白と黒
今回は姉・恵の一人称です。
人は2種類のタイプに分けることが出来る。
どちらにつくかを決めるのは自分かもしれないし、周りのその他大勢の人たちの公平な判断なのかもしれない。
でも、一度そこに放られると、なかなかそこから出て来られない。それだけはわかる。
「不思議な縁もあるもんだね」
私と忍を見比べた千佳が、ため息のついでのように言った。
「まさか偶然会った人が恵の妹さんだとは。ずっと前から同居してたの?」
「そういうわけでは。いろいろ事情がありまして」
忍は誤魔化すように笑っている。
「それより千佳さん、夜中の冷気は体に毒ですからね、どうぞスープ、飲んじゃってくださいよ」
千佳を連れて家に帰って来たところ、忍は本当にスープを作って待っていた。わざわざ材料まで買いに行ったらしいことは、具だくさんのスープの中身から伺える。マメな子だ。
「あ、はいいただきます。えーと、見原さん?」
「忍でいいですよ。ボ・・・私、ケイちゃんと同い年なんですから」
「それじゃ、忍ちゃんでいいですか?」
「じゃ、私は千佳さんって呼びますね」
こうしてぎこちなく自己紹介している二人を見ていると、まだ友だちというわけではなさそうだ。忍の一人称も、よそゆきの「私」になっている。なのにどうして私という共通の接点がわかったのだろう。
忍はこっちに来てから間もないはずだから、この土地での知り合いは私と、ひょんなことから知り合ったという老夫婦だけのはずだ。
「忍と千佳って、もとから知り合いだったの?」
私の疑問に、二人は顔を見合わせる。そこだけは間に鏡を置いたかのように同じ仕草で、双子と言われればなんとなく頷けてしまったことだろう。少なくとも、私と忍が双子というよりはよほど説得力がある。
「いや、そういうわけではないんだけど」
「うんそう。今日会ったばっかり」
顔の前でぶんぶん手を振る動きも、練習したかのようにそろっている。
「じゃあ、どうして忍は千佳が私の友だちだってわかったの?」
忍は携帯をジーンズのポケットから取り出すと「着信履歴」と言って、画面を開いて私に見せてきた。
たしかにそこには私にかけた跡がちゃんと残っている。でも、それだけではどういうことを言いたいのか、よくわからない。
千佳が小さく手を挙げる。
「私が最初に千佳に電話したの。でも、恵が出るのを待っている間に、充電切れちゃって」
「で、千佳さんが連絡取れるように、私が携帯を貸したんだ。でもほら、番号って普通、覚えてないもんでしょ。登録しておけばいいわけだしさ。でも充電切れて、その番号も見れなくなっちゃって、困ったなってことになって」
「で、私、去年恵に年賀状出したでしょ?そのときに住所と一緒に電話番号控えたじゃない。それが手帳に残ってたから、その番号にかけたの。忍ちゃんの携帯で」
「でもケイちゃん、やっぱり出なくってさ。千佳さんが私に携帯返したんだ。ダメ押しに私がもう1回、リダイヤルでかけようとしたら、なぜかケイちゃんの名前が表示されて」
「忍ちゃんが急に豆鉄砲喰らったような顔したから、私も驚いちゃって。何事かと思ったら、『あなたの電話先のお友だちって、ひょっとして梶山恵って名前じゃないですか』って聞かれて、めちゃめちゃ驚いて」
「それで今に至るってわけ」
「はあ」
代わる代わるに説明をしてくれた忍と千佳に、私は間の抜けた返事しか出来なかった。
なんてよく出来た偶然だろう。
千佳の携帯の充電が切れたところにたまたま忍が傍にいて、番号がたまたま控えてあって、忍がたまたまリダイヤルする気になって、すでに登録されていることにたまたま気付いた。
数学の確率問題は得意じゃないけど、それってかなり奇跡に近いことのような気がする。藁しべ長者がお金持ちになっていく過程と同じくらい、リアリティーがない。
それに、そうだ、肝心な前提が抜けている。
「どうして千佳は忍に携帯を借りることになったの?」
この質問に、二人はまたしても揃えたようなタイミングで黙りこむ。互いの顔を盗み見るタイミングまで同じだった。私は半ば本気で「忍・千佳姉妹説」を考え始めた。
「私が、忍ちゃんにケガをさせちゃって」
先に口を開いたのは千佳だった。隣に座った忍があわてて訂正する。
「違いますって、私ケガなんてしてないし。それにあれは、悪いのは千佳さんじゃないですよ」
「でも、投げたのは私だし」
「投げた?何を?」
