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オリカ・イズ・デッド、それから  作者: 遊佐東吾


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10/24

3-1:夕日、地獄、オリカとセイゲンその2

 たまたまフブキが見知っていただけで頼った轟音寺の住職だが、言葉で言い尽くせないほどに世話になった。


「まだまだ心の傷も癒えぬでしょう。決して快適とは申せぬ当寺でよければ、何日滞在されてもかまいませんよ」


 葬儀のみならず火葬の手配も済ませて、さらにこのような提案をセイゲンへ伝えてくる。

 火葬場には葬儀当日の空きがなく、その翌日まで待って執り行った。

 オリカが勤務していたブーランジェリー・モーやカササギ亭の店主も轟音寺へ弔問に訪れ、その都度住職が対応に当たってくれている。

 宙宮家の四きょうだいはまだ未成年だ。本来であれば唯一の大人であるセイゲンがしっかり取り仕切るべきだったのだろうが、悲嘆に暮れる彼には荷が重すぎた。

 それでもさすがに世話になりすぎていることへの罪悪感はある。


「どうしてここまで助けていただけるのですか」


 火葬を終えて寺へと戻ってきた夕刻、玄関先でそう訊ねずにはいられなかった。

 仏道ゆえか、それとも住職自身のスタンスゆえか。

 だが返ってきた答えはセイゲンが想像していたものとは異なっていた。


「さあ……どうしてでしょうね」


 住職自身も不思議がっているような、そんな曖昧な返事だ。

 真剣に言葉を探し続けていた住職が改めて口を開く。


「やらねばならぬ、と突き動かされた部分があったようにも感じますが、こういうのはご縁があってのこと。私自身は自然な成り行きだったと捉えておりますよ」


 微笑を浮かべてそう言い切られてしまえば、もうセイゲンがあれこれと詮索する筋合いではないのだろう。

 一礼した彼は本堂へと向かう。

 宙宮家の四きょうだいが先に戻っていた本堂へは、夕日が強烈に射し込んできており、室内を橙色に染めていた。


 そんな中、ミコはキョウスケと一緒に柴犬のぬいぐるみで遊んでいる。

 柴犬の愛らしさが強調されたぬいぐるみであり、セイゲンのデイパックに押し込められていたのをミコが見つけて「かわいい!」と夢中になったため、そのまま彼女にプレゼントしたものだ。

 ただセイゲンは自分がどうしてぬいぐるみを持っていたのか、その経緯をまったく思い出せない。

「クレーンゲームで取ったっぽいやつっすね、これ」とハルクが言っていたが、はたして未経験の自分にそんな器用な真似ができるのだろうか。

 ともあれ、ミコが喜んでくれているなら何よりだ。

 二人のところへ住職も近づいていき、にこやかに語りかける。

 ぬいぐるみを中心にして談笑しているその様子は、やはり昨日今日会ったばかりの関係には見えない。


 ふいと視線を縁側へ転じれば、年長組のフブキとハルクは何やら今後について話し合っている様子である。

 途端にセイゲンはこの世で独りきりのような心境に襲われた。

 世界のどこにもオリカはもういない。彼女の肉体は焼かれ、骨だけになった。

 言葉を交わして笑い合うことも、触れた指先に温もりを感じることも、ともに未来へ思いを馳せることももはやない。

 だからセイゲンは彼女の生きた証を求め、過去の記憶へと飛ぶ。


     ◇


 ひたすらに責め苦が続く場所を地獄と呼ぶのであれば、セイゲンの十代はまさに地獄そのものだった。

 海外での事故死によって両親を同時に失った後、苗字はそのままに彼を引き取ったのは母方の祖父母である。会社を経営し、地域の社会や経済にも影響力を持つ祖父。そんな彼に唯々諾々と従う祖母。

