5-3:佐原桐子、悪夢、死屍累々
宙宮カレンという名が仮初のものであるならば、本名の蓮川結で呼ぼう。
彼女は語った。四年前、まさしくミコからの問い掛けによって、心がぽっきりと折れてしまったのだと。
宙宮家の母親役を演じようとし、結局何者にもなれなかった蓮川結は、逃げるようにこの街から姿を消すことを選んだ。
だが各地を転々とする生活は想像以上に過酷で孤独だった。
体を壊し、心をすり減らし、常に怯えて暮らす日々。
まだ三十九歳でしかない彼女が自身の最期を迎えるために選んだ土地は、慣れ親しんだ元の街である。吸い寄せられるように舞い戻ってきたわけだ。
蓮川結から以上の現況を聞きだすだけでも、なかなか骨が折れた。
理路整然とした説明からは程遠く、話の内容もあちらこちらに飛んでしまう。ただし彼女の精神状態がまともとは言えないだけに致し方なくはある。
なのでとっちらかった回想の再構成を、ほぼ蓮川結と無関係で、それゆえに最もこの場で冷静であるはずのセイゲンが試みた。
彼女の口走る断片を繋ぎ合わせれば、以下のような物語が浮かび上がってくる。
◇
中学時代の三年間を通して、蓮川結には親友がいた。
名を佐原桐子といい、「キリコ」「ユイ」と下の名前で呼び合う仲だった。
「高校に進んでも、その先も、ずっと仲よくしようね」
二人の他愛ない願いは、同じ高校に合格したことでひとまず叶う。
ただしここからが蓮川結の、あるいは佐原桐子の転落人生の始まりである。
入学して早々、タチの悪いグループに目を付けられたのが佐原桐子だ。
彼女の親は離婚しており、高名な画家であった父からは相当な額の慰謝料と養育費とが払われていたらしい。
だから佐原桐子は狙われた。
そこそこの進学校だったせいもあるのだろう、やり口は狡猾である。
まずはフレンドリーな関係を装ってグループ内に囲い込み、それ以外の友人ができないようコントロールした。
この第一段階を経て、次は佐原桐子の弱みを握る第二段階へと移る。
弱みがないのであれば捏造してでも作りだせ。底なし沼に嵌めろ。
誰にも助けを求められない状況になれば、後はゆっくりと金を搾り取るだけ。
グループのリーダー格だった女が後でそう吹聴していたのを、蓮川結はその耳で確かに聞いた。
彼女もまたこのグループに絡めとられている。
佐原桐子が頼りにし、心の支えとしている人物。それが蓮川結だったからだ。
蓮川結への脅迫は随分と直接的であった。
「佐原を痛めつけろ。手ひどくな」
でないと標的をおまえに代えて、ビルから飛びたくなるくらい追い込んでやる。
残念ながら、暴力的な脅しに抗えるほど蓮川結の心は強くなかった。
結果として彼女はグループ内で最も下っ端の扱いを受けるようになり、佐原桐子へ暴力行為を働く際は常に出番が回ってくるようになってしまう。
蓮川結が佐原桐子を殴り、蹴る様子をリーダー格の女は録画しつつ悠然と見守っていた。そしていつでも適当なところで切り上げさせる。
無表情のまま、「ありがとうございます」とリーダー格の女へ頭を下げる佐原桐子の姿はあまりに痛々しく、自身がやった結果とはいえ蓮川結も直視できない。
「金の卵を産む鵞鳥を殺すバカはいねえだろ」
位付けの意味しか持たない、私刑じみた暴力の強制を途中で制止する理由について、リーダー格の女は明確に語っている。
「でも、心だけはきっちり殺しとけばいいのさ」
いつまでこんな日々が続くのか。
絶望の闇に囚われつつあった蓮川結だったが、終わりは唐突に訪れた。
高校二年生のある日、久しぶりに佐原桐子からの着信があった。
