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18話:食事

 アシュラの言葉に僕はつい反射的に答えてしまった。

 この反応は予想外だったのか、カナリアもアシュラも目が点になっている。

 カナリアが作ってくれるエーテルブロックはとても美味しいけど、俗物な僕としては、たまにお肉も食べたいのだ。

 お上品な天界に牛丼屋など存在しないので、アシュラの申し出は非常にありがたい。


 ちょっとは遠慮した方が良いかとも思ったのだけれど、日本人特有の謙虚さなど、欲望の前では簡単に吹き飛んでしまう。

 人間とはさもしいものだなあ。それとも僕だけなのだろうか。


「お、お前、マジで食うのか?」

「食べます。食べますってば」

「ミサキ様、ほ、本当に野獣の焼死体を食べるのですか!?」


 カナリアが僕を気遣うように、不安げな表情で僕の顔色を窺がう。

 多分、テレビの企画でゲテモノ料理を食べさせられる芸能人を見守る気分なのだろう。


「ミサキとか言ったな。お前、大丈夫なのか?」

「何が?」

「あのなあ……そりゃ火は通してあるがよ、この世界の人間だって、俺らの食うモンを汚いとか言うんだぜ? 高尚な天使様が食っていいのかよ?」

「食べてから考えます。いいから下さいよ」


 理屈はどうでもいい。僕は肉が食べたいのだ。

 後でお腹を壊して悶え苦しもうが、それは僕の勝手であり、自業自得というだけの話だ。

 僕は後先考えて行動するのが苦手なのだ。

 アシュラは何だかばつが悪そうに、焼けた肉のささった串を僕にくれた。


「み、ミサキ様が食べるなら私も食べます! 地獄だろうとお供します!」

「お前も自殺志願者かよ……まあいいけどよ」


 カナリアが血を吐くように叫ぶと、アシュラは一番小さな肉を選んでカナリアに手渡した。

 カナリアは顔面蒼白だけれど怯まない。悲壮な決意を湛えたその顔はまさに殉教者。

 僕はやんわりと止めたが、『罪業をミサキ様一人に背負わせられません』と断固拒否された。

 つらくないのが伝わらないのがつらい。


 そのまま肉にかぶり付こうとしたけれど、立ったままでは何だというので、アシュラは僕達二人を焚き火の前に促してくれた。

 僕達は、三人で円陣を組むように火の周りに腰を下ろす。


「「いただきます!」」


 僕とカナリアは同じ台詞を全く違うトーンで言うと、脂の乗った香ばしい肉に齧りつく。


「「うっ……!」」


 僕とカナリアが、これまた同じ呻きを上げる。

 間髪入れず、カナリアは肉の欠片を口から吐き出した。

 小さな背中を丸め、けほけほと涙目で咳き込む。


「だから言わんこっちゃねえ。ミサキ、お前も無理しねぇで……」

「う……うまいっ!」

「「えっ?」」


 僕は久々に味わった焼肉の感触に舌鼓を打つ。

 亡くなったおばあちゃんは高齢だったし、家もあまり裕福ではなかったから、こんなに大きな肉を食べたのは本当に久しぶりだった。

 勿論、臭みや硬さはあるけれど思ったほどではない。

 何より「肉を食う」という喜びに打ち震えていた僕は、天使の肉体による強靭な顎で、堅肉(かたじし)を筋ごと噛み砕いていく。


 その様子に、カナリアも、アシュラですらも唖然としている。

 確かに、僕の外見だけなら高潔な天使様という言葉がぴったりで、服飾もカナリアが整えてくれているので、御伽噺のお姫様も裸足で逃げ出すくらいの身なりだ。

 そんな輩が、洞穴の中で狼が捌いた肉塊に、顔を埋めるように喰らいついているのだ。

 まあどれだけ着飾っても、中身は下劣の男なのだから仕方ない。


「カナリア、食べないならその肉貰っていい?」

「え!?」


 僕は自分の貰った分を平らげると、途方に暮れていたカナリアに懇願する。

 カナリアの持つ塊は小さく、せいぜい百グラムあるか無いか程度の物だ。

 それでも彼女は殆ど口を付けられず持て余していたので、奪い取るように受け取った。

 我ながら意地汚いが、どうせ捨てるかアシュラが食べるのだし問題ないだろう。

 

