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オリカ・イズ・デッド、それから  作者: 遊佐東吾


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3/25

1-2:警察署、四きょうだい、冷たい遺体

 今朝早くの話だ。自宅のアパートから少し離れた二級河川の土手を、セイゲンはオリカとともに歩いていた。週に一度の早朝お散歩デートだ。


「今週も雨が降らなくてよかったねえ」


 隣を歩くオリカが上機嫌で言う。

 どうやら今年は空梅雨らしく、先週のお散歩デートも無事に開催されていた。来週も同様であることをセイゲンは切に願う。

 陽光が川の水面に反射し、オリカの横顔を照らしている。

 宙宮(ちゅうぐう)織火(おりか)、セイゲンにとってむしろ彼女こそが太陽そのものといって差し支えなかった。


 セイゲンとオリカは同い年だ。ただし大学に入って三年目のセイゲンとは違い、オリカはブーランジェリー・モーというパン屋で朝早くから働いている。さらに午後からはカササギ亭という別の洋食店でも厨房兼サービスとして勤務していた。

 そんな彼女が不意に朗らかな声を上げる。


「おはようございます」


 オリカに見とれていたセイゲンも慌てて後に続き、「お、おはようございます」とぎこちなく挨拶した。

 にこやかに「おはようさん。いつも仲がいいねえ」と茶々を入れながら前方からやってきたのは、いつもこの時間帯に犬を散歩させている老紳士だ。犬好きのオリカとはすぐに意気投合したようで、今では互いに挨拶を欠かさない。

 連れている犬も「おん」と軽快に吠える。からかわれているのかもしれない。

 つい「あ、いや、その……」と口ごもり俯いてしまったセイゲンだが、老紳士は意に介さない様子で手を振りながら去っていく。


 始発なのだろうか、遠くから踏切の音が聞こえてきた。その音が鳴り止むまで二人の会話は途切れたままだった。

 あと半年もすれば二十一歳になるというのに、中学生よりもゆっくりと恋愛をしていることをもどかしく思う気持ちと、自分たちに合った歩幅で進んでいけばいいさと納得している気持ち、そのどちらもがセイゲンの中に等しくある。

 すると彼の手が突然握り締められた。オリカによって。


「いつかきっと、結婚して家族になろうね」


 はにかみながら彼女が言った。

 自分が何と答えたのか、情けないことにセイゲンはまったく思い出せない。


     ◇


 オリカ、オリカ、オリカ。脳裏に浮かぶのはオリカの姿だけだ。

 蒸し暑い夜であり、拭っても拭っても汗が流れてくる。

 警察署の霊安室を訪ねるなどというシチュエーションが、まさか自分の身に降りかかろうとはセイゲンも夢にも思っていなかった。


「おま……たせ……しま……した」


 カラオケ店を出た彼はあまりに非現実的な報せを信じられず、ここまでひたすら走り続けてきたのだ。

 自分が一歩足を動かすごとに嘘が証明でもされるかのように。

 なので息も絶え絶えになっており、短い挨拶ですら続けて出てこない。


 異質な部屋だった。かなり低く設定されている室温のため、汗が一気に冷たく感じられれてくる。

 死者を安置するために使用されるとあって、人の営みを感じさせるものは室内に何もない。生と死の境目にあるような無機質さだ。

 その真ん中に、大きな布がかぶせられている寝台が置かれていた。

 布の膨らみを目にした瞬間、セイゲンの心臓が凍りつきそうになる。


「──遅い」


 輪をかけたように冷ややかな声がした。

 オリカの妹、宙宮吹雪である。

 鋭い目つきと姉よりも高い身長、この二つが相まって彼女こそが宙宮家の長姉だと勘違いされることも多いらしい。しかしフブキはまだ高校一年生だ。


 彼女の隣で呆然と立ち尽くし、静かに涙を流しているのは次男の京佑(きょうすけ)。伸ばした髪をサイドテールにまとめた、中学一年生にして個性的な容貌の少年である。

 そんな兄の袖をぎゅっとつかみ、唇を噛みしめている小柄な少女もいた。末っ子にあたる小学二年生の観子(みこ)だ。

 どういうわけか席を外しているようだが、宙宮家にはもう一人、晴駆(はるく)という中学三年生の長男もいる。


 総勢五人きょうだいの宙宮家には両親がいない。というより、五人とも父親が違う。母親はずいぶん前に蒸発しており、彼女に代わって年長のオリカが弟妹の面倒を見てきたといっていい。