 セイゲンは祖父母のことを特に嫌っているわけではなかったものの、一緒に暮らすとなればさすがにこれまでの関係とは違ってくる。

 祖父はかつてプロの囲碁棋士を志し、夢半ばで挫折した男だ。

 セイゲンの母、つまり娘には果たせなかった自分の夢を押しつけたりはしなかったようだが、孫のセイゲンに対しては遠慮がなかった。


「この家で暮らす以上、おまえは今日からプロの棋士を目指せ」


 反論は許さん、と宣告されたのも引き取られて初日の出来事である。

 どこにも逃げ場がない中で、まだ幼いセイゲンは本当に頑張ってきた。

 囲碁自体は非常に面白く、二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される盤上遊戯の中では、手番の際の選択肢が最も多いとされている。実に奥が深い。

 が、セイゲンの才能の有無はまた別の話だ。


 とにかく必死だった。囲碁における自身の才能が出涸らし程度でしかないのに薄々気づいていても、とにかく鍛えて鍛えて鍛え抜いてきた。

 詰碁の問題集には一日のノルマを設け、何度も繰り返し解く。ネットでも対局を重ね、徐々にランクを上げていく。

 そんな努力の甲斐あって彼は院生にまでたどり着いた。院生とは、囲碁のプロを目指す者たちが所属する棋士養成機関である。

 志願の最終年となっている十四歳ぎりぎりでの合格だったが、祖父の喜びようは尋常ではなかった。まるで孫がプロへの道を約束でもされたかのように。

 しかしここがセイゲンにとっての最高到達点と評しても差し支えないだろう。


 血の滲むような思いでどうにか院生の資格を得たわけだが、そこに集まっていたのは化け物たちばかりであった。

 院生同士での対局のたびに、崖から突き落とされるような絶望感を味わう。

 どうにか上位進出の足がかりを得ようとするも、分厚い壁に跳ね返されるばかりだ。こちらが爪痕を残せている感触さえない。

 しかもこの化け物たちの中から、本物のプロ棋士になれるのはごくわずか。

 セイゲンにとっては途方もない遠さだった。迷いが生じ、昨日やっていたことを今日は別のやり方に変え、明日にはまた別のことに手を出している。強くなるどころかむしろ弱くなっている気さえしていた。


 高校二年生の夏に祖母が死んだが、状況に何ら変化はない。祖父からの圧力がさらに増したくらいだ。

 心を護ってくれていた衣が、負けるたびに一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。弱さがどんどん剥き出しになり、いつしかセイゲンは深い穴の底にいた。

