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15話:神器

 聖域で下級天使のために公衆浴場を作る目的は達成したものの、あまりの羞恥プレイに僕は前後不覚に陥っていた。

 しばらくゴキブリの如く下層の隅っこで膝を抱えて沈んでいたが、いつまでもこうしてはいられない。


 別に下級天使たちは僕を晒し者にしようとした訳じゃないし、肉体的には女同士なのだ。

 そう考えると多少は気持ちが楽になり、泣き腫らした跡が残っていない事を確認し、帰路に着いた。


「ミサキ様!? 一体何処へ行かれていたのですか!? 皆、心配していましたよ?」

「ああ、ごめん、ちょっと恥ずかしくて……」


 家に戻ると、大慌てでカナリアが僕に駆け寄ってくる。

 カナリア以外に人の気配は無い。恐らく、イカルちゃんとアトリちゃん、それにツグミちゃんも、聖域に新しく出来たレジャー施設に出かけているのだろう。

 

 一方でカナリアは気が気ではなかったようだ。

 僕がカナリアに丸投げした用件を終えた後、下層中を探し回ってくれたらしい。

 だが結局、僕は見つからず、仕方なく家で待機していたのだとか。

 情けない話だけど、許して欲しい。


「私の方こそ配慮が足りず申し訳ありませんでした。ミサキ様は、これまであまり人前に出る事がありませんでしたものね……」


 そう言うと、カナリアは深々と頭を下げる。

 この子は、僕が凄惨な生い立ちをしていると思い込んでいるので、なおさら気が引けるのだろう。


「いや、それはもういいよ。でも今度からは、みんなが居ない時に聖水を作らせて貰えると嬉しいかな」

「分かりました。その辺りは私の方から下級天使達に告知しておきますね」


 とりあえず、今後は公衆の面前でストリップをさせられる事はなくなりそうだ。

 良かった良かった。


「それで、下級天使達の禊は上手く行ったのかな?」

「ええ! それはもう! 皆の喜びようと言ったらありませんでした! ミサキ様があの場に居られなかったのが本当に残念です」


 禊の話題を出した瞬間、カナリアは頬を紅潮させて語り出す。

 上級天使がわざわざ自分達のために禊の場所を作ってくれた。

 それを聞いただけで、興奮のあまり失神する者まで出たのだとか。

 皆が狂喜乱舞して、通勤ラッシュの電車に飛び込むように温泉に入ろうとしたが、幾ら大きめに作っても、数千単位で存在する彼女らが入れる筈も無い。


 なので、穢れが溜まり重篤な状態になっている者や、疲労の激しいものを優先的に。

 それ以外は、それぞれの居住区ごとに使用時間を分け、百人程度に分けて入るようルールを取り決めたとか。

 ぱぱっとそんなルールを定めてしまうカナリアも凄いけど、それに素直に従う下級天使達も凄い。

 僕は彼女達を、見た目の幼さと卑屈さから烏合の衆と決め付けていたけれど、想像以上に統制が取れている。

 弱い集団だからこそ、助け合い譲り合う、運命共同体になっているのかもしれない。


 これはカナリアが信頼されているからだろうか。

 それとも、上級天使のお触れだから、金科玉条(きんかぎょくじょう)の掟と定められたのか。

 いずれにせよ、予想より混乱せずに済んだようで安堵した。


「それにしても、ミサキ様の作られた聖水は本当に素晴らしいです。あれなら、幾ら下級天使が入っても水が濁ることは無いと思います」


 基本的に、この世界は不浄な物を残さないように出来ている。

 下級天使達に付いている『穢れ』は、僕達が一般的に想像する『汚れ』とは質が違うらしい。

 なので、垢や老廃物といった物で水が腐ったりはしないのだ。


「でも、禊に使うたびに聖水は消耗されてしまいますので、定期的に足し湯をしないといけませんが」

「私は聖水をする時、落ち着いて入れれば構わないよ。水を溜める時にまたカナリアに協力してもらうことになるけど」

「は、はい……ふつつか者ですが、よろしくお願いします……」


 カナリアは恥ずかしそうに目線を逸らし、ほんのりと頬を赤らめ、ぺこりとお辞儀をする。

 なんだろう。言葉の使い方が間違っている気がするけど。


「ねえ、他に私がカナリアのために出来る事は無いかな?」

「あの……それは私の神力を上げる、という意味ですか?」

「うん。聖域の浴場はみんなに評判良くて嬉しいけど、第一はカナリアが成長することだからね」

「そこまで気を砕いて頂けるなんて……本当にミサキ様は慈悲深い方です。ですが、先ほどの神力連結(エーテルリンク)、それに、普段ミサキ様のお世話をさせていただいているだけで、神力は徐々に付いていくのです。だから、それだけでも十分に私は満たされております」


 カナリアはさらに続けて説明してくれた。

 神力の強化は、食事のためのエーテル固定だったり、禊のための聖水作りだったり、とにかく自らの力を具現化させていくことで、徐々に強化していく事が可能らしい。日々の通勤や通学ウォーキングで体力を付けるようなものだろう。


