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1.03

 2012/10/10 初投稿

 2012/10/26 改稿①


「じゃーねー、ナオくん」

 雛村家を出発してから、約二十分後。

 今日も特に何事もなく無事に学校――独楽原(こまばら)高校に到着し、その三階、階段を上がってすぐの教室前の廊下で、雛村は笑顔でそう手を振って、自分の教室へと向かっていった。

 だけどそれに対して、俺は手を振り返すことはしない。

 どころか、言葉も返さない。あるいは、返せない。

 由々しき事態である。

 大事なことなので、もう一度言おう。

 由々しき事態である。

 雛村と違って、通学中の俺には紛うことなく何事かあったし、無事でもない。一目瞭然な有事で、前代未聞の事件である。

 しかし、肉体的に異常があるわけでもないから保健室に行くこともできないし、このままいつまでも廊下に突っ立っているわけにもいかない。だから、とりあえず俺は目の前の教室――進級し、二週間前から自分のクラスとなった二年一組へと入った。

 そして最後列の窓から二番目、自分の席に着いたところで、

「おはよう、葛平くん」

 と、横から声を掛けられた。

 ガラス細工のような透明感のある声。それが聞こえてきた、窓の方を見る。

 ただし、それに相手を確認するという意味合いは含まれていない。何故なら、友達が誰もいない俺にわざわざ挨拶してくれる人物など、このクラスには一人しかいないからだ。

 だから確認ではなく礼儀として、隣の席に座る彼女に――弓川綺羅に、俺は顔を向けた。

「おはよう、弓川」

 挨拶を返して、俺も席に着く。

「本当に仲良いよね、雛村さんと」

 柔らかな笑みを浮かべ、読んでいた本(おそらく俺なんかは読むどころか、一生手に取ることもないであろうタイプのハードカバーだ)を閉じる弓川。どうやら、廊下で雛村と別れたところを見ていたらしい。

「幼馴染、なんだよね?」

「まあ、一応そうだけど……どうして知ってるんだ?」

 弓川に雛村のことを話した覚えはない。ついでに言えば、友達ゼロの俺にはそんな話をする相手がいない。高校に入ってからは、確実に一人も。

 だから、何で知ってるんだろうと気になって訊き返してみると、

「雛村さんに訊いたの」

 弓川から実にシンプルな回答が返ってきた。

「ほら、二人っていつも一緒に学校来てるじゃない? だから気になって、この前の体育の時にね」

「ああ、なるほど」

 雛村のクラスは二組。だから普段一緒になることは少ないが、体育は隣のクラスとの合同授業――つまり一組は二組と一緒になるので、その時に訊いたということだろう。

 というか改めて考えてみれば、雛村は俺と違って友達が多いので、案外俺たちの関係を知っている人間は多いのかもしれない。

「良いなぁ、葛平くん。雛村さんと一緒に登校って、すごく楽しそう」

「別に何にも楽しくなんかねぇよ。現に今朝だって――」

 と、そこまで口にしてしまってから、ようやく俺は失敗したと気付く。

 しかし、後悔というのはやっぱり後からしかできないもので、急に言葉を止めたことを不思議に思って、

「今朝だって?」

 弓川は首を傾げた。

「あー、いや、えーっと……」

 考える。さっき聞いたことを弓川に話していいものか。

 正直、俺は自分のことを話すのが得意ではないし、好きでもない。自己紹介は極力手短に済ますタイプの人間だ。

 だけど今、自分が抱えている問題を誰かに話したいのも事実であり、目の前にいる人物が悩み相談の名手だということはクラスどころか学校中で有名な話である。

 ……まあ、弓川なら大丈夫か。

「あのさ、弓川。ちょっと話、聞いてもらってもいいか?」

「う、うん。私で良ければ」

 俺の声のトーンが変わったことに少しだけ戸惑いを見せながらも、すぐに頷いてくれる弓川。やはり噂通り、相談され慣れている感じだ。

「実は俺、中学二年の妹がいるんだけどさ、雛村が昨日の帰りにそいつを見かけたらしいんだよ。だけどそれが一人じゃなくて二人、それも相手は男。同じ中学の制服だったからクラスメイトか何かじゃないか、って雛村は言うんだけどさ……弓川はどう思う?」