 ここから大声で助けを求めても、他の誰にも届かない。

 負けに慣れ、勝利を夜空の星のごとく眺めるだけの日々を送るようになる。地獄のような毎日をどうにかやり過ごす、彼なりの知恵だったのかもしれない。


 ただし院生にはもう一つ年齢の条件がある。十八歳までにプロ棋士となれなければ在留資格を失う、というのがそれだ。

 十二月生まれのセイゲンにとって、十月と十一月に本選が行われる冬季棋士採用試験がプロ棋士になる最後のチャンスとなる。

 にもかかわらず、成績不振の彼は本選進出にまで至らなかった。

 十代のすべてを捧げた挑戦の、あまりにあっけない結末だ。

 はっきりとした結果を眼前に突きつけられると、肩の荷が下りたような気持ちになって「もう頑張らなくていいんだ」と呟いたのを今でも覚えている。

 その後、ひとしきり祖父とは衝突した。


「院生でなくとも外来からプロ試験を受けられる。泣き言を口にするな」


 そう言い張る祖父に、首を横に振ったセイゲンは穏やかに告げた。


「ぼくには無理です。それはもう綺麗なくらいにぽっきりと、心が折れてしまったんですよ。才能も、努力も、意志も、何もかもが足りなかった」


 結局、囲碁のプロ棋士への道をあきらめて大学への進学を選ぶ。

 さすがに祖父も進学費用は出してくれたが、それだけだ。囲碁を介して歪に繋がっていた二人の関係は破綻したも同然だった。

 通学圏内の大学を選んだとはいえ、セイゲンは家を出て一人暮らしをすることにした。祖父もこれ以上不出来で無様な孫の顔など見たくもないだろう、そう慮っての決断である。


 だが囲碁から離れ、進学してからもセイゲンの心は麻痺したままだ。

 散っていく桜に春を感じることもなく、サークル勧誘の喧騒にも何一つ感情が動かず、借りた安アパートと大学とアルバイト先を往復するだけの凪いだ日々。

 当然ながら親しい友人ができるはずもない。

 授業とアルバイト以外で他人と会話することのない彼だからこそ、自分の名を弾んだ声で呼ばれるだなんて想像さえしていなかった。


「九慈くん? 九慈くんだよね!」


 今のセイゲンには眩しすぎる、花が咲いたような満面の笑みがそこにあった。

 相手が誰なのか、一目でわかった。

 宙宮織火、小学一年生のときに親しくしていた少女だ。面影が残っているというよりも、幼かった子供がそのまま大人へと成長した、彼女の容貌はそう形容するしかない。

 ただ、誰とでも物怖じせずに話せていたあの頃のコミュニケーション能力は、今のセイゲンからはすっかり失われている。


「は? 誰?」


 口をついて出てきたのは心にもない言葉だ。

 本当は知っているのに。ひどく懐かしい人なのに。

 大学構内でのパンの出張販売を終え、後片付けをしていたらしき彼女は、手を休めることなく話を続ける。


「いきなり声を掛けちゃってごめん。わたし、宙宮オリカだよ。ほら、覚えていないかな。小学一年生の頃、よく一緒に遊んで──」


「だから知らないし」


 オリカの言葉を途中で遮り、無遠慮に背を向けた。

 そのまま振り返ることなく早足で廊下を歩き去る。

 心の声は「戻れ、ちゃんと会話しろ」と叫んでいた。今、この瞬間こそが人生を立て直す分岐点なのだと。なのに体は勝手に動きコントロールできない。

 もう二度と訪れないであろう好機を棒に振った自覚はある。これほどまでに自分を愚かだと感じたことは、院生の時分にさえなかった。


 だがセイゲンのつまらない自意識など、オリカは軽々と超えてきた。

 翌日、仏頂面で校舎を出てきたセイゲンの前に彼女が現れたのだ。


「やっほ」


 仕事でのユニフォーム姿であった昨日とは異なり、パステルカラーのシャツの上に薄手のカーディガンを羽織った格好はとてもカジュアルだった。

 少し太めのシルエットのパンツには大きなワッペンも縫いつけられており、嫌味なく着こなしている様は垢抜けた雰囲気を漂わせている。

 あの宙宮オリカが、昔に比べれば随分な変わりようではないか。

 鬱屈したセイゲンの反応を待つことなく彼女は言った。


「わたし、お腹空いているんだよね。ごはん食べようよ」


「タカリに来たのか?」


 本当は縁が途切れずに喜んでいるはずなのに、心をすり減らした今の彼にはこんな言い方しかできない。

 ちっちっち、とオリカはわざとらしく人差し指を振る。


「知ってた? 美味しいごはんって、外へ食べに行かなくても家で作れるんだよ?」


 洗濯が子供にだって家でできるのと同じでね、と続けた彼女の目は挑発的だ。

 どこかで聞いたことのある理屈だった。

 はあ、とこれ見よがしにため息をつきながらセイゲンが言う。


「意趣返しのつもりかよ」


「ほら、やっぱり」


 邪険な扱いを受けているはずなのに、また彼女は周りをも照らすような笑顔を浮かべてセイゲンへと一歩近づく。


「やっぱり覚えてくれていたんだね、わたしのこと」


