4-4:祭壇、帰れなかったゴンド、唯一の弟子
ロズミィが奥への同行を許したのはオリカだけだった。
当然だろうな、と納得しつつ、うなだれているルブウへ後のことを頼む。
「レドとトルゴーをお願いね。まだ意識が回復していないから」
「──そんなことより、ちゃんと戻ってきてくださいよ」
眼鏡の蔓を押し上げ、不承不承といった様子ながら彼も受け入れてくれた。ただし声に覇気はない。
身体的には無傷であっても、ロズミィとの戦闘で自慢の攻撃魔術が一切通じず、心をへし折られてしまったのだろう。あれだけの実力差を突きつけられれば仕方のないことだ。
三人の姿が見えなくなるほど離れてから、ようやくロズミィが話しかけてきた。
「本当はあんた、というより新しい英雄が召喚されてくるのを阻止したかったんだがね。そういう意図を持ってワイト王国へ侵攻したものの、結局は〈迎えの門〉までの制圧には至らなかったのさ」
そういえばワイト王国の女王は、自身の代での版図縮小に激怒していた。彼女の目には昔ながらの領土争いとしか映っていない。
なるほど、やはり双方の視点は随分違う。
「バランスを崩すのはいつもワイトの連中。こっちはそんな状況にどうやって折り合いをつけるか、頭を悩ませなきゃならない。不公平だと思わないかい?」
どんどん愚痴めいてきたロズミィの発言に、オリカとしても相槌に苦労する。
「はあ、そうですねえ」と曖昧に肯定するのが精いっぱいだ。
「何だい何だい、えらく適当な返事じゃないか。年寄りはもっと労わるもんだよ」
こういうところは妙に庶民的な雰囲気を漂わせる人である。
権力者ながらいかにも元気なおばあちゃん、とでも言おうか。
ただ、祖母と呼べる存在のいなかったオリカには、どこまで軽口を叩いていいのか判断がつかない。それでもロズミィへはほのかな好感を抱きつつあった。
少し打ち解けてきた空気の中、二人は地底湖の周縁部まで到達する。
ここまでやってくればオリカにもはっきりと認識できた。ラブツーク王国が秘している〈送りの門〉、その在処が。
「ご覧」とロズミィが湖の中心を指差す。
「遠くから眺めただけじゃただの水面にしか見えないだろうね。でも湖中から水面ぎりぎりのところまで迫ってきている祭壇、あれこそが〈送りの門〉さ」
「すごい……。わたしがやってきた〈迎えの門〉とは、また全然作りが違う」
「あっちは平原にぽつん、とやたら目立つ場所に建てられているからねえ」
あの女王の性格を表してたりして、とオリカは心の中でちょっぴり毒を吐く。
それはともかく、〈送りの門〉にはまだ気になる点が残っていた。
「どうやってあそこまで行くんですか?」
「問題ないさ。ついておいで」
そう言ってロズミィが向かった先は小さな桟橋だった。
しかし肝心の舟はどこにも見当たらず、渡ることなどできそうにない。
「大丈夫、濡れやしないよ」
迷いなくロズミィは桟橋の先へと足を踏み出した。
落ちる、とオリカが慌てたのも束の間、驚くべきことに木でできた桟橋はロズミィの足取りに合わせて伸びていっているのだ。
「だから言っただろう、問題ないって。ほら早く」
気忙しそうに彼女が手招きをしたため、オリカもおっかなびっくりで後を追いかけていく。もちろんオリカのところだけ足場が消えてなくなったりはしない。
ロズミィが立ち止まれば、桟橋も伸長を止める。
広い広い大空洞にある地底湖の真ん中で、オリカとロズミィの二人きり。我に返ってみればあまりにも心細いシチュエーションだ。
しかしそれも一時のことだった。
近づいてくるロズミィを察知でもしたかのように、タイミングよく水中から祭壇がせり上がってきたのである。
「わー……」
ギミックが多すぎて、オリカは翻弄されっ放しだ。
そんな彼女を見てロズミィが笑いだす。
「ははは、何だいあんた。新しい英雄として召喚された女が、口を開けてそんな締まらない顔をしていたんじゃ格好がつかないだろうに」
「うーん、英雄ですかあ」
