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1.06

 2012/10/26 初投稿



「そういえば自己紹介がまだだったね、これは失礼。私は女郎花庵音。老若男女の『女』に一族郎党の『郎』、それに花鳥風月の『花』でオミナエシ。そして『庵の音』と書いてアンネだ。今回は助けてもらい、本当にありがとう。えーっと……」

「葛平です。植物の『葛』に『平たい』、それに『七つ生きる』でクズヒラナナオです」

「七生くん、か。うん、良い名前だね」

 ちなみに私のことは庵音と呼んでくれ、と彼女――庵音さんは笑った。

 いや、正確には笑ったように感じた。俺は今、彼女に背を向けているので、口調からそう判断しただけだった。

 何故なら庵音さんは現在、絶賛作業中だからだ。俺が買ってきたガムテープで、器用に自分の右腕を繋ぎ合わせている最中だからだ。

 さすがにそんなシーン、直視できるものじゃない。どころか、できることなら今すぐ逃げ出したい。

 だけど、いくら元気そうに見えるからといって、こんな状態の女性を一人置いていくのは、男以前に人間として許せることじゃなかった。

「…………」

 ……俺は一体、何をしてるんだろう? 確か、アイスを買いに出ただけじゃなかったか?

 特にできることもないので、そんなことを考えながら周囲を眺める。

 相変わらず人の姿が見えない、静かな夜。この町のいつも通りの景色だ。

 ちなみに相変わらずと言っても、ここは庵音さんと出会った場所ではない。いくらなんでも道の真ん中で作業を行うわけにはいかなかったし、こんな凄惨な現場に誰かが通りかかれば大騒ぎになることは目に見えていた。

 だから、誰もいない近くの公園――この辺りでは一番大きな、昼間は子どもたちで賑やかな公園へと、俺たちは場所を移していた。

 ――あれから。

「実は、すぐそこの公園に荷物を置いてあるんだ。だから、そこで合流というかたちでいいかな?」

 との庵音さんの提案に同意し、俺はコンビニに戻った。全力の全速力で。

 とはいえ、家からゆっくり歩いて十分も掛からない所の、さらにその帰宅途中だ。走れば、あっという間だった。

 だけどそんな時間と距離にも関わらず、店の前に着いた時には心臓は暴れ狂い、呼吸は乱れに乱れていた。今になって思えば、あれは走ったことだけが理由ではなかったのだろう。

 中に入ると一直線に文具コーナーに向かい、ガムテープを掴む。紙タイプと布タイプの二種類があったが、使用方法を考え――まさかとは思ったが自分の想像通りだと考え、重ねて貼りやすい布タイプの方を選んだ。

 そして、それを手にレジへ。引き続きレジは母さんだったので、息を切らしながら戻ってきた息子にどうしたのかと驚いていたが、俺はただ急いで会計を済ませた。

 もちろん常識で考えれば、ここで全ての事情を説明し、救急車を呼んでもらうのが一番だったであろう。

 だが、しなかった。いや、できなかったと言うべきかもしれない。

 それをすると、庵音さんを裏切ってしまうような気がしたから。俺を信じて待ってくれているその期待に、俺はどうしても応えたかったからだ。

 だから結局、母さんには何も告げずに店を後にし、これまで以上の勢いで町を駆け抜けた。

 で、今に至る――公園のベンチに座って作業する庵音さんに、背を向けて立っているというわけである。

「よし、完成。もうこっち向いていいよ、七生くん」

 やはり重傷とは思えないほど、明るくハキハキとした声。

 それに従って、ゆっくりと振り向く。するとそこには、右の二の腕全体をガムテープでぐるぐる巻きにした庵音さんがいた。

「……あ、あの、庵音さん。本当に大丈夫なんですか?」

 一見すれば、右腕は繋がっているように見える。だけど当然、それは見えるだけの話。神経はもちろん骨まで断たれてしまっている腕は、その手首から先が力なくだらりとベンチに垂れ下がっていた。