いつぶりになるのかも思い出せないほどの直接の連絡に、蓮川結は慌てふためきながらスマートフォンの画面上に浮かび上がっている通話のボタンを押す。
『あのね、ユイ』
「キリコ……。どうして掛けてきたの。あいつらにバレたら、また殴ったり蹴ったりしなきゃいけなくなるんだよ」
二人のスマートフォンには遠隔監視アプリが仕込まれている。
勝手に削除しようものなら、どんな目に遭わされるかわかったものではない。
彼女たちに逃げ場はないのだ。
だが佐原桐子は晴れやかな声で告げた。
『もういいの。わたし、この世界にサヨナラするから』
その言葉が意味するところはすぐに理解できた。
『あの子たちが出入りしている廃ビル、あったよね。あそこの屋上からならきっと意味が伝わると思う。だからユイ、今度生まれてきたときにはまた仲よくしてね』
「待ってキリコ、待って!」
蓮川結の叫びも空しく、通話はすでに切られていた。
彼女は家を飛び出す。部屋着のままである身なりにも構わず、ひたすらに佐原桐子が予告したビルを目指して走っていく。
きっと本気じゃないはずだ、そう信じて。
肩で息をしながら目的地に到着した蓮川結は、屋外型の螺旋階段を必死の形相で駆け上がっていった。
かんかんかん、と忙しない音を立てながら屋上へとやってきた彼女の目に飛び込んできたのは、黒髪を風になびかせている佐原桐子の姿である。
よかった、間に合った。思わず安堵の涙が蓮川結の頬を伝う。
くずおれるように跪き、彼女は謝罪の言葉を絞りだした。
「ごめんね、キリコ。ごめんねえ」
受け入れてもらえるかどうか、それは佐原桐子が決めるべきことだ。
蓮川結にできるのは、ただひたすら心からの謝罪をする。それだけしかない。
しかし佐原桐子の反応はまったく予想外だった。
「そのつまらない行為に何の意味があるの?」
不思議そうに蓮川結を眺めている彼女の目は、まるで別人のように見える。
「めそめそしている暇があるなら、さっさとこの場に全員呼びだしてよ」
「えっと、全員って、誰のこと?」
袖口で涙を拭いつつ、蓮川結が訊ねた。
佐原桐子は初めて目にする不敵な笑みを浮かべ、傲岸不遜に言い放つ。
「決まってるでしょ。『私』をひどい目に遭わせた連中にお礼しなきゃ」
リーダー格の女をはじめとする例の六人が集まってくるのは早かった。
「大金が手に入ったので」と一言添えて連絡していたのが効いたのかもしれない。
屋上へとやってきて開口一番、「金はどこだよ」とリーダー格の女が言った。
「おまえらがさっき直接やり取りしたのはだだ漏れだがよ。金額次第じゃ制裁はなしにしてやっても構わないぜ」
なあ佐原、と彼女は自信満々に近づいていく。
「とうとう体でも売ったか? だとしたら見上げた心意気だな。おまえにゃもっと別の稼ぎ口だって紹介してやれるぞ」
結果としてこれが彼女の最期の言葉となった。
ずっと凝視していた蓮川結にさえ、目の前で何が起こったのかわからない。
一拍遅れて、リーダー格の女の首がコンクリートの床へごろんと転がる。
「あ。楽に死なせちゃった」
失敗した、とばかりに佐原桐子が舌を出す。
死んだことをまだ認識できていないかのように、リーダー格の女の体はきちんと立ったままだった。だが無くなった首からは真っ赤な鮮血が噴き出している。
「鬱陶しいな、それ」
そう文句を口にするなり、佐原桐子は腕を上から下へと振った。
途端に首なしの体がひしゃげてしまう。まるで空き缶のようにあっけなく。
そこから凄惨な殺戮が繰り広げられた。
残ったグループの五人はまず足の腱を切られ、逃げ出すことができないようにされてしまう。なぜか悲鳴も一切聞こえてこない。