ひとまず表情を引き締め直してから、オリカは首を傾げた。
「わたし、どうにもその英雄ってのがぴんと来ないんですよね。だって結局はワイト王国から喚ばれて、あっちの国のためだけに戦ったわけでしょう? ならこっちのラブツーク王国からすれば大悪人みたいなものじゃないですか」
以前から胸に燻っていた素朴な疑問だ。
オリカに対するスタンスはどうあれ、なぜかドミカリフもロズミィも英雄という呼称を使い続けている。敵方にあたるラブツーク王国の人間なのに。
ロズミィは「よっこらしょ」と声に出し、祭壇の前に腰を下ろした。
「ちょっと昔話をしようか。あたしが知るかぎりの、英雄ゴンドについての話さ」
やっと来た、と思った。ここからが本題であり、聞き漏らすことはできない。なのでオリカも遠慮がちに彼女の隣へ座り込んだ。
「まあ若かったね、あいつもあたしも」という前置きから始まり、ロズミィによって語られた英雄ゴンドの物語は、おおよそ以下のような内容だった。
ワイト王国の〈迎えの門〉へ召喚されたゴンド、彼は不倶戴天の敵であるラブツーク王国へと攻め入るよう求められた。このあたりまではほとんどオリカの場合と変わらない。
だがゴンドは実際にやってのけてしまう。
どういう考えだったのか、そして精神状態だったのか。そこまでは敵であるロズミィに知る由もない。
二人のファーストコンタクトは、両国の間に和平が成立した直後のことだ。
ワイト王国の領土を大幅に拡張し、ミッションを成し遂げたゴンドは元の世界へ帰還する腹積もりだったという。
なので当然、邂逅の舞台はラブツーク王国の〈送りの門〉。
この頃のロズミィはまだ駆け出しの魔術技官であり、本来ならば儀式の場に同席できるような立場ではなかった。
それが特別に許されたのは、彼女がひたすら二つの〈門〉の研究に打ち込んでいたからだ。変わり者の研究者として知られていたロズミィの名が、初めて歴史に登場した瞬間だと言えるだろう。
ゴンドの意向とは裏腹に、〈送りの門〉での帰還の儀式は遅々として進まない。
ここでロズミィにお鉢が回ってきた。儀式を取り仕切る上層部から、納得のいく説明をせよと求められたのだ。
「本当に若かった、というより青かった。政治的判断でごまかすなんて、一瞬たりとも頭をよぎらなかったんだからねえ」
そう述懐したロズミィだが、当時の彼女は願ってもない機会を得て、意気揚々と自説を披露したのだそうだ。
彼女曰く、〈送りの門〉の祭壇にはこのような文字が刻まれているらしい。
『器を求めよ。さすれば道は開けん』
文献を読み漁り、密かに〈門〉の魔術的要素について調査と研究を積み重ねてきたロズミィは、すでにある仮説を立てていた。
こちらとあちら、彼我の世界の関係は同質ではない。あちらの世界を肉体に例えるとするなら、こちらは精神。
あちらの世界で肉体から魂が切り離されることによって初めて、こちらの世界へ招き入れることが可能になる。
つまり、あちらの世界で器となる肉体を喪失しているならば、もはや帰る手立ては存在しない。帰還を強行してみたところで、魂のみの姿で彷徨うしかできず、結果として消滅の時を待つだけである、と。
ロズミィは厳かに言った。
「あれから研究をずっと続けているけど、結論は以前と変わらないよ」
こんなものはオリカにとっては死刑宣告と同義ではないか。
おそらく彼女は現世で交通事故に遭い、生命活動を維持できないほどに激しく肉体を損傷している。言い換えれば「死」だ。
その場合、宙宮オリカの体は火葬されているはずである。大部分が灰となって、残るはわずかな骨ばかり。
そこに魂は宿るのか。いや、きっと無理だ。
「オリカあんた、あのときのゴンドと同じような顔をしているよ」
ロズミィから指摘されるまでもなかった。
自分でも血の気が引いているのがよくわかる。
ここへたどり着くまでずっと心の支えにしていた、いつか必ずみんなが待つ場所へと帰るんだという希望。それがたった今、粉々に砕かれたのだから。
震える声でオリカは訊ねた。
