16話:人狼
落とし穴を抜けると、そこは異世界でした――などと悠長な事を言っている場合では無い。
神器という名の液タブをタッチしたら、唐突に異世界に飛ばされてしまった。
いきなり目の前に現れた天界とはまるで違う世界に、僕もカナリアもしばし呆然と立ち尽くす。
「す、凄いです……! 色の洪水ですよ!?」
カナリアは暫く口をぱくぱくさせた後、素っ頓狂な声を上げる。
僕達が今いる場所は、樹の上に樹が生える程の鬱蒼とした密林で、上を見上げても、緑の天井に遮られ太陽の光は殆ど注ぎ込んでこない。
僕もこんな原生林みたいな場所に立ち入ったことは初めてだけれど、白と灰色、それに空の青しか見た事が無いカナリアには、殊更驚きだったようだ。
にしても、ワンクリックで異世界にすっ飛ばされるとは、少々インターフェイスが不親切すぎるのではないか。
振り込め詐欺ですら、メールとかでワンクッション挟むのに。
「よし、ちょっとサポセンに文句を言おう」
「さぽせん? あの、ミサキ様、一体何を……?」
ここで立ち尽くしていても仕方が無い。
僕はカナリアが抱えていたタブレットを受け取って、ヘルプが無いか探す。
よく見ると、アイコンの中に、相当頑張れば電話の受話器に見えなくもない下手糞なアイコンを発見した。
若干不安に感じつつタッチすると、番号を入力する画面が出てきたので、デスクトップの壁紙にある、ミミズがのたくったような字で書かれた電話番号の数字を打ち込む。
電波もへったくれも無さそうな世界だが、駄目元だ。
「もしもし?」
「わあっ!?」
どうせ誰も出ないだろうと思っていたら、一コールもせずに相手が出たので驚いた。
液晶画面の中央に四角い枠が表示され、成人らしき女性の姿が写っていた。
染めているのだろうか、ムラのある長い金髪をポニーテールで束ね、ツナギのようなよれよれの服を着ている。
凄い美人ではあるのだけれど、周りの要素が全てを台無しにしている感じだ。
「んん? 何だ、ケツァールじゃないのか? 君は誰だい?」
「ええと、そちらさんこそ、どなたでしょう?」
「……君はあれだね、神様に対して敬意という物がまるで無いね。大物なのか馬鹿なのか分からん」
「え……? 貴方、神なんですか?」
「そうだよ。どう見ても神様に決まってるじゃないか」
画面の中の女性はあっけらかんと言い放つ。
てっきりケツァールさんみたいな、いかにもな仰々しい存在だと思っていたのに。
これじゃそこらへんに居る、だらしない女子大生とかにしか見えない。
「で、君は何だい? 魂の感じだと天使のようだけど、少し変わっている気もするねぇ」
「私は上級天使のミサキと申します。横に居るのは下級天使のカナリアです」
「ふむ……見先、御前ね……良い名前じゃないか」
「どうもありがとうございます。じゃなくて、ちょっと聞きたいことがあってですね……」
そして僕は、これまでの経緯をざっと説明する。
金髪ポニテの神様は僕達の動揺っぷりを無視し、自分の作品が正常動作したことを喜んでいたけれど、こっちはそれどころではない。
余談だが、何故カナリアの手にタブレットが渡ったのか聞かれたので教えたら、『あの引きこもり……奴らは新しいものに目を向けないから駄目なんだ』などとぶつぶつ文句を言っていたが、そこはスルーした。
ケツァールさんをここまでボロクソに言えるのは、やはり同格だからなのだろうか。
「ふむ、門を起動したのだね。それは文字通り、異世界の門となるアプリさ。さらに、持ち主の力量に対し適切な討伐対象を選び、近くに送ってくれる機能もある優れものだよ。今の持ち主はそこの下級天使ちゃんのはずだから、倒すだけならミサキ君に任せておけば、特に苦労もしないだろう」
「討伐って……最初からそこまで計算に入れてるんですか?」
「そりゃそうさ。天使が他の世界に行くなんて、足りない神力稼ぎのために、仕方なく悪い魔物退治に出かける程度の物さ。もちろん、他の用途で使ってもらっても全然問題ないけど」
ただの胡散臭い液晶タブレットだと思っていたのに、まさか本当に世界を繋ぐものだったとは恐れ入る。