 さっき聞いた話をほとんどそのまま伝え、そう訊いてみる。しかし、それに弓川は少し困った表情を浮かべた。

「えっと……それは何について『どう思う』ってことかな?」

「あ。悪い、言葉足らずだった」

 いくら悩み相談の名手でも、相談内容が曖昧では答えようがない。雛村も、我が家の家庭環境までは教えてないだろうし(というか、そう願いたい)。

「何て言うか、その、そいつが彼氏的なモノじゃないかと思ってさ。ほら、最近は中学生でもそういうのいるって聞くだろ? だから、弓川はそれについてどう思うかなぁと思って」

「なるほど、そういうこと。……うーん、確かに中学生くらいなら、お付き合いしてる人がいてもおかしくないかもね。私も中学の時、そういう話聞いたことあるし。だけど私も実際に見たわけじゃないから、はっきりとは何とも言えないかな。ごめんね、役に立てなくて」

「いや、全然。弓川に聞いてもらったら、気が楽になったし」

「そう? それなら良かった」

 それにしても、と弓川は微笑む。

「彼氏がいるかどうか心配するなんて、葛平くんって何だかお父さんみたいだね」

「弓川までお父さんって呼ぶのかよ……」

「え? 何の話?」

「いや、何でもない。こっちの話」

「……?」

 よく分からないと首を傾げる弓川をよそに、それに、と俺は言葉を続ける。

「別に妹の心配してるわけじゃないから。むしろ心配なのは自分自身」

「どういうこと?」

「実は俺、妹だけじゃなくて姉ちゃんもいるんだ。今、東京の大学行ってる三つ上の。で、その姉ちゃんが妹のことを溺愛しててさ、家を出るときに言われてるんだよ、妹に何かあったら殺すぞ、って。だから、あいつに彼氏ができたなんてことになったら、監督責任で俺が殺される」

「そんな、殺されるなんて大袈裟な……」

 そう言って苦笑いする弓川。

 しかし弓川は知らない。あれは弟を二階の窓から突き落として、大笑いするような姉だということを。

「でもやっぱり良いな、葛平くんは。可愛い幼馴染に、お姉さんと妹さんまでいるなんて。私、一人っ子だからそういうの憧れるなぁ」

「憧れる、ね」

 思わず自嘲気味な笑みがこぼれてしまう。

 誰もが憧れる弓川。そんな彼女に羨ましがられることが――彼女より優れているところが、まさかそんなことだとは。

「だけどそんな憧れるようなもんじゃないぜ、実際。妹はわがままだし、姉ちゃんは理不尽。その上、幼馴染は意地悪だ」

 だから、そんなやつとの登校が楽しいわけがない。何せ、その幼馴染のせいでこんな事態に陥っているのだから。

「さっき、妹の話を雛村から聞いたって言っただろ。だけどあいつ知ってるんだよ、姉ちゃんの性格とか全部。で、その上でわざわざ俺に教えてきたんだよ、嫌がらせで」

 今でも鮮明に思い出せる。報告し終わった後の「どうするぅ、彼氏だったら?」と言った雛村の顔は。

 正直、一発殴りたかった。

「しかも、帰ったら遊羽ちゃんに直接訊いてみれば良いじゃん、だと。俺がそういうこと苦手なの知ってるくせに」

「あははは……」

 対して弓川の表情は、何と返していいのか分からないといった感じの苦笑いだった。

 それもそうだろう。

 雛村は基本的に人当たりが良い。あいつのことを嫌いだと言う人間は、まずいないはずだ。だから、そんな嫌がらせをする姿が想像しにくいんだろう。

「だけど、雛村さんの意見には私も賛成かな」

「弓川も妹に直接訊けって言うのか?」

 こくんと首を縦に振る弓川。そして、だって、と珍しくいたずらっぽく笑った。

「葛平くんの命に関わる大事なこと、なんでしょ?」




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