「大丈夫、大丈夫、心配ご無用。私はこのくらいじゃ死なないし、死ねないんだ」

 気合いが違うからね、と庵音さんは快活に笑う。

「…………」

 いやいや、どんなに気合いを入れたって関係ないでしょうよ。

 と、内心では突っ込んだが、言葉にはしなかった。その笑顔を見ていると、何故だか本当に大丈夫な気がしてしまうのだ。

 だが、次に庵音さんはその笑みを少し苦いものに変え、しかし、と続けた。

「こんな有様じゃあ、何の説得力もないか……まったく、お恥ずかしい限りだよ。相手が一人だと思って完全に油断した」

「――油断?」

 その言葉に、俺は強い違和感を覚えた。

 もしこれが事故なら普通、油断なんて言葉は使わない。そして、相手が一人だと想定するのも、おかしな状況だ。

 ということは、つまり――

「まさかその怪我、誰かにやられたんですかっ?」

 文脈から考えると、そうなる。事故ではなく事件だと。二人以上の誰かが、故意に彼女を襲ったということに。

 そして俺のその予想に、庵音さんは真剣な面持ちで頷いた。

「ああ。破壊教に――破壊こそが救いだと信じる宗教に、ね」

「宗教……」

 それは確か、出会った時にも聞いた言葉だ。俺の信仰する宗教がどうだ、とか。

「一体、何があったんですか? 宗教って何の話なんですか?」

 宗教に無知で無関心な俺でも、その破壊教というのが頭のおかしな連中だというのは分かる。そしてそんな連中のことを知っていて、さらに巻き込まれている庵音さんが普通ではないということも。

 すると、彼女は真っ直ぐに俺の目を見て、

「戦争をしてるんだよ、宗教戦争を」

 と、答えた。

「まあ、戦争と言っても歴史に載るような類いのものじゃない。もっと少人数で小規模な、いっそ喧嘩と言った方が近いかもしれないようなものだ。だけど、その原因は同じ。向こうの教義とこちらの教義が相容れない、やつらの宗教活動を見過ごせない、故に戦う。それが今、私たちが破壊教と戦っている理由だ」

「…………」

 宗教戦争。

 確かに授業で習った記憶はある。だが、それは教科書の中での話だ。現代の、それもクリスマスの一週間後に初詣に行くようなこの国では、いまいち現実の出来事としてピンとこない。

 だけど庵音さんが言うからには、そうなんだろう。ここで彼女を疑う理由もなければ必要もない。それに、もっと訊くべきことが俺にはあった。

「『私たち』ってことは、一緒に戦ってる人が他にもいるんですね?」

 だから、救急車や警察は呼ばなくていい。仲間がいるから、その人が助けに来るから、その必要がないと。

 しかし、そんな俺の希望をかき消すように、庵音さんは首を横に振った。

「いるにはいるが、この町に来ているのは残念ながら私一人だけだ。向こうも単独だと聞いていたからね。だから増援も、おそらく期待できない」

 だが安心してくれ、と彼女は胸を張る。

「この程度で戦えなくなる私ではない。所詮カッターナイフと金属バットごときでは、私の闘志を断つことも、心を折ることもできやしないのさ」

「――は?」

 思わず、そんな声が口から出た。

 ただしそれはもちろん、彼女の冗談が理解できなかったからでも、面白くなかったからでもない。まあ、笑えない冗談ではあったが。

 ――今、何と言った?

 カッターナイフと金属バット。

 俺の耳が馬鹿になっていなければ、確かにそう聞こえたし、頭が馬鹿になっていなければ、それに腕と脚をやられたと言ってるように思えた。

 だけどその結論は、最高に馬鹿げている。

 その性質上、カッターナイフに腕を、金属バットに脚をやられたということなのだろうが、どう考えてもカッターナイフなんかが人間の腕を切断できるわけがない。あんなものでは皮膚を裂くのが精々で、骨を断つなんて到底無理だ。

 確かに金属バットならまだ、何度も繰り返し殴りつければこんな風……に?