「あ、そうだ。大事な事を言い忘れていた」
「……何ですか?」
マイペースで話す神様にいい加減うんざりしていたのだけれど、ディスプレイに写る顔がいきなり真面目な表情になる。
こうしていると少しだけ神様っぽい。少しだけど。
「いいかい? 確かに魔物退治――悪い縁や魂を摘み取る事は、基本的にはその世界に良い影響をもたらすし、君達の神力強化に繋がるだろう。だが、それが必ずしも良い結果になるとは限らない」
「良い影響が現れるのに、良い結果にならないって……どういうことですか?」
「その世界で『悪』と定義されているものが、本当に悪い物とは限らないということさ。正義から見れば悪はそのまま悪役だが、悪役から見たら正義のほうが悪だろう? その辺を良く考えて行動していく事が、世界と上手に付き合っていくコツだよ」
金髪ツナギの神様は、分かったような分からないような、意味不明な事を言い出す。
敵の敵は味方とか、そんな感じなのだろうか。
「さて、他に用事が無いなら、この辺で切らせてもらうよ。またいつでも掛けてくるといい。皆に私の携帯番号を教えたのに、誰も掛けてこなくて泣きそうだったんだよ。じゃーねー」
帰るときはまた門を起動すれば大丈夫だから、と言い残し、一方的に通話が切れる。
何だか随分フランクな神様だったな。
「ミサキ様、お話は終わりましたか?」
「うん。私も戦った事とかは無いけれど、聞いた話だとそんなに怖くも無いらしいよ」
僕がタブレットに話しかけている間、カナリアは後ろで不思議そうに眺めていた。
僕は普通にチャットをしているような感覚だったのだけれど、カナリアから見たら神器を使いこなし、神と対話しているように見えたのかもしれない。
「そうですか。今話されていた感じですと、近くに魔物が住んでいるようですが……」
そんな話をしていると、茂みの奥から何物かの気配を感じた。
「お、ほらな、やっぱり居たぜ。俺の言う事聞いてよかっただろ?」
「ぎゃははははは!! 餌だ! 餌が飛び込んできやがったぜぇ!」
「人間の牝だぁ! 犯せ! 食い殺せ!」
世紀末に流行りそうな台詞をまくし立てているのは、屈強な狼男たちだった。
体の作りは人間に近いけど顔は狼で、二メートル近い巨体にふさふさの長い尻尾、全身が真っ黒な剛毛に覆われ、獲物を切り裂く鋭い爪に鋭い牙もある。噛み付かれたら痛そうだ。
そんな連中が十数匹も出てきたのだから、僕は若干怖気づいたが、なるべく顔に出さないよう努力する。
「あのですね。私たち魔物退治しに来たんですけど、あなた達、悪い魔物ですか?」
「ああ? 何訳わかんねぇ事言ってんだボケ。お前らはここで食われるんだよ」
僕が頑張って穏便に物事を進めようとしているのに、狼男達はまるで意に介さず、じりじりと距離を詰めてくる。
「おい姉ちゃんよ。痛い目見たくなかったら、自分で服を脱いだほうがいいぜぇ?」
そんな台詞を言いつつ狼男の一匹が、下卑た笑いを浮かべて迫ってきた。
自分が男だったからか何となく分かるのだけれど、頭の中でよからぬ想像をしているに違いない。
狼男なんだから狼女も居るだろうに、人間の女の子に発情出来るなんて、二種族に性欲があって羨ましいなあ。
「ミサキ様に汚らわしい視線を向けるなんて! 許しませんっ!」
僕がくだらない事を考えていたら、何故か激昂したカナリアが、狼男たちの群れに疾風の如く飛び掛かった。
カナリアは小柄な容姿から想像できないような、猫科の肉食獣を思わせる実にしなやかな動作で、一番近くの狼男のみぞおちに容赦の無い蹴りを叩きこむ。
不意を突かれた哀れな狼男君は、悶絶しながら地面に突っ伏す。
「私、体術はそこそこ出来るんです! あなた達の狼藉、許すわけには行きません!」
「ふざけやがって! 野郎ども! この小娘共を滅茶苦茶にしてやれ!」
僕の平和的意思はまるで無視され、戦いの火蓋が勝手に切って落とされた。
大人と子供以上の体格差があるのに、カナリアは一対多数を思わせない奮闘振りを示す。
討伐対象がカナリアの力量に合っているというのは本当らしい。
