プロローグ:異世界、墓所、手向けの花
無造作に伸ばした橙色の髪を後ろで束ね、童顔には似合わぬ無精ひげを生やした男が迷いのない足取りで荒れ地を歩いている。
彼の目は真っ直ぐに小さな祠らしき建物を目指しているようだ。
だがそんな一見取るに足らないような場所にもかかわらず、なぜか配置されている見張りの兵士二人が警戒の度合いを強めた。
同じタイミングで二人の兵士は剣を抜く。
「おい、止まれ!」
こんな場所に何の用だ、と威圧的に問いかけてくる。
対する男は皮肉気な笑みを浮かべて言った。
「ちょっと雨露をしのげる場所を探しててな。ここならうってつけじゃねえか」
「ふざけるな!」
兵士たちがいきり立ち、今にも斬りかからんばかりに詰め寄ってきた。
そのとき、身なりに頓着していない男の素性に片方の兵士が気づいたらしい。
「あなたは……魔術師ダダイ様、いや逃亡者ダダイ」
「へえ。おれのことを知ってるなんて、あんた意外と年食ってんな」
ダダイと呼ばれた男は、肩を竦める仕草で肯定してみせる。
次の瞬間だった。ダダイが人差し指を唇に当て、「忘却せよ、目の前を過ぎゆく彼の者を」と魔力を込めて囁く。
それから気安く二人の兵士の肩を叩く。
「お勤めご苦労さん。さ、仕事に戻ってくれ」
兵士たちからの反応はない。
それもそのはず、彼らは忘却を促すダダイの魔術によって、今まさに進行中である祠への侵入に気づいていないのだから。
するりと二人の脇を通り抜け、祠へと足を踏み入れたダダイは感傷的に呟いた。
「この術、彼女が得意にしてたっけな」
しかし未練がましく過去を振り返っても、終わりを迎えた出来事はもうどうにもできない。無意識のため息とともに、ダダイは前を向く。
祠の中にあるのは下へと続く階段だけだ。
ただしその周囲には立ち入りを拒む封印の魔術が施されている。
「あー、そうだったそうだった」
久しぶりにやってきたので危うくそのまま突っ込んでしまうところだった。
確か、術式に触れた者はその場で体が腐り落ちる仕掛けだったはずだ。
「モンドーアのクソボケめ、どうせ破られちまうんだからちまちま面倒なことをしてんじゃねえよ」
ぶつくさ言いながら最速で解除し、内側へ入り込んだらまた設定し直す。侵入が露見しないようにするための小細工である。
「はー、肩凝った」
ぐるぐると腕を回したダダイは、指先に作りだした小さな火でカンテラを灯し、階段を下りていく。
ここの階段は相当深く作られていた。何度も何度も踊り場を経て下へと進み、ようやく到着したのは石造りの静謐な空間だった。
奥には棺が一つだけ安置されているのだが、ただそれだけではなかった。剣が棺へ垂直に突き立てられているのだ。
あきれたようにダダイが首を横に振る。
「まったく、ここまで畏れるもんかね」
突き刺さっている剣は、先ほどの兵士が使っているような量産品ではない。
王国の至宝とされている剣である。
別の世界から現れて、この国で戦い抜き英雄ゴンドと称えられた男。
生きているはずのない彼の遺骸に向けられているのは、祈りではなく恐怖。
そんな英雄ゴンドの棺に近づき、ダダイは懐に忍ばせていた一輪の草花をそっと乗せる。薄い紅色が殺風景な場所に場違いであることは承知の上だ。
「あんたはこういう地味な草花が好きで、ときどき絵に描いていたよな」
棺の傍らに座りこみ、さも英雄ゴンドがそこにいるかのように話し始めた。
「なあ師匠、知ってるか? あのクソボケどもは同じ過ちを繰り返そうとしているぜ。あんたのような怪物をまた別の世界から召喚し、再び英雄に仕立て上げるつもりなんだとよ。どうせ手に負えないくせに」
ダダイには、英雄ゴンドを真っ当に死なせてあげられなかった悔いがある。
けれども過去の出来事である以上、いくら納得できなくても自身の中でどうにか折り合いをつけるしかない。
「ま、逃げているだけのおれが知ったこっちゃないけどね」
いまだ呑み込めない苦い思いを、ダダイは自嘲とともに吐き捨てた。