 けれど、純正の天使族達は元々のスペックが高いうえに、下級天使に雑用をやらせ、浮いた分の時間で瞑想したり、エーテル固定の練習に力を割く事が出来る。

 天使族はスポーツジムで専用の訓練を受けているような物なのだ。


 これはもう、絶望的なまでに不利と言わざるを得ない。

 弱者が這い上がるサクセスストーリーなんて、現実では殆ど存在しない。

 否定する人もいるかもしれないけど、最初から持つものと持たざるものの差というのは、それほどに大きい。


 高速道路を優雅に走るスポーツカーを、スクーターが全力で追いかけて勝てるわけが無い。

 もちろんカナリアをパンクさせたくは無いし、それでも道を走り追いかけ続けるしかないのだけど、可能であれば、何とか裏道やショートカットを探したい。


「あーあ、魔物退治とかでさくっと強くなれればいいのになあ……」

「魔物退治……ですか?」


 僕は思わずため息交じりにそんな事を言ってしまう。

 ゲームみたいに敵を何体倒して、経験値を何ポイント稼げばレベルアップみたいなシステムがあればいいのに。

 僕は格闘なんてやったことはないけど、今の僕には女の細腕とは思えぬ怪力と、聖水ビームがあるのだ。


 ほら、聖水とか何となくゾンビとか魔物に効きそうなイメージがあるよね。

 というか、あの出力でウォータージェットを発射すれば、物理的に破壊できそうな気がする。

 無論、そんな都合のいいものがあるわけが無い。

 現実は厳しいなあ。


「ありますよ」

「えっ、あるの?」


 不意打ちだった。いや、まさかあるとは思わなかった。

 てっきりあんな物、ゲームや漫画の中だけだと思っていたのに。

 何事も決め付けは良く無いなあ。


「カナリア、その話、詳しく聞かせて貰っていい?」

「厳密に言うと退治と言う訳じゃないんです。私たちが居るこの場所以外にも色々な世界があって、天使は、様々な世界に介入する事が出来るんです」

「……というと?」

「人や、その他の生命は『縁』というもので結ばれ、複雑に絡み合っているんです。その世界に悪影響を及ぼす『縁』を摘み取ることで、その功績の分、私たちも天使としての格を上げる事ができるんです」

「ふむふむ……」

「でも、世界に悪影響を及ぼす存在なので、凶悪だったり、世間から悪党と呼ばれ、特殊な力を持つ物が多いんです。魔物と呼ばれる存在が特に多く、説得なんて出来ないので倒すしかないのです」

「なるほど、それで『魔物退治』というわけか」

「当然、危険なので基本的に誰もやりたがりません。元々、天使たちが下級天使を作り出したのも、そういった荒事に干渉せず力を蓄えるためだったと言われています」


 総括すると、他の世界に割り込みをかけるのはハイリスクハイリターンな方法なのだ。

 天使族からすれば、わざわざ危険地帯に突っ込み、わけの分からない怪物とがっぷり組み合うより、下級天使という家畜を飼ったほうが効率よく優雅に過ごせる。

 

「よし、じゃあ私たちは、それをやろうじゃないか」

「ええっ!? 凄く危ないかもしれないですよ!?」

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だよ」


 僕の力を過信するわけじゃないけど、やらずにうだうだと過ごすより、一応やってみて、駄目そうならすぐ止めればいいのだ。


「で、でも、もう一つ大きな問題があります。基本的に異世界への移動は、神の許可が無いと出来ません」

「ってことは、ケツァールさんに許可を取らないと駄目ってこと?」

「そうなります。でもケツァール様は、普段は神域に篭っておりますし、恐らく誰にも会われないかと思います」


 何てこった。

 上司の許可が無いと駄目なのに、肝心の上司が出社してこないという投げっぱなし設計だ。

 もしかしたら、自分が作った完璧な世界から出て行く、酔狂な奴がいるなんて考えてないのかもしれない。

 いくら理論上可能でも、実現出来る方法が無いのならどうしようもない。


「そっか……じゃあ地道にやっていくしかないね」

「あ、あの……無いわけじゃないんです。異世界に行く方法」

「えっ!? あるの!?」


 何か僕、さっきから同じ台詞ばかり言っている気がするな。

 八方手詰まりになると、さらっと裏ルートを提示してくる。

 カナリア、恐ろしい子!


 カナリアは隅っこの方の壁に手を突っ込み、銀色に輝く、下敷きくらいの大きさの四角い物体を取り出した。

 その見慣れた、けれど異質な物体に、僕は目を丸くする。


「……これ液晶タブレットじゃないか!?」


 何でこんな物がここにあるんだろう。場違いなんてもんじゃない。

 例えるなら、指輪物語とかに出てくる魔法使いが、懐からいきなりスタンガンを取り出したような物だ。


「えきしょーたぶれっと……? ミサキ様、神器(じんき)についてご存知なのですか?」


 カナリアは目を見開き、驚愕の表情で僕を見上げる。

 むしろ僕には神器という表現がなんだか分からない。

 だってこれは間違いなく液タブで、裏にリンゴのマークとかが描かれてないか、思わず確認してしまった。

 よくよく見ると微妙に違う作りだが、MAID IN CHINAとは書かれていない。


「ねえカナリア……なんでこんな物持ってるの? ひょっとして、この近くにビッグカメラとかあるの?」

「ミサキ様の言われている事が良く分かりませんが……それは神が作られた道具です。なので『神器』と呼んでいるのです」

「ケツァールさんがこれを作ったの?」

「いえ、別の神様です。その方は、魂と縁を管理する事を趣味にされていて、最近、辺境の世界に入り浸っているようなんです。そこの世界にあるものを真似て作ったとの事でしたが」


