5-2:待機、再会、尋問
自宅に戻ったところで、セイゲンがやるべきことは何もない。むしろ宙宮家の状況が気がかりなだけだ。
なので彼もハルクとミコに同行し、引っ越しの準備を手伝うことにした。
宙宮家の五人が暮らしていた部屋は以前と変わっておらず、一般に文化住宅と呼ばれている建物の一室である。
よくオリカは「五人もいると部屋が狭くって」と笑っていたが、だからこそここには彼女の思い出が染みついている。再会して無理やり連れ込まれた日の食事は生涯忘れることなどできない。
感傷のせいか、つい無遠慮に周囲を眺め回してしまったセイゲンの視線が、一回りしてハルクの目とぶつかった。
「セイさんには何から何までお世話になって、どうお礼を言えばいいのか」
スーパーに寄って大量にもらってきた段ボールへ、普段使っていない物から選んで詰めていくハルクがしみじみと語る。
これにはセイゲンもむしろ慌てた。
「いいって別に」
気にしないでくれた方がうれしい、と改めて念を押す。
家族になろうという男に対してそんな心遣いは無用だし、今のところそれほど宙宮家の役に立っている実感もない。
それでもハルクは手を止めることなく穏やかに言った。
「オリカ姉の教えなんでね。親しき仲にも礼儀あり、すよ」
彼女の名前を出されてはセイゲンも二の句を告げない。
フブキたちからの連絡を待ち、こつこつと荷物整理を進めていくことにする。
最初の方はミコも喜び勇んで二人を手伝っていたが、そのうち飽きてしまい、邪魔にならないよう一人で遊びだしていた。
時計の針は夕方の時間帯へ差し掛かっていく。
一年の中で最も日が長くなっている時期とはいえ、さすがに午後七時に近くなればもう外も暗い。
黙々と作業に没頭していたせいで、セイゲンとハルクは夜の訪れに気づくのが遅れてしまった。
「ごめんミコ、お腹空いただろう? すぐに準備するから──」
勢いよく立ち上がったハルクへ、セイゲンが口元に人差し指を当てる。
「ハルクくん。ミコちゃん、寝ちゃってるよ」
部屋の隅で末っ子は小さな寝息を立てていた。
大のお気に入りとなった柴犬のぬいぐるみをお腹のあたりに抱え、丸まった姿勢で眠っている姿は、まるで子犬の親になったかのようだ。
そんな妹の傍らに、ハルクが静かにかがみ込む。起こさないように細心の注意を払いながら、ミコの髪を愛おしそうに撫でだした。
セイゲンはただ黙ってじっと見つめている。
宙宮オリカが遺していったもの、それがハルクとミコの二人が織りなす情景に象徴されているのだ。そう思えて仕方なかった。
なのに突然、静寂は破られてしまう。
玄関の扉が乱暴に開けられ、汗だくになったキョウスケが飛び込んできたのだ。
「兄ちゃん、セイくん! えらいことになった!」
膝に手をついて話すくらいに息を荒げており、彼を特徴づけているサイドテールもだらんと垂れ下がっていた。
いきなりの大きな音でさすがにミコも跳ね起きてしまい、寝ぼけた様子で「え? なに?」と傍らにいる兄のハルクを見上げている。
「おまえ、気持ちよさそうに寝ていたミコを起こしてんじゃねえよ」
別人かと思うほどの低い声だ。
普段から落ち着いた態度を崩さないハルクが、これほど怒っている姿をセイゲンはいまだかつて目にしたことがなかった。
もちろんキョウスケも兄の逆鱗に触れたことは承知しているらしい。
「ごめん、ごめんて」
汗が流れて玄関に落ちるのも厭わず、必死に謝り倒している。
さすがにここはセイゲンの出番だった。
「二人とも落ち着こう。キョウスケくんの持ってきた報せが、ひょっとしたら緊急性の高いものなのかもしれないし」
兄弟の間に割って入り、仲をとりなす。
宙宮家全体で所有しているスマートフォンは一台きりだ。オリカ亡き後、主にフブキが扱うようになっていた。今回の調査のようなケースでは、カメラ機能や録音機能などは特に欠かせないのだろう。
なのでキョウスケによる情報伝達手段は人力、すなわち足だった。
険しい表情のままハルクがコップに麦茶を注ぎ、「ん」と弟へ差し出す。
汗をかいてよほど喉が渇いていたのだろう、受け取るなりキョウスケはその麦茶を一息に飲み干した。
「はー、やっと落ち着いたわ」
「いいから話せ。まさかユキ姉が危ないとか言いだすんじゃないだろうな」
今にもつかみかかりそうな剣幕で、ハルクがキョウスケへと詰め寄る。
「だったら悠長に麦茶を飲んでる場合じゃないっしょ」
「じゃあ何なんだ、えらいことって」
「ユキ姉さんが捕まえたんだよ。例の怪現象の犯人」
ビル内部への不法侵入を繰り返していた人物は、今日の夕方もふらりと戻ってきたらしい。その現場を押さえ、二人がかりで拘束するのは容易かったようだ。
「まったく抵抗はされなかったね。そりゃ幽霊にだって見間違われるだろってくらい、目が虚ろで生気のない女だったんだもの」
ただその犯人の素性が問題でさ、と続ける。
自身を落ち着かせるように一拍置き、キョウスケが言った。
「驚いたよ。そいつ、四年前に蒸発したはずのうちらの母親だったんだから」
この報せにはセイゲンも内心で呻くしかない。
宙宮家の母は子育てを放棄し、どこか遠くへ逐電したはずの人間だ。
生前のオリカも、不在の母へは何の期待も望みも抱いていなかったし、多大な負担を背負い続けた境遇を考えれば当然の成り行きだろう。