「お、おい!? そんなに食って大丈夫なのかよ!?」

「うん。まだまだいける」


 僕は奪い取った肉に、飢えたブルドッグのように歯を立てていく。

 小顔かつ口も前より小さくなってしまったので、食べるスピードが遅いのがもどかしい。


「ミサキ様……嫌な顔一つしないで……私の分まで……」


 カナリアが僕だけに聞こえるくらいの声で、ぽつりと呟くのが聞こえた。

 そのまま残しておいても勿体無いと思っただけなのだけれど。


「へえ、ミサキ、お前さん見かけによらず豪快だな。なんか気に入ったぜ」

「さっきからミサキ様を呼び捨てにして! 何様なんですか!」

「いいからいいから。別に私は気にしてないよ」

「で、ですが……」 

「お前の親分が良いって言ってんだから良いんだろ。その辺を汲むのも、優秀な部下の役割なんじゃねえの?」


 まだ何か言いたそうにしていたけれど、カナリアはしぶしぶ矛を収めた。

 一方で、アシュラは上機嫌で口元を緩めている。

 少し皮肉っぽいが、嫌味では無い笑い方だ。

 そういえば初めて彼の笑顔を見た気がする。


 その後は特に何も会話も無く、カナリアの見守る中、僕とアシュラは、黙々と焼けた肉を口に放り込んでいく。

 ぱちぱちと焚き火が弾ける音以外、何の音もしない世界。

 当然会話も無いのだけれど、全然不快な感じがしない。

 静寂とは無音ではなく、こういう状況の事を言うのかもしれない。


「お前ら、水飲むか? 雨水溜めてるから汲んできてやるよ」


 不意にアシュラはそんな台詞を言う。

 もしかしたら、飲まず食わずで座っているカナリアに気を遣ってくれているのかもしれない。


「大丈夫です。水くらいなら私でも精製できますので」


 そう言うと、カナリアの全身が蛍火のように幽かに光る。

 目を閉じて意識を集中させ両手を突き出す。

 いつもやっている聖水を精製する姿勢だ。

 瞬く間に、カナリアの目の前にグレープフルーツくらいの水球が表れ、ふわりと空中に静止した。


 カナリアは、波打つ水晶玉のような不思議な水の固まりを、僕と自分、そしてアシュラの前にもきちんと浮かべる。

 なるほど、これなら器要らず。分割すれば脂で汚れた手も洗える。

 とても便利な代物だ。


「へぇ、天使ってのはこんな物が作れんのか。羨ましいこった」


 アシュラは心底驚いた様子だけど、カナリアは少し不満げだ。


「この世界にはエーテルが殆ど無いので、聖水ではなくてただの水ですが……」


 飛行の件もそうだけれど、天界と勝手が違うため、天使はここでは全力を出せない。

 それでも、これだけエーテル操作が出来るのだから、本当に繊細で器用だなあと感心する。

 僕が水を出すと、たちまち破壊兵器になってしまうのに。

 どうやら聖水を作れないことが不満みたいだけれど、喉を潤すだけなら水で全く問題ないだろう。


 ――ちょっと待った。エーテルが少ないという事は……その考えに至った瞬間、僕の脳裏に電気が走った。


「アシュラ! 私からもお礼がしたい!」

「な、何だよ? いきなりでかい声出しやがって」


 僕は前のめりで叫ぶ。

 この世界にエーテルが少ないからこそ、どうしても試したい事がある。

 意識を集中させ、両手を突き出す。カナリアの聖水精製と同じ要領だ。


「はああああああああああっ!!」


 神経が研ぎ澄まされていく。全身が眩い光に包まれる。

 神力が手の先に集中していくのを感じるが、天界と違い手ごたえが鈍い。

 これだ、これを待っていた!


「真の豆腐よ! 顕現せよっ!」


 僕の叫びと共に神々しい輝きが収束し、手のひらの上に四角い物体が残る。


「で、出来た……出来たっ!!」


 僕は歓喜に打ち震えた。

 そう、僕の手の中には、カロリーメイトくらいの大きさのエーテルブロックが出来ていた。

 見た目は今までの豆腐とあまり変わらないが、最大の違いは、強度が消しゴム程度になっている事だ。


 今までどんなに頑張っても、まともに食べられない頑丈な物しか作れなかった。

 だが天界補正が無い今なら、逆にいい感じにゆるくなると踏んだのだ。

 これくらいなら十分食べられる硬さだろう。

 見事成功した目論見に、僕は飛び上がりたい気分だった。


「さあアシュラ! 私のエーテルを食べなよ!」


 僕は内心で狂喜乱舞し、自分の顔を食わせるヒーローっぽくアシュラに豆腐を進呈する。

 

