17話:アシュラ
悪い人狼という単語を聞いた瞬間、アシュラと名乗る人狼の態度が急変する。
全身の真っ白な毛がぶわっと広がり、威嚇をするように体を膨らませる。
「おい、ガキ共。俺が誰だか分かってんのか? 逃げ出すなら今のうちだぜ?」
「私たち、悪い魔物を退治に来たんです! 貴方が乱暴をするというのなら、こちらも容赦しません!」
カナリアはアシュラの挑発に対し一歩も引かない。
黒い人狼相手に、いい勝負が出来たのが自信になっているみたいだ。
鋭い眼光でアシュラを睨み、背中に小さな灰色の羽を出現させる。
これがカナリアの本気モードらしい。
はじめて見た時に比べて、カナリアの翼は二回りほど大きくなっている。
僕と行動を共にしているだけで力が付くと言うのは、お世辞ではなかったらしい。
唐突に変化したその姿に、アシュラも少しだけ驚く。
「へぇ……どうやら人間じゃねえってのはマジらしいな。でも、とても強そうには見えねえがな」
「森の人狼達に出会った私たちが、無傷でここに居るのを見ても、まだそう思いますか?」
「……なるほどね。そんじゃ天使様がこの悪党を成敗にしきたって訳か。いいぜ、てめえらを殺すか、俺が死ぬか。二つに一つって訳だ」
そう言うと、アシュラは抱えていた動物と、魚の入ったビクをどさりと下ろす。
そして威嚇するように、巨大な口をがばっと開ける。
口の中には鋭利なナイフみたいな牙がずらっと並んでいて、人間の頭くらいならすっぽり丸ごと入ってしまいそうだ。
「ミサキ様! ここは私にお任せくださいっ!」
言うが早いか、カナリアが大地を蹴る。
それを合図に、アシュラも疾風の如く獲物に襲い掛かる。
「ちょ、ちょっと待った!」
カナリアもアシュラもありえないほどの速度だけれど、僕はそれ以上に素早い。
殆ど考えも無しに、僕は二人の間に割って入った。
「あ痛っ!」
前からはアシュラの鋭い歯。
後ろからはカナリアの鉄拳。
二人のまるで容赦の無い一撃を貰ってしまったが、今の僕は見かけによらず異常にタフだ。
ちょっと小突かれた位にしか感じない。
「ミサキ様っ!?」
カナリアが驚きと狼狽のない交ぜになった悲鳴を上げる。これはまあ予想通り。
「お、おいっ!? 何やってんだてめえ!?」
驚いたのは、僕の腕に噛み付いたアシュラがすぐに口を離した事だ。
アシュラは敏捷な動作で、数メートルほど後ろに跳んだ。
「私達は、まだあなたが悪い理由を聞いていなかったので」
黒い人狼達がアシュラを一方的に悪いと言っていただけで、僕達はアシュラが悪い理由を聞いていない。
分からないまま処刑斧を振り回すのは、僕の好みじゃない。
「ミサキ様っ! 申し訳ありません! ああ……私なんて事を……!」
「平気だよ。飛び出したほうが悪いんだから」
カナリアは泣き出しそうな表情で僕に縋りつくけれど、本当になんとも無い。
アシュラに噛まれた腕も少しちくっとしただけで、もう傷は塞がりかけている。
というか、全く血が出ない事に驚いた。
天使は死ぬと光の粒子になるらしいし、人体とは構造が違うのだろうか。
「お、おい……! 大丈夫か!?」
噛み付いた当人であるアシュラは暫く呆けていたが、慌てて僕に近寄ろうとする。
カナリアは僕を守るように前に出ようとするが、片手でそれを遮る。
「私は大丈夫。それより教えて欲しいんだけど、あなたは本当に悪い魔物なのかな? 何故、他の人狼と離れて暮らしているの?」
みんなが悪いと言うんだからさっさと倒してしまえばいい。
そういう事もあるかもしれない。
でも、僕は一度気になった物は、最後まで放っておけないタイプなのだ。
自分でいうのも何だけど、頑固で非常に面倒くさい性格だと思う。
「へっ、俺が悪いのなんて、俺が俺だからに決まってるじゃねえか!」
「答えになってないよ?」