なのでまさかこのタイミングで絡んでこようとは夢にも思っていなかった。
二十二年前の女子高生大量変死事件に、彼女も関与しているというのか。
◇
キョウスケとともに、セイゲンらは例のビルへと再びやってきた。
もちろんミコも一緒である。まだ幼い彼女を家で一人にはしておけない。
外でもぬいぐるみとは離れがたいようで、小さなリュックサックから柴犬の顔の部分だけが覗いていた。
「今から会わなきゃいけないのか……」
妹を背負ったハルクがぽつりとこぼす。
短い言葉ながら、いろいろな思いが心中に渦巻いているのだろう。
普段は口数の多いキョウスケも兄の呟きには反応しなかった。あえて聞かなかったことにしたのかもしれないし、彼もまた緊張しているのかもしれない。
フブキから指定されている場所は二階の空きテナント、占い師アイアコッカ千鶴の館だった。窓が目隠しされている点を踏まえての選択だそうだ。
先頭に立って階段を上がったセイゲンが告げる。
「じゃあみんな、入るよ」
予想外なほどに室内は明るかった。
電気が止まっていて本来であれば真っ暗なはずなのだが、そこはさすがに探偵志望を公言しているフブキだ。
懐中電灯の上に水入りのペットボトルを乗せ、光源とすることによって互いをきちんと視認できるようにセッティングしている。準備がいい。
「みんな来たね」
小さく手を上げて応えたフブキの隣には、へたり込んだままの女がいた。
即席の灯りによってある程度顔までわかるものの、セイゲンにはどうにもピンと来なかった。目の前にいる中年女性がオリカたちの母親であると伝えられても、何とはなしの違和感しか残らないのだ。
キョウスケが言う。
「あいつがおれたちの母親だよ、セイくん」
さらにハルクもその後を続けた。
「正しくは『母親とされている人物』と呼ぶべきなんすけどね」
「え?」
さすがにセイゲンの理解が追いつかない。
ハルクらしからぬ持って回った言い方に対して、宙宮家の誰も異議を唱えていないことから、その見解が支配的なのはわかる。
なら、本物の母親はいったい誰なのか。どこにいたのか。今も生きているのか。
とめどなく溢れてくるセイゲンの疑問をよそに、ハルクは早口で語る。
「考えてみればおかしいことだらけなんすよ。だってそうでしょ? お腹が大きくなってなかったのに、いきなり赤ん坊がいたりしたら、そりゃ疑いもしますって」
溜まりに溜まった積年の不満を吐きだしているかのようだ。
中年女性は項垂れて、ハルクの方を見ようともしない。
「もちろん問い質したことだってある。あんたは本当におれたちきょうだいの母なのかって、面と向かって聞いてみたんす」
「答えは、どうだったの?」
躊躇いがちにセイゲンは先を促した。
ハルクの目が途端に鋭くなる。
「答えも何も。聞き取れる言葉にさえなっていない内容を、常軌を逸した顔つきでひたすら叫び続けるだけ。会話にならないんじゃどうしようもなかったんすよ」
「ま、それも確認作業に過ぎないからね」
ここまでずっと成り行きを見守っているだけだったフブキが、確信に満ちた口調でようやく割って入ってきた。
「別に母親であろうとそうでなかろうと、あたしにとっちゃお姉ちゃんさえいてくれればどうでもよかったんだけどさ。役を放りだして逃げ出したんなら話は別だ」
そしていきなり、中年女性の顎をぐいっと持ち上げる。
「宙宮カレン、それがあたしらが知っていたこの女の名前」
至近距離にまで顔を近づけ、睨みつけながらフブキは言った。
「調べるのに結構骨が折れたんだわ。本当のあんたの名前は蓮川結、そうだよね。ついでに言うと二十二年前の事件の際、変死した被害者グループにおいてただ一人、生き残った女の名前でもある」
「なら、壁に『ごめんねキリコ』の文を書き殴ったのって」
セイゲンの問いに対し、フブキも軽く頷く。
「こいつ以外に考えられないでしょ」
それっきり、場が静まり返ってしまう。
尋問が始まる前の居心地の悪い空気だ。
だがここで思わぬ人物が声を上げた。ミコである。
「ハルちゃん、下ろしてほしい」
妹からの要望にすぐさま応じるべく、ハルクはゆっくりとかがみ込んでミコが背中から下りやすいよう配慮を怠らない。
ミニサイズのリュックサックを背負ったままの彼女が、とことこと宙宮カレン、あるいは蓮川結である女へ近づいていった。
そしてかつては母親であった女性の手を握り、「よかった」と微笑む。
「ミコね、ずっと謝りたかったの。ひどいことを言っちゃったから」
「何て言ってしまったの?」
少し脇に退きながらフブキが訊ねた。
「うん。『ミコの本当のお母さんはどこ?』って。お母さんはずっと、お母さんじゃなくてもお母さんでいようとしてくれたのに。だから、ごめんね」
まだ小学二年生である彼女の言葉に、セイゲンは心底はっとさせられた。
母親であろうとしたことを評価する視点など、おそらくここにいる誰も持ち合わせていなかったはずだ。
それは中年女性においても同様だったのだろう。
ミコの小さな手にすがりつき、彼女は一語一語を噛みしめるようにして言う。
「ごめん、ミコ。ありがとう、私こそごめん。いいお母さんになれなくてごめん。突然いなくなってしまってごめん」
それっきり言葉にならず、悲鳴にも似た慟哭が室内にずっと響いていた。




