14話:神力連結
「神力連結?」
カナリアの台詞に、僕はオウム返しに聞き返す。
「私たち力の無い下級天使が編み出した、エーテルを制御する方法です。簡単に言ってしまうと、天使同士で力を混ぜ合わせ、制御の上手な方に任せてしまうんです。私たちの場合だと、イカルとアトリの力を借りて、私がドレスを作ったり、聖水を作ったりしていました」
今までイカルちゃんやアトリちゃんに『手伝って』と頼んでいたのは、手が足りないという訳じゃなく、神力を分けてくれという意味だったのか。
ああ、そう言えば、カナリアの羽は皆で協力して作ったとも言ってた気がする。
一人ひとりの力が弱いので、上手い奴に全部渡してやってもらう方が、目的の物を作りやすいと言う事かな。
「私はエーテル制御はかなり得意ですけど、肝心の力がありません。ですので、ミサキ様に神力を分け与えて頂き、私の方で制御して放出すれば丁度良いのでは無いかと」
なるほど。つまりが僕がダムで、カナリアは水門の開閉・制御してもらう係になるという訳だ。
「それはいいね。じゃあ、早速その方法を試してみよう」
そう言うと、カナリアは再び頬を赤らめる。
一体なんだと言うのだろう。
「そ、その……提案しておいてなんですが、かなり失礼な事になるのですが……」
「ああ、私の立場とかは気にしなくて構わないよ。疲れたりはしてない?」
「い、いえ! それは大丈夫です! 大丈夫なのですが……ミサキ様のお肌に触れさせていただかないと……」
「えっ?」
「神力連結は、天使同士で触れ合わないと渡す事が出来ませんので……」
言われてみれば思い当たる節がある――ツグミちゃんだ。
あの子は下級天使の中でもとびきり小さいのに、独力で手羽先みたいな羽を作ることが出来たし、一人だけつやっつやのお肌をしている。
多分、ツグミちゃんに胸を吸わせたり、よく抱っこしていたせいなのだろう。
知らず知らずのうちに、僕の力を受け渡していたと言うわけだ。
カナリアからしてみたら、目上の存在に握手を頼むような物なのか。
僕としては全然問題無いというか、寧ろ歓迎なのだけれど。
「よし。じゃあやろうか」
「えっ!? ほ、本当によろしいのですか!?」
「良いも悪いも、それ以外方法が無いんでしょ?」
「は、はい。ではこちらへ……」
カナリアはひどく緊張した面持ちで僕を促す。
二人で水の張っていない巨大風呂桶の淵に行くと、僕は彼女に張り付くように、すぐ後ろに陣取る。
「それで、具体的にはどうすればいいの?」
「で、ではミサキ様、わ、私を、抱きしめていただけますか?」
「……握手じゃ駄目?」
「触れ合う箇所が多いほうが、力の受け渡しがやり易くなりますので」
「わ、分かったよ。こ、こうかな?」
僕はカナリアになるべく触れないように、控えめに抱きつく。
僕の中身は男であり、純粋な子を騙しているようでちょっと後ろめたいのだ。
いや、この間、慰めるために彼女をハグしたけど、あれはどちらかというと、雨に濡れた子犬を暖めてやるような感覚で、女性的な部分はあんまり意識しなかった。
自分でも変に意識をこじらせていると思うけど、生きている間に女の子を抱きしめるなんて事がなかったのだから仕方ない。
僕の人生においてそれは越権行為であり、してはならないことだったのだ。
「あ、あの……もう少し密着していただけますか?」
そんな僕の内心などお構い無しに、カナリアはもっと迫れと言う。
「これくらい?」
「も、もう一声!」
「じゃあ、これでどうだ!」
このままだらだらとやっていても仕方ない。
覚悟を決め、バックドロップを決める勢いでカナリアをぎゅっと抱きすくめる。
カナリアと僕はかなり身長差があるので、彼女の髪に顔が埋まる形になる。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、何とも心が安らぐ。
僕は僕で、彼女の首元から後頭部にかけて、無駄に大きな胸をぐいぐい押し付けてしまう。