さっぱり話に付いて行けない。そもそも、昨日まで他人だった人間相手に何かを投げるなんて、この年齢でそんなことがあるのだろうか。小学生じゃないんだから。
「靴を」
消え入りそうな声で千佳が言った。
「頭にきたから、履いてた靴を投げたの。それが忍ちゃんに当たっちゃって」
「当たっちゃったって・・・」
靴を投げたって、いったいどういう事情?聞けば聞くほどわからない。でも、根ほり葉ほり聞いていくのは気が引けた。千佳の目は、まだ赤みが引ききっていない。
「飲みましょう!」
唐突に忍が立ちあがって叫んだ。
「私、お酒買ってきます。こういうときのためのアルコールですよ。女子が3人集まれば女子会。ね?」
「ね?ってあんた、まだ未成年でしょ。年確されたらどうすんの?」
ついいつもの調子で忍を制してしまったものの、忍は気まずくなりかけたこの雰囲気に待ったをかけてくれたのだ。自分で掘った墓穴を前に、私は黙ることしか出来なかった。沈黙が土となって降ってくる。埋まる。重たい。
「私、20歳になったから大丈夫だよ」
千佳がぽつりと言った。
「お酒、買いに行こ」
「え、千佳20歳だっけ?」
ついこの前まで「年確されそうになってマジ焦ったぁ」と騒いでいたことを思い出す。
「今日、ううん昨日か。なったの。20歳に」
「え?千佳、昨日が誕生日だったの?」
「ん。大人になったのよー、これでも」
千佳はうーん、と大きく伸びをすると、ゆっくり立ち上がる。
「恵も、忍ちゃんも、1日遅れでいいからさ、祝ってくんない?昨日はホント、最悪な日だったからさ」
コンビニに着くと、千佳はかごを手に取り、「買うぞぉ」と酒類コーナーに突進していく。私たち姉妹は、千佳の勢いに驚いているサラリーマンに「どうもすみません」と会釈をしながら、その後を家来のように付いていく。
「私は断然ビール派なんだけど、恵はビール飲めたっけ?忍ちゃんは?チューハイ派?」
がっつんがっつんとかごに缶放り込んでいく千佳に、私は控えめに答える。
「私、まだ未成年だからお酒なんて飲めないって」
「なーにカタいこと言ってんのよ。今どき酒飲まない大学生なんて、白黒テレビ並みに珍しい存在じゃない?っていうか、さっさと色つきになるべきだよ。お酒はいいよぉ、視界がすっごくカラフルになるんだから」
「はあ」
「千佳さん、これおすすめだよ。夏限定らしいよ」
「おっ、忍ちゃん、わかってるねぇ。私もこのシリーズ好きだよ。新作出てたんだ」
忍も私と同じ誕生日だから当然未成年なわけだけど、さっきの反省から、余計な制止はやめておくことにした。お酒を選んでいる二人から少し離れ、私はノンアルコールコーナーで飲めそうなものを探す。
バイトでノンアルコールものを頼まれるたびに「アルコール入っていないなら、ソフトドリンク頼めばいいのに」と思っていたけど、こういうものは連帯感を守るために必要なんだなと今さらながらに気付いた。周りがプルタブをプシュッと開けているなかで一人だけウーロン茶を注いでいたのでは、やっぱりさびしい。
つまみもたっぷり買いこんでアパートに戻ると、千佳はすでに出来あがっているような、手に負えないテンションになっていた。
「もー、ありえないと思わない?」
コップを使わず、缶にそのまま口をつけた千佳は、飲みほすなり、缶をターン!とこたつ机に叩きつける。
「私、昨日誕生日だったんだよ?祝われる立場だったんだよ?なのに、何あれ、私との約束すっぽかして女と会ってたとか、マジありえなくない?ふざけてるでしょ。なめてんじゃねえよボケ!」
「千佳さん、はいこれ、2杯目、どうぞ」
「ん」
ぐびぐびと飲みほしにかかる千佳を、忍は複雑そうな顔で眺めている。ほっとしているような、苦々しいような。それは私も同じだった。千佳がいつもの勢いを取り戻してくれたことは嬉しいけど、それだけを手放しで喜べないほどには、その傷跡はわかりやすかった。
「こらあ恵。おまえ、全然飲んでないじゃんかー。ほら、飲め。千佳さんの誕生日が祝えないってのかあ?」
「はいはい、ちゃんといただいてますよ」
千佳はもう、立派に酔っぱらいの貫禄がある。バイトの都合上、普通より多くの酔っぱらいを見ている私は、彼らを人間扱いしないことを信条としている。それを友人にも適用しなくてはならない事態は、ちょっと切ない。
「もー、マジありえなくなーい?ちょっと忍ちゃん、どう思うよ、マジで」
