「ああ、私の事はジンと呼んでくれ。知人にはそう名乗っている」
神様――ジンさんはそう言うと、ため息を一つ吐いた。
「君たちの行動はある程度把握しているが、つくづく予想外な振る舞いをしてくれるものだね。見ていて飽きないよ」
「私たちの事、ご存知なのですか?」
カナリアが驚いて声を上げるが、ジンさんは特に反応を示さない。
「そりゃまあ、その端末の開発者だからね。魔物を討伐するか、はたまた和解するかと思っていたら、縁を滅茶苦茶にした挙句、元凶を天界に連れ帰るとは。送り狼ならともかく、持ち帰り狼なんて前代未聞だよ」
色々ありすぎて頭の片隅に追いやられていたが、そもそも僕達は、神力を強化するために魔物討伐に行ったのだ。
で、その結果はというと、ジンさんの言うとおり状況がこじれただけで、カナリアも僕も神力は殆ど変化しなかった。
つまり、完全に無駄足だった。
「その人狼君が雑魚だったお陰で、あの世界には大して影響が無かったようだし。とりあえず不問にしておこう。ま、天界がどうなるかまでは知らんがね」
そう言うと、ジンさんはコーラをラッパ飲みして、げっぷを吐いた。
この人、本当に神様なんだろうか。
「ところで、私に何か御用ですか?」
「うむ、実は君に協力して貰いたい案件があってね。なに、ちょっとした戯れさ」
ちょっとしたとか言われても、神様の言うちょっとなど、これっぽっちも信用できない。
カナリアも同じことを考えているのか、少し目が泳いでいる。
「具体的に何をすればいいんですか?」
「実に簡単さ。私の取り組んでいる『竜狩り』に協力して欲しい」
「竜狩り!? そんな事を!?」
カナリアの顔がさっと蒼ざめる。
竜といえば伝説上の生物のことだけれど、アシュラみたいなのと本格的に一戦交えろいう事だろうか。
前はカナリアのレベルに合わせて対象を選んでくれたと言っていたが、神であるジンさんの相手となると、その力は全く想像が付かない。
協力を申し出るほどの竜というと、多分やばい相手なんだろう。
僕達の反応に気を良くしたのか、神様はにぃっと笑う。
「もちろんそれなりの報酬は用意するよ? そうだね、君たちの働きに応じて、私の神力を分けてあげるというのはどうだろう?」
「ジンさんの神力を、ですか?」
「考えてみたまえ。これはあくまで私の予想だが、ケツァールの性格からいうと、次の上神の儀式まで、もうそれほど余裕が無いよ? 君たちの今のやり方で、急速に成長なんて出来ると思うかね?」
ジンさんは一気にそう言い切ると、ぱちんと指を鳴らす。
すると、僕達の目の前に、ちょうど人が通れるくらいの黒い穴が現れた。
空間を切り取ったような薄っぺらくも深いその闇は、まるで底が見えない。
「覚悟が決まれば来るといい。ただし定員の関係上、一人でだがね」
「で、でも……竜狩りなんて……」
「これは私からのボーナスゲームだよ? 私を信頼するかしないか、それは君たちが決める事だ。王道を行けないのであれば、邪道を行くしかないだろう?」
カナリアは二の足を踏む。
ジンさんの誘いに乗ってよいものか、地獄の底のような穴を見て、僕は考え込む。
暫く悩んだ末、僕は答えを出した。
「私が行きます」
「ほう、君が来るかい? まあ順当な所だね」
「ミサキ様! ここは私が……!」
「駄目。カナリアはここで待ってて」
「でも……!」
「危険だからこそ、一番強い私が行くべきだと思うんだ。大丈夫、私、そこそこ強いからね」
彼女の誘いは魅力的であるのは確かだ。
短期間で一気に力を強化できるというのであれば、虎穴に入る価値はあるだろう。
「お前の大丈夫は、大丈夫じゃねぇんだけどなぁ……」
「アシュラさんっ!」
カナリアが射殺すようにアシュラを睨むと、アシュラは鼻白む。
その様子が可笑しくて、僕は少しだけ緊張がほぐれた。
「おいミサキ、ちゃっちゃと行って、ぱっぱと片付けてこいや」
「ミサキ様、ご武運を……」
二人の激励に対し、僕は親指を立てる。
ハンドサインが伝わったか知らないけど、多分気持ちは伝わるだろう。
「さあ来たまえ。楽しい楽しいゲームを開始しようじゃないか」
ジンさんはご機嫌な様子でそう言うと、端末から姿を消す。
僕は深呼吸を一つして、その闇へと身を滑らせた。