「うるっせえな! 俺の体を見ろよ!」
アシュラは怒鳴り散らし、両手を広げ大の字のポーズを取る。
「別に普通の狼男だと思うけど……」
「馬鹿野朗! 白い人狼なんて気味悪いだろうが!」
アシュラは地団太を踏んで怒鳴る。その怒気に思わず反応しようとするカナリアを後ろに抑えつつ、僕は問う。
「カナリア、どう思う?」
「へ……? 何がですか?」
「アシュラ、善悪抜きで見て、気持ち悪いと思う? 私は綺麗だと思うけど」
僕のその質問に、カナリアもアシュラも固まる。
何か変なこと言ったかな。
「あ、あの……アシュラ、さんは、外見だけならお綺麗だと思います」
外見だけならと付け加えつつ、一呼吸置いてカナリアがそう答えた。
僕もそう思う。アシュラの純白の毛皮は、少し傾いた陽光を反射して、全身が光っているように見える。
とても神々しい姿だと思う。
「はあ!? 頭おかしいんじゃねえのかてめえ? こんな場所でやたら着飾ってるしよぉ……」
僕は本心から答えたのだけれど、アシュラはぶつぶつとそう呟く。
先ほどまでの怒気は感じられず、毒気を抜かれたような歯切れの悪い返事だ。
あと、僕のドレス姿に関してはあまり突っ込まないで貰いたい。気にしてるんです。
「で、他には?」
「……何が?」
「色が白いのは分かったけど。それで?」
「それでって……何だよ?」
「だから色が白くて気味が悪くて、それで何が悪いの?」
「……そりゃ、悪いから悪いに決まってるだろうが」
「そんな哲学的な事言われても、私には分かんないよ」
「いちいち細けえ奴だな! 俺なんかどうでもいいだろ! お前が強いなら、さっさと俺をぶっ殺せばいいじゃねえか!」
アシュラはそう言うと、面倒くさそうに頭をガリガリと掻いた。
投げやりなこの態度、どこかで見たような――ああ、そうだ。この感じ、死ぬ前の僕に似ているんだ。
何もかもどうでもいい。
命終わるならさっさと終われ。
アシュラの言動には、そういう退廃的なオーラが篭っている。
「ミサキ様、倒してしまうなら早くしたほうが……」
「いや、やっぱり止め。アシュラ、お騒がせしました」
「「えっ?」」
カナリアとアシュラ、二人の声が重なる。
「お、おい待てよ!? お前らは俺を殺しにきたんだろうが!」
「死にたがる者を殺すのは嫌ですから」
「ああ……?」
アシュラが訝しげにこちらを見る。
何となくだけど、彼は最初から、破滅するために襲い掛かってきたような気がするのだ。
強い力を持つ抗えない何かが現れて、自分のくだらない人生を終わらせてくれると思ったのかもしれない。冗談じゃない。
自分の命の使い方も、終わらせ方も、選べるのなら自分で決めるべきだと思う。他人の自殺の道具になる気は無い。
「カナリア、無駄足になっちゃってごめんね」
「え、あ、あの……? 神力の強化は……?」
「やっぱり私、荒事に慣れてないみたい。もっと別の方法を探そう」
「はあ、ミサキ様がそう仰られるなら……」
僕はカナリアを前に促し、アシュラに背を向ける。
無防備極まりないが、彼の気持ちを逆撫でしてしまったことに対する謝罪と、危害を加えないとアピールしたかった。
この位置なら、僕が襲われても、カナリアは逃げられるだろう。
けれど、アシュラはただ僕達を見送るだけで、襲い掛かってくる気配は無い。
「待てよ」
数歩歩くと、後ろから声が掛けられた。
「おい、でかいの。お前、名前は何て言うんだ?」
「私はミサキ、一応この娘、カナリアの保護者です」
「……寄ってけ」
「……え?」
「だから、俺ん家に寄って行けって言ってんだよ。さっき噛んじまったから手当てしてやる。嫌なら来なくてもいいぜ」
アシュラは一気にそう捲くし立てると、彼の住処である穴倉へとさっさと引っ込んでしまった。
「ミサキ様、行く必要ありませんよ。罠かもしれませんよ」
