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ほんまだよ

今回は妹・忍の一人称です。

時間というのは一人ぼっちの人間の傍に長くいたがるものなのかもしれない。

同情のつもりなのか知らないけど、はっきり言えばそれはいい迷惑だ。

一人の時間を長く過ごさなくちゃならないのは、やっぱり良い気はしない。

「おかえりケイちゃん。遅かったね」

呼び鈴を鳴らさず、自分で鍵を回して家に入って来たケイちゃんを、ボクは笑顔で出迎える。

「カレー作ったんだけど、食べる?」

ケイちゃんはようやく自分の家に居候が来ていたことを思い出したようで、少し間を置いてから「ああ」と息を漏らす。

「バイトでは賄いが出るの。言ってなかったっけ」

「えっ、じゃあ、もう食べてきちゃったんだ」

「うん。っていうか、さすがにこんな時間には食べないよ」

本棚の上に置かれたアナログ時計を見る。もう日付を回っていた。

「バイトって、こんなに遅くなるんだね・・・」

「まぁ、居酒屋だしね。そのぶん時給はいいから、文句は言えない」

ケイちゃんは面倒くさそうにそう言って肩から鞄を下ろし、自分も座り込む。

狭い部屋だから、一人増えただけでお互いの存在感がすごく大きく感じられる。そのぶん、なんだか沈黙が痛い。

「居酒屋でバイトしてるんだね。なんていうお店なの?ボク、今度行ってみようかな」

「高い店だから、学生には向かないよ」

「へぇ、高級なお店なんだ。やっぱりその辺のお店じゃ食べられないようなすごいものを出してるんでしょ?そんなすごいところで働いてるなんて、ケイちゃんはすごいね」

やたらと「すごい」を連発して褒めたつもりだったのに、ケイちゃんは照れた様子もなく、不機嫌に黙り込む。何か気に障るようなことを言っただろうか?

ひょっとしたら、バイト先で何か失敗をしてしまって、今はバイト関連は禁句なのかもしれない。だからボクは急いで話題を変える。

「あ、明日はバイト、ないよね?ボクが料理作るから、何でも好きなものリクエストしてよ」

「明日もバイトあるの。っていうか、8月はほとんどの日数をバイトに割いてるから」

素っ気なく言ってからケイちゃんは机に置いてあったリモコンを手に取り、テレビを点ける。

画面に大写しになった芸人のバカ笑いが映る。

あっはっはという笑い声が、場違いにこの部屋に生まれる。

なんでそんなにバカみたいに笑ってるんだよ、と我ながら理不尽だと知っていつつも責めたくなってしまう。

ボクたちは会話すら続かないんだぞ、なんとかしろよ、と。

「忍は今日、日中は何して過ごしてたの」

ケイちゃんはテレビから目を離さずに口を開く。

べつに熱心に魅入っている様子もなかったから、ボクと同じで目のやり場に困った結果なのかもしれない。

「ああ、なんか、スーパーでおばあさんを助けたというか、手伝ったら、成り行きで家に着いて行くことになっちゃって、その人の家でお茶とケーキをご馳走になったんだ」

ケイちゃんは驚いたようにボクの方をぱっと見たけど、目が合うとすぐに気まずそうにまたテレビの方へと視線を戻す。

「それは、また」ケイちゃんは何と言っていいのかわからないとでも言いたげに、たどたどしく唇を音もなく動かしてから「すごいわね」とだけ言った。

「うん。知らない人だったのに、なんかいつの間にかまた家に行く約束までしちゃったんだ」

「仲良くなったってこと?」

「うーん、それもあるんだろうけど、そのおばあさんの旦那さんに絵を教えることになったんだ」

自分で言ううちに、なんでそんなことになっちゃったんだろう、とあらためて首を捻りたい気持ちになった。

老人を助けました。家まで着いて行きました。絵を教えるためにまた伺うことになりました。どれも本当のことなのに、結果だけ見ると嘘くさいというか、すごく現実味がない。

「あんた、昔から絵、うまかったもんね。まだ続けてたんだ」

「続けてるというか・・・ボク、一応今、美大生なんだよ」

ケイちゃんは、今度は驚いてボクの方を見ることはなかった。見知らぬおばあさんの家にのこのこ着いて行ってお茶をご馳走になることの方がずっと驚くべきことだとでも言いたげに。

「それは知らなかった」

なんでやねん!とテレビからツッコミが入る。まるでこっち側のタイミングに合わせたような見事なタイミングだったけど、やっぱり場違い。余計なお世話というやつだ。

テレビから吐き出される爆笑のエネルギーは、画面のこちら側には欠片も届かない。さっきよりずっと居心地の悪い沈黙だけが鎮座している。

知らなかった、か。たしかに、ケイちゃんに言った覚えはない。言わなければ伝わるはずはない。小学生だって知っている。なのに、ボクは忘れていた。

あらためて、10年間という空白の大きさを思い知らされたような気がした。

ボクがどんな学校にいようと、フリーターだろうと外出好きなニートだろうと、ケイちゃんがそんなことを知るはずもない。いくらボクにとっては当たり前のことであろうと、ケイちゃんにとってはそうではないのだ。