「ミサキ様……」

「カナリアの分も作るからね」


 僕がそう言うと、カナリアの表情がぱっと輝く。

 アシュラにだけ作って、一番世話になっているカナリアに作らない訳が無い。

 すぐに二個目の豆腐を作り、カナリアに渡すと破顔して受け取ってくれた。

 喜んでくれて嬉しいな。

 料理人の気持ちが少しだけ分かった気がした。


 最初は豪華な料理を作るはずだったのに、食べられる豆腐が出来ただけで喜ぶなんて情け無い事だ。

 でも、この豆腐を足掛かりに、いずれは満漢全席を凌駕するフルコースを作るのだ。


「何だこりゃ? 食い物なのか?」

「エーテルブロックですよ。上級天使であられるミサキ様自らが生成されたものです。本当に貴重なものですよ」


 ためつすがめつ豆腐を見るアシュラに対し、カナリアが誇らしげに自慢する。


「ふーん。そんなありがたいモンなのか。そんじゃ頂くぜ?」

「どうぞどうぞ! さあ、二人とも召し上がって!」


 僕が促すと、カナリアはスイーツを前にした女子学生のように、ご機嫌で小さな口で豆腐の角を齧り、アシュラは豪快に一口で食べる。


「「うっ!?」」

「ど、どうかな? 美味しい?」


 人に料理を振舞うなんてこれが初めてだ。

 二人ともぶるぶると小刻みに震えるだけで何も答えない。

 僕は判決を言い渡される被告人のように、裁判官たちの言葉を待つ。


「あ、ああ、そ、その……何つーか……独創的な味だな……」

「そ、そうですね……思わず天界の光景が目の前に浮かんできてしまいました」


 二人は目にうっすらと涙を浮かべ、感想を述べてくれた。

 あまり美味しいわけじゃなさそうだけど、絶望的にまずいと言う訳じゃないのかな。

 カナリアはさっき肉を吐き出していたし、食べられないレベルじゃないのだろう。

 きっとそうだ。

 良かった良かった。


「アシュラさん、私は天界に帰れば自分でエーテルブロックを作れますから。私の分も食べていいですよ」


 そう言うとカナリアは、一口だけ食べた豆腐を、アシュラの空いている方の手に乗せた。

 その動きはまさに電光石火。

 

「カナリア、遠慮しないでいいよ。私の力ならまだ沢山作れるから」

「い、いえ! いいんです! 私は自分でも作れますし、やはりここはアシュラさんに一杯食べさせてあげたほうが!」

「おいチビ! テメエいい性格してんな!」

「二人分作ろうか? なんならあと百個ずつくらい……」

「「もうお腹一杯です!」」


 二人とも同時にそう答えた。

 遠慮はしなくてもいいのだけれど、腹八分目ともいうからなあ。

 今回はテストも兼ねてたし、今度一杯作ればいいか。


「天使ってのは普段こんなもんを食ってやがんのか……救われねえな」


 カナリアのエーテルブロックを震えながら飲み込んだアシュラが、ため息混じりに僕達を見る。

 確かに、カナリアはじめ、下級天使は劣悪な環境に置かれているけれど、アシュラだってかなり救いの無い日々を送っているのではないだろうか。

 アシュラの瞳は、苦虫を噛み潰したような疲労感と、深い悲しみに満ちていて、僕は胸が締め付けられた。

 一体、誰が彼をこんなに追い詰めたんだろう。


「よし! この上級天使ミサキが、アシュラに協力してあげようじゃないか!」

「……いきなり何言ってんだお前?」

「アシュラみたいな人狼がひとりぼっちで、他の連中に見下されてるなんて間違ってる。もっとその才能を活かすべきだよ!」


 判官びいきと言う奴かもしれないけれど、どうしても僕はアシュラに同情してしまう。

 不器用で、ひねくれてて、でも心のどこかで繋がりを求めている。

 この不遇な人狼アシュラに対し、出来ることがあるなら何かをしてやりたい。


「あ、あの? ミサキ様、何故そんな事を?」

「『悪い魔物』を退治して神力が上がるんだったら、アシュラが悪く無くなれば良い。そうすれば悪い魔物は居なくなるし、退治したのと同じことになるよね」

「……本当にそれで良いのでしょうか?」

「間違いないよ」


 今そう決めた。


「お前らな、俺を抜きに勝手に決めてんじゃねえ! 大体、俺みたいな落伍者が群れに戻れる訳ねえだろ!」

「大丈夫。私にいい考えがある!」


 僕は親指をぐっと立て、大きな胸を逸らして言い切った。

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