原形を留めずどろどろに腐り落ちた者、眼球からスタートして隅々まで焼かれた者、みじん切りのように細かく刻まれてしまった者、体中の水分を抜かれて干からびてしまった者、逆に限界を超えるまで水分を注入されて破裂してしまった者。
通りすがりに肩を叩くような気軽さで、佐原桐子はこれらをやってのけた。
あまりに現実感がなさすぎて、まるで遠い世界での出来事であるかのようにしか蓮川結には感じられないでいた。
けれども一つだけ理解できていることがある。
あの六人が死んだ今、最後は自分なのだと。罪は罰せられなくてはならない。
覚悟を決めた彼女は、かつての親友の元へ歩み寄っていく。
佐原桐子の手にかかって死ぬのであれば、それも悪くない終わりだ。
にもかかわらず現実はまだ続いていくらしい。
「あなただけは助けてあげるよ。よかったね、死なずに済んで」
さらりと佐原桐子にそう告げられてしまった。
ただしその目に浮かんでいたのは冷たい嘲りの色だ。蓮川結はこんな表情を見せる親友を知らない。
「でも、そうだね。命が尽きるその時まで、『私』の命令には従ってもらおうか。だってあなたも随分とひどいことをしてきたんだし?」
蛇に睨まれた蛙、とでも形容しようか。
全身が痺れたかのように動けなくなり、佐原桐子の言葉にまったく逆らえなくなってしまう。
蓮川結はようやく気づかされた。以前と変わらぬ友情などもはやどこにも存在せず、自分の上位にあたる捕食者だけが交代したのだ。
「うん、いいよ。それがキリコの望みなら」
深呼吸をして目を瞑り、すべてを受け入れるように蓮川結は両手を広げた。
六人もの死者を出した事件、そこからの約二十年間に及ぶ彼女の月日は、宙宮家のきょうだいたちの歩みとも被る。
完全に人格が変わってしまった佐原桐子は直後に失踪。
警察の捜査に影さえ踏ませなかった彼女だが、蓮川結の前には時折姿を現した。もちろん友情などではなく、都合よく利用するために。
一年も経たないうちに連れてきた赤ん坊を皮切りに、合計五人の育児を予告もなしに押しつけられた。
すなわちオリカ、フブキ、ハルク、キョウスケ、ミコの五人きょうだいである。
◇
「宙宮家の実の母親は、佐原桐子だったってわけか……」
断片的に語られたエピソードを時系列順に並べ終え、セイゲンが唸る。
もっとも、今の話にはいくらか妄想じみた内容も含まれていた。
どこまで信じていいのかは悩みどころだが、細部はともかくとして大枠の流れそのものは誤っていないだろう。
当の蓮川結は憑き物が落ちたかのように、すっきりとした表情をしていた。
なのに彼女が繰り返し口にする願いはその真逆と言っていい。
「もう、すべてを終わらせたい」
いや、過去の出来事を語り終えて思い残すことがなくなったからなのか。
安易に「死ぬのはよせ」「少し休んで考え直せ」と説得したところで、そんな上っ面だけの言葉が、疲れ切った彼女に届くとは到底思えない。
あまりにも追いつめられた人生を、蓮川結は孤独に歩んできたのだから。
偽者の母親、あるいは偽者の子供たち。
互いに相手へ届く言葉を持ち合わせていないのだとしても、このまま何もかもを終わらせてしまっていいはずがなかった。
だがこの場にもう一人、登場人物が加わってしまう。
誰にも気づかれることなく、いつの間にか隅で静かに佇んでいた彼女は、蓮川結の死への願望を肯定した。
「じゃあ今度こそ殺してあげよっか」
セーラー服を着た、少々野暮ったい黒髪の少女が全員の注目を集める。
「キリコ……」
蓮川結の口から漏れ出たその名前の響きには、どこか待ち望んでいたようなニュアンスも含まれていた。