でも、家族なら当然知っていることを知らないというのは、やっぱり「家族以外、つまり他人」とずばり言われているのと同じことで、それがすごく居心地が悪かった。

日付が変わったあとにに同じ部屋でテレビを見ている関係なのに、お互いがどんな職業についているのか知らないボクたちは、いったいどんな関係なんだろう。

家族ではない。友だちでもない。知り合いではある。急な居候をあっさり受け入れてくれる、ただの知り合い。

ボクたちは、お互いのことを何も知らない。その事実だけが、この気まずい沈黙のすべてだった。

先に口を開いたのはケイちゃんだった。

「そっか、美大か。忍には合ってると思うよ。絵、うまいし」

「ボク、絵、うまかったっけ」

形だけであっても、褒め言葉がケイちゃんから出てきたことに驚いて、少し声が裏返ってしまう。

「なにそれ。絵がうまいから美大にいるんでしょう」

決してそういうわけでもないけど、それを言っても始まらないだろうから、ボクは曖昧に笑った。

「昔、描いてたじゃない。空の絵」

また沈黙が降ってくるのかと思っていただけに、ケイちゃんがこう言いだしたときは、いったい何のことだろうと戸惑った。

当のケイちゃんも自分の言葉に着いて行けていなかったようで、「なんで私はこんなことを言いだしたんだろう」と横顔が語っている。でも、ちゃんと続きの言葉は出てきた。

「小学生のときだったと思うけど、たしか宿題で空の絵を描かされたじゃない。私は正直絵なんてあんまり好きじゃなかったし、ちょうど絵の具セットに入ってた『そらいろ』っていうので塗りつぶしちゃおう、とか思ってたの」

残念ながら、ボクにはそんな思い出はなかった。絵を宿題にされたことはあったかもしれないけど、それが空の絵だったかどうかまでは、記憶に残っていない。

「そのとき、あんたは言ったのよ。そらいろ絵の具は、空の色をしていないって。で、あんたの絵を覗き込んでみたら、すごくきれいな空の絵が出来あがってた」

そこでケイちゃんは言葉を切ってしまう。またテレビのバカ笑いだけがむなしく流れる。

そらいろ絵の具は空の色をしていなくて、でもボクはケイちゃんの言うことをそのまま使うのなら「きれい」に仕上げていて、だからボクは絵がうまい。そういうことなんだろうか。

ありがとうと言うべきなのかな、一応、褒められたみたいだし、と言葉を選んでいるところで、ケイちゃんはさっきよりずっと小さい声で急に続きを言った。

「だから、あんたは人と違う見え方が出来るんだなって思って、それがけっこう羨ましくて、私とは違う人間なんだなと思った」

これほど言葉に困ったことは今までなかったと思う。それくらい、ボクは何を言っていいのかわからずにいた。

人と違う見え方?空の色?羨ましい?違う人間?

いったい、何のことなんだ。ケイちゃんはボクのことをいったいどんな目で見ていたんだ?

「美大生は、充分、普通の人間だと思うけど」

ボクは混乱した頭で、とりあえず最初に出てきたセリフをそのまま言った。

「べつに普通じゃないとは言ってない」

ケイちゃんはやけに断定的に言う。

「ただ、私とは違うなと思っただけ」

「ケイちゃんとボクが違うのなんて、当たり前じゃないか」

ボクはやっぱり、ケイちゃんが言いたいことを捉えられないまま、思いついたことをそのまま言う。

「そう。私とあんたは違う。忍はすごいと思うよ」

「ありがとう。でも、それって、ケイちゃんはすごくないってこと?」

「卑屈に聞こえた?」

「すごく」

「でも事実でしょ」

「ちょっと待って。ボク、今全然着いて行けてない」

ボクたち、どんな話をしていたんだっけ?すごいだのすごくないだの、そんな内容の会話だっけ?

ケイちゃんは、何を言いたい?どうしてボクと目を合わせようとしない?

「ごめん。今日はちょっと疲れてるみたい。変なこと、言ったかもしれないね」

ケイちゃんは眉間の間をつまむような仕草をした。

「もう寝るね」

そのまま部屋の電気を消してしまう。テレビの光だけが残される。

「ケイちゃんは、すごい人だと思うよ」

ボクに背を向けて床にそのまま横になったケイちゃんに、とりあえずそれだけ言った。

ほんまかいな、とテレビから声がする。

おまえはいちいち余計なところで口を出してくるんじゃないよ、と睨む。この世に沈んでいる人がいるなんて欠片も思っちゃいないような、満々の笑みだった。

そいつをもう一回睨んでから、背を向けたケイちゃんにもう一度声をかける。

「ほんまだよ」

慣れない関西弁は、暗闇に溶けて消えた。



お疲れ様でした。ありがとうございました。

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