「あんたを呼ぶつもりはなかったんだけど」


 ハルがどうしてもって頼んでくるから、とフブキが言う。

 宙宮家の五きょうだいには身寄りがないも同然だった。誰の父親もわかっておらず、長姉であるオリカがいなくなったときに頼れる大人の当てがないのだろう。

 だからハルクの意図は理解できる。それでもセイゲンなどはまだ大人と呼ぶには程遠く、ただ二十年ちょっと生きてきただけの人間だ。


 何より、オリカの死をいまだに現実として受け入れられず、この場の風景が幾重にもフィルターを通したように見えてしまっている。

 案内されてくる間に説明を受けた交通事故の概要さえ、言葉が意味をなさず頭の中を上滑りしていた。ただただ、汗で濡れた肌が氷のように思えて仕方なかった。

 静かに目礼し、「オリカは……」と口に出すのが精いっぱいだ。


「ふん、まあいいよ。あたしは納得してなかったけど、お姉ちゃんと付き合っていたんだしね。だからちゃんと最後の挨拶をしてあげ、て」


 涙声になってしまいそうなのをどうにか堪えたのか、体を震わせながらフブキが気丈に言い切った。

 付き添っている警察の係の方からも「どうぞ」と促され、セイゲンがオリカを覆っている布地に手を掛ける。

 そのときに後ろから急に腕をつかまれた。


「覚悟はしておいてね、セイくん」


「え」


 伏し目がちに声を掛けてきたのはキョウスケである。

 彼の言葉の意味は布地をめくってみてすぐにはわからなかった。

 オリカの顔にあったのは擦過傷くらいで、痛々しくはあったが死んでいるようにはとても見えない。今にも起き上がって話しだしてくれそうな気がする。

 いかにも彼女らしい明るさで「冗談だよっ」と。


 けれどもそんな願望はすぐに打ち砕かれた。オリカには下半身がなかったのだ。より正確に言えば、原形を留めないほどに潰れて赤黒い肉の塊と化していた。

 不意に地面が揺れ、眩暈に似た感覚を引き起こす。


「こんな……こんなこと……あっていいわけない」


 セイゲンは現実を否定するだけの意味しか持たない言葉を絞りだし、足にも力が入らずそのまま寒々しい床へとへたり込んでしまう。

 朝、あんなにもオリカは生きるエネルギーに満ちていたのに。

 セイゲンにとって彼女こそ太陽そのものだったのに。

 壁に体を預けて腕を組み、唇をきつく噛みしめながら、フブキが天井の一点を凝視している。キョウスケはしきりに袖口で目元を拭っていた。末っ子のミコもそんな兄から片時も手を離さない。


 そんなとき、ドアの外で何か大きな物を置いたような音が響いた。

 何ごとかと疑問に感じる間もなく入室してきたのは、セイゲンにとって見知った顔だった。ここまで不在だった長男のハルクである。

 大柄な彼は霊安室にセイゲンがいるのを認めるなり、深々と頭を下げた。


「セイさん、来てくれたんすね。ありがとうございます」


 だがそんな挨拶よりも、彼の後ろに鎮座している物体に意識が集中してしまう。

 置かれていたのは木箱だった。それも前後に並んでいるハルクがすっぽり入れるほどの長い箱。霊安所という特殊なこの場所で目にすれば、どうしたってあるものを連想せざるを得ない。

 ハルクがおもむろに頷いて言う。


「急いで作ってきた棺っす。オリカ姉を運ぶための」

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