1.02
2012/10/10 初投稿
2012/10/26 改稿①
2013/01/13 改稿②
「おはよ、お兄ちゃん」
四月二十一日、木曜日。午前八時十一分。
家鴨ヶ丘町の住宅街に建つ、とある一軒家の玄関前。
いつも通り自転車に跨ったまま待っていた俺に、雛村は玄関から出て来るなり、そんな風に声を掛けてきた。
だるだるに裾を余らせた学校指定ジャージをスカートの下に穿いた、見慣れた制服姿。そして、聞き慣れた声だ。
しかし、その呼び名には一切の聞き覚えはない。
というか、はっきり言って聞き捨てならない。このまま話を進めるわけにはいかない。
「俺たちに血縁関係はない」
「じゃあ、お義兄ちゃん?」
「そんな関係になった覚えもない」
「それじゃあ、お義父さん」
「君にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!」
まさか十六歳にしてこの台詞を言うことになるとは。
「あはは。私もその台詞を聞ける日が来るとは思ってもみなかったよ」
いいもの聞かせてくれてありがとね、と満足そうな表情を浮かべ、玄関脇に停めてある自分の自転車のかごに持っていた鞄を入れる雛村。そして続いて前輪と後輪の錠を外すと、それを手で押して俺の隣に並んだ。
「おはよ、ナオくん。本日もお迎えご苦労様」
「おはよう、雛村。お前は朝っぱらから元気だな」
「いやぁ、どういたしまして」
「何も褒めてねぇよ」
そう言ってペダルを漕ぎ出すと、「あっ、置いてかないでよ!」と慌てる雛村の声が後ろから聞こえた。
雛村美月。
俺の幼馴染。
血の繋がりもなければ戸籍上の繋がりもない、正真正銘の幼馴染である。
と言っても、その付き合いは小学二年の頃、雛村が我が家の近所に引っ越してきた時からだから、正確には幼馴染と呼ぶべき間柄ではないのかもしれない。
だけど、友達ではどこか他人行儀な感じがするし、かといって親友ではあまりにも親密過ぎる。
だから――幼馴染。
その関係性が最も妥当なものだと思うし、高校二年生となった今現在、旧知と呼べる相手が雛村以外に誰もいない俺にとっては、その呼び方が一番しっくりくる。
して、幼馴染――それも女子とくれば『朝、勝手に部屋まで起こしに来る』というイベントが漫画やアニメでは有名であるが、そんなラブコメ的お約束展開は俺には発生しない。
むしろ、どちらかといえばその逆。
もちろん逆と言っても、部屋まで起こしに行くわけではない。いくら男女平等社会と言えど、そのイベントは女子だから許されるものであって、男子には許されていない。最悪、法が許してくれない。
だから部屋まで起こしに行かず、家の前まで迎えに行くだけ。それが小中高と続く、俺たちの習慣である。
というわけで、二人揃って自転車での登校中。
「そういえば、ナオくん」
ようやく俺に追いつき、並走を始めた雛村が訊く。
「新しいクラスはどう? もう慣れた?」
「全然。というか、どうせまた一年後にはクラス替えなんだから、わざわざ慣れる必要もないだろ」
「むー、どうしてそういう寂しいこと言うかな。もっと青春を強化しようぜ」
「強くなるのか、青春って」
「青春と同化しようぜ」
「一つにはなりたくねぇ」
「青春に放火しようぜ」
「そんな気軽に犯罪に誘うな」
「まあ放火しなくても、青春は最初から熱く燃えてるけどね」
と、ドヤ顔の雛村。正直、ちょっと面倒くさい。
ちなみに『謳歌』が正解である。
「だから、ほら。熱い友情を育む、とかしようよ、ナオくんも」
「育むも何も、その友情自体を持ち合わせてねぇよ」
「じゃあまずは、友達を作るところから」
「いらねぇよ、高二にもなって今さら。作り方も分からないし」
「作るのなんて簡単だよ。水が三十五リットルに炭素二十キロ、アンモニア――」
「禁忌を犯すつもりはねぇよ!」
そして、そこまでして友達が欲しいとは思わねぇよ。しかもそれ、絶対成功しないし。
それに俺はもう、そういうのはずっと前に諦めてる。
諦め――終わってるんだ。
「あ、そういえばさ。ナオくんって、弓川さんと同じクラスだよね?」