「英雄ゴンドは……その仮説を知ってその後どうされたんですか」
「しばらくは放心していたよ。喋りすぎたとようやく気づいたあたしも黙りこみ、彼の様子を固唾を呑んで見守っていたさ。そしたら──」
「そしたら?」
「あの男、突然けたたましく笑いだしてね。それが収まったら今度は『なるほどなァ!』と叫んで、あたしに笑いかけてきたっけ。あれほどの恐怖を感じた瞬間は、後にも先にもないよ」
ゴンドの心情からすれば、八つ当たりであろうと怒りの矛先を若いロズミィに向けてもおかしくはない。
「じゃあ、その右目って……」
「いんや? これはまた別のときに戦って受けた傷だよ」
さらりとロズミィが答える。
「帰る手段を絶たれて、良くも悪くも吹っ切れてしまったんだろうさ。あれ以来ゴンドは英雄であり暴君となった」
彼女はその後のゴンドについて語っていく。
もはやワイト王国の命に従う義理もなかった。ゴンドはひたすら己の力を誇示して傍若無人に振る舞い、相手が誰であろうと無理難題を呑ませようとしたらしい。
極めつけは、ワイト王国の王女と婚約が決まっていながら、どういうわけかロズミィを愛人にしようとしたことだ。
「他にもそういう女がいたらしいけどね。ま、片目を失うまで抵抗したのはさすがにあたしくらいのもんだろ」
ここまでされては、さすがのゴンドも引き下がるしかなかったらしい。
だが恐るべき暴君と化した彼にも、英雄的な側面はきちんと残っていた。
ワイト王国とラブツーク王国、この両国以外にはひたすら人の住めない不毛の地が広がっているという。しかも怪物が時折出現する辺境地帯であると。
ゴンドはいついかなる時でも、危険を顧みず必ず怪物を迎え撃った。怪物の進撃先がどちらの国であろうと、そんなことは一切斟酌せずに。
だからこそ一時は敵だったラブツーク王国でも、彼を英雄視する者は後を絶たないのだそうだ。ドミカリフやロズミィもその点については認めているのだろう。
都に生きる人々にとっては傲慢極まりない暴君、怪物から助けられた人々からすれば永遠の英雄。そんな相反する二面性を持つ人物がゴンドなのだ。
「オリカ、あんたがあきらめるのはまだ早い」
諭すような口調でロズミィが言う。
「あの気難しいゴンドが唯一、弟子として認めた男がいる。ワイト王国では若かりし頃のモンドーアと並び称されていた凄腕の魔術師だよ。名はダダイ。やつならあたしとは違う、別の何かをつかんでいるかもしれない」
「ダダイさん、ですか」
オリカは何かを思い出しかけていた。
どこかで同様の話を耳にしたような記憶がうっすらあるのだが、掘り起こす前にロズミィはさっさと進めていく。
「ま、ゴンドの死後にワイト王国から追われて、すっかり逃亡生活が板についているって話だがね。弟子になりたての少年の頃はそれなりに可愛げがあったが、今ではただの図々しいおっさんになっちまって。時々ふらりとこの〈送りの門〉にも顔を出して、当たり前のように食事やら何やら要求してきやがる」
それがついこの間の出来事さ、と憤慨してみせた。
ただし顔を見ればさほど怒っていないのはオリカにもわかる。
「今度は久しぶりに英雄ゴンドの墓所へ行くって話していたからね。すぐに引き返せば間に合うはずだよ」
「貴重な情報、ありがとうございます」
立ち上がりながら礼を述べた。
もうほんの少しでも時間が惜しい。
ダダイに会えば、状況が劇的に好転すると約束されているわけではない。それでもオリカには他の選択肢がなかった。
藁にもすがる思いで、次はダダイなる男の元へ向かわねばならないのだ。
そんな彼女をロズミィが柔らかな眼差しで見つめてきた。
「オリカ、決して自ら投げだすんじゃないよ。そいつは結局、自分自身を最後まで信じ切れなかったってことだからね。辛抱強く、粘り強くおやり」
さらにはオリカの体へ両腕を回し、ふわりと抱き締めてくる。
その温かさがやけに強く印象に残ったのは、大空洞の空気が冷えていたせいなのかもしれなかった。