 と、そう思って、庵音さんの右脚を見た時だった。今さらながら、それに気付いたのは。

 傷が――ない?

 素人目で見ても、何箇所も骨が折れているのは間違いないであろう彼女の脚。だけどそんな状態にも関わらず、外傷がないのだ。その白く綺麗な肌には、あざ一つ見当たらない。

 一体どういうこと――

「七生くん」

 庵音さんに呼ばれ、俺の思考はそこで止まった。

 初めて聞く、緊張感のある声。一瞬、じっと脚を見ていたことを咎められるのかと少し身構えたが、すぐにそうではないと気付いた。射るような彼女の視線が、俺に向いていなかったからだ。

 視線を追って、後ろを振り返る。すると、そこには一人の男が立っていた。

 パーカーにカーゴパンツというラフな格好。そしてとにかく、目つきの悪さが印象的な男だった。歳はおそらく、庵音さんと同じくらいだろう。

 だけどそんなこと、どうでもよかった。この際、全て不要な情報だと言っても過言ではない。

 彼が担ぐようにして持つ、金属バットに比べたら。

「あァ? んだよ、一人増えてんじゃねェかよ」

 嫌悪感を露わにした、見た目通りの乱暴な口調。そしてその第一声で、彼が夜の公園に素振りしに来た野球好きというわずかな可能性は完全に消えた。

「…………」

 間違いない。この男が破壊教。庵音さんの右脚をへし折った、狂気の信者だ。

 だけど、と思い、周りを見渡す。

 男とはまだ距離があるし、例の仲間の姿も見えない。今の庵音さんがどれだけ速く動けるかが気掛かりなところだが、何とか逃げられないこともないだろう。

 それに、いざとなれば俺だって時間くらい稼げる。武器を持っているといっても、ただの金属バットだ。

 と、考えた直後だった。

 そんな計算が、文字通り打ち砕かれたのは。

「まァ、いいか。二人まとめて粉々になるまで救済してやるよ」

 言って、男が金属バットを肩から下す。そして重力に任せ、その先端を地面に触れさせた――瞬間。

 唸り声を轟かせ、地面が砕けた。

「――っ!?」

 目の前の出来事に息が詰まり、全身が硬直する。

 男が力を込めたようにも、金属バットが異常なまでに重いようにも見えない。にも関わらず、それが振り下ろされた先が割れた。地面がまるでクッキーのように、バラバラに砕け散ったのだ。

 わけが分からない。何が起きたのか、全く理解できない。

 そして、わけが分からないが故に――怖い。

「すまないが、七生くんは離れていてくれ。ちょっとあいつの相手をしてくるよ」

 立ちすくむ俺にそう言って、おもむろにベンチから立ち上がった庵音さん。その体を追うように、右腕がぶらんと大きく揺れる。だけどそれを気に留めることなく、彼女は脚を引きずりながらも、男に向かって歩き出した。

「…………」

 無理だ。どう考えても無理だ。

 片手片脚が使えない状態で戦えるわけがない。しかも、あんなデタラメな武器を持つ男を相手に。今度こそ本当に死んでしまう。

 だけど手も声も、何も出せない。恐怖が体を支配し、指一本動かせない。

 ダメだ。ダメなのに。止めなきゃならないのに。

 誰かが傷付くのを何もせずに見ているなんて、もう二度としないと。

 俺は、誓ったはずなのに――

「……おいおいおい。こんな時間にこんな場所で、一体何をおっ始めようとしてるんだよ、君たちは」

 近所迷惑とか少しは考えろよ、と唐突に、呆れる声が背後から聞こえた。

「――っ!」

 反射的に振り返る。すると、声の主は真後ろにいた。

 今の今まで庵音さんが座っていたベンチ。その上で、ずっとそうしていたかのように頬杖をついて寝転がる男が、確かにそこにはいた。

 そしてそんな姿勢のまま、嘲るように彼はこう言った。

「まったく、信じられないよ――まあ、端から信じちゃいないけどね」




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