「ああ。それも先週の席替えで今、隣同士だよ」
「やっぱり、頭良いの?」
「あれは良いっていうより、違うって感じだな。予習復習に授業態度まで完璧。さすが学年トップは何もかもが違うわ」
「へぇー。やっぱり私たち凡人とは、頭の出来が違うんだね」
「ちょっと待て。凡人は認めるが、お前と一緒は認めないぞ」
「何を!? わ、私だって赤点を取らない教科もあるんだよ!」
「普通はそっちがメインだけどな」
赤点を取らなかった教科を数える方が早いって、どういうことだよ。
「大体、女子高生が真面目に勉強すると思ったら大間違いよ!」
「間違ってるのはお前の考えの方だ」
「頑張って勉強して、良い大学に進学して、良い会社に就職して、良い人と結婚して、良い子供たちに恵まれて、良い老後を迎える――そんな人生に、一体何の意味があるって言うのさ!?」
「いや、十分有意義な人生だと思うが」
むしろ有意義過ぎていて、少し現実味に欠けるくらいだ。
「だけど弓川さんなら、きっと何の問題もなくそんな人生を送っていくんだろうね」
――あーあ、やっぱり私たち凡人とは、頭の出来も住んでる世界も違うよねー。
なんて少し大袈裟に嘆く雛村に、一応同じ町内だけどな、と俺は茶化して返してみる。
だけど、事実その通りだった。
頭脳明晰、文武両道、容姿端麗、才色兼備。
そんな四字熟語が全て、彼女を表現するために用意されていたんじゃないかと思えてしまうほどで、その上、父親が某一流企業の重役で豪邸住まい。しかしそれを自慢したり、それで誰かと壁を作ったりは一切しない。
世界に選ばれた人間であり、選ぶ側の世界の人間。
正直言うと、一年生の頃は彼女のそんな噂を聞く度に、それほど完璧に出来過ぎた――一昔前の少女漫画に出てくるお嬢様キャラみたいな人間、いるはずないと思っていた。所詮は、誇張と脚色を繰り返された噂だろうと。
しかし今なら、断言できる。
同じクラスになってまだ一ヶ月も経っていない俺でも、断言できる。
それが弓川綺羅という人間だ、と。
「でも、浮いた話だけは聞かないよね、弓川さんって」
残念そうに言う雛村。弓川に関する噂を、俺に一方的に吹き込んだ張本人である。
「あんなに美人なんだから、彼氏の一人や二人や三人や四人くらい、いても全然おかしくないのに」
「そんなにいた方がおかしいわ。一体、どこの悪女だよ」
確かに雛村の言う通り、弓川の容姿ならそれも許されるかもしれない。だが、当の本人が絶対そんなことは許さないだろう。
頭が堅くて融通が利かないわけではないが、けじめやルールはしっかり守るのが弓川だ。
「それに、冗談抜きにしても実際そんなにいるわけないだろ、弓川の彼氏になれるような男なんて。あれだけの人間に釣り合うなんて、それこそ凡人には到底無理な話だろうし」
「んー、それもそっかー。弓川さんほどになると、逆に彼氏作るのが難しくなるのか」
さすがに全てがうまくいくわけじゃないんだね、と雛村。
確かに、俺も同意見だ。たとえ弓川であっても、できないことは存在する。
しかし逆に言うとそれは、そんな揚げ足取りみたいなことでもしなければ、弓川という人間から欠点を見つけ出せないということでもある。
もちろん、彼氏の有無なんてものは、彼女の持つ美点に比べれば実にどうでもいい、取るに足らないことだけど。
「あ、そうだ。彼氏で思い出したんだけどさ、お兄ちゃん」
「だから、お前に兄と呼ばれる覚えはねぇよ」
「じゃあ、お姉ちゃん?」
「性別を変えてきただとっ!?」
俺のY染色体になんてことしやがる。
「それで、お兄ちゃん――遊羽ちゃんのお兄ちゃん。遊羽ちゃん、昨日の帰り遅くなかった?」
「昨日? ああ、そういえば友達と買い物に寄ってきたとか言ってたけど、それがどうかしたか?」
「いや、まあ、その……ナオくんのことを考えると、このことをそのまま伝えて良いのか悩むところなんだけどさ……」
と、少し口ごもりながらも「だけど、やっぱり正直に言うね」と雛村は続けた。
「遊羽ちゃん昨日、男の子と一緒だったよ」