 何でも、その神様は、元々この世界の天使族だったのだけど、禊とか高尚な芸術にはまるで興味を示さず、世界の魂や縁をいかに上手く管理できるかゲーム感覚で挑戦しているうちに、知らず知らずのうちに神力が付き、神の座へと上り詰めてしまったらしい。


 天使族が神になると、自分の力で好きな世界を構築できる権限が与えられるのだそうだ。

 ケツァールさんはそのまま残り、自分の美しい庭園――天界を管理している。

 反対に、その変わり者の神様は自分の領域を殆ど持たず、最近では辺境の世界に引っ越して、とある魂にちょっかいを出しているんだとか。

 神といっても一枚岩では無いらしい。


 何にせよ、ケツァールさん同様、いい加減で変人であることは間違いないっぽいし、そんなのに絡まれている人には同情せざるを得ない。


「それで、何でその神が作った物をカナリアが持ってるわけ?」

「本当は、ケツァール様に献上された物らしいです。でも、あのお方が興味を示さず、天使族に横流しにしたようで、その後、天使族の方が『神から承ったものだ。ありがたく受け取りなさい』と押し付けられたんです。多分、気持ち悪がって、誰も持っていたくなかったんだと思います」


 なるほど、つまり上司が趣味で作った怪しげな道具を無碍にするわけにも行かず、下級天使に体よく押し付けたという訳だ。

 最底辺のカナリアからすれば、捨てるわけにも、他の誰かに押し付けるわけにも行かず、不気味に思いつつ、そのまま肥やしにしているしかなかったのだろう。


「事情は大体分かったけど、これが何で異世界に行く手段になるの?」

「その神器を無理やり押し付けられた際、天使たちは『これは世界中を繋ぐ道具らしい』と言っていました。言葉通りであれば、世界を渡る機能があると思うのです。ケツァール様と同格の神が作ったものですので、それを使っても咎められることは無いと思います」


 聞いていて眩暈がした。

 多分、『世界中を繋ぐ』という意味を履き違えている。

 

「でも使い方が分からないのです。このボタンを押すと起動すると聞いたのですが、何度やっても動かなくて……やはり私では神力が足りないのでしょうか?」

「ちょっと貸してみて」


 とにかく、神様が作ったのだから、何かしらの役に立つかもしれない。

 思い悩むカナリアからタブレットを受け取り、ボタンを押してみるが、確かに反応が無い。

 もしやと思い、そのまま数秒ほどボタンを押し込むと、静かな起動音がした。


「み、ミサキ様!? 凄いです! まさか神器を起動してしまうなんて!」


 いや、これ単にボタン長押ししないと起動しないだけ。

 これ作った神様、説明書もセットで付けておけばいいのに。

 そんな事を思いつつ、数十秒待つとデスクトップ画面が現れた。

 真っ白な画面にでかでかと「神」と表示され、その下に汚い手書きの携帯番号が書いてある。

 

 美的センス皆無の僕が言うのもなんだけど、これはひどい。

 それに個人情報が駄々漏れである。ていうか、神様って携帯持ってるんだろうか。

 あまりの胡散臭さに僕が顔を(しか)めていると、カナリアは恐る恐る画面を覗き込む。


「な、何でしょうこれ? この絵に飛び込めということでしょうか?」


 不思議そうに覗き込むカナリアを横目に、僕は画面に指を這わせる。

 僕の指先に合わせるように、矢印カーソルが移動を始める。


「ああ、これタッチパネル方式だ」

「え!? ミサキ様、使い方が分かるのですか!?」

「うん、私の予想通りなら大体は」

「神器を一瞬で使いこなすなんて……」


 カナリアは目を輝かせ、尊敬の眼差しを僕に向ける。

 そんな風に褒められても、チンパンジーが棒を使ってバナナを取ったくらいにしか感じられなくて、逆に申し訳なくなるのだけど、カナリアは本気で凄いと思っているようだ。

 ううむ、文化の違いって難しい。


 改めて画面を見直すと、デスクトップ画面には何個かアイコンが並んでいる。

 どれもお手製の荒いドット絵で、凄く頑張って作った感じがして微笑ましい。

 まあ、売り物だったら絶対買いたく無い品質だけど。

 そのアイコンの一つに、『門』という物があったので、何となしにそのアイコンに人差し指を重ねる。


 ――瞬間、僕達の真下に、ぐばっと巨大な黒い落とし穴が現れた。


「ちょっ!? 何これ……!? うわああっ!?」

「ミサキさ……! きゃあああっ!?」


 僕とカナリアは抵抗する間も無く、黒い渦に吸い込まれていった。



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