4本目のビールが空になったあたりで、千佳は忍にも絡むようになった。さっきから似たような語彙を連発している。千佳の視界はさぞかしカラフルなことだろう。白黒テレビ人間の私としては、それがちっとも羨ましいとは思えない。お酒が見せてくれる映像は、しょせんは存在しないものだ。傍から見ていると、それがよくわかる。千佳は傷を負った。薬はない。麻酔をかけ続けても、開いたままの傷口は依然として私たちの前にある。本人の千佳だけが、それを見ないフリをする権利がある。私は目を逸らせなかった。
「そのとーりですよ、千佳さん。あんなやつは、マジでありえないんですよ。フッていいんです。正解です。二股なんて最低です。一人の人間をないがしろにするやつに、明日も明後日も来やしないんですよ」
忍の酔いも相当回っているようだ。日本語になっていないのに、二人とも会話が成立しているとばかりにお互いの言葉に頷いている。おかしな光景だ。
「二股はんたーいっ」
「はんたーいっ」
忍の号令に千佳が続く。
「男なんて知るかーっ」
「知るかーっ」
「もう顔も見たくないぞー」
「ないぞー」
「豆腐の角に頭ぶつけて入院しろー」
「しろー」
「大嫌いだー、絶交だー」
ふいに復唱が途切れた。忍の声だけが、マヌケに部屋に響いて消えた。
踏み外したリズムを求めるように千佳を見て、私は手に持っていたノンアルコールの缶を置いた。千佳は目を見開き、唇をわななかせていたのだ。
「・・・千佳さん?」
忍の心配そうな声が合図になったかのように、大粒の涙がぼろっと塊になって落ちた。素面の私はもちろん、酔った忍も驚いて声をなくす。
それは崩壊だった。千佳のなかで、今何かが崩れ去ろうとしていた。ヒビが入った先から瓦解し、砕け、落ちた瓦礫がまた土台を痛めつける。私たちはなすすべもなく、その何かが死に絶えるところを見つめていた。
千佳は泣いた。呻くようでもあったし、痛みにおののくようにも見えたし、不思議なことに、嬉しそうですらあった。
正反対の感情が、対になったベクトルを打ち消すこともなく、落差を激しくして千佳を苛んでいた。
たくさんの破片が、千佳に刺さっていく。崩壊は止まらない。それが完全に壊れきったとき、千佳がその瓦礫から出てこられるのか、私はただそれだけを思った。
どれくらいの時間が経ったんだろう。千佳の嗚咽はやがて規則正しい呼吸へと収束していき、最後に大きなため息を一つ出し、静かになった。
誰も、何も言わなかった。それぞれの胸のなかで何が生まれ、消えていこうとしているのか、きっと誰もわかっていないに違いない。静かな時間だった。
「わかんなかったの」
ふいに千佳が口を開いた。嗚咽の余韻で、その声はまだ少し震えていた。
「私ね、彼氏のこと、ホントに好きだと思ってたの。ホントだよ。いつも一緒にいたいと思ったし、会えないとやっぱりさびしかった。ああ、私本当に恋をしてるんだなって思ってた。そう思うと、なんか安心出来たの」
千佳は、飲み終わって空になった缶を指で弾いた。からんと音を立てて缶が転がる。軽い音だった。千佳は笑った。とてもおかしいことであるように。私も忍も笑えなかった。無抵抗に転がる缶に、千佳を見た、気がした。
「だんだん会わないようになってたの、私たち。向こうはね、忙しいとか他に用事があるとかそれらしいことを毎回言ってたけど、わかるんだよね、気持ちが離れてるってことくらい。向こうだけじゃないの。私もなの。お互いにお互いのこと、もうそんなに一途な気持ちで見れなくなってた。気付いてたの、おたがいさまだって。でも、自分にずっと言い聞かせてたんだ。私はあいつのことが好きなんだって。そう思ってないと、今まで本当に好きだった時間が全部嘘になっちゃうみたいで、それが嫌だったの。悪いのは向こうだ、私はこんなに一途なのに、って思うようにしてた。穏やかな気持ちになるのは無理だったけど、これはけっこう楽だったよ。責めるのは楽。自分を憐れんでるだけでいいの」
千佳の言いたいことは、私にはよくわからなかった。でもそれは、千佳が間違っているわけでも私が非常識なわけでもないことはなんとなくわかった。千佳が通った道を私が通らなかった、このズレはきっとそういうものなのだろう。