あんまり大きいのも考え物だ。
「カナリア、本当にこんなに締め付けて大丈夫? 苦しくない?」
「はぁ……いいです……とてもよいです……」
「……あ、あの……カナリア? 本当に大丈夫?」
「な、何でもないです! では開始させていただきます!」
何故か恍惚の表情を浮かべるカナリアに多少不安を感じたが、彼女は目を閉じ、両手を空のプールへと突き出す。
このポーズ自体はいつも自宅の風呂場でやっている、聖水を出すときの構えだ。
暫くすると、僕の体に、微弱な電流を流すような何とも言えない不思議な感触が走る。
恐らく、これが神力を受け渡すと言うことなのだろう。
「ひゃああああ!?」
「うわっ!?」
瞬間、カナリアの両手から滝のようにごうごうと水が溢れ出る。
その勢いは凄まじく、危うく二人して後ろにぶっ飛びそうになったが、僕ご自慢の馬鹿力でぎりぎり踏みとどまる。
「ひええぇぇ!? す、凄い! 凄いです! ふっ飛びそうですー!」
「が、頑張って!」
「は、はいいいっ!」
もう恥ずかしいとか言っている余裕は無い。
僕はカナリアを抱きしめ、豆腐に足がめり込むくらい踏ん張る。ここで僕が手を離してしまえば、カナリアは放水を抑えられず、ネズミ花火みたいにぐるぐる回転しながら吹き飛んでしまうだろう。
カナリアも僕の力を必死でコントロールしているようで、二人でロデオをやっているような気分になる。
まったく、風呂を溜めるのも命がけだ。
そうして僕達は、ものの数分もしないうちに、五十メートル級プールを満タンにした。
カナリアも自宅の小さな浴槽に聖水を貯めるくらいは出来るが、これほど大量の水は、僕の力が無いと出せないらしい。
カナリアが予想していたより遥かに出力が凄かったらしく、いきなり膨大な神力を流し込まれ、ショート寸前になってしまったそうだ。
それでも何とか抑えて込んでくれたのだから、大した技量だと思う。
「流石にこれほど神力があるのは予想外でしたけれど、ミサキ様の神力に体が慣れさえすれば、徐々に上手く制御出来ると思います」
それは良かった。毎回、オロナミンCのCMの如くダイナミックに風呂を溜めるなんて洒落にならない。
「あの、でも今回はお湯を出すので精一杯で、聖水にしている余裕が無かったのですけど」
「十分だよ。水が無くて困ってたんだし」
「そうですか……お役に立てて何よりです」
カナリアが上目遣いで、子犬のように『褒めて褒めて』というオーラを発してきたのが分かったので、彼女の頭を軽く撫でてやる。
どうもこの子は撫でられるのが好きみたいだ。
なみなみとお湯を湛えた豆腐プールの周りには、下級天使達が大量に集まっていた。
凶悪な魔物と格闘するように水を溜めているうちに、聖域からはみ出す程の数になっている。
「さて、じゃあここからは私の仕事だね。この温水を聖水に変化させて、皆に入ってもらおう」
「ではミサキ様、失礼してお召し物を……」
そう言うとカナリアは、おもむろに僕の後ろに周り、ドレスの紐を緩めて……ってちょっと待った。
「あの、カナリア……一体何を?」
「……? 服を脱がさせていただいているのですが?」
「いや、だから何でいきなり服を脱がせるの?」
「ミサキ様が聖水を作られるという事は、この温水に体を浸されると言うことですよね? 服を着たままお風呂に入るわけにはいきませんが……何か間違っていますか?」
そりゃそうだ。何一つ間違ってない。
「あ、あのね。私はその……誰も居ない時に一人で入ろうと思っていたんだけど?」
「何故そのような事をするのですか? 皆、禊もそうですが、ミサキ様のお姿を一目みたいと集まったものばかりです。どうかご謙遜なさらないで下さい」
下級天使達にとって僕は象徴であり、ダビデ像とか、ミロのビーナスとか、宗教画とか、清らかで穢れない物を見る感覚なのだろう。