「うーん……」
僕は悩む。はっきり言って噛まれたところは殆ど塞がっていて、もうなんとも無い。
別に行く必要は無いのだけれど、『来てくれ』と言っているような気がするのだ。
一人きりで暮らしていると、無性に人恋しくなる。
僕とはまるで違う感じだけど、何というか、天使の力とは関係ない『ぼっち仲間』の波動を感じとってしまう。
哀しい能力だった。
「よし、行こっか」
「え!? ほ、本当に行くんですか!?」
「大丈夫、私が守ってあげるから」
「そうじゃなくて、別に行く必要ないじゃないですか!?」
「まあ、いいからいいから」
それに本当のところを言うと、異世界に住む物の生活を覗いてみたいというのもある。
以前の僕なら恐怖心が勝り、回れ右をしていただろう。
でも、今の僕は力があるせいか精神的に余裕があった。
折角貰った機会なのだ、出来る限り楽しんでおきたい。
「うう、仕方ないですね……」
僕がすたすたと歩いていくと、カナリアも渋々僕に従った。
「遅えぞ。ちょっと待ってな」
僕達がアシュラの洞穴に入り込むと、彼は何やら石のようなものを打ち合わせ、小さな種火を作っていた。
さして時間も掛からず、種火は大きく燃え上がり、広い洞窟の石壁を橙色に染める。
コンロで火を起こしている僕にとって、こうした物は新鮮だ。
カナリアは赤い炎が珍しいのか、警戒心すら忘れ、姿を変え赤々と燃える炎をじっと覗き込んでいる。
「へえ、上手だねえ」
「へへ、お嬢さん方は見たことねぇか?」
僕が褒めると、アシュラは口元を緩めた。
心なしか、尻尾も少し揺れているように見える。
「俺は森の馬鹿共とは違ぇんだよ。あいつら、俺が火を起こしたら悪魔呼ばわりしやがった。使い方を間違えなけりゃ便利だってのにな」
アシュラは忌々しげに語る。彼の火に枯れ木をくべる姿は実に手馴れていて、毛むくじゃらで、ごつい指先から想像できないほどに繊細な手つきだった。
「ほら、腕出せ」
アシュラがぶっきらぼうに言う。
その声はいい加減な物だったけれど、悪意は感じられない。
「ミサキ様になんて不遜な態度を……」
カナリアの怒りメーターがどんどん溜まっていくが、とりあえず、僕は彼女の頭を撫でて宥める。
そのままアシュラのいうとおり、僕は素直に腕を差し出す。
「何だよ。殆ど怪我してねぇじゃねえか。お前どんな体してんだ……」
「体力だけはあるので」
「そういう問題か? 人狼に噛みつかれたんだぞ?」
そう言いながら、アシュラは僕の腕に湿った葉っぱのような物をぺたぺたと貼り付けていく。アシュラ曰く、化膿止め、血止めの効果があるらしい。
洞窟の横にはでこぼこした穴が開いていて、他にも色々な薬草などを詰め込んでいるのだとか。
「アシュラは物知りだね」
「けっ、自分でやらねぇと、怪我しても誰も助けちゃくれねえからな」
面白くも無さそうにアシュラは言い放つ。
「あ、あの、アシュラ、さん?」
「なんだチビ?」
チビと言われ、カナリアがむっとした表情をする。
「チビじゃありません! カナリアって言います!」
「わーった、わーったからムキになるな。で、何だよ?」
アシュラは特に怒る風でもなく、顔を赤くして怒るカナリアに付き合ってくれている。
「アシュラさん、それほど悪い魔物に見えないんですけど……」
「あのな、お前らにはわかんねぇかもしんねえけど、こんな体じゃ暗闇に紛れても目だって仕方ねえ。俺が居ると狩りの成功率が下がるんだよ。かといって、体力もあるほうじゃねえしな。居るだけで悪いって訳さ」
僕は唸る。天界だと白は何よりも素晴らしいと賞賛されるのに、こっちだと白色は差別の対象らしい。
「でもさ、実際に狩り出来てるじゃない」
「ああ、こいつのことか?」
そう言うと、アシュラはもこもこした、羊と子豚の混じったような奇妙な動物を目の前に付きつけた。
