私はここにいる
ウロボロスの輪を見ると、自分が抜け出した実家の家庭環境を思い出す。貧困と身内への憎悪が互いに無限に連鎖して全く改善されないどころか劣悪になって行く。共喰いみたいだった。
モンスターの無限湧きを見ても、倒しても片付けても永遠にやって来る身内の問題事を連想する。これで終わりという瞬間が訪れたのは私が実家を出てしばらくしてからだった。実家を出ても、私の印鑑が勝手に母の名前で実印として印鑑登録されていたことなどがあって私は頭を抱えた。
どうしてこの家に生まれたのか。そんな考えても仕方のないことを若い頃の私は幾度も幾度も考えた。考えても答えは出なかった。いまならガチャで外れたのでとか、単にアンラッキーだったのでとか皮肉に考えられるのだが、当時の私はどうしてどうしてばかりを頭の中で、心の中で繰り返した。早くこの家を出るしかない。私が辿り着いた答えはシンプルで、少しさびしいものだった。私は本当は家族に愛されたかったのだと、その時に気が付いた。
しかし、何事にも向きと不向きがあるのだろう。私と母、私と弟の関係性はきっと向いていないのだ。近付けば傷付け合うヤマアラシのように、互いにとってつらくなるだけの関係性も家族にだってあるのだろう。諦めるしかない。また、いつか。もし、機会があれば。いつかまた話せる日が来るのかもしれない。そんな日は来ないかもしれないと思いつつも、私は自分に言い聞かせて実家を出た。引っ越しのトラックに乗った時に、助手席の窓をコンコンと叩いて母は私に歪に微笑み、ひとつお辞儀をした。まるで、今生の別れだった。私はまたねと言った。閉じられた窓で遮断され、聞こえていないかもしれないけれど。たとえ窓が開いていたとしても、本当には届かないかもしれないけれど。また、などもうないかもしれないけれど。沢山の思いを抱えて私は新しい家に向かった。きっと、幸せになれる。そう信じて。
新しい家でひとりでの生活は苦もあり難もありだった。部屋の壁が薄いのか隣人の物音や話し声が大きく響いた。憧れていたウォークインクローゼットの中は湿気取りを置いてもカビが生えた。庭にはドクダミが生えていた。廊下に備え付けられた小さな台所での料理はしづらく、不便だった。プロパンガスの為にガス代は冬場に一万円近くした。それでも、と思った。それでも私は家族と離れてここでひとりで暮らして行けるのだから、幸福だと思った。本当に? と、思い返すことは何度も何度もあった。私は母と弟が嫌いだったわけではない。私は家族を愛していた。ただただひたすらに相性が良くなかったのだと思う。そして、私の話を聞こうともしなかった二人の真意が私は分からなくて困惑と疲弊の日々だった。だから離れた。これで良かったのだと、私は新しい小さなアパートで自分に繰り返し告げた。それが真実であるという風に。
結局、新しい家には二年ほどを住んでまた私は引っ越しをした。隣人の騒音に耐え切れずに眩暈を起こし、耳鼻科に通院しても改善されず、ストレスにまみれた日々を送っていたからだ。泣きながら仕事から帰ったり、簿記の資格を取る為の学校に通い始めてもうるさい家に帰りたくなくて薄暗い外の公園で泣いていたりしたこともあった。分厚い遮光カーテンを閉めて電気も消してぼんやりと天井を見たり、目を閉じて何も考えないようにしていた時間も本当に多くあった。いまでも、その時のことを思い出す。友達の言葉も届かず、仕事に行けば体調を崩し、家に帰れば騒音で眩暈がする。私は生きて行く意味や楽しさを心から失ってしまっていた。
それでも、私はきっと幸せになりたかった。だから新しい家を探して引っ越しをすることにしたのだ。新しい場所へ行けば、きっときっと希望が見付かる。静かな家を探したから、これで大丈夫なはず。沢山の本の荷造りは大変だったけれど、私はまだ人間生活に希望を見出したかったから友達と通話をしながら荷造りを少しずつ少しずつ進めて行った。励ましてくれた友達には感謝が尽きない。
そして、いまも住んでいるこの家に私はやって来た。静かな家。前のアパートよりも広い台所。日当たりの良い洋室。本棚の置けそうな和室。ここは私が最初に住んでいた実家の造りに似ていた。下見の時、そう思った。どこか懐かしさすら覚えた。ここには母も弟もいないけれど。いなくて良いのだけれど。懐かしい感じのするこの新しい家で私はここから新たに始まって行く。そう思って荷解きをした。友達が少し家具をくれた。私は本棚を買った。大好きな本が整然と収まっているのを見ると、とても心が温かくなる。私はここで好きなだけ自分の好きな本を読める。私はここから始められる。
体調は良くなくても、私にはちゃんと希望があった。良かった。まだ私は絶望していない。まだまだ、どこまでもどこまでも私は旅をして歩いて行くのだ。虹の根元にあるという宝物を見付けに、真っ白な部分の多い地図を持って歩いて行く。そう決めて私はここに長い間、住んでいる。小説家になるという夢を持ちながら。
気の合わない人間というものはいるのだ。どこにでも。それこそ家族でも。いまでも思う。私、母、弟の中で悪かったのは誰だったのだろうかと。あるいは、何が良くなかったのだろうかと。でも、きっと私は一生涯、答えを出せないだろう。私にも誰にも分かりはしないのだ。神様がいたとしても神様にも分かってほしくはない。もう、仕方なかったのだと思う。ただ、そこに生まれて。運命のような逆らえない力で家族になって。最初は皆、うまくやって行こうと純粋な力が働いていたと思う。心から。そう、私は信じている。でも、少しずつ目視出来ないところで歯車がずれて行ったのだろう。誰も直せなくて。誰も何も悪くなくて。本当は私は私として言い分はある。私こそが正しかったのだと主張したい気持ちもある。しかし、それをすると苦しくなる。正しさだけが人を救うとは限らない。母にも弟にも言い分や主張があるだろう。それを今更理解出来るとは私は思わないし、思えない。私は私の真実ひとつ胸に自分の人生というものを歩いて行く。本当の気持ちなど、どこにもない。そんなフリをして。
いつか、母にまた会えたら。そんな思いを綴ったこともある。その手紙形式の作品はコンテストで賞を頂いた。これを読んでくれた審査員の方の心を動かしたのだろうと思うと、私の思いが正解であれ間違いであれ、私は少し救われる思いがした。
懐かしい家。懐かしい家族。いつか、また会えたら。また話が出来たら。家族として共にいることが叶わないのならば、ただの人間として、個人として話が出来たら。合うも合わないも一緒くたにして、時々に話が出来たら。そんな風に叶わない夢すらみてしまうくらいには私は本当は家族を愛している。私なりに。
もしも、もう二度と道が重なることはなく、すれ違うこともなく、話をすることがなかったとしても。こうして思いを綴ることが私には出来る。小説でもエッセイでも日記でも、思いのかけらを忘れないように私は形に残すことが出来る。その文章を近くて遠い誰かが読み、少しでも何か心に残してくれたなら。私の心はとても温かくなる。私の人生が救われる。私は私の道に灯を灯すことが出来る。それを頼りに歩いて行ける。太陽が見える日も、太陽が隠れる日も。月が見える日も、月が隠れる日も。私は歩いて行ける。それが私のかけがえのない幸せだからだ。
私はまだここにいる。この家でパソコンに向かい、沢山の小説やエッセイを書く。いつか必ず小説家になる。その夢への熱情を抱えて。時に紅茶を飲み、時に本を読み、時に休みながら。私は、ここにいる。