だから僕がこの場で裸体を晒す事は、下級天使にとっては卑猥な事では無く、寧ろ全裸=卑猥という発想をしている僕がこの場では異端であり、邪な考えを持っているのだ。
だが待って欲しい。周りからどう見えていようが、僕の中身は男性なのだ。
何故、女子児童の衆人監視の中で、ストリップをやらねばならないのか。
「どうしてもここで脱がないと駄目?」
僕が何となしにそう言うと、下級天使たちは明らかに落胆した表情を作る。
例えるなら、物凄く楽しみにしていたイルカショーが、突然中止になってしまった小さい子みたいだ。
それは辛いことだ。
そんな素敵なものが見られないなんて、がっかりしてしまうだろう。
「わ、分かりました……分かりましたっ! さあ皆! 思う存分、私の恥部を見るといい!」
もうやけくそだった。
どちらにせよ、僕が水に入らないといけない事は最初から確定していたわけで、事前にそれっぽい理由を考え、上手く根回ししておけば、こんな羞恥プレイをせずにすんだのだ。
自分の先見の無さに愕然とするが、吐いた唾は飲み込めない。
「ミサキ様がお召し物を……!」
「ああ、なんて美しく可憐なお姿……!」
仕方なく僕は、公衆の面前でストリップショーを開始する。
こういう時は一気に脱いでしまったほうが良いのだろうけれど、僕にはその度胸が無い。
カナリアが手伝ってくれようとしたけれど、さすがにそれは止めて貰う。
顔から火を吹く程の羞恥心に襲われている僕とは裏腹に、下級天使達は神聖な物を讃えるように、ほうとため息を吐いている。
あの人ごみの中から、全然関係ない立場で今の僕を見ていたら、僕も同じような反応をしていたかもしれないが、生憎、僕は僕なのだ。
そう、幾ら脳が拒絶し、逃避しても、これは現実なのだ。
ああ、今だけで良いから露出狂になりたい。
それかもういっその事殺して欲しい。
そうしてぐずぐずと長い時間を掛け、生まれたまんまの姿になった僕は、両手で大事な部分を隠す。
何だか、余計に扇情的なポーズを取っているようで、恥ずかしいなんて物じゃない。
全身の透けるような白い肌が、桃色に染まっているのが自分でも良く分かった。
「(これで聖水になりませんでした、とか言ったらどうしよう……)」
水に入ると聖水に出来るというのはあくまで僕の仮説であって、これだけの量を一気に作りかえられるかはぶっつけ本番だ。
出来なかったらどうしよう。
磔にされて石を投げられるかもしれない。
……と思ったけれど、これは杞憂だった。
僕がちゃぽんと湯船に入ると、一瞬だけぱあっと金色に輝き、再び透明な水へ戻り、桃のようにかぐわしい芳香を放つようになる。うん、予定通りだ。
よし、用事は済んだ。
僕は音速で風呂から飛び出し、カナリアが大事そうに抱えていたドレスをひったくるように奪い取る。
「あ、あの! まだお体を拭いておられませんが!?」
カナリアの困惑した声を無視して、僕は水に濡れた体の上にそのままドレスを着込む。
薄地の布がぴったりと僕の肌に貼り付くが、構ってなどいられない。
「ちょっと用事を思い出した! カナリア、後の説明よろしくっ!」
「み、ミサキ様っ!?」
カナリアや下級天使の返答を待たず、僕はそのままジェット噴射で空の彼方へ飛んでいく。
前と違って、今の僕は空を飛ぶだけならかなり器用に出来るのだ。
「よし、誰も居ないな……」
そうして下層の片隅までぶっ飛んできた僕は、下級天使たちの気配が無いことを確認する。
多分、ほぼ全員が聖域のほうに行っているのだろう。
そして僕は、たまたま見つけた、ごちゃごちゃした灰色の建物の隙間に入り込む。
いい場所だ。狭くて、暗くて、誰にも見られなくて、まるで学校のトイレのようで実に落ち着く。
「ああ……汚されてしまった。これじゃお婿に行けなくなっちゃう……」
自分でも何を言ってるんだか良く分からないが、僕は一人、体育座りのポーズで、傷つけられた男としてのプライドが回復するまで、しくしくと泣き濡れるのだった。