そう言えば、最初にカナリアを見かけたときも、モア達相手に殴りかかっていたっけ。
控えめに見えて、意外とアクティブな要素を持っているんだなあ。
「うおおおおっ! ぶっ殺してやる!」
「触らないで下さい」
「ぐああああああっ!?」
何人か僕のほうに突っ込んできたので、とりあえず一番近い奴を軽く突き飛ばした――つもりだったのだが、狼男は、まるで昔のボクシング漫画みたいに十数メートル吹っ飛び、泡を吐いて失神した。
カナリアと揉み合っていた狼男の群れが、しん、と静まり返る。
そりゃこんな貧弱そうな女が、自分達の仲間を瞬殺したらびっくりするだろう。
「お、おいてめえら! そっちのチビはいい! こいつを全力で潰せ!」
狼男たちのリーダーらしき輩が、標的を僕に定めたようだ。
もう観念するしか無い。
興奮しながら襲い掛かってくる獣たちに対し、僕は腕を捲くった――。
◆ ◇ ◆
「いきなり暴力振るっちゃ駄目ですよ? 反省しました?」
「ず、ずびませんでした……」
半死半生の狼男たちは、ちょうど犬が伏せをするみたいな姿勢で、横一列にずらっと並び、泣きながら僕に謝罪していた。
そもそも最初に暴力を振るったのはカナリアだし、僕も暴力で解決したので人のことは言えないが、とりあえずその意見は封殺する。
「で、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「な、何すか?」
地面に伏せたままの狼男君たちに近寄る。
あんまり上から目線にならない様にしゃがみ込んだのだけれど、彼らは数歩後ずさり、耳を伏せ、尻尾を丸めてしまった。完全に怯えている。
「君達、悪い魔物なのかな? その場合、退治しないといけないんだけど」
「お、俺達は悪くねぇよ!」
「そ、そうだ! 俺達はちょっとやんちゃなだけなんだ!」
狼男君たちは、必死で俺達は悪党じゃないとアピールする。
正当防衛で倒してしまうという選択もあるのだけれど、先ほどの神との会話が気になるので、とりあえず情報を仕入れることにしよう。
「ミサキ様! この者たちは、恐れ多くもミサキ様に劣情をぶつけようとした悪党です。今すぐ断罪しましょう!」
「カナリア、ちょっと落ち着いて。別に私、怪我とかしてないし……」
「駄目です! ミサキ様に下劣な欲望を向けた罪、万死に値します! 殺します!」
「た、頼むっ! 命だけは助けてくれぇ! 俺には腹をすかせて家で待ってる七人の子供たちが居るんだ!」
鼻水を垂らしながら号泣する狼男達を見ていると、さすがに可哀想になってくる。
というか、このシチュエーションだと僕達のほうが悪役っぽい。
確かに彼らは凶暴なのかもしれないけど、狩りやすい獲物に襲い掛かっただけなのかもしれない。
ただ、その獲物が想像以上の化け物だっただけだ。すみません。
「そ、そうだ! 悪い奴なら別に居るぜ!」
怒り狂うカナリアを、羽交い絞めにしながら思案していると、狼男達の中でも特に大きな一匹――恐らく大将格が、唐突に喋り出す。
「う、ウソじゃねえよ? 俺達とは全然違う、頭がおかしくて凶悪な奴が居るんだ! 殺すんならそいつを殺ったほうが世の中のためになると思うぜ? だ、だから俺達を見逃してくれよ、なっ?」
そう言って狼男のリーダーは命乞いをする。
他の狼達も、壊れた人形のように首を縦に振る。
そんな凶悪な奴と対峙するのは嫌だけれど、元々この世界に来たのも、世界に仇名す害獣を狩り、カナリアの神力を強化するためだ。
どうせ倒すのなら、極悪の方が世のためになるというのは間違って無い、と思う。
「その悪い奴ってのはどこにいるの?」
「あ、ああ、そいつは俺達と同じ人狼なんだがよ、群れから離れて暮らしてる。ここからちょっと行った所にでけえ岩があるんだが、奴はその隙間を住処にしてやがる」
「そっか、ありがと」
一通り情報を聞き終えると、僕はカナリアをお姫様抱っこの要領で抱きかかえ、ふわりと宙を舞う。
この世界は天界と違いエーテルの密度が少ないらしく、下級天使のカナリアの力では、上手に飛行が出来ないそうだ。
ちなみに僕は内包する力が凄まじいせいか何とも無いので、こうして抱えていく方が早い。