「誕生日を一緒に過ごすべきだって思ったから、あいつをお祭りに誘った。今思えば、一緒にいてもちっとも楽しくなんかならないことはわかってたのにね。義務みたいなものなのかな、コイビトであるためにやらなきゃいけないことってのが私の基準としてあってね、それを覆すともうどうにもならないんだと思ってた。断られたよ、その日は用事があるからって。ああ、やっぱりねって思ったの。断られると思ってたよ、予想を裏切らないやつだなぁって、ちょっとおかしくさえあったよ。でも、すぐに気を引き締めて、自分に言い聞かせた。あいつはひどい。私はこんなにコイビトとしての義務をまっとうしているのに。好きなのにって。被害者と加害者をちゃんと分別するの。立場が入れ替わることは絶対にないの。自分でも薄々それがおかしいって思いを抑えられなくなってた。おたがいさまなんじゃないのって、いつもどっかで声がして、それを無視するのが苦痛になってた。それで、今日、ううん昨日か。あいつの浮気現場に遭遇。キレたよ。自分でもどうなのってくらい、ブチ切れてたよ。忍ちゃんは見たからわかるだろうけど。でもあれ、本当は腹が立っていたからじゃないの。むしろせいせいしてたの。終わったんだ、もうこの事実から逃げられないんだって悟って、開けた気分だったよ。暖房の利いてる部屋でも、ずっといるとなんだか息苦しいでしょ。外は吹雪いているって知ってても、冷気が恋しくなる。私は外に放り出されたの。今まで自分を守ってたものがなくなって、冷気を直に浴びて、ちょっと気持ちいいって思った。そして、すぐに寒くなった。我慢出来ないくらい、肌が痛かった。あの逆上はね、私にとっては防衛みたいなものだったんだよ。ううん、儀式っていうのかな、自分を守るためにやらなきゃならない行動だったの。傍から見てたらすっごいイタかったと思うよ。変な話だけど、それでいいの。それだけ私は傷つきましたって、見せつけることが出来るから。あいつにも、周りにも・・・私自身にも」
傷ついているのが自分だと納得したかった。千佳は被害者になりたかったのだ。その気持ちを汲んであげることは私には出来ないけど、加害者であることの痛みはわかるつもりだ。
被害者と加害者。私たちは何か起こるたびに役をわけ、与えられた役を演じきる。でも、本当にそのラインは動かないのだろうか。考えたことがないわけではない。むしろ、私はこの10年、そればかり考えてきたと言っていい。
私は被害者ではない。だから加害者なのだろう。
千佳はラインをとうとう見つけられなかった。いや、もともとないことに気付かなかった、だからやりきれなかったのかもしれない。本当のところはきっと、千佳にしかわからない。
「あいつのことが好きだったのか、あいつのことを好きな自分が好きだったのか、わからなかったの。だから今はなんか、すっきりしたよ。いろいろぶっ壊れた感じがする」
えへへ、と千佳は力なく笑った。
「お酒っていいね。私きっと、明日にはこのばかげた演説も忘れてるよ」
だらしなく頬をこたつ机につけた千佳は、そのまま眠ってしまった。穏やかな寝息が、崩壊が終わったことを告げていた。
飲みかけのノンアルコールをあおる。ぬるくなって、おいしくなかった。それでもすべて飲み下した。今ここにある余韻を残して明日を迎えることも、捨ててしまうこともしたくなかった。
忍は酔いで赤らんだ顔で千佳の寝顔を見つめていた。
「あんたも、相当酔ってんでしょ。もう寝たら。主役も寝たことだし」
「ボク、酔ってんのかな」
忍は髪を掻き上げる。美しい動作だった。指から漏れた細い髪が、伏せた目を優しく覆う。
「恋愛って、難しいね」
忍はぽつりと言った。
「でもボク、千佳さんの言ってたこと、なんだかわかる気がするよ」
「へえ、あんたも恋愛とかするんだね」
茶化すつもりはなかったのに、忍はやけにムキになって「そういうことじゃない!」と返してくる。
「恋愛とかじゃないんだ。千佳さんの気持ちは、今のボクにも言えることなんだよ。自分を見てる気分だった。ボクも、何かぶっ壊れたら、開けたりするのかな」
忍は頭を振った。それで何かを振り落とそうとしているように見えた。
「ごめん、何か変なこと言ったかもね。やっぱり酔ってるみたい」
忍があんまりさびしそうな顔をするものだから、私は頷くしかなかった。
「あれだけ飲んだんだもん、酔ってるんだよ」
「そうだね、もう寝るよ。おやすみ」
「おやすみ」
素面の私は一人、夜の静けさに残された。
二人がどんな色を見ているのか、白黒の視界しか持たない私にはわかるはずもなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございました。




