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心苦しくも私もゆとり世代でございます(1)

人は生まれた時代によって価値観やモノの見方を大きく左右される。個人差はあれど、同じ境遇の世の中を同じニュースを見、同じ流行を肌で感じながら生きてきたのだから、ある一定の特徴を持つ時代集団が現れるのは当然と言えよう。


団塊の世代を始め、バブル世代、氷河期世代と人々は移ろい、今、また新しい世代感を持つ若者たちが次々に社会へと、その一歩を踏み出した。


そう、彼らこそ「ゆとり世代」と呼ばれる、この不景気な日本を生きる若者達である。


いや、そもそも彼らには“不景気”という概念はない。それもその筈、彼らは“好景気”を知らない世代だ。


彼らの呼び名である「ゆとり」は2002年度に行われた学習指導要領による「ゆとり教育」を受けた世代である事に起因している。学校の授業は週5日が基本で、幼少期が情報化社会の成長時期にあたるために、携帯端末などの通信機器が手放せない。加えて、前述した通り景気の悪さからくる将来の不安もあり、高価なものを買わずに自分が納得したものだけにお金を使うという個人主義の強い価値観を持っている。


とまぁ、これがごく一般的な「ゆとり世代」の特徴といえる。

世代感に良しも悪しもありはしない。


しかし、世代の違いは時代背景の影響で、その考え方に大きな違いが出る。だが、それまで生きてきた時代や環境は違えど、皆生きるの“今”だ。


同じ狭い社会の中を生きる中で、その変化は互いの不理解から摩擦や軋轢を生む。


しかし、違いが生むのはそのようなものばかりではない。


これは、あるクリスマスの夜エレベーターに閉じ込められた二人の男の物語である。





【心苦しくも私もゆとり世代でございます。】






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