「ミサキ様、申し訳ありません……」
「別にいいよ。しっかり掴まっててね」
「は、はい……」
空に浮かんだ僕達を、人狼達は幽霊でも見たように呆然と眺めていたが、カナリアが威嚇するように睨みつけると、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ去った。
人狼は放っておく事にして、そのまま森の天井を突き抜け、青空の広がる世界へと飛び出す。
「わぁ……凄いですね! 世界がこれほど綺麗だなんて、私、知りませんでした!」
「うん。壮観だねえ」
化学物質や排気ガスに汚染されていない空気は、まるでそれ自体がきらきらと輝いてるように見えた。 澄み渡る日差しをたっぷりと受けて育った、美しい木々の緑の合間を、青々とした清流が縫うように流れている。
森の中央には、ぽっかりと穴が開くように木が無い部分があり、蔦や枯れ草で作ったテントのようなものが幾つか見えた。恐らく、あれが人狼たちの集落なのだろう。
インターネットなどで、航空写真を見た事はあるけれど、五感で感じ取る世界は想像以上に新鮮だ。
天界の真っ白な景色も美しいけど、この世界もまた美しい。
俯瞰して見る広大な景色に、僕とカナリアはすっかり魅了されていた。
とはいえ、これから凶悪な魔物の元に向かわねばならないので、あまり暢気にもしていられない。
地図の縮尺を変えるようにどんどん高度を上げていくと、緑の森の絨毯を抜け、黄緑色の草原が現れる。
その草原の片隅に、ごつごつとした岩らしき物を見つける。
恐らくあれが人狼達の言う『ちょっと行ったところ』なのだろう。
「全く、これだから田舎のちょっとは嫌なんだ……」
僕は内心で悪態をつきながら、大空を舞う鳥のように空を翔ける。
自動車並みのスピードを出せる僕の飛翔速度でも、広い森を抜けるのにそれなりに時間が掛かった。
身を隠す場所が無いので、仕方なく巨大な岩の近くに着地し、カナリアを地面に下ろす。
下ろした時にカナリアが名残惜しそうな表情をしていたけど、気のせいだろうか。
平原にぽつんと置かれた巨大な岩の塊は、大昔からあるのか所々風化していて、まるで巨人の墓石のように見えた。
そのまま抜き足差し足で少しずつ近づき、巨岩に穿たれた横穴を覗きこむ。
「あれ? 誰も居ないね?」
「誰も居ないみたいですね……」
中は暗くてよく見えないが、藁のようなもので出来た家具や、囲炉裏のようなものもある。
確かに、何物かが済んでいる痕跡があった。
「おい、何だてめぇら?」
穴倉を覗くことに注意を向けていて、完全に後ろががら空きになっていた僕たちは、その声にびくりと体を震わせる。
慌てて後ろを振り向くと、少し離れた場所に、一人の人狼が立っていた。
片手には羊と子豚の混じったような動物を抱え、もう片手には、草で編んだ、魚を入れるビクのような物を持っている。
「何で人間の牝、しかもガキ共がこんな場所に居るんだ? もしかして迷子か?」
「ガキでも迷子でもありません! 私たちは天使です!」
「はぁ? 天使? お嬢ちゃん……頭大丈夫か?」
ぷりぷりと怒るカナリアに怪訝な視線を送る人狼は、森で見た者たちと大分印象が違う。
どちらかというと華奢で、僕達に向ける視線も、獲物を狙う獣らしからぬ理性的な物だ。
けれど、彼らと比べて一番違うのは――
「あの、白い狼さん、貴方が悪い人狼なのですか?」
そう、彼の毛色は森にいた真っ黒な人狼とはまるで違う。
ふさふさとした艶やかな体毛は、全て真っ白だった。
その白い人狼は、僕の『悪い人狼』という言葉を聞いた途端、態度を豹変させる。
「……てめぇら、俺の事、誰から聞いた?」
「森の人狼さんたちが言っていました! 貴方は狂ってて、悪い奴だって!」
カナリアの言葉に対し、ますます彼の険が強くなる。
眉間に皺を寄せ、犬歯をむき出しにし、威嚇するように唸り声を上げる。
「ああ、そうさ。俺は凶悪な白狼、アシュラ様だ。当然てめぇらも食い殺すぜ?」
アシュラと名乗る白い人狼は、憎しみに満ち溢れた口調で、そう言い捨てた。




