黄色と白と空の青
今回は妹・忍の一人称です。
私は黄色が苦手だ。
それはあの子の色だから。
私が手を伸ばしていいものではないから。
視界に黄色がちらついてきたとき、これは夢なんだとはっきりわかった。
さっき忍との会話が変な終わり方をして、気まずくなって背を向けて眠った。
歯を磨いてない。化粧も落としてない。服すら、そのままだ。でもどうでもいい。億劫だった。何もかも。
無意味に酸素を二酸化炭素に変えるだけの存在になった私は、忍の寝息が聞こえてくるまでひたすら目をつむって世界を暗くしていた。
ペンライトの軌跡が暗闇に線となって残るように、いつの間にか視界に黄色い筋がちらついて、ああこれはいつもの夢なんだと漠然と思った。
黄色は、あの子のヘアゴムの色だ。
長い髪を高い位置で括って、いつも私の前を歩いている子だった。歩むたびに結わえられた髪が揺れ、黄色いゴムがちらつく。
私は黄色に向かって必死に足を動かす。早足に、小走りに、全速力で走って息をきらしても、黄色はゆらゆらとやんわり私との距離を広げていく。
行かないで、とは言えなかった。私は諦めていたのだ。
あの子には追いつけない。私では無理なのだ。
足場は土を跳ね、だんだん泥をくっつけて重くなっていく。
ただ目を見開き、自分を苦しめるだけの鼓動の速さを聞いている私。
一度も振り返らないあの子の黄色い軌跡が見えなくなっても、動悸はちっとも治まらない。
私を責めるように、ひたすら胸は内側から強く叩かれる。
どうして動いているんだ、と。
そんなの、私が一番聞きたいのに。
目が覚めるとカーテン越しの朝日ですでに部屋は明るくなっていて、隣で寝ていたはずの忍はいなくなっていた。玄関とこの一間しかない部屋を隔てる扉の向こうでフライパンが音を立ている。
良い匂いだ。
急に食欲が涌いてくる。おなかがすいていたことに気付いた、という感じだ。
お腹がすく。あたりまえだ。生きていれば、食べないわけにはいかない。
「ケイちゃん、おはよー。ちょうどご飯が出来ましたよー」
忍は昨日の朝と変わらない笑顔で私に接してくれる。夜の気まずさをまったく引きずらないでいてくれたことがありがたい。
「今日はスクランブルエッグにしてみました」
忍が机にお皿を置く。鮮やかな黄色。
「あれっ。ケイちゃん、卵、ダメだっけ」
私の表情を敏感に見分けた忍が硬い声を出す。
「ひょっとして昨日の目玉焼きも、アウトだった?」
「ううん、卵は好きだよ」
忍が早起きして作ったものを手つかずで残すわけにもいかないから、さっきまでの空腹感が嘘のようにしぼんだことはあえて忘れることにした。
忍は私の顔をちらっと見て、自分の分のスクランブルエッグに視線を落とす。
「ケイちゃんは、今日もバイト?」
「夕方からね」
「じゃあ、午前中は?」
「大学の図書館に行こうと思ってる。昼食は、適当にすませてくるからいらない」
「なんか、夫婦の会話みたいだね」
「離婚寸前のね」
箸が皿に当たる音、歯が卵をすりつぶす音がここぞとばかりに大きく聞こえてくる。
「ケイちゃん」
忍は箸を置いて一つため息をつく。
「君はときどきすごい自虐を言うね」
「離婚のこと?」
「ボクらの両親、離婚してんじゃん。しまった、とか思わない?」
「あんまり。忍が気にしてるなら、謝るけど」
「いや、ボクはいいんだよ。10年も前のことだし、それ」
「私もあんまり気にしてないけど。10年って、ほとんどのことは時効になるんだよ。あ、知ってる?口約束って、1年で時効になるんだよ。授業で習った」
「ケイちゃん、法学部なの?」
「法学部ではない。法学科」
「それって、どう違うの?」
「部長と係長くらい、違う」
「なにそれ、全然わかんない」
忍はおかしそうに顔を歪める。さっきまで硬い表情をしていただけに、すぐに笑顔に変換出来ませんでした、というぎこちなさがあったけど、それでも笑顔が本来持つ光がちゃんと宿ったものだった。
「卵が嫌いだったら、言ってね」
忍は私の皿にまだ多く残ったスクランブルエッグを見ないようにして、明るく言う。
「ボクたち、たしかにお互いのことよく知らないけど、それって少しずつなら埋めていけるものだと思うんだ。ボクはケイちゃんのこともっと知りたいし、教えてほしい」
今度は、感情がちゃんと反映されたとわかる笑顔だった。
忍は、やっぱり私よりずっと大人だ。
昨日の気まずさをちゃんと解いて、少しずつ良い方向に進んでいこうとする。私にはそれが出来るだろうか。
「卵は、べつに嫌いじゃないの」
どう言っていいのかわからないけど、私も少しずつでも忍を見習っていかなくちゃいけない。
「夢を見たの」
「夢?」
「黄色い夢」
忍はさっぱり状況がわからないはずなのに、口を挟まずに黙って先を促してくれる。
「ダメなの。黄色い夢を見ると、いつも責められてるような気がしちゃって。追いつけない私が悪いだけなの。スクランブルエッグは悪くないのに」
自分の説明の支離滅裂さに呆れた。
言葉にするとどんどん夢のリアリティーが遠のいていくのを感じる。意味不明な、寝言の延長線上のものでしかなくなっていく。
それでも、黄色い、あの軌跡は消えない。ゆらゆらと鮮やかに、私のなかに留まって胸のなかを占領する。
ふいに私の皿に忍の箸が伸びてくる。
何事だろうと動けないでいるうちに、箸は忙しく忍との間を往復し、皿はどんどん地の色である白色になっていく。
やがて何もなくなってしまうと、忍は満足げに頷く。
「白くなったね」
「・・・そうだね」
忍の口の端には、卵の欠片がひっついている。さっき私の分をすごいペースで平らげたからだ。
「白はあまりにも彩度が高いから、黒と同じで色としてカウントされないんだ。つまりこの皿は今、何の色もないってことだよね」
「・・・そうなの?」
「そうなの」
やけにきっぱりと言い切ってから、ふいに表情を和らげてから言う。
「誰もケイちゃんのことを責めてなんかいない」
忍は振り返り、背にしていたカーテンに手をかけ、勢いをつけて端に引く。
「今日はいい天気だね。洗濯ものがよく乾きそうだ」
もう一度私を振り返って、忍はまた笑う。
「朝から天気がいいと、いいことありそうな気がしない?」
空は夏の強い光で空をどこまでも輝かせている。その先にあるという宇宙空間さえ青で出来ているんじゃないかと思わせるほど、鮮やかだ。
自分の内側に空の青が流れこんで来る。空の青をバックにした忍がそうさせているんだ。根拠もないのにそんなことを思った。
世界は青い。
私は少しの間、黄色い夢のことも、スクランブルエッグが食べられない臆病な自分のことも忘れた。
ただ忍の青に魅入った。
お疲れ様でした。ありがとうございました。