既に息絶えていて、首元は赤く染まっている。
「こいつは罠を使って捕ったんだ。俺一人じゃ大型の獣は狩れねえからな」
「罠?」
「ああ。俺たち人狼はな、集団で獲物を追い立てて狩りをするんだ。でも俺は一人だろ? だから落とし穴を掘って、底の方に食い物を置いとくんだよ。そうすりゃ獲物は逃げられねぇ。後は上から石でも落として、とどめだけ刺せばいいってわけだ」
集団で襲い掛かるより、そっちのほうが効率が良さそうだけど、アシュラは特に誇る様子も無い。
アシュラにとって、一人で生きていくために仕方なく学んだもので、むしろそれしか出来ない自分に納得が行っていないのかもしれない。
「ところでお前ら、腹減ってねえか?」
「まあ少しは……」
「そうか、そんじゃ下処理するからよ、ちょっと待ってろや」
そう言うと、アシュラは仕留めた獲物を引き摺って外に出る。
僕は大体想像が付いたが、カナリアはアシュラが何をするのか分かっていないようで、不思議そうに小首を傾げる。
アシュラはそのまま洞穴から少し離れた場所まで移動すると、おもむろに鋭い爪を突き立てた。
天然のナイフは、獲物の亡骸をやすやすと切り裂き、中に詰まっていた、健康的なピンク色の臓物がもりもりと地面に零れ、草原を赤く染める。
血抜きは既に終えていたのか、思っていたより血は流れていない。
「ひっ!?」
カナリアが顔を青ざめさせて、僕の後ろに隠れる。
確かに女の子が見るには少々グロテスクな内容だ。
「ひ、ひどい……!」
「ひどい? 天使様ってのは他の命を奪わねえのか?」
「そんな事はしません! 私たちはエーテルだけで生きていけるんです!」
「殺さなくていいってのか。そりゃお綺麗なこった。だがな、俺達みたいな下等な生き物は、他の命を食わないと生きていけねえんだよ」
アシュラは不機嫌そうに言い捨てると、そのまま解体作業に戻った。
皮を剥ぎ、骨を引きちぎり、爪と牙を器用に使い、かつて生命だった物を、拳大の肉塊に変えていく。
カナリアはとても見ていられないのか、僕の背中にしがみ付いて小さく震えている。
僕はというと、アシュラの作業をただじっと眺めているだけだった。
日本で暮らしていた時も、当然肉や魚は食べていたけれど、こうして見ていると、気持ち悪いのと同時に、何となく厳粛な気持ちになる気がする。
大して時間も掛からず、アシュラはブロック肉の固まりを抱え、住処の中へ戻っていく。
カナリアは、返り血で赤く染まったアシュラにすっかり怯えきってしまい、終始僕のドレスの裾を掴みっぱなしだった。
穴倉に戻ったアシュラは、ブロック肉を太い枝に突き差し、先程起こした火元に並べていく。
「生き物をバラバラにしただけじゃなく、火で焼いていくなんて……」
「バーカ、火を通さなきゃ腹に悪いだろうが。どんな寄生虫が居るか分からないんだぜ。さっきも言ったが、群れの馬鹿共と違って、俺が苦しもうが誰も助けちゃくれねえんだ」
アシュラは先ほどとは違い、苦笑しながら言い放つ。
多分、僕達のお花畑な思考回路に呆れているのだろう。
ぱちぱちと弾ける炎に炙られ、脂の乗った肉がじゅうじゅうと焼けていく音が心地よい。
煙に乗って漂ってくる香ばしい匂いに、僕はごくりと唾を飲む。
ちらりと横を見てみると、カナリアの顔は、薄暗い洞窟の中でも分かるくらい蒼白だ。
アシュラは暫くの間、地面に差した串の位置を変えたりしていたが、その内の一本を引っこ抜き、こちらに迫る。
「食うか? うめえぞぉ?」
からかうような口調で、アシュラはこんがりと焼けた肉を僕の鼻先に突きつけた。
皮肉たっぷりの表情は、狼というより狐のようだ。
「食べませんっ!」
「食べますっ!」
カナリアは大声で怒鳴ったが、それをかき消すほどの声で、僕は手を上げながらそう答えた。