 少し涙ぐんでいるようにも見えたのはセイゲンの錯覚だったのかどうか。

 そこからは強引というか、オリカによる半ば無理やりな連行だった。

 連れ込まれたのは二階建てアパートの一室である。建てられて優に半世紀以上が経過しているのは間違いなく、文化住宅と呼ばれているタイプの物件だ。

 かんかんと音の鳴る外付けの階段を上がれば、宙宮家が暮らす部屋へ「どうぞ」と恭しく手招きされる。

 もはや流されていくだけとなっていたセイゲンも、覚悟を決めて「お邪魔します……」と玄関へ足を踏み入れた。


「今、下のきょうだいが四人いるんだけどね」


 みんな学校へ行っている時間だから、とオリカがさらりと告げる。

 小学一年生だった頃の彼女でさえ、すでに二人の弟妹の面倒を見ていた。そこからまた二人も増えていたとは。

 けれどもセイゲンは何も聞けない。

 これまで彼女がどういった人生を歩んできたのか、五人きょうだいは充分な暮らしができているのだろうか、母との関係は改善されたのだろうか。

 聞きたいことも口に出せず黙りこんだままのセイゲンだったが、オリカにはまるで気にした様子などは見られない。


「その辺に座ってちょっとだけ待っててね。簡単なものだけど、腕によりをかけちゃうからさ」


 カーディガンを脱ぎ、エプロンを付けたオリカはシャツの袖をまくり上げる。

 靴を脱いで入室したセイゲンは所在なさげに立ったままだ。

 仕事人間の両親が留守がちであったため、元々彼自身も自炊はやる。とはいえオリカの調理はセイゲンのそれとはレベルが違った。

 熟練の家庭の技、とでも言おうか。

 冷凍の食パンを何枚か用意し、それぞれ四分の一にカットしていく。手際よくその上に一枚ずつ異なる具材を乗せ、次々にトースターで焼き上げていった。


「じゃーん。オリカ式ピザの完成だよー」


 ピッツァじゃなくピザだからね、と謎の念押しをしてくる。こんなのはピッツァではない、とイタリア人から苦情を受けた経験でもあるのかもしれない。

 二人で食卓を囲む際、対局のときの癖で正座をすると、オリカは慌てて「そんな畏まって食べるような品じゃないから」と両手を顔の前で振る。

 とりあえず聞き流しておき、適当な一枚を手に取った。

 オリカ曰く「缶詰の鯖の味噌煮とたっぷりチーズ」のピザらしい。ちょっと隠し味を加えているのがオリジナリティなのだそうだ。

 その組み合わせはどうなんだろう、と半信半疑ながらも口へと運ぶ。


「……美味しい」


 単なる栄養補給ではなく、温かくて、ちゃんと味のある食事。

 思い返せば幼少期からセイゲンにとっては縁遠いものだった。

 しかも隣には古い友人がいる。あまりにも贅沢すぎた。


「おー、照れるぜ。どんどんいって、どんどん。これなんかオススメ」


 小さなハンバーグに、デミグラスソースがかかっているピザを彼女が指差す。


「働かせてもらっている洋食屋のシェフが凄腕でね、ソースが本当に美味しいんだよ。いつかわたしもこの味に追いつきたいって思ってるの」


 料理人になってみんなを幸せにするのがわたしの夢なんだ、とオリカは言った。

 飾り気のない心底からであろう彼女の言葉に、セイゲンは不意に胸を衝かれた。

 プロ棋士の夢が破れたときも、祖父の家を出ていくときも、涙とは無縁のはずだったのに、どういうわけか今この場で感情を抑えられなくなってしまう。

 せっかくのピザの上に涙の粒がこぼれ落ちてしまうのが申し訳なかった。それでももう自分ではどうにも止められない。

 ここで何を口走ったのか、詳しくは覚えていないが、相当に恥ずかしい内容を吐きだしてしまったことだけはうっすらと記憶にある。

 はっきり断言できるのは、彼の地獄がようやく終わりを迎えたことだけだ。


 セイゲンとオリカの関係はこの日から再スタートする。

 だが昔からの「九慈くん」の呼び方がいつしか「セイ」へと変わるのに、それほどの時間はかからなかった。

 そうなることがごく自然なように、恋人としての二人の付き合いが始まる。

 オリカのいない人生などセイゲンにはもはや考えられない。そんな日がやってくる可能性の想像さえしていなかった。

 いついかなる時でも彼女を支え、その夢を応援する。オリカが大切に思っている家族に対しても同様のスタンスで接していこう。言ってみればそれがセイゲンの新たな目標だった。


 なのに死という絶対的な終焉が、恐ろしいほどにあっけなく彼女をこの世から奪い去っていく。セイゲンは再び己の未来と向き合わねばならなくなった。

 それでもプロ棋士の夢を手放したときのような、空っぽの自分ではない。

 オリカがもうどこにもおらずとも、彼女が遺していった大事なきょうだいたちは今も悲しみに耐えて頑張っている。

 今、セイゲンが為すべきは何か。

 その答えはすでに心の